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白銀のエチュード
08 銀の鳥
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乾杯の音頭を取る猟師の威勢のいい号令は、室内全体を震わせるほどだった。
仕留めたばかりの獣の肉を豪快に焼き上げたもの、保存食の干し肉を冬野菜と煮込んだシチュー、そして大きな器になみなみと注がれたお酒。頑丈な木のテーブルの上に、これでもかとばかりに料理が並べられていく。
品格が試される王都とも、山小屋での静かな生活ともあまりにも異なる光景。どう振る舞えばいいのか分からずに、私はただ立ち尽くしてしまう。
「さぁ、お嬢さんも座るといい! 北部の宴は食ったもん勝ちだぞ!」
背中を叩かれ、半ば押されるようにシグルドさんの隣に腰を下ろす。差し出された木製のマグには、黄金色の蜂蜜酒が注がれていた。
「……あの、私、あまりお酒は」
遠慮がちに言うと、周囲から笑いが起きた。
「王都のお嬢さんらしいな!」
「ここじゃ水みたいなもんだぜ、それ」
シグルドさんは口の端をわずかに上げる。
「まぁ一口飲んでみな。凍えるよりマシだろ」
覚悟を決めて口をつける。鼻に抜ける甘い香りの直後、喉を焼くような刺激が走った。思わず咳き込みそうになって、その後に濃厚な甘みが追いかけてくる。
これは、身体を温めるための酒だ。そう理解した途端、胸からお腹へとじんわりと熱が広がった。
宴が進むにつれ、猟師たちの話題は見慣れぬ存在である私に向けられた。
「カシラも人が悪い。こんなに可愛らしいお嬢さんを囲ってたなんてなぁ」
「人聞きの悪いことを言うな。恩人の孫を預かってるだけに過ぎねぇよ」
即座に否定するシグルドさんに、また笑いが起きる。どうやら私の存在は密かに噂になっていたらしい。
「シーナです」と改めて挨拶をすると、周囲がまたどっと沸いた。
「王都の娘さんはやっぱりお上品だな。線は細いし、声も小さくて可愛らしい」
一人の猟師が赤ら顔で笑うと、別の猟師が深く頷いた。
「まったくだ。北部の女ときたら、鹿を素手で投げ飛ばすほど強くておっかねぇからな。まぁ、その強さがたまんねぇんだけどよ」
「笑顔で嘘を吐く強かさもあるからなぁ。酒を出させりゃ平気で水で薄めてきやがるし、小遣いだって誤魔化されてばっかりだ!」
「その点、お嬢さんは全く擦れてなさそうだ。それに見てみろよ、この白魚のような手を!」
皆が私の手を覗き込むものだから、なんだか居心地が悪くなってしまう。
……これでも、王都にいた頃よりも手のひらは硬くなってきたんだけれどもな。
どうやらこの地で暮らす人々の目には、まだまだ苦労知らずの手に映るようだ。
別に悪いことじゃないはずなのに、モヤモヤとした気持ちになるのはなんでだろう。
そんな私の心境を知ってか知らずか。猟師たちは豪快に笑い合い、私にさらにお酒を勧めてきた。
賑やかな騒ぎの中、私はふと、裏手の倉庫へ押し込まれたというあの密猟者のことを思い出した。
……彼は今、暗い部屋で縛り付けられたまま何を思っているのだろうか?
「少し、外の空気を吸ってきますね」
私はそう言ってそっと席を立った。
外に出れば、ログハウスからは猟師たちの野太い笑い声と、時折響く乾杯の衝撃音が漏れ聞こえてくる。
私は宴の喧騒から逃れるようにして、こっそりと持ち出した一切れのパンと水が入った麻袋を手に、裏手の倉庫へと足を向けた。
重い扉を細く開けると、冬の月明かりが差し込み、白い紐で手首をきつく縛られた男の姿を青白く浮き上がらせていた。男は壁に背を預け、ムジカの歯によって抉られた太ももの痛みに耐えるように低い呻き声を漏らしている。
「……何のつもりだ。同情か」
「いえ。ヴィンターハルトの夜を越すには、空腹のままでは身が持たないと教わっただけです。……食べられますか」
私がパンを差し出すと、男は私の手とパンを凝視した。やがて喉の奥を鳴らすと、私の手から奪い取るようにしてパンをひったくり、がっつくように口へと詰め込んだ。
男は喉を鳴らして水を飲み干すと、ふっと息を吐き出し、張り詰めていた肩の力をわずかに抜いた。
「……おかしな女だな。アンタ、この土地の人間じゃないだろう。こんな最果ての地で猟師共に混じって何をしてやがる」
「色々とありまして……ヴィンターハルトについて学んでいるところなんです。……あなたはどうして、その最果ての地で密猟なんてことを?」
私の言葉に、男は意外そうに眉を動かした。沈黙が倉庫を満たす。
男はしばらく私を観察していたが、足の包帯に一度目線を落とすと、やがて何かを決心したようにぽつりと語り始めた。
「……王都の裏路地の、掃き溜めのような酒場で男に声をかけられたんだ。金に困ってるなら北部の珍しい毛皮を狩ってこいってな。猟師たちの巡回が薄くなる時期だと聞いていたのに、このザマだ」
「勝手な狩猟は禁じられています。その事は知らなかったんですか?」
「禁じられているからと言って、三日も何も口にしていないのに目の前にぶら下げられたパンを盗らない奴がどこにいる? ……ああ、アンタには分からないか。育ちが良さそうだもんな」
「……」
「それに、裏の仕事としては良心的だ。相手は獣だ。人間を殺るわけじゃねぇ」
「……」
悪びれるでもなく言い放った男の顔が不意に歪む。体勢を変えたときに傷が痛んだんだろう。傷口は塞がっても、痕になりそうな怪我だった。
「そんな仕事が王都では広まっていたんですね……」
「つい最近だ。もっとも、もっと昔には表の仕事として紹介されてたらしいけどな」
「……どんな人に紹介されたんですか?」
大した情報は持っていなかったとシグルドさんは言っていたけれども、問わずにはいられない。
「名前は知らねぇ。だが身なりは一流だった。商人か、貴族だろう」
「何か、身につけていませんでしたか」
身分が分かるような印章でもつけていれば、密猟者たちの元締めに繋がるかもしれない。
男が苛立ちを滲ませて眉を顰める。
「ベルトの裏を探ってみな。前金代わりにと、そいつが胸元から外して俺に握らせたのがそれだ」
「え、ええと……失礼します」
恐る恐る、彼の前ベルトに指を差し込む。硬い何かが手に触れて取り出して見ると、それは鈍い銀色の輝きを放っていた。
「それを質に入れりゃ当面の路銀にはなると言われてな。毛皮さえ持ち帰れば、あとは一生遊んで暮らせるだけの金を積むとも約束された。……クソッ、あんな熊みたいな猟師共がいると聞いてたら来なかったってのにな」
男の自嘲するような言葉は、もはや私の耳には届いていなかった。
手のひらに転がっているのは、銀で作られた小鳥のピン。羽を大きく広げ、その嘴には小さな宝石が嵌め込まれている。
それは、私がデイヴのアカデミー卒業祝いにと王都の老舗宝飾店へ何度も足を運び、職人と相談を重ねて作ってもらったこの世に一つしかない品だった。
宝石は、彼の瞳の色と同じ琥珀色を選んだ。光を受けると、穏やかに、けれど確かな温度を宿す色。
『ありがとう。一生大切にするよ。この鳥が僕たちを輝かしい未来へ連れて行ってくれる。……そうだろう、シーナ』
あのとき指先に伝わってきたデイヴの体温を、私は今でもはっきりと覚えている。
それなのに――
「……ふふ……」
まだ、どこかで彼を信じていたかったのかもしれない。
メリンダ様に逆らえず、仕方なく私を追い出したのだと。そう思い込んでいれば、少しは慰められたから。
けれど、現実はそれすら許してくれなかった。
お祖父様が忌み嫌った密猟にまで手を染め、私が託した親愛の証を、犯罪の報酬として見知らぬ男に握らせていたのだから。
込み上げてきたのは、怒りではない。
胸の奥が空っぽになるような、音も温度も失われていく虚脱感だ。
私は、暗い倉庫の中にあの銀の輝きを残したまま、引き留める声を振り払うように外へと飛び出した。
外に出ると、冷たい月光が雪原を青白く照らし、息を呑むほど静かな世界が広がっていた。
足元の雪がきしりと小さく鳴り、そのまま私は仰向けに倒れ込む。
背中から伝わる冷たさが、妙に心地よかった。
夜空には無数の星が瞬き、遠くでフロストグリュスの鳴く声が風に溶けるように響いている。
吐く息は白く、すぐに闇へと消えていく。
目を閉じると、自分の輪郭が少しずつ曖昧になっていく気がした。
このまま、雪に溶け込んでしまえたら。
私という存在ごと、痛みも記憶も、すべて白に紛れて消えてしまえたら――
「……なぁにしてんだ、お前は」
不意に降ってきた声に、びくりと体が跳ねた。
目を開くと、シグルドさんが、雪と星明りを背にして私を覗き込んでいた。
仕留めたばかりの獣の肉を豪快に焼き上げたもの、保存食の干し肉を冬野菜と煮込んだシチュー、そして大きな器になみなみと注がれたお酒。頑丈な木のテーブルの上に、これでもかとばかりに料理が並べられていく。
品格が試される王都とも、山小屋での静かな生活ともあまりにも異なる光景。どう振る舞えばいいのか分からずに、私はただ立ち尽くしてしまう。
「さぁ、お嬢さんも座るといい! 北部の宴は食ったもん勝ちだぞ!」
背中を叩かれ、半ば押されるようにシグルドさんの隣に腰を下ろす。差し出された木製のマグには、黄金色の蜂蜜酒が注がれていた。
「……あの、私、あまりお酒は」
遠慮がちに言うと、周囲から笑いが起きた。
「王都のお嬢さんらしいな!」
「ここじゃ水みたいなもんだぜ、それ」
シグルドさんは口の端をわずかに上げる。
「まぁ一口飲んでみな。凍えるよりマシだろ」
覚悟を決めて口をつける。鼻に抜ける甘い香りの直後、喉を焼くような刺激が走った。思わず咳き込みそうになって、その後に濃厚な甘みが追いかけてくる。
これは、身体を温めるための酒だ。そう理解した途端、胸からお腹へとじんわりと熱が広がった。
宴が進むにつれ、猟師たちの話題は見慣れぬ存在である私に向けられた。
「カシラも人が悪い。こんなに可愛らしいお嬢さんを囲ってたなんてなぁ」
「人聞きの悪いことを言うな。恩人の孫を預かってるだけに過ぎねぇよ」
即座に否定するシグルドさんに、また笑いが起きる。どうやら私の存在は密かに噂になっていたらしい。
「シーナです」と改めて挨拶をすると、周囲がまたどっと沸いた。
「王都の娘さんはやっぱりお上品だな。線は細いし、声も小さくて可愛らしい」
一人の猟師が赤ら顔で笑うと、別の猟師が深く頷いた。
「まったくだ。北部の女ときたら、鹿を素手で投げ飛ばすほど強くておっかねぇからな。まぁ、その強さがたまんねぇんだけどよ」
「笑顔で嘘を吐く強かさもあるからなぁ。酒を出させりゃ平気で水で薄めてきやがるし、小遣いだって誤魔化されてばっかりだ!」
「その点、お嬢さんは全く擦れてなさそうだ。それに見てみろよ、この白魚のような手を!」
皆が私の手を覗き込むものだから、なんだか居心地が悪くなってしまう。
……これでも、王都にいた頃よりも手のひらは硬くなってきたんだけれどもな。
どうやらこの地で暮らす人々の目には、まだまだ苦労知らずの手に映るようだ。
別に悪いことじゃないはずなのに、モヤモヤとした気持ちになるのはなんでだろう。
そんな私の心境を知ってか知らずか。猟師たちは豪快に笑い合い、私にさらにお酒を勧めてきた。
賑やかな騒ぎの中、私はふと、裏手の倉庫へ押し込まれたというあの密猟者のことを思い出した。
……彼は今、暗い部屋で縛り付けられたまま何を思っているのだろうか?
「少し、外の空気を吸ってきますね」
私はそう言ってそっと席を立った。
外に出れば、ログハウスからは猟師たちの野太い笑い声と、時折響く乾杯の衝撃音が漏れ聞こえてくる。
私は宴の喧騒から逃れるようにして、こっそりと持ち出した一切れのパンと水が入った麻袋を手に、裏手の倉庫へと足を向けた。
重い扉を細く開けると、冬の月明かりが差し込み、白い紐で手首をきつく縛られた男の姿を青白く浮き上がらせていた。男は壁に背を預け、ムジカの歯によって抉られた太ももの痛みに耐えるように低い呻き声を漏らしている。
「……何のつもりだ。同情か」
「いえ。ヴィンターハルトの夜を越すには、空腹のままでは身が持たないと教わっただけです。……食べられますか」
私がパンを差し出すと、男は私の手とパンを凝視した。やがて喉の奥を鳴らすと、私の手から奪い取るようにしてパンをひったくり、がっつくように口へと詰め込んだ。
男は喉を鳴らして水を飲み干すと、ふっと息を吐き出し、張り詰めていた肩の力をわずかに抜いた。
「……おかしな女だな。アンタ、この土地の人間じゃないだろう。こんな最果ての地で猟師共に混じって何をしてやがる」
「色々とありまして……ヴィンターハルトについて学んでいるところなんです。……あなたはどうして、その最果ての地で密猟なんてことを?」
私の言葉に、男は意外そうに眉を動かした。沈黙が倉庫を満たす。
男はしばらく私を観察していたが、足の包帯に一度目線を落とすと、やがて何かを決心したようにぽつりと語り始めた。
「……王都の裏路地の、掃き溜めのような酒場で男に声をかけられたんだ。金に困ってるなら北部の珍しい毛皮を狩ってこいってな。猟師たちの巡回が薄くなる時期だと聞いていたのに、このザマだ」
「勝手な狩猟は禁じられています。その事は知らなかったんですか?」
「禁じられているからと言って、三日も何も口にしていないのに目の前にぶら下げられたパンを盗らない奴がどこにいる? ……ああ、アンタには分からないか。育ちが良さそうだもんな」
「……」
「それに、裏の仕事としては良心的だ。相手は獣だ。人間を殺るわけじゃねぇ」
「……」
悪びれるでもなく言い放った男の顔が不意に歪む。体勢を変えたときに傷が痛んだんだろう。傷口は塞がっても、痕になりそうな怪我だった。
「そんな仕事が王都では広まっていたんですね……」
「つい最近だ。もっとも、もっと昔には表の仕事として紹介されてたらしいけどな」
「……どんな人に紹介されたんですか?」
大した情報は持っていなかったとシグルドさんは言っていたけれども、問わずにはいられない。
「名前は知らねぇ。だが身なりは一流だった。商人か、貴族だろう」
「何か、身につけていませんでしたか」
身分が分かるような印章でもつけていれば、密猟者たちの元締めに繋がるかもしれない。
男が苛立ちを滲ませて眉を顰める。
「ベルトの裏を探ってみな。前金代わりにと、そいつが胸元から外して俺に握らせたのがそれだ」
「え、ええと……失礼します」
恐る恐る、彼の前ベルトに指を差し込む。硬い何かが手に触れて取り出して見ると、それは鈍い銀色の輝きを放っていた。
「それを質に入れりゃ当面の路銀にはなると言われてな。毛皮さえ持ち帰れば、あとは一生遊んで暮らせるだけの金を積むとも約束された。……クソッ、あんな熊みたいな猟師共がいると聞いてたら来なかったってのにな」
男の自嘲するような言葉は、もはや私の耳には届いていなかった。
手のひらに転がっているのは、銀で作られた小鳥のピン。羽を大きく広げ、その嘴には小さな宝石が嵌め込まれている。
それは、私がデイヴのアカデミー卒業祝いにと王都の老舗宝飾店へ何度も足を運び、職人と相談を重ねて作ってもらったこの世に一つしかない品だった。
宝石は、彼の瞳の色と同じ琥珀色を選んだ。光を受けると、穏やかに、けれど確かな温度を宿す色。
『ありがとう。一生大切にするよ。この鳥が僕たちを輝かしい未来へ連れて行ってくれる。……そうだろう、シーナ』
あのとき指先に伝わってきたデイヴの体温を、私は今でもはっきりと覚えている。
それなのに――
「……ふふ……」
まだ、どこかで彼を信じていたかったのかもしれない。
メリンダ様に逆らえず、仕方なく私を追い出したのだと。そう思い込んでいれば、少しは慰められたから。
けれど、現実はそれすら許してくれなかった。
お祖父様が忌み嫌った密猟にまで手を染め、私が託した親愛の証を、犯罪の報酬として見知らぬ男に握らせていたのだから。
込み上げてきたのは、怒りではない。
胸の奥が空っぽになるような、音も温度も失われていく虚脱感だ。
私は、暗い倉庫の中にあの銀の輝きを残したまま、引き留める声を振り払うように外へと飛び出した。
外に出ると、冷たい月光が雪原を青白く照らし、息を呑むほど静かな世界が広がっていた。
足元の雪がきしりと小さく鳴り、そのまま私は仰向けに倒れ込む。
背中から伝わる冷たさが、妙に心地よかった。
夜空には無数の星が瞬き、遠くでフロストグリュスの鳴く声が風に溶けるように響いている。
吐く息は白く、すぐに闇へと消えていく。
目を閉じると、自分の輪郭が少しずつ曖昧になっていく気がした。
このまま、雪に溶け込んでしまえたら。
私という存在ごと、痛みも記憶も、すべて白に紛れて消えてしまえたら――
「……なぁにしてんだ、お前は」
不意に降ってきた声に、びくりと体が跳ねた。
目を開くと、シグルドさんが、雪と星明りを背にして私を覗き込んでいた。
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