ロマンス詐欺にご用心

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ロマンス詐欺にご用心

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『拝啓、草花が芽吹く季節となりましたが、エリーズ嬢はいかがお過ごしでしょうか?
 こちらは相も変わらず何もない島の中で変化のない毎日を過ごしております。
 一日でも早く貴女にお会いしたいと願いながらも、今の僕にはそれも叶わぬこと。
 僕たちを隔てるこの距離はどうにかして縮められないものでしょうか。
 大袈裟と思われるかもしれませんが、貴女とのやりとりだけが心の慰めなのです。
 
 この島には娯楽なんてものはありませんが、オーウェルではいま何が流行っているのでしょうか。
 ぜひお聞かせください。』

 
 もう何通目かもわからない手紙。注いだ紅茶をひと口含みながら、私は思わずくすりと笑ってしまう。
 きっと私から援助を申し出て欲しいんでしょうに。一向にその気配を見せないものだから、そろそろ焦れている頃合いかしら。

 今回もこちらからは特に言及せずに、本当に知りたいのかも分からないこの街の流行でも教えてあげることにしましょうか。
 私は返事をしたためるために、新しく買った便箋を棚の中から取り出した。


 
 もう半年前になるかしら――。
 
 朝起きて、紅茶を傾けながら新聞を読むのはすっかり私の日課となっていて。今日もいつもと変わらない一日になると思っていたのに、窓から見える林檎の樹には、実よりも大きな赤い風船が引っ掛かっていた。
 庭師のハンクスにお願いして取ってもらったら、その風船には小さな手紙がひとつ。子どもの戯れかしらと微笑ましく思いながら開いてみたら――。

『どなたかの手に渡ると信じて、これを送ります。
 僕はアーデルマール王国の王家に連なるナイルと申します。
 今は訳あってロストル島に滞在しておりますが、知り合いもおらず、ひとり寂しい時間を過ごしているため、手紙を出してみることにしました。
 この手紙はどなたのもとに届いたのでしょう?
 海を越え、異国の地に辿り着いたのでしょうか?
 想像するだけで不思議と心が躍るようです。
 
 もしお返事を頂けるなら、ロストル島の唯一の郵便局まで送っていただけないでしょうか。
 孤独だけが寄り添う僕を少しでも哀れに思ってくださるのなら、どうか話し相手になってください』

 開封した手紙には、どこか頼りない筆致でそんな内容が綴られていて、以前にハンクスが部屋の壁に貼りつけていた注意文につい目をやった。

『ロマンス詐欺にご注意を!
 最近、王族・貴族を名乗る者から手紙が届き、金銭を要求する手口が横行しています。
 王族・貴族が見ず知らずの相手に手紙を送りつけることはありません。
 それらはすべて詐欺です。
 手紙を受け取った場合は、速やかに警備隊へご連絡ください。』

 つい先日、警備隊が各家を巡ってこの紙を配り歩いていたそうだ。
 ロマンス詐欺とは何かしらと思えば、王族や貴族を騙る手紙がいきなり届き、最初は「見聞を広めるために市井の者と話したい。ぜひ話し相手になってほしい」と語りかけてくるのだという。
 しかし、やりとりを重ねるうちに「心を癒やしてくれるあなたと結ばれるために配偶者との婚姻を解消したい。だが財布を握られてしまっているから、代わりに慰謝料を用立ててはくれないか。離縁後に必ず返すから」と金銭を求めてくるのだそうだ。
 
 そんな馬鹿な話、信じる者がいるはずがない。貴い身分の方が庶民相手にいきなり手紙なんて出すわけないじゃない――と、ハンクスと笑い合っていたのに、思った以上に騙される者が多かったようだ。
 この手口は『ロマンス詐欺』と名付けられ、頻繁に注意喚起がなされるようになった。
 
 だから私はすぐにピンときた。
 これこそがその、ロマンス詐欺というやつなのだろうと。

 まさか風船に文を括りつけるなんていう古風な手法を使うとは思わなかったけれど、警備隊の目を逃れるために詐欺師も知恵を絞ったのだろう。何百も飛ばせば、一つくらいは届くだろうという、"数撃ちゃ当たる"戦法で。

 さて、どうしたものかしら。
 
 アーデルマール王国という国は確かに存在する。地図上にも載っているから。
 その王国にナイルという名の王子がいることも知っている。つい先日、新聞で目にしていたからだ。
 なにやらその王子がとんでもないことをしでかして、王族の身分を剥奪された上に、今どき珍しい『流刑』に処されたのだという。
 
 なるほど。詐欺師はそのニュースを聞きつけてさっそく王子の名を拝借したに違いない。
 ロストル島は地図上ではそこまで遠くはないけれど、海の孤島で交通の便が悪い場所。
 真偽を確かめる術なんてそうそうあるものではないのだから。

「ふふ、随分と稚拙なこと」

 もしも本物の王子様なら確かに暇を持て余しているかもしれないわね。だからといってこんな得体のしれない手紙をよこしてくるはずもないでしょうに。
 警備隊に手紙を提出すれば、それでこの話はおしまい。味気ない毎日にちょっとしたスパイスが一振りされただけのこと。
 
 ……でも、退屈を持て余しているのは私も同じなのよね。
 
 なにせ親の残した財産のおかげで悠々自適の生活を送り、あまり人付き合いも好きではないから社交界からもすっかり足が遠のいている。
 話し相手といえば毎日通ってくれるハンクスくらいなもので、最後まで付き従ってくれた使用人も、田舎の両親の介護を理由に屋敷を辞してしまった。

 たたみ皺を伸ばしながら、何度もその手紙に目を通す。

「……せっかくだから少しばかり付き合ってあげようかしら」

 お金の話をちらつかせてきたら、そこでおしまい。
 そう、しっかり者と言われてきたのだから、自分に限っては大丈夫。騙されるはずがない。

 思い立ったがなんとやら。棚の奥にしまいこんでいた古びた便箋を取り出して、書き出しの言葉を考え始める。
 たったそれだけのことなのに、飽き飽きとしていた毎日に新しい風が吹き込むようだった。



 返事は、思いのほか早く届いた。
 蒸気船が運航しているからかしら。返事が届くとしても三ヶ月はかかると思っていたから、技術の進歩には驚かされるわね。

「おや、手紙ですか」

 庭仕事をしていたハンクスが物珍しそうに私の手元に視線を注ぐ。
 そりゃ昔は招待状をたくさんもらったものだけれど、ほとんどを欠席で返していたら届くこともなくなってしまったのよね。交流のある友人もいないし、珍しく思われても不思議ではないかもしれない。

「ええ。ふふ、手紙なんて久しぶりだわ」
「まさか変な手紙じゃないでしょうね……お嬢様は昔からどこか抜けているところがあるんですから、気を付けてくださいよ」
「失礼ね。私は大丈夫よ」

「そう言う人こそ危ないんですよ」なんて声を背に受けながら、どこか浮足立った気持ちでペーパーナイフを手に取る。
 封を開くと、中には便箋が数枚。そして、すっかり枯れ果て、紙にシミを残した花弁がひとつ同封されていた。

『お返事をいただけるなんて思ってもいませんでした。とても嬉しいです!
 エリーズ嬢と仰るのですね。改めまして、ナイルと申します。こちらこそ、よろしくお願いします。

 こちらの気候は安定しているのですが、いつでもとても暑いんです。
 まさか自分が漁師に混ざって漁に参加する日が来るとは思いませんでしたが……エリーズ嬢のお言葉どおり、みな気さくに接してくれました。
 彼らを罪人の子孫だからと勝手に遠ざけていたのは、僕のほうだったのかもしれません。
 傲慢な考えに気づかせていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

 最初は上半身裸の男たちの姿に少し驚かされましたが、海の仕事を手伝ううちに、その理由も分かるようになってきました。
 ……とはいえ、僕はさすがに裸にはなれませんが。

 エリーズ嬢はオーウェルにお住まいなのですね?
 どんな場所なのでしょうか? お一人でお住まいなのでしょうか?
 ぜひ、エリーズ嬢のことをもっと教えてください』

 話し相手に飢えている、という設定なのか、その後もつらつらと自分の近況と私の様子を探るようなことが便箋にびっしりと綴られている。

 お友達が欲しいのなら、こんな回りくどいことをせずに島民と仲良くなればいいのに。
 そう思って「漁に一緒に出てみればいいんじゃない?」なんて、先に送った手紙では嫌味たらしくアドバイスしてみたのだけれど……本当にやってみた設定にしたのね、この詐欺師さんは。
 
 そして同封されていたあの枯れた花は、ロストル島に咲くという野の花なんだとか。摘んでから一週間もすればすっかり枯れてしまうことも知らないのかしらね。それとも、世間知らずなお坊ちゃんを装って信憑性を高めようという魂胆なのかしら?

 今朝の新聞にはアーデルマール王国の内部事情が詳しく書かれていたから、記事を切り取ってスクラップブックに貼りつけたばかり。なんでも第一王子派と廃嫡された第二王子派が、今なお激しい政争を繰り広げているらしい。
 当の第二王子を名乗るこの詐欺師さんはロストル島で漁師の真似事をしているようだけれど……新聞を読むかぎり、そんな様子はまったく伺えない。

「こんな呑気な手紙を送ってくるなんて、この詐欺師さんは新聞を読まないのかしら」

 まだ文通も始まったばかり。もう少し油断させた頃合いを見計らって、『島を出るためのお金が必要なんです』なんて言い出すのかもしれない。
 
「随分と気の長い詐欺師さんだこと」

 しかも切手にはちゃんとロストル島の消印まで押されているんですもの。一度作り上げた設定をきちんと守る、なかなかの本格派だわ。
 勝手に詐欺師さんの人物像を想像しながら、ひとりくすくすと笑ってしまう。私の暇つぶし相手になってくれるなんて、本当にありがたいこと。

 さて、早速お返事でも書いてみましょうか。
 アーデルマールの政変について、踏み込んだことを聞いてみたらどんな反応を返してくるのかしら。
 どうせなら多少は学があると面白いのだけれど。少しばかり試してみようかしらと、ちょっと意地悪な質問を投げかけてみることにした。


 
 恐らく蒸気船はあちらこちらに寄港して各地に手紙を運んでいるんでしょうね。
 またしばらくしてから届いた手紙。早速封を開けてみると――あら。ちゃんと押し花のやり方を教えてあげたからかしら。少しくすんだ桃色の花弁を挟んだ、手作りの栞が同封されていた。

『またお返事をいただけて、本当に嬉しいです。
 海を越えた方とこうして繋がりが持てるなんて、運命めいたものを感じてしまいますね。

 教えていただいた押し花のつくり方はこの島では珍しいものだったようで、婦人たちを中心にちょっとしたブームになりました。
 そのおかげで島の人々とも少しずつ打ち解けてきたように思います。それもこれもエリーズ嬢の助言のおかげです。

 さて、ご質問いただいたアーデルマールの政争についてですが、生憎とこの島では得られる情報が限られており、詳しいことはほとんど分からないのです。
 とはいえ、身に覚えのない罪とはいえ僕は今や国を追われた身。
 王制に批判的だったのは事実ですから、王位を目指すなどということは、露ほども考えておりません。
 いまだに僕を擁立しようとする者がいるとすれば、早く諦めてほしいものです。

 それよりも、エリーズ嬢の住まわれるオーウェルとはどんな街なのでしょうか?
 訪れたことがなく、ぜひ詳しくお聞かせ願えたら嬉しいです』

 いまどき押し花がブームになるなんて、そんなに娯楽のない島なのかしら。島の人たちとの交流のきっかけになったのならそれはそれで結構なことね。……なんて、どうせ作り話に決まっているのに。
 ほかにも文面に気になる点がいくつもあって、私は思わず苦笑してしまった。

「そんなことよりも、ですって……」

 仮にも一国の王子設定でしょうに、その謂れなき罪を晴らすつもりはないのかしら。
 詐欺師なら詐欺師らしく、復権のためのお金でも要求してくればいいものを――。
 ……あらやだ。のんびり屋な詐欺師さんの代わりに、私がロマンス詐欺の筋書きを考えてどうするのかしら。

 新聞を見る限りアーデルマールでは今のところ目立った動きはなさそう。それならどんな返事をしたものかしら。
 ……のんびりとした毎日の中で、こんなふうに頭を悩ませるなんてあんまり無いことのように思えるわね。
 
 そうね。私の住むオーウェルについてでも、少し語ってあげましょうか。アーデルマールとは離れた場所にあるのだから、知らなくても無理はないものね。

「……お嬢様。何をなさっているのですか?」

 手紙を書き終えたあと、庭でしゃがみ込んでいたからかしら。薔薇の手入れに精を出していたハンクスが、訝しげに声をかけてくる。
 私が庭いじりなんてするのは珍しいことだものね。どんな気まぐれかと思ったのかもしれないわ。

「四葉のクローバーを探しているのよ。なかなか見つからないものね」
「ほう。どなたかに幸運を授けたいのですか?」

 ――だって、手紙だけじゃ味気ないでしょう?
 楽しませてくれているんだもの。詐欺師さんにも、少しくらい幸運があってもいいと思ったのよ。


 時には香水を吹きかけて。時にはレースを忍ばせて。
 まるで対抗するように、詐欺師さんからは小さなスケッチが同封されるようになった。
 
 ロストル島の風景かしら。大きな灯台や、蒸気船の船首。大海原に沈みゆく夕日――。
 人物画もなかなかのもので、活き活きと描かれた漁師たちの笑顔に私の頬も自然と綻んだ。

『バラの香りを久しぶりに堪能した気がします。エリーズ嬢は花がお好きなんですね。
 絵も褒めていただきありがとうございます。こんな才能があったとは、自分でも驚いています。

 貴女が勧めてくださらなければ、筆を取ろうなどとは思いもしなかったでしょう。
 何かに挑戦するのに、歳や環境は言い訳にしかならないのだと改めて気づかされました。
 僕はエリーズ嬢にいつも教えて頂いてばかりですね。

 日が昇る前に漁師と船を出し、昼前には戻って、午後は絵筆を手に過ごす毎日。
 王都にいた頃は、まさかこんな日々が訪れるとは思いもよりませんでした。
 政争に明け暮れ、時代の流れに背を向ける王家のやり方に、心底辟易していたのです。

 この生活にもずいぶん慣れましたが、最近、ほんの少しだけ欲が湧いてしまいました。
 僕の世界に彩りを与えてくれた貴女に、どうしても直接お礼を申し上げたい。
 けれど、僕にはこの地を離れる術がありません。
 王位には未練などありませんが……もし恩赦が下りたなら、貴女に会いに行けるのに。
 そんなことを思ってしまうのです』
 
 ……あらあら。そろそろ私が絆された頃合いだと踏んでいるのかしら。
 そうよね、もう随分と長くやり取りが続いているもの。そろそろ終わらせたいんでしょうね。
 
 だったら、いっそはっきりと金銭でも要求してくれればいいのに。
 そうすれば、こちらも潔く筆を置けるというものよ。

 ――スクラップブックは、いつの間にかアーデルマールの記事でいっぱいになっていた。
『第二王子は冤罪だった?!』
『市街区で暴動が勃発――王制への不信感か』
 そんな不穏な見出しが、ページのあちこちで踊っている。

 今、世界では次々と絶対王政が崩れ、民主主義へと舵を切ろうとしている。
 私の住むオーウェルがその先陣を切ったと言っても差し支えないかもしれないわね。

 時代の波は、アーデルマールをも呑み込もうとしているようで――。

 物思いにふけっていたとき、不意に肺を締め付けられるような痛みに襲われた。
 
「ゴホッ、ゴホッ……」

 最近は冷え込むようになったからかしら。咳込むことが増えてきて、仕事を終えたハンクスが慌てて私の背をさすってくれる。

「失礼します……。ちゃんと医者にはかかっているんですよね?」
「薬は貰っているわ。風邪でもひいたのかもしれないわね」
「どうかご自愛ください。昔から体は強くなかったじゃありませんか」

 長い付き合いだけあって、私のことは何でもよく知っているのよね。
 マメだらけの、ごつごつとした手のひらの温かさが、背中にじんわりと染み入っていく。
 それにあわせて荒れていた呼吸も次第に落ち着いていった。

「ありがとう、ごめんなさいね。今日はもう上がってくれて構わないわ」
「……手紙を書かれたのでしょう。私が投函してまいります」
「いいの? 助かるわ。ありがとう」

 手紙を出すのは外を歩く良い口実になっていたのだけれど、体調がすぐれないんじゃ仕方ないものね。
 ハンクスの申し出はありがたいもので、私は書き上げていた封筒をそっと彼に手渡した。


 ロストル島からの手紙は、それからすぐに届いた。
 本来ならば、まだ向こうに届くはずもないのに――。
 不審に思いながら封を開くと、中の筆跡はいつもの詐欺師さんのものではなかった。

「…………」

 一読して、息をひとつ吐く。
 ――なるほど。そういう手口もあるのね。
 呆れを通り越して、感心すら覚えてしまう。

『突然のお手紙となり、誠に申し訳ございません。
 私はナイル王子の侍従として仕えておりました、デュークと申します。

 事情はご存じかと思いますが、ナイル様は第一王子派の謀略によって王位継承権を奪われ、ロストル島へと流刑となりました。
 先日ようやくお側へ赴くことが叶いましたが、エリーズ様との文通のおかげで、想像以上に穏やかな日々を過ごしている様子でした。
 心を病んでいてもおかしくない状況だったにも関わらず、穏やかな表情を浮かべる姿にただただ感謝するばかりです。

 そして、思慮深く博識なるエリーズ様であればご存じでしょう。
 今、アーデルマール王国には革命の機運が高まりつつあります』

 もう一度、最初から読み直す。
 一枚、また一枚と、便箋を捲りながら確認する。
 
 ――つまりは、このデュークと名乗る男はナイルを革命軍の旗頭として担ぎ上げたいのだという。
 そのためには何かと資金が必要で、オーウェルでも有数の資産家として名の知れた私に支援を求めてきた……と、そういう話らしい。

『このようなお願いを差し上げるのは、大変心苦しく存じます。
 ですが、ナイル様が文通を重ねていた方が、もし私の知るエリーズ様であるのならば、奇跡としか言いようがありません。
 
 ナイル様から文通の話を聞いた際、騙されていると疑念を抱いたのも事実です。
 しかし、あなた様から頂いた最初の便箋を拝見した折、旧オーウェル王家の印章の透かしが確かに確認できました。
(私の親族はオーウェルに暮らしておりますゆえ、旧王家の印章やあなた様のお名前も存じ上げておりました。)

 ナイル様もまた、あなた様のことを深く慕い、「会いたい」と譫言のように何度も口にしておられます。
 どうか、ナイル様にお力をお貸しいただけないでしょうか。
 革命が成就した暁には、必ずやご支援いただいた金銭はお返しいたします。
 
 アーデルマールの未来のために。
 この国に、新たな風を吹き込むために。
 何卒、ご検討のほどお願い申し上げます。』

 ……仮に、この手紙の内容がすべて真実であるとして――。
 おそらく、このデュークという男が独断で書いたものなのでしょうね。
 これまでのやりとりで見えていたあの青年の性格からすれば、私に金を無心してくるなど、きっと考えもしなかったはずなのだから。

 ――さて、どうしたものかしら。
 
 アーデルマールの情勢についてはもちろん把握している。
 ナイル王子が、王族でありながら王制に疑問を投げかけていたことも。
 それを疎んだ者たちによって流刑に処されたことも。
 そして今、彼の名のもとに同情と支持が集まりつつあることも。

 ……まったく。詐欺師って本当に頭が回るのね。
 真実と虚構を巧みに織り交ぜて、相手の心を揺さぶってくるんだもの。
 
 これまで詐欺師さんからもらった手紙を、一枚一枚、丁寧に読み返す。
 そこにあったのは――孤独を訴えていた青年が、少しずつ自立し、頼もしくなっていく物語。
 
『僕は、きっとこの島で生涯を終えるのでしょう。
 今ならそれでもいいかと思えます。
 けれども……貧困に喘ぎ、国から見放された彼らを思うと、僕にも何かできることがあるのではと、ふと思うのです。
 ……とはいえ、何の力も後ろ盾もない僕には、それすら叶わぬ夢かもしれませんが』
 
 そうね。
 いくらお金が有り余っているからといって、自ら騙されにいくなんてこと、考えもしなかったのに。
 
 ……なのに。彼から届いたたくさんのスケッチを眺めていると――。
 騙されてあげてもいいかもしれないと、そんな気さえしてしまうのだから不思議なものね。
 

 ふと視線を上げると、壁に貼られた注意喚起の文言が私を嗤っているかのように見える。
 
『ロマンス詐欺にご注意を』
 
 馬鹿げた話だと思っていたのにね。
 けれど今ならわかる気がするの。
 騙された人たちの気持ちって、きっと、こんなものだったのかもしれないって。

「……ハンクス。お願いがあるの」

 一つの決断を下した私は、手紙を棚にしまい込んだ。
 代わりに取り出したのは、使い古された便箋。
 ……あら、もう最後の一枚なのね。
 まぁいいわ。どうせもう、使い道もなくなるのだから。



 それから――詐欺師さんから届いたのは、たった一通の手紙だった。
『援助、本当に感謝しています。しばらく手紙が出せなくなりますが、必ずまたお返事します』
 それっきり、ぱたりと音沙汰は途絶えた。
 
 私の口座からは、ごっそりとお金が無くなって。
 そして、しばらくしてから新聞の一面を飾ったのは――。
 かつて王子だった男による、前代未聞の革命の報せ。

 アーデルマール王制の、終焉だった。


 
 ――◇◆◇――


 
 彼がこの屋敷を訪れたのは、それから半年ほどが過ぎた頃のこと――。
 
 スーツに身を包んだ青年は手にした封筒の裏を確認し、ここが手紙の差出人の家だと確信したのか、碧い瞳を輝かせる。

「――失礼。こちらは、エリーズ嬢のお住まいで間違いありませんか?」

 門扉のそばで剪定作業をしていた私に、遠慮がちに声をかけてくる青年。
 精悍な顔立ちと日に焼けた肌が、老いた目にはひどくまぶしく映る。

 無言で頷くと、彼は安堵したようにはにかんだ。

「やっと、お伺いすることができました。僕はナイル・レイヴァンティア。現在はアーデルマール共和国の議員を務めております。此度は、大恩人であるエリーズ嬢にご挨拶に参りました」

 名乗らずとも彼のことは知っていた。
 この半年、最も多く新聞で目にした名前。『不屈の王子』と呼ばれた男だからだ。

 そう。アーデルマールでは、流刑となったナイル殿を旗頭に据えて革命が起きた。
『無血革命』と呼ばれたそれは第一王子派の不正を白日の下に晒し、失脚していた第二王子――ナイル殿の名誉を回復させたのだ。

 しかし、復権を遂げた彼がそのまま王位に就くことはなく、代わりに絶対王制の廃止と共和国の設立を宣言した。

 熱狂する市民の支持を受け、アーデルマールは『共和国』として新たな一歩を踏み出した。
 議会制を採用したが、ナイル殿は議長の座を固辞して、ただの一議員として政治に関わる道を選んだ――と。
 そのように新聞には書かれていた。

 その英雄が遠く離れたこの屋敷を訪れるなど、どこか現実味に欠けている。
 新聞の中の彼と目の前で微笑む青年とを結びつけてくれるものは、胸元に輝く印章くらいなものだった。
 
「……貴方様のことはお嬢様から聞き及んでおりました。どうぞお入りください」
「ありがとうございます。……失礼ですが、貴方がハンクス殿ですか?」
「ええ、そうですが……よくご存知で」
「エリーズ嬢の手紙に書かれていました。……とても頼りになる友人がいるから、一人暮らしでも寂しくはないのだと」

 ……そんなふうに書いてくださっていたのか。
 半ば押しかけのように通っていた私を、お嬢様は『友人』と認めてくださっていた。――その事実をこんな形で知らされることになろうとは。不覚にも、胸が熱くなる。

 感情を悟られぬよう努めながら、私はナイル殿を屋敷へと案内した。

「すべては、エリーズ嬢のおかげです。ロストル島で腐りきっていた僕を、叱咤し、導いてくださった。……革命なんて、本土で勝手に盛り上がっているだけの話で、島流しの身の僕には無縁だと思っていたのに。けれども、島の仲間たちが背中を押してくれて……その矢先に、エリーズ嬢から信じられないほどのご支援をいただいたのです」

 お嬢様の部屋へ案内するまでの間、ナイル殿は興奮気味に語り続けていた。
 その支援金は、軍備に使われるのかと思っていたが――彼は、お嬢様の言葉に従い、それを共和国設立のための資金として用いたらしい。

「僕の身分を証明するものは何ひとつなかったのに、エリーズ嬢は、手紙のやりとりだけで僕を見極めてくださいました。……僕の人生において、これほどまでの愛を感じたことはありません」
「愛、でございますか?」
「ええ、博愛です。人間愛と呼ぶべきものかもしれません。あの島での暮らしは、僕にとって、心を大きく揺さぶられる日々でした。それもすべて、エリーズ嬢のおかげです。金銭だけでなく、多くの愛を、僕は彼女からいただきました。その恩に報いたくて……」
「恩に報いる……と言いますと?」
「彼女の人生を支えたい。一人暮らしでは、不安もあるでしょうから」

 夢見る青年の瞳は、あまりにも澄んでいて――思わず笑みをこぼしそうになった。

 お嬢様の部屋の鍵をそっと開けると、微かにインクの香りが鼻をくすぐる。
 後から入ってきたナイル殿は部屋の隅々を見渡していたが、肝心の人物が見当たらず、戸惑った様子を隠しきれていない。

 私は、棚の上に置かれていた写真立てを手に取り、彼へと差し出した。
 目を丸くしたナイル殿の視線の先には、静かに微笑むエリーズ様の姿があった。

「お嬢様は、先月……亡くなられました。密やかに、お見送りを済ませております」

 ヒュッ、と息を呑む音が、静まり返った室内に痛いほど響いた。

 写真立てに収められているのは、二十五歳の頃の御姿。
 オーウェル王国、最後の女王――エリゼリア・ミレデイア・オーウェル八世。
 それは、今から三十年前に撮られたものだった。

「……亡くなられた……ですって……?」
「もともとお身体が弱い方でした。肺を患ってからは、呆気なく」
「そんな馬鹿な……。手紙には、そんなことはひと言も……!」
「御身に関わることでしたから。その手紙が誰に漏れるとも知れぬ中、気軽に書けるものではないでしょう」

 いくら王位を退き隠居していたとはいえ、元女王という立場は変わらない。その影響力は計り知れなかった。
 彼の侍従を名乗る男も、当然それを見越したうえで金銭の援助を依頼したはずだ。
 だというのに、ナイル殿は何も知らなかったと言わんばかりに顔を青ざめさせ、写真立てを持つ手を小刻みに震わせていた。

「……お嬢様から伝言を預かっております。まず、ナイルと名乗る者がこの家に来た際には、礼を受け取る必要はないと。あれは差し上げたものだから、返してほしくはないと仰っていました」
「そ、そんなわけにはまいりません! 時間はかかってしまいましたが、支援いただいた金額に加え、それ以上をお返しする用意もあるのです!」
「そのお気持ちだけで十分とのことです。……また、貴方様には、お嬢様の残された財産もお譲りするよう遺言がございます」

 私の言葉の意味がすぐには呑み込めなかったのだろう。彼は信じられないというように、何度もふるふると首を振った。
 それも無理はない。たかだか手紙のやりとりをしていただけの相手に全てを託すなど――本当に馬鹿げた話だ。
 だが、私はお嬢様から後事を託された身。ナイル殿がいつかここを訪れると信じて、この屋敷から離れずにずっと待っていた。

 ナイル殿は戸惑いの色を浮かべながら、再び室内を見渡す。
 その視線の先には、壁一面に貼られたスケッチ。そして棚の上には、しぼんだ赤い風船がひとつ、静かに置かれていた。

 私はそっとスクラップブックを取り出し、彼に手渡す。彼は写真立てを丁寧に元の場所へ戻すと、ページを一枚一枚、食い入るようにめくり始めた。

 
 ――申し訳ありません、お嬢様。
 貴女が亡くなられたあと、スクラップブックも、大切にしまわれていた手紙の束にも、私はすべて目を通してしまいました。
 正直に申し上げれば、私は当初、貴女が騙されているのではないかと疑っていたのです。

 手紙の相手が「アーデルマール王国の第二王子」を名乗っていたことも、流刑地ロストル島から送られていたことも、私は知っておりました。
 本物かどうか確かめる術はなく、どこか楽しげなご様子に目を瞑るしかなかったのが、偽らざる本音です。
 ですが、支援金の振込を依頼された際ばかりは、私は一度、思いとどまるよう懇願いたしました。

『差し出がましいとは存じますが、どうかご再考ください。たとえ本物であったとしても、お嬢様が援助される道理など、どこにもございません』

 そう申し上げた私に、お嬢様は――あの時とまったく同じ、確信に満ちた穏やかな微笑みを浮かべていらっしゃいましたね。
 王家の解体を決断し、民主主義への第一歩を踏み出されたあのときと、何ひとつ変わらぬ表情で。

『年を取るとね、若者に何かを託したくなるのよ。……ふふ、だから老人ばかり騙されてしまうのかしらね』

 そのご様子に、私は改めて思ったのです。
 お嬢様はやはり、未来を見通す力に長けたお方だったのだ――と。
 だから私は、信じることにいたしました。
 お嬢様のお眼鏡にかなった方であれば、きっと間違いはないのだと。
 

『詐欺師さんがもし来たらね、「すっかり騙されたわ」って言ってあげてちょうだい。だから返す必要はないのよって』

 すっかり痩せ細りながらも、どこか悪戯めいた笑みを浮かべていたお嬢様は、最期までアーデルマールの行く末を気にかけていた。

 涙をこらえながら、丁寧にスクラップブックをめくるナイル殿。その姿には一片の偽りも見えず、時折漏れる嗚咽に、私の目にも古い涙が滲みそうになる。

『詐欺師さんも、まさか手紙の相手がこんな歳だけ重ねたおばさんだなんて思ってなかったでしょうね。それこそ詐欺って言われるかもしれないわ』

 ――そんな冗談を言っていたお嬢様のお姿が、今もなお瞼に浮かぶ。

「……僕はなんて愚かなんだ。こんなにもお世話になった方に、一目会うことすらできないなんて……」 
「なれば、なぜもっと早くに来てくださらなかったのですか……!」
「共和国としてようやく形を成し、安定の兆しが見えたのがつい先日のことだったのです! 僕は、すべてを成し遂げてから、胸を張ってお迎えに上がりたかった……それだけだったのに……!」

 涙を流し、膝をつく青年に、それ以上の言葉はかけられなかった。
 たとえ彼が間に合ったとしても、お嬢様が彼について行くことは、きっとなかったのだから。

『……最期に甘い夢を見させてもらったわ。若者が独り立ちする姿に、心が躍ったの。ロマンス詐欺だなんて、よく言ったものね』

 アーデルマールはロストルよりも遥かに離れた地。
 さらに郵便事故で遅れて届いた最後の手紙には、革命の成功と、感謝の言葉と。
 そして「必ず会いに行くから、待っていてほしい」と綴られていた。

 お嬢様は返事をしなかった。死期が近づいていると悟っていらしたから。『待っている』なんて書いたら、自分が詐欺師になってしまうから、と。

 お嬢様が逝ってしまったあとにも届けられた手紙。封を開けることはなく、いまも棚の上に置かれている。
 それを見つめた彼は、顔を濡らす涙を袖口でそっと拭った。

「……この想いを、せめて国の未来へと繋げたい。それが、僕なりの……エリーズ嬢へ捧げる愛のかたちです」

 彼は再びアーデルマールへと帰っていった。
 お嬢様の遺された、スクラップブックを胸に抱いて。

 
 それからも彼からの手紙は定期的に届き続けた。
 だから私は、お嬢様に託されたこの屋敷に今日も変わらず留まり続けている。
 読まれることのない手紙を、お嬢様の机の上に、ひとつ、またひとつと積み重ねるために。

 遺された財産はロストル島の開発資金として活かされたようだ。
 アーデルマールも、良き方向へと改革が進められているらしい。

 そして――愛を語った詐欺師は、最後まで律儀だった。
 
 操を立てる必要など、どこにもなかったはずなのに。
 彼は、少なくとも私がこの世を去るその日まで、国の未来に身を捧げ、誰を娶ることもなく――。
 いつしか、人々から「孤高の人」と呼ばれるようになっていた。
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