ムジカ狂騒曲

Mag_Mel

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叛逆のラプソディ

21 白銀の行進曲

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 窓の外では、静かな雪が陽光を反射して銀色に輝いている。
 
 ヴィンターハルトには本当の意味での春は訪れない。けれど、猛烈な吹雪が止み、抜けるような高い空が広がるこの時期を、北部の民は親しみを込めて「雪緩み」と呼ぶのだそうだ。
 
 そんな新たな知識を一つひとつ咀嚼しながら、私は山小屋の机に向かい、一冊の手帳にペンを走らせていた。表紙には『北部獣類生態図鑑』と記してある。お祖父様が遺した膨大な知識に、私がこの地で肌身に感じた経験を書き加えた、世界に一冊だけの図鑑だ。
 
 インクを吸わせるためにペンを取る手を休め、ふと机の端に置かれた封書に目をやる。
 それは、今回の騒動の顛末を知った王都の兄から届いた、驚愕と安堵の混じった分厚い手紙だった。
 
 そこには、リンド家の名誉が完全に回復したこと。何の手助けも出来ずに申し訳なかったという詫び。そして、私を正式な機関の協会長として再び王都へ迎え入れたいという、国王陛下からの打診を伝える内容が綴られていた。
 
 ……もしもヴィンターハルトに来たばかりの私だったら、その招きに泣いて喜んで応じていたかもしれない。
 けれど、窓の外に広がる銀世界を眺める私の心は、自分でも驚くほど静かに凪いでいた。
 
 王都の煌びやかなサロンで語られ始めたという「共生」という言葉が、今の私にはどれほど空虚に響くことか。本当の共生とは、甘い夢物語だけじゃない。奪い、奪われ、それでも同じ大地を踏みしめて生きるという命懸けの営みなのだ。
 その厳しさを知った今、私はもうかつての生活には戻れそうになかった。
 
 大切なことは、温室のような王都の壁の中ではなく、この痛いほどに冷たい北部の風が教えてくれる。だから結局私は王都へ戻る道を選ばなかった。協会員の中には東部と縁深い者も密かに存在する。国王様が責任をもって精査してくれると約束してくれたが、それならばと私は一つの道を提示した。
 
 そうして新たに設置されたのが、協会の「北部支部」。その支部長という重責を拝領し、私はこの地で、お祖父様の遺志を本当の意味で継いでいくことを決めたのだ。
 
「……よし、ムジカの項はこれでいいかな」
 
 書き終えたページを眺め、ふう、と息を吐く。
 私は副支部長を引き受けてくれたロベルトさんから、実戦的な知識を叩き込まれていた。罠の仕掛け方、風の読み方、獣の足跡に隠された意味。
 特に、彼から聞かされた「北部の童謡」は、私に大きな衝撃を与えてくれた。
 
 ♪ミュミュ ムジカ しろいこゆき
 ♪ぴょこんとおみみで きいてるよ
 
 王都で誰もが口ずさむ童謡『白い妖精ムジカ』の歌詞は、ただ愛らしいだけの姿が歌われている。
 でも北部では恐ろしい続きが歌い継がれていた。
 
 ♪ミュミュ ムジカ よるのしらせ
 ♪とおくでなった カチカチと
 ♪おとがきこえたら にげろすぐ
 ♪かわいいかおに だまされるな
 
 それは、ムジカが歯を鳴らす不気味な威嚇音を聞いたらすぐに逃げろ、という警告だ。この「二番」こそ、今の王都の人たちが知るべき真実に違いない。
 私はこの歌を図鑑とともに王都の子どもたちへと広めるつもりだった。北部以外でもムジカが生息できると分かった以上、里に下りたムジカに不用意に近付いてしまって犠牲者を出さないために。
 
 歌詞をしたため終えてほっと息をついたその時、山小屋の扉がゆっくりと開かれた。
 
「シーナ、いるか?」
 
 入ってきたのは、ロベルトさん。いつもの軽口は影を潜め、少しだけ緊張したような面持ちで私を見つめている。
 
「ロベルトさん、どうしたんですか? そんなに改まった顔をして」 
「……ああ。ちょっと、シーナに大事な話があってさ。仕事のことじゃなくて、その……俺個人としての話だ」
 
 ロベルトさんが一歩、私の方へ歩み寄る。その真剣な眼差しに、私の心臓が不意に小さく跳ねた。
 もしかしたら、何か重大な事態でも起きたのだろうか。
 それとも――
 
 彼が意を決したように口を開きかけた、その瞬間。
 
 ――ワォォォォォォンッ!!
 
 外から、空気を引き裂くような鋭い遠吠えが響き渡った。
 
「ノース……!? この鳴き声、ムジカの群れを見つけたのね!」
 
 私は迷わず席を立ち、壁に掛けられた私専用の小ぶりなボウガンを手に取った。そのまま矢筒を背負う動作はもう身体が覚えている。シグルドさんに仕込まれた猟師の動きだ。
 
「ロベルトさん、私も行ってきます!」
「お、おい、待てよシーナ!
「ごめんなさい、お話はまた今度聞きますね!」
「クソッ、これからだったってのに……、ああもう、あいつら空気読みやがれぇぇぇぇっ!」
 
 背後で頭を抱えるロベルトさんを置いて私は小屋を飛び出した。冷たくて痛いほどに澄んだ空気が全身を包み込む。かつては死すら覚悟した冷気が、今は不思議と心地よいくらいだ。
 
 雪を蹴立てて走る先には、すでに重厚なボウガンを肩に担いだあの大きな背中があった。
 
「遅ぇぞ、シーナ! 足腰が鈍っちまったか?」
 
 振り返ったシグルドさんが、不敵な笑みを浮かべて私を挑発する。その隣では、白銀の毛並みを輝かせたノースが鋭い瞳で雪原の先を睨みつけていた。
 
「そんなわけありません! 今日の夕食のお肉は、私が仕留めますから!」 
「ハッ、言うじゃねぇか。……行くぞ!」 
「はい!」
 
 重なり合った二人の声が、冬の空に高く、高く響き渡る。
 
 かつて死を予感させたムジカの奏でる不気味な狂騒曲はもう聞こえない。
 代わりに聞こえるのは、私たちがこの大地を踏みしめ、共に歩んでいくための力強い行進の音だ。
 
 雪の向こう側にある未来を目指して、私たちは白銀の世界へと駆け出した。
 
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