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8.末永くよろしくお願いします
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目まぐるしく時間は過ぎ、あっという間に迎えた卒業式典。
厳粛な儀式を終えた大広間は、一転して舞踏会場へと姿を変えていた。
高々と吊られたシャンデリアが幾千もの光を放ち、磨き抜かれた大理石の床に反射しては眩い輝きを散らす。
壁際では、色とりどりのドレスに身を包んだ令嬢たちが花園のように咲き誇り、談笑に興じる令息たちの声が波のように広がる。
学び舎での日々が終わり、これからは紳士淑女として歩まねばならない。胸に光る卒業の印章が幼さを捨てた証のように見えた。
その中心に、当然のごとく注目を集める二人の姿があった。
楽団の旋律に合わせて、フィオナ様とアインが舞踏会の中央で優雅に舞っている。
純白のドレスがひらりと翻るたび、会場からため息と拍手が漏れる。
――まさしく「氷の王子とその婚約者」。誰もが羨む絵面だ。
私はその光景を、壁際に控えながら目に焼き付けていた。
……これでいい。いや、こうでなくてはならない。
この先、フィオナ様は王子妃となり、やがてはこの国の未来を背負う存在になる。私の役目はそこへ送り届けることまで。それ以上を望んではならない。
あとはふたりの門出を祝って、私はランスター領に引き籠もるだけ。皇国の動向を注視しつつ、内政に励むのが最善か。
そんな算段を巡らせていると、楽団の奏でる音色が緩み、場の空気が自然と静まり返った。
最後は卒業生代表であるアインの挨拶で締める時間だったか。
奴がゆるやかに一歩を踏み出すと、無数の視線が大講堂の中央へ注がれる。そこにあったのはいつもの駄犬の顔ではない。凛然とした気配を纏った――次代を担う王子の姿であった。
背筋を伸ばし、堂々と正面を見据え、国王夫妻に深く一礼する。
「――国王陛下、王妃殿下。ご臨席賜り感謝いたします」
朗々とした声が天井に反響し、場内はさらに厳粛な空気に包まれた。
……アインのくせに、なかなか様になっているではないか。
密かに感心している間も、アインは視線を逸らすことなく毅然とした態度で言葉を紡ぐ。
「最後の挨拶と参りたいところですが……その前に、学園における優秀なる人物を一人、ここで表彰したく思います」
「ほう、そのような者がおったか」
「ええ。先日、とある件において学園の風紀を立て直し、不穏分子の摘発に尽力した者がいます。高貴な身分ではありませんが、慎ましくも確かな忠誠を持ち、卓越した才覚で問題を収めました。これからの王家を支えるのに、こういう人材こそ相応しいと私は思うのです」
そんな逸材、いたか?
騎士科の誰かかと頭の中で名簿を捲りながら考えていると、アインは一拍置いて、澄んだ声で言い放った。
「ですから――ランスター家のツヴァイに爵位を授け、私の補佐官として召し抱えたいと考えます」
…………ん?
アインの突然の辞令をうまく飲み込めないでいると、会場はどよめきに揺れた。驚きと困惑とが渦を巻き、波紋のように広がっていく。
無理もない。私はランスター家の居候に過ぎない。高貴な身分どころか平民同然だ。それがいきなり爵位を賜ったばかりか、王子付きの補佐官だと?
呆気にとられていると、アインがちらりとこちらを振り返り、ニヤリと笑った。
あ、あいつ……!
まさか、この先も道連れにするつもりか……!
会場のざわめきが収まるよりも早く、アインは涼しい顔で言葉を重ねる。
「加えて……私の婚約についても、この場をお借りして一言述べさせていただきます。私の未熟ゆえ、フィオナとの正式な婚姻は……しばし猶予を頂きたいと考えております」
衝撃的な発言に会場の空気は再び張りつめる。「猶予を取るだけで解消ではない」ものの、猶予とはすなわち延期。延期とはすなわち有耶無耶。付け入る隙ありと見て、誰が暴走するか分かったものではない。
何よりもフィオナ様の御心が傷ついたのではなかろうか。恐る恐るフィオナ様に視線を向けると、無言で耳を傾けていたフィオナ様は――ぱっと花開くように満面の笑みを浮かべた。
「それはつまり……ツヴァイはこれからも一緒にいてくださるということですね!」
今度は「ん?」と空気が揺れる。
だがあまりにもフィオナ様が無邪気に喜ぶものだから、どよめきは次第に和らぎ、やがて会場は祝福するような空気に包まれていった。
さすがはフィオナ様。その存在だけで場を支配してしまわれる。
……いやいやいや、私まで流されそうになってしまったが今はそこではない!
本来ならば王子との正式な婚姻で安泰となるはずが、これでは婚約は宙ぶらりん。完全に延長戦に突入してしまうではないか……!
「も、もちろん拝命された以上は補佐官としてお仕えはいたします。が、それとこれとは別の話でございまして……」
「まあ、頼もしいことですわ。……うふふ、わたくしもまだまだ未熟な身。王子妃云々はともかくとして、アイン様を一緒に支えていきましょうね、ツヴァイ」
「ああ。私の安寧とこの世界の平和のために、お前には大いに期待しているぞ、ツヴァイ」
私の必死の抵抗も虚しく、アインとフィオナ様の笑顔に会場の元生徒たちは祝福の声を上げた。王族や要人たちまでも、ほほえましげに頷いている。
こんなこと有り得ないはずなのに。どうやらこの茶番じみた決定が「美談」として落ち着いてしまったらしい。
呆然としている間にも楽団が再び調子を変え、華やかな舞曲が奏でられる。
場の雰囲気は自然と「王子と婚約者の初舞踏」を期待するものとなり、無数の視線がアインとフィオナ様に注がれて――。
「……すまない。腹が痛い」
アインが脇腹を押さえ、どこか演技めいた苦悶の表情を浮かべる。
会場が「えっ」と三度ざわめく。私が眉をひそめるより早く、アインはすっとこちらを見やった。
「ツヴァイ。代わりにフィオナと踊ってくれないか。私の補佐官としての最初の務めだ」
「――このっ! ……い、いえ、私ごときが恐れ多い! それならば中止にしても……!」
「ほら、私の婚約者に恥をかかせないでくれ。さあ、みなも踊るといい。飽きたのならば意中の相手と抜け出してもらっても構わない。今日は無礼講だ!」
周囲から歓声が上がる。抗議の余地などなく、フィオナ様は嬉しそうに手を差し伸べられた。
「あなたと踊れるなんて夢みたい。……どうか、わたくしの手を取って?」
頬を染め、上目遣いに小首を傾げられて――これを断れる男が、果たしているのだろうか。
結果、私は鳴り止まぬ拍手と歓声の中、華やかな舞踏の輪の中心へと引きずり出されてしまった。
緊張で心臓がうるさく跳ねる。
ぎこちなくもステップを踏むたび、フィオナ様の髪がふわりと揺れ、花の香りがかすかに鼻をかすめる。
……頼むから。遥か昔から何度も封じ続けた想いなのだから。
これ以上、私の心を掻き乱すような真似はやめていただきたい……!
「ぐぬぬ……! 本来であれば僕があそこにいたはずなのに……!」
ステップを踏むたびに視界が変わり、会場の端で、ひっそりと佇む影が目に入る。
隣国の元皇太子、エントリヒ。卒業はお情けで許されたもののその所業は噂話として消化され、今や誰からもそっぽを向かれる存在に落ちぶれている。
まあ、奴のことはどうでもいい。卒業後に廃嫡も決まったようだし、障害にはなり得まい。見張りだけは付けておく必要があるだろうが――。
「……もう、せっかくわたくしと踊っているのですから、よそ見をしないでください」
ぎゅっと繋がれた手に、熱が宿る。その温もりに引かれるようにハッと我に返った。
目の前には、どこか悪戯っぽく笑うフィオナ様。軽い現実逃避からあっさりと引き戻される。
「……ねぇ、ツヴァイ。覚えていますか?」
「な、何を……でしょうか」
「ずっとわたくしの傍にいると誓ってくれたではありませんか。……今度こそ、守ってくださいね?」
その言葉が、胸の奥に沈んでいた記憶をそっと撫でた。
閉ざされた蓋の隙間から、光がわずかにこぼれる。
けれど、蓋に手をかける前に――音楽が静かに途切れた。
舞踏の余韻だけが空気に漂い、フィオナ様が私のことを真正面から見つめている。
魅入られそうな妖しさと、どこか懐かしい面差しで。
……ああ、やはり私は、この御方から離れられないのだ。
胸の奥で何かが音を立ててほどけていくのを感じながら、私はそっと膝を折り、再び誓いを立てた。
「――ずっと、貴女様のお傍に」
もう二度と、置いてはいきませんから。
無意識に手の甲に口づけを落とすと、フィオナ様はゆるやかに目を細め、満足げに笑んでいた。
厳粛な儀式を終えた大広間は、一転して舞踏会場へと姿を変えていた。
高々と吊られたシャンデリアが幾千もの光を放ち、磨き抜かれた大理石の床に反射しては眩い輝きを散らす。
壁際では、色とりどりのドレスに身を包んだ令嬢たちが花園のように咲き誇り、談笑に興じる令息たちの声が波のように広がる。
学び舎での日々が終わり、これからは紳士淑女として歩まねばならない。胸に光る卒業の印章が幼さを捨てた証のように見えた。
その中心に、当然のごとく注目を集める二人の姿があった。
楽団の旋律に合わせて、フィオナ様とアインが舞踏会の中央で優雅に舞っている。
純白のドレスがひらりと翻るたび、会場からため息と拍手が漏れる。
――まさしく「氷の王子とその婚約者」。誰もが羨む絵面だ。
私はその光景を、壁際に控えながら目に焼き付けていた。
……これでいい。いや、こうでなくてはならない。
この先、フィオナ様は王子妃となり、やがてはこの国の未来を背負う存在になる。私の役目はそこへ送り届けることまで。それ以上を望んではならない。
あとはふたりの門出を祝って、私はランスター領に引き籠もるだけ。皇国の動向を注視しつつ、内政に励むのが最善か。
そんな算段を巡らせていると、楽団の奏でる音色が緩み、場の空気が自然と静まり返った。
最後は卒業生代表であるアインの挨拶で締める時間だったか。
奴がゆるやかに一歩を踏み出すと、無数の視線が大講堂の中央へ注がれる。そこにあったのはいつもの駄犬の顔ではない。凛然とした気配を纏った――次代を担う王子の姿であった。
背筋を伸ばし、堂々と正面を見据え、国王夫妻に深く一礼する。
「――国王陛下、王妃殿下。ご臨席賜り感謝いたします」
朗々とした声が天井に反響し、場内はさらに厳粛な空気に包まれた。
……アインのくせに、なかなか様になっているではないか。
密かに感心している間も、アインは視線を逸らすことなく毅然とした態度で言葉を紡ぐ。
「最後の挨拶と参りたいところですが……その前に、学園における優秀なる人物を一人、ここで表彰したく思います」
「ほう、そのような者がおったか」
「ええ。先日、とある件において学園の風紀を立て直し、不穏分子の摘発に尽力した者がいます。高貴な身分ではありませんが、慎ましくも確かな忠誠を持ち、卓越した才覚で問題を収めました。これからの王家を支えるのに、こういう人材こそ相応しいと私は思うのです」
そんな逸材、いたか?
騎士科の誰かかと頭の中で名簿を捲りながら考えていると、アインは一拍置いて、澄んだ声で言い放った。
「ですから――ランスター家のツヴァイに爵位を授け、私の補佐官として召し抱えたいと考えます」
…………ん?
アインの突然の辞令をうまく飲み込めないでいると、会場はどよめきに揺れた。驚きと困惑とが渦を巻き、波紋のように広がっていく。
無理もない。私はランスター家の居候に過ぎない。高貴な身分どころか平民同然だ。それがいきなり爵位を賜ったばかりか、王子付きの補佐官だと?
呆気にとられていると、アインがちらりとこちらを振り返り、ニヤリと笑った。
あ、あいつ……!
まさか、この先も道連れにするつもりか……!
会場のざわめきが収まるよりも早く、アインは涼しい顔で言葉を重ねる。
「加えて……私の婚約についても、この場をお借りして一言述べさせていただきます。私の未熟ゆえ、フィオナとの正式な婚姻は……しばし猶予を頂きたいと考えております」
衝撃的な発言に会場の空気は再び張りつめる。「猶予を取るだけで解消ではない」ものの、猶予とはすなわち延期。延期とはすなわち有耶無耶。付け入る隙ありと見て、誰が暴走するか分かったものではない。
何よりもフィオナ様の御心が傷ついたのではなかろうか。恐る恐るフィオナ様に視線を向けると、無言で耳を傾けていたフィオナ様は――ぱっと花開くように満面の笑みを浮かべた。
「それはつまり……ツヴァイはこれからも一緒にいてくださるということですね!」
今度は「ん?」と空気が揺れる。
だがあまりにもフィオナ様が無邪気に喜ぶものだから、どよめきは次第に和らぎ、やがて会場は祝福するような空気に包まれていった。
さすがはフィオナ様。その存在だけで場を支配してしまわれる。
……いやいやいや、私まで流されそうになってしまったが今はそこではない!
本来ならば王子との正式な婚姻で安泰となるはずが、これでは婚約は宙ぶらりん。完全に延長戦に突入してしまうではないか……!
「も、もちろん拝命された以上は補佐官としてお仕えはいたします。が、それとこれとは別の話でございまして……」
「まあ、頼もしいことですわ。……うふふ、わたくしもまだまだ未熟な身。王子妃云々はともかくとして、アイン様を一緒に支えていきましょうね、ツヴァイ」
「ああ。私の安寧とこの世界の平和のために、お前には大いに期待しているぞ、ツヴァイ」
私の必死の抵抗も虚しく、アインとフィオナ様の笑顔に会場の元生徒たちは祝福の声を上げた。王族や要人たちまでも、ほほえましげに頷いている。
こんなこと有り得ないはずなのに。どうやらこの茶番じみた決定が「美談」として落ち着いてしまったらしい。
呆然としている間にも楽団が再び調子を変え、華やかな舞曲が奏でられる。
場の雰囲気は自然と「王子と婚約者の初舞踏」を期待するものとなり、無数の視線がアインとフィオナ様に注がれて――。
「……すまない。腹が痛い」
アインが脇腹を押さえ、どこか演技めいた苦悶の表情を浮かべる。
会場が「えっ」と三度ざわめく。私が眉をひそめるより早く、アインはすっとこちらを見やった。
「ツヴァイ。代わりにフィオナと踊ってくれないか。私の補佐官としての最初の務めだ」
「――このっ! ……い、いえ、私ごときが恐れ多い! それならば中止にしても……!」
「ほら、私の婚約者に恥をかかせないでくれ。さあ、みなも踊るといい。飽きたのならば意中の相手と抜け出してもらっても構わない。今日は無礼講だ!」
周囲から歓声が上がる。抗議の余地などなく、フィオナ様は嬉しそうに手を差し伸べられた。
「あなたと踊れるなんて夢みたい。……どうか、わたくしの手を取って?」
頬を染め、上目遣いに小首を傾げられて――これを断れる男が、果たしているのだろうか。
結果、私は鳴り止まぬ拍手と歓声の中、華やかな舞踏の輪の中心へと引きずり出されてしまった。
緊張で心臓がうるさく跳ねる。
ぎこちなくもステップを踏むたび、フィオナ様の髪がふわりと揺れ、花の香りがかすかに鼻をかすめる。
……頼むから。遥か昔から何度も封じ続けた想いなのだから。
これ以上、私の心を掻き乱すような真似はやめていただきたい……!
「ぐぬぬ……! 本来であれば僕があそこにいたはずなのに……!」
ステップを踏むたびに視界が変わり、会場の端で、ひっそりと佇む影が目に入る。
隣国の元皇太子、エントリヒ。卒業はお情けで許されたもののその所業は噂話として消化され、今や誰からもそっぽを向かれる存在に落ちぶれている。
まあ、奴のことはどうでもいい。卒業後に廃嫡も決まったようだし、障害にはなり得まい。見張りだけは付けておく必要があるだろうが――。
「……もう、せっかくわたくしと踊っているのですから、よそ見をしないでください」
ぎゅっと繋がれた手に、熱が宿る。その温もりに引かれるようにハッと我に返った。
目の前には、どこか悪戯っぽく笑うフィオナ様。軽い現実逃避からあっさりと引き戻される。
「……ねぇ、ツヴァイ。覚えていますか?」
「な、何を……でしょうか」
「ずっとわたくしの傍にいると誓ってくれたではありませんか。……今度こそ、守ってくださいね?」
その言葉が、胸の奥に沈んでいた記憶をそっと撫でた。
閉ざされた蓋の隙間から、光がわずかにこぼれる。
けれど、蓋に手をかける前に――音楽が静かに途切れた。
舞踏の余韻だけが空気に漂い、フィオナ様が私のことを真正面から見つめている。
魅入られそうな妖しさと、どこか懐かしい面差しで。
……ああ、やはり私は、この御方から離れられないのだ。
胸の奥で何かが音を立ててほどけていくのを感じながら、私はそっと膝を折り、再び誓いを立てた。
「――ずっと、貴女様のお傍に」
もう二度と、置いてはいきませんから。
無意識に手の甲に口づけを落とすと、フィオナ様はゆるやかに目を細め、満足げに笑んでいた。
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