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叛逆のラプソディ
15 英雄の南下
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北部から続く山道を抜けたあたりで、明らかに空気が変わった。
南へ下るにつれて、纏わりつくような重い湿気が肌に絡みついてくる。山を一つ越えただけでここまで気候が変わるものだったか。北部の冷気に浸りきっていた身には、その変化が少しばかり新鮮に感じられた。
足元でノースが鼻をひくつかせ、低く唸りを上げる。
「そういや、お前はヴィンターハルトから出るのは初めてだったな。……暑いか?」
羽虫の群れが気に入らないのか、身体に触れた瞬間に嫌そうに身を震わせる。
……シーナがいれば、虫除けの薬草の一つでも教えてくれたかもしれないな。
北部についての認識はともかくとして、あの娘の知識量と鋭い観察眼には驚かされることも多かった。
そんなことを考えながらノースを宥めていると、前方の林がわずかに揺れた。現れたのは、十数名の男たち。俺の姿を認めるや否や、揃ってその厳つい顔を破顔させた。
「カシラァッ! まさかまた遠征の勇姿を拝めるとは!」
その馬鹿でかい声に苦笑が漏れる。
彼らは北部の猟師たち。かつてはヴィンターハルト騎士団として北部の防衛を担ってきた男たちだ。引退後は俺に倣い猟師へと転向した、イかれた連中である。
「遅ぇぞ。呼んだらさっさと来いって言ったろうが」
「ムジカの代わりに増えた猪と鹿を狩ってましてね。熊はそのまま寝かしときましたよ。カシラの分はちゃんと取ってありますからご安心を!」
「後から合流する奴らもいますぜ。辺境騎士団ならぬ、辺境猟師団でさぁ!」
「馬鹿言え」
笑い合いながらも、懐かしい顔ぶれが揃うと自然と昔の空気に引き戻される。この感覚。戦場に立っていた頃の昂りがじわりと全身に蘇ってくるようだ。
今は北方部族の対応も息子夫婦に任せきりだが、王都から戻ったら久々に前線に立ってもいいかもしれない。奴らを一掃できれば北部の地盤もより盤石になるだろう。
……とはいえ、まずは王都のみなさまにご挨拶といくのが先か。
「行くぞ。可愛いムジカに会いに行ってやろうぜ」
「おうよ!」
野太い声が揃い、足並みが一斉に前へと進みだした。
*
北部を離れてどれほど経っただろうか。
森の緑の眩しさに思わず目を細めたその瞬間――ノースの足が止まった。
鼻腔を刺すのは、強烈な腐臭だ。
「……ひでぇな」
通りがかった村では畑一面がムジカに掘り返されていた。穀物は穂先だけが無残に食い散らされ、芋は皮ごと噛み砕かれて跡形もない。掘り返された土の中からは、腐りかけた根菜の匂いがむわりと立ち上る。
猟師団の面々も、たまらずと言わんばかりに顔をしかめた。
「ここまで派手にやられちまってんのか……」
「王都の狩猟禁止令の結果がこれか。無知ってのは、つくづく罪だな」
……まだ近くにいやがるな。
そう判断して周囲を見渡すと、ノースが耳を跳ね上げ、前方の藪へ向けて低く唸った。
「……来るぞ」
ほぼ同時に、悲鳴が森を裂いた。
「た、助け――ッ!」
声の方角へ視線を走らせると、老人が尻餅をついたまま後ずさっている。その周囲を三匹のムジカが取り囲んでいた。
カチカチ、カチカチ――
シーナが「トラウマです」とよく口にしていた、あの不愉快な威嚇音。ムジカの後ろ足の筋肉が収縮し飛びかかる直前の溜めに入っている。
「下がってろい!」
考えるより先に前へ走り出していた。雪の少ない地面は勝手が異なるが、ボウガンの弦を引き絞る指先に迷いはない。
放たれた矢が目にも留まらぬ速さで空を裂き、一匹目の額を貫いて土へ沈める。
跳びかかった二匹目の喉を射抜き、くぐもった鳴き声ごと黙らせる。
老人へ食らいつく寸前だった最後の一匹の頭も、寸分違わず撃ち抜いた。
三つの影がばたりと土を叩き、そのまま動かなくなる。
「大丈夫か?」
肩を支えると、老人は震える指で俺を指した。
「ま、まさか……シグムント様でいらっしゃいますか……?」
「ほう、よく知ってんな。だが引退した身に様付けはいらん。ほら、立て」
袖についた泥を払ってやると、老人は涙を浮かべ、何度も礼を繰り返した。
村の方へとふらつきながら戻っていく背中を見送り、俺は鼻で笑う。
「……殺すな、ねぇ。王都の連中は、本当に頭に綿が詰まった奴ばっかりだ」
同意するように、猟師団の面々が呆れ半分に肩を竦めた。
「カシラ、これでもまだ序の口ですよ。聞いた話ですが、外れの村は地獄なんだとか。家畜小屋も備蓄庫も全部やられちまったとか」
「王都から兵が来ても誰一人として手を出せねぇそうで。ほら、王妃様の例の命令で」
「だから丸腰で相手させられて、囲まれた途端に腰を抜かしたらしいっすよ」
まあ、ありえない話じゃない。ムジカの威嚇音は生理的な恐怖心を呼び起こす。王都の連中は聞きなれないものだろうし、あの音を聞いただけで身が竦んでも仕方ない。しかも丸腰ともなれば、多少は同情しちまうってもんだ。
「よし、先へ急ぐぞ。王都の近くまで大移動してるみてぇだからな」
さらに南へ足を進めると、光景が一変した。
空き家の目立つ、荒廃した小さな村。
鍵の壊れた倉庫。
ムジカの噛み跡が残る歪んだ扉板。
干し肉が散乱した土間で泣き崩れる夫婦。
ついでに家の奥には、我が物顔で食料を貪っているムジカの家族までいやがる。
「好き勝手してやがんなぁ」
サクッと片づけると、今まで戸の裏に隠れていた村人たちが堰を切ったように飛び出してきた。
「猟師様だ! 本当に来てくださったのですね……!」
何人もの村人が俺たちを取り囲み、口々に窮状を訴え始める。
「王都から兵は来ました。来ましたが……『殺すな、追い払え』としか言わんのです……」
「そのせいで、家畜も、人も……!」
「見てくださいよ、あの有様を! どこまで被害が出りゃ駆除してくれるってんだ!」
包帯を巻いた老人も子どもを抱えた母親も、皆、必死の顔だった。
「安心しろ。ここから先は北部が引き受ける」
どうやら被害は食料だけに留まらず、負傷者も多いらしい。俺の言葉を受けて安心したのか、張り詰めていた村人たちの表情が一気に崩れた。
ムジカは人も襲うが、致命傷に至ることは少ない。だが噛まれりゃ傷は膿むし、そのギザ歯のせいで治りも悪い。顔の肉でも抉られりゃ原形すら留まらないこともある。
王都じゃ「死者が少ないから」と甘く見ているようだが――死ななきゃいいって話でもないだろうに。
「よし、ここらに匂い罠を仕掛けるぞ。村を囲むように五ヶ所だ。手が空いたやつから周辺のムジカを駆除しろ。密度が高い場所は、俺が回る」
「猟師団、散開!」
「おうよ!」
声が綺麗に重なり、北部猟師団が一斉に動き出す。ボウガンを構え、罠を設置し、足跡を追う。年を感じさせない熟練の動きだ。
ノースも低く吠えながら先を行き、人間の指示など不要だと言わんばかりの軽い足取りで森へ溶けていく。
「……シーナ。お前が心配してた通りになってんぞ」
ふと、北の空を仰ぐ。
ラグノ村であいつはのんびり待ってくれているだろうか。
ロベルトの奴、調子に乗って余計なことをしていなけりゃいいが。
なにせシーナはあのオイゲンの孫娘だ。北部の恩人とも言える人物に、俺は結局ろくな恩返しもできなかった。
だから出会いは偶然ではあったが、あの娘と巡り合ったということは、オイゲンから託されたようなものに違いない。
俺が預かったんだ。いくら俺自身の孫だろうが、弱っちい男に任せる気はさらさらない。
「全部片付けたら、すぐ帰っからな」
そう呟き、周辺のムジカを一掃するために俺はボウガンを構え直した。
南へ下るにつれて、纏わりつくような重い湿気が肌に絡みついてくる。山を一つ越えただけでここまで気候が変わるものだったか。北部の冷気に浸りきっていた身には、その変化が少しばかり新鮮に感じられた。
足元でノースが鼻をひくつかせ、低く唸りを上げる。
「そういや、お前はヴィンターハルトから出るのは初めてだったな。……暑いか?」
羽虫の群れが気に入らないのか、身体に触れた瞬間に嫌そうに身を震わせる。
……シーナがいれば、虫除けの薬草の一つでも教えてくれたかもしれないな。
北部についての認識はともかくとして、あの娘の知識量と鋭い観察眼には驚かされることも多かった。
そんなことを考えながらノースを宥めていると、前方の林がわずかに揺れた。現れたのは、十数名の男たち。俺の姿を認めるや否や、揃ってその厳つい顔を破顔させた。
「カシラァッ! まさかまた遠征の勇姿を拝めるとは!」
その馬鹿でかい声に苦笑が漏れる。
彼らは北部の猟師たち。かつてはヴィンターハルト騎士団として北部の防衛を担ってきた男たちだ。引退後は俺に倣い猟師へと転向した、イかれた連中である。
「遅ぇぞ。呼んだらさっさと来いって言ったろうが」
「ムジカの代わりに増えた猪と鹿を狩ってましてね。熊はそのまま寝かしときましたよ。カシラの分はちゃんと取ってありますからご安心を!」
「後から合流する奴らもいますぜ。辺境騎士団ならぬ、辺境猟師団でさぁ!」
「馬鹿言え」
笑い合いながらも、懐かしい顔ぶれが揃うと自然と昔の空気に引き戻される。この感覚。戦場に立っていた頃の昂りがじわりと全身に蘇ってくるようだ。
今は北方部族の対応も息子夫婦に任せきりだが、王都から戻ったら久々に前線に立ってもいいかもしれない。奴らを一掃できれば北部の地盤もより盤石になるだろう。
……とはいえ、まずは王都のみなさまにご挨拶といくのが先か。
「行くぞ。可愛いムジカに会いに行ってやろうぜ」
「おうよ!」
野太い声が揃い、足並みが一斉に前へと進みだした。
*
北部を離れてどれほど経っただろうか。
森の緑の眩しさに思わず目を細めたその瞬間――ノースの足が止まった。
鼻腔を刺すのは、強烈な腐臭だ。
「……ひでぇな」
通りがかった村では畑一面がムジカに掘り返されていた。穀物は穂先だけが無残に食い散らされ、芋は皮ごと噛み砕かれて跡形もない。掘り返された土の中からは、腐りかけた根菜の匂いがむわりと立ち上る。
猟師団の面々も、たまらずと言わんばかりに顔をしかめた。
「ここまで派手にやられちまってんのか……」
「王都の狩猟禁止令の結果がこれか。無知ってのは、つくづく罪だな」
……まだ近くにいやがるな。
そう判断して周囲を見渡すと、ノースが耳を跳ね上げ、前方の藪へ向けて低く唸った。
「……来るぞ」
ほぼ同時に、悲鳴が森を裂いた。
「た、助け――ッ!」
声の方角へ視線を走らせると、老人が尻餅をついたまま後ずさっている。その周囲を三匹のムジカが取り囲んでいた。
カチカチ、カチカチ――
シーナが「トラウマです」とよく口にしていた、あの不愉快な威嚇音。ムジカの後ろ足の筋肉が収縮し飛びかかる直前の溜めに入っている。
「下がってろい!」
考えるより先に前へ走り出していた。雪の少ない地面は勝手が異なるが、ボウガンの弦を引き絞る指先に迷いはない。
放たれた矢が目にも留まらぬ速さで空を裂き、一匹目の額を貫いて土へ沈める。
跳びかかった二匹目の喉を射抜き、くぐもった鳴き声ごと黙らせる。
老人へ食らいつく寸前だった最後の一匹の頭も、寸分違わず撃ち抜いた。
三つの影がばたりと土を叩き、そのまま動かなくなる。
「大丈夫か?」
肩を支えると、老人は震える指で俺を指した。
「ま、まさか……シグムント様でいらっしゃいますか……?」
「ほう、よく知ってんな。だが引退した身に様付けはいらん。ほら、立て」
袖についた泥を払ってやると、老人は涙を浮かべ、何度も礼を繰り返した。
村の方へとふらつきながら戻っていく背中を見送り、俺は鼻で笑う。
「……殺すな、ねぇ。王都の連中は、本当に頭に綿が詰まった奴ばっかりだ」
同意するように、猟師団の面々が呆れ半分に肩を竦めた。
「カシラ、これでもまだ序の口ですよ。聞いた話ですが、外れの村は地獄なんだとか。家畜小屋も備蓄庫も全部やられちまったとか」
「王都から兵が来ても誰一人として手を出せねぇそうで。ほら、王妃様の例の命令で」
「だから丸腰で相手させられて、囲まれた途端に腰を抜かしたらしいっすよ」
まあ、ありえない話じゃない。ムジカの威嚇音は生理的な恐怖心を呼び起こす。王都の連中は聞きなれないものだろうし、あの音を聞いただけで身が竦んでも仕方ない。しかも丸腰ともなれば、多少は同情しちまうってもんだ。
「よし、先へ急ぐぞ。王都の近くまで大移動してるみてぇだからな」
さらに南へ足を進めると、光景が一変した。
空き家の目立つ、荒廃した小さな村。
鍵の壊れた倉庫。
ムジカの噛み跡が残る歪んだ扉板。
干し肉が散乱した土間で泣き崩れる夫婦。
ついでに家の奥には、我が物顔で食料を貪っているムジカの家族までいやがる。
「好き勝手してやがんなぁ」
サクッと片づけると、今まで戸の裏に隠れていた村人たちが堰を切ったように飛び出してきた。
「猟師様だ! 本当に来てくださったのですね……!」
何人もの村人が俺たちを取り囲み、口々に窮状を訴え始める。
「王都から兵は来ました。来ましたが……『殺すな、追い払え』としか言わんのです……」
「そのせいで、家畜も、人も……!」
「見てくださいよ、あの有様を! どこまで被害が出りゃ駆除してくれるってんだ!」
包帯を巻いた老人も子どもを抱えた母親も、皆、必死の顔だった。
「安心しろ。ここから先は北部が引き受ける」
どうやら被害は食料だけに留まらず、負傷者も多いらしい。俺の言葉を受けて安心したのか、張り詰めていた村人たちの表情が一気に崩れた。
ムジカは人も襲うが、致命傷に至ることは少ない。だが噛まれりゃ傷は膿むし、そのギザ歯のせいで治りも悪い。顔の肉でも抉られりゃ原形すら留まらないこともある。
王都じゃ「死者が少ないから」と甘く見ているようだが――死ななきゃいいって話でもないだろうに。
「よし、ここらに匂い罠を仕掛けるぞ。村を囲むように五ヶ所だ。手が空いたやつから周辺のムジカを駆除しろ。密度が高い場所は、俺が回る」
「猟師団、散開!」
「おうよ!」
声が綺麗に重なり、北部猟師団が一斉に動き出す。ボウガンを構え、罠を設置し、足跡を追う。年を感じさせない熟練の動きだ。
ノースも低く吠えながら先を行き、人間の指示など不要だと言わんばかりの軽い足取りで森へ溶けていく。
「……シーナ。お前が心配してた通りになってんぞ」
ふと、北の空を仰ぐ。
ラグノ村であいつはのんびり待ってくれているだろうか。
ロベルトの奴、調子に乗って余計なことをしていなけりゃいいが。
なにせシーナはあのオイゲンの孫娘だ。北部の恩人とも言える人物に、俺は結局ろくな恩返しもできなかった。
だから出会いは偶然ではあったが、あの娘と巡り合ったということは、オイゲンから託されたようなものに違いない。
俺が預かったんだ。いくら俺自身の孫だろうが、弱っちい男に任せる気はさらさらない。
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