ムジカ狂騒曲

Mag_Mel

文字の大きさ
16 / 24
叛逆のラプソディ

15 英雄の南下

しおりを挟む
 北部から続く山道を抜けたあたりで、明らかに空気が変わった。

 南へ下るにつれて、纏わりつくような重い湿気が肌に絡みついてくる。山を一つ越えただけでここまで気候が変わるものだったか。北部の冷気に浸りきっていた身には、その変化が少しばかり新鮮に感じられた。
 足元でノースが鼻をひくつかせ、低く唸りを上げる。

「そういや、お前はヴィンターハルトから出るのは初めてだったな。……暑いか?」

 羽虫の群れが気に入らないのか、身体に触れた瞬間に嫌そうに身を震わせる。
 ……シーナがいれば、虫除けの薬草の一つでも教えてくれたかもしれないな。
 北部についての認識はともかくとして、あの娘の知識量と鋭い観察眼には驚かされることも多かった。

 そんなことを考えながらノースを宥めていると、前方の林がわずかに揺れた。現れたのは、十数名の男たち。俺の姿を認めるや否や、揃ってその厳つい顔を破顔させた。

「カシラァッ! まさかまた遠征の勇姿を拝めるとは!」

 その馬鹿でかい声に苦笑が漏れる。
 彼らは北部の猟師たち。かつてはヴィンターハルト騎士団として北部の防衛を担ってきた男たちだ。引退後は俺に倣い猟師へと転向した、イかれた連中である。

「遅ぇぞ。呼んだらさっさと来いって言ったろうが」
「ムジカの代わりに増えた猪と鹿を狩ってましてね。熊はそのまま寝かしときましたよ。カシラの分はちゃんと取ってありますからご安心を!」
「後から合流する奴らもいますぜ。辺境騎士団ならぬ、辺境猟師団でさぁ!」
「馬鹿言え」

 笑い合いながらも、懐かしい顔ぶれが揃うと自然と昔の空気に引き戻される。この感覚。戦場に立っていた頃の昂りがじわりと全身に蘇ってくるようだ。

 今は北方部族の対応も息子夫婦に任せきりだが、王都から戻ったら久々に前線に立ってもいいかもしれない。奴らを一掃できれば北部の地盤もより盤石になるだろう。
 ……とはいえ、まずは王都のみなさまにご挨拶といくのが先か。

「行くぞ。可愛いムジカに会いに行ってやろうぜ」
「おうよ!」

 野太い声が揃い、足並みが一斉に前へと進みだした。

 *

 北部を離れてどれほど経っただろうか。
 森の緑の眩しさに思わず目を細めたその瞬間――ノースの足が止まった。

 鼻腔を刺すのは、強烈な腐臭だ。

「……ひでぇな」

 通りがかった村では畑一面がムジカに掘り返されていた。穀物は穂先だけが無残に食い散らされ、芋は皮ごと噛み砕かれて跡形もない。掘り返された土の中からは、腐りかけた根菜の匂いがむわりと立ち上る。

 猟師団の面々も、たまらずと言わんばかりに顔をしかめた。

「ここまで派手にやられちまってんのか……」
「王都の狩猟禁止令の結果がこれか。無知ってのは、つくづく罪だな」

 ……まだ近くにいやがるな。
 そう判断して周囲を見渡すと、ノースが耳を跳ね上げ、前方の藪へ向けて低く唸った。

「……来るぞ」

 ほぼ同時に、悲鳴が森を裂いた。

「た、助け――ッ!」

 声の方角へ視線を走らせると、老人が尻餅をついたまま後ずさっている。その周囲を三匹のムジカが取り囲んでいた。

 カチカチ、カチカチ――

 シーナが「トラウマです」とよく口にしていた、あの不愉快な威嚇音。ムジカの後ろ足の筋肉が収縮し飛びかかる直前の溜めに入っている。

「下がってろい!」

 考えるより先に前へ走り出していた。雪の少ない地面は勝手が異なるが、ボウガンの弦を引き絞る指先に迷いはない。

 放たれた矢が目にも留まらぬ速さで空を裂き、一匹目の額を貫いて土へ沈める。
 跳びかかった二匹目の喉を射抜き、くぐもった鳴き声ごと黙らせる。
 老人へ食らいつく寸前だった最後の一匹の頭も、寸分違わず撃ち抜いた。

 三つの影がばたりと土を叩き、そのまま動かなくなる。

「大丈夫か?」

 肩を支えると、老人は震える指で俺を指した。

「ま、まさか……シグムント様でいらっしゃいますか……?」
「ほう、よく知ってんな。だが引退した身に様付けはいらん。ほら、立て」

 袖についた泥を払ってやると、老人は涙を浮かべ、何度も礼を繰り返した。
 村の方へとふらつきながら戻っていく背中を見送り、俺は鼻で笑う。

「……殺すな、ねぇ。王都の連中は、本当に頭に綿が詰まった奴ばっかりだ」

 同意するように、猟師団の面々が呆れ半分に肩を竦めた。

「カシラ、これでもまだ序の口ですよ。聞いた話ですが、外れの村は地獄なんだとか。家畜小屋も備蓄庫も全部やられちまったとか」
「王都から兵が来ても誰一人として手を出せねぇそうで。ほら、王妃様の例の命令で」
「だから丸腰で相手させられて、囲まれた途端に腰を抜かしたらしいっすよ」

 まあ、ありえない話じゃない。ムジカの威嚇音は生理的な恐怖心を呼び起こす。王都の連中は聞きなれないものだろうし、あの音を聞いただけで身が竦んでも仕方ない。しかも丸腰ともなれば、多少は同情しちまうってもんだ。

「よし、先へ急ぐぞ。王都の近くまで大移動してるみてぇだからな」

 さらに南へ足を進めると、光景が一変した。

 空き家の目立つ、荒廃した小さな村。
 鍵の壊れた倉庫。
 ムジカの噛み跡が残る歪んだ扉板。
 干し肉が散乱した土間で泣き崩れる夫婦。
 ついでに家の奥には、我が物顔で食料を貪っているムジカの家族までいやがる。

「好き勝手してやがんなぁ」

 サクッと片づけると、今まで戸の裏に隠れていた村人たちが堰を切ったように飛び出してきた。

「猟師様だ! 本当に来てくださったのですね……!」

 何人もの村人が俺たちを取り囲み、口々に窮状を訴え始める。

「王都から兵は来ました。来ましたが……『殺すな、追い払え』としか言わんのです……」
「そのせいで、家畜も、人も……!」
「見てくださいよ、あの有様を! どこまで被害が出りゃ駆除してくれるってんだ!」

 包帯を巻いた老人も子どもを抱えた母親も、皆、必死の顔だった。

「安心しろ。ここから先は北部が引き受ける」

 どうやら被害は食料だけに留まらず、負傷者も多いらしい。俺の言葉を受けて安心したのか、張り詰めていた村人たちの表情が一気に崩れた。

 ムジカは人も襲うが、致命傷に至ることは少ない。だが噛まれりゃ傷は膿むし、そのギザ歯のせいで治りも悪い。顔の肉でも抉られりゃ原形すら留まらないこともある。
 王都じゃ「死者が少ないから」と甘く見ているようだが――死ななきゃいいって話でもないだろうに。

「よし、ここらに匂い罠を仕掛けるぞ。村を囲むように五ヶ所だ。手が空いたやつから周辺のムジカを駆除しろ。密度が高い場所は、俺が回る」
「猟師団、散開!」
「おうよ!」

 声が綺麗に重なり、北部猟師団が一斉に動き出す。ボウガンを構え、罠を設置し、足跡を追う。年を感じさせない熟練の動きだ。
 ノースも低く吠えながら先を行き、人間の指示など不要だと言わんばかりの軽い足取りで森へ溶けていく。

「……シーナ。お前が心配してた通りになってんぞ」

 ふと、北の空を仰ぐ。
 ラグノ村であいつはのんびり待ってくれているだろうか。
 ロベルトの奴、調子に乗って余計なことをしていなけりゃいいが。

 なにせシーナはあのオイゲンの孫娘だ。北部の恩人とも言える人物に、俺は結局ろくな恩返しもできなかった。
 だから出会いは偶然ではあったが、あの娘と巡り合ったということは、オイゲンから託されたようなものに違いない。
 俺が預かったんだ。いくら俺自身の孫だろうが、弱っちい男に任せる気はさらさらない。

「全部片付けたら、すぐ帰っからな」

 そう呟き、周辺のムジカを一掃するために俺はボウガンを構え直した。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妹の身代わりだった私に「本命は君だ」――王宮前で王子に抱き潰され、溺愛がバレました。~私が虐げられるきっかけになった少年が、私と王子を結び付

唯崎りいち
恋愛
妹の身代わりとして王子とデートすることになった私。でも王子の本命は最初から私で――。長年虐げられ、地味でみすぼらしい私が、王子の愛と溺愛に包まれ、ついに幸せを掴む甘々ラブファンタジー。妹や家族との誤解、影武者の存在も絡み、ハラハラと胸キュンが止まらない物語。

二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました

小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」 二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。 第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。 それから二十年。 第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。 なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。 不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。 これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。 ※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

『皇族を名乗った伯爵家は、帝国に処理されました』 ―天然メイドは、今日も失敗する―

ふわふわ
恋愛
婚約破棄を経て、静かに屋敷を去った令嬢。 その後に残された伯爵家は、焦燥と虚勢を抱えたまま立て直しを図ろうとする。 だが、思惑はことごとく空回りする。 社交界での小さな失態。 資金繰りの綻び。 信用の揺らぎ。 そして、屋敷の中で起こる“ちょっとした”騒動の数々。 決して大事件ではない。 けれど積み重なれば、笑えない。 一方、帝国では新たな時代が静かに始まろうとしている。 血筋とは何か。 名乗るとは何か。 国家が守るものとは何か。 これは、派手な復讐劇ではない。 怒号も陰謀もない。 ただ―― 立場を取り違えた家が、ゆっくりと現実に追いつかれていく物語。 そして今日も、屋敷では誰かが小さな失敗をする。 世界は静かに、しかし確実に動いている。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

王女殿下のモラトリアム

あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」 突然、怒鳴られたの。 見知らぬ男子生徒から。 それが余りにも突然で反応できなかったの。 この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの? わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。 先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。 お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって! 婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪ お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。 え? 違うの? ライバルって縦ロールなの? 世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。 わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら? この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。 ※設定はゆるんゆるん ※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。 ※明るいラブコメが書きたくて。 ※シャティエル王国シリーズ3作目! ※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、 『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。 上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。 ※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅! ※小説家になろうにも投稿しました。

処理中です...