ムジカ狂騒曲

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終幕のサステイン

22 崖っぷちの男

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 王都を震撼させた「ムジカ騒動」。
 そのけじめを取ることになったデイヴ、メリンダ、ダリウスの三人は、じーさんの鶴の一声で正式な裁きの前に北部視察を命じられた。名目は視察。実態は、まあ、北部流の「お仕置き」だ。

 彼らは頑丈な鉄檻にまとめて放り込まれ、ムジカの生息域にほど近い雪原の中央へと運ばれた。
 三日三晩。火もなく、逃げ場もなく、守ってくれる権威もない場所へと。

 檻の中の光景はと言えば、まさにこの世の地獄だった。

「すべては貴様の不手際のせいだ、デイヴ! あんな小娘ひとり始末できん無能が!」
「自分の娘の手綱も引けなかった男に言われたくありませんね! こんなことならリー家に命運を託すのではなかった……!」
「もう嫌! みんな大嫌いよ! 寒いし、お腹も空いたわ! 早くここから出しなさい!」

 震える身体で互いに責任をなすりつけ、罵詈雑言を浴びせ合うかつての特権階級たち。
 その甲高い悲鳴に応えるように、白い影が雪原を渡ってきた。
 檻の隙間から、黒真珠のような瞳が幾つも覗き込む。――ムジカだ。

「……あ、あら? わたくしを慰めに来てくれたのね? おいで、可愛いムジちゃ――」

 不用意にメリンダが檻から指先を差し出した瞬間、ムジカはその細い指先を容赦なく噛み砕いた。一拍の間の後に、雪崩が起きそうなほどの悲鳴が響き渡る。

「噛んだ! この獣、わたくしを噛んだわ! 痛いっ、血が、血が止まらない!」
「離れろ、メリンダ! 檻の端に寄るな、齧られるぞ!」
「僕を盾にするな! やめろ、服を引っ張るな! 鳴くな、寄るなあああ!」

 檻の格子の隙間から執拗に潜り込もうとするムジカの群れと、その歯から逃れようとして狭い檻の中で互いを突き飛ばし合う三人。
 かつて「愛らしい」と庇護し、あるいは金のために剥いだ毛皮の主に、骨まで齧られかねない恐怖を味わってもらったわけだが――その無様な光景に、監視していた猟師たちも思わず失笑したのも無理はない。

 もっとも、彼らがそのまま食い殺されたり、野垂れ死にでもしたらそれはそれで困る。結果的にシーナの評判まで落としてしまいかねない。
 血気盛んな猟師たちを宥め、時折干し肉と水を放り込み、指や耳が欠ける程度で済むように罪人連中の「生存管理」にまで気を配った俺の苦労を、誰か少しは評価してくれてもいいと思う。

 結果として、三人は命からがら王都へと送還されたのだが――そこで運命が分かれた。

 デイヴは予定通り王都へ運ばれた。
 冷たい地下牢の最奥で、今も膝を抱えて震えていることだろう。耳の奥で鳴り響く「カチカチ」という幻聴にでも怯えながら。
 
 廃妃となったメリンダは、東部の僻地にある寂れた村へと送られた。どうやら「動物を慈しみたい」という彼女の高潔な志を汲み取り、養豚場での終身奉仕活動という大役が与えられたらしい。
 泥にまみれ、豚の鳴き声に追われる日々。彼女が望んだ「動物との共生」が叶ったのだから、実に喜ばしいことだ。

 最も罪深き黒幕、ダリウス・リー。彼は王都での審判を受けるため護送される途中、山道で馬車の車輪が外れるという「不幸な事故」に見舞われた。壊れた馬車は深い谷底で見つかり、翌朝には北部の冷気にさらされ、物言わぬ死体となって雪に埋もれていたという。
 

 一方、俺たち北部の暮らしはというと、状況は一変していた。
 シーナと共同で開発した「匂い罠」が各地に普及したことで、ムジカによる被害は最小限に抑えられ、これまで後手に回っていた戦力を北方部族との戦いに割けるようになったからだ。

 そこへ、じーさん率いる北部猟師団が合流したのも大きかった。
 それまでの膠着が嘘のように戦況は動き、北方部族は驚くほどあっさりと制圧されることになった。

 こうしてヴィンターハルトの領土は広がり、その支配体制も揺るぎないものとなった。
 今やアルド家は王国内でも無視できない発言力を持ち、シーナはその知恵袋として、また「伝説の辺境伯シグムント様」の愛弟子として、北部の人間から深く慕われている。
 ……もっとも、その桁外れの酒豪ぶりも、親しまれている理由のひとつに数えていいのかもしれないが。

 
 そうして、一年という月日は驚くほどあっさりと過ぎ去った。
 シーナはと言えば今、ここラグノ村を拠点に活動しているのだが――
 
 
「……おいロベルト。お前、いつまでそうやって煮え切らない面をしてるんだ?」

 村長室で罠の改良に没頭していた俺の背中に、親父の呆れた声が突き刺さった。部族との戦いも終わって暇でも持て余しているのか、各村の視察と称しては息子たちの様子を探りに回っているらしい。

「何のことだよ。俺は今、協会の副支部長として忙しいんだ。じーさんが遊び回ってるからラグノ村の村長代理だって兼任してるんだぞ」
「仕事の話じゃない。シーナ嬢のことだ」

 親父はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、俺の肩を叩いてくる。

「親父殿は彼女をえらく気に入っているようだな。あの子も、山小屋の方が落ち着くなんて言ってるらしいじゃないか。このままじゃお前、あの子は俺の『義理の娘』になるどころか、『義理の母』になっちまうんじゃないか?」
「ぶっ……! な、何を馬鹿なことを!」

 あまりに恐ろしい想像に、俺は手に持っていた工具を取り落とした。
 だが、笑い事ではない。あの規格外のじーさんなら、「誰にも任せられねぇな。そんなら俺の嫁さんにしとくか」なんて本気で言い出しかねない。

「お前もアルド家の男だろう。欲しいものは力で勝ち取れ。北部の伝統を忘れたわけじゃないだろう?」

 親父の言葉に、俺は奥歯を噛み締めた。
 北部の伝統。男が女に愛を誓う時、自ら狩った獲物の毛皮を捧げる儀式だ。特にアルド家の歴代当主は、勇猛さを示すために「熊」を仕留めるのが慣例となっている。

 だが、俺の狩猟の腕は――正直に言って十人並みだ。じーさんの持つ「狂犬」の血は、他の兄弟たちと違って俺にはあまり受け継がれなかった。

「……正攻法じゃ、俺には熊なんて無理だ」
「そうか。それなら指でも咥えて、シーナ嬢が他の男に娶られるのを眺めていることだな。……いいか、彼女が今も独り身でいられるのは、親父殿が圧をかけているおかげだということを忘れるなよ」

 その言葉に、俺はさらに唇を噛みしめた。
 彼女は確かに強く、逞しくなった。今じゃ立派な「北部の女」だ。
 けれど、ふとした瞬間に見せる王都仕込みの洗練された所作は失われていない。そのアンバランスな魅力に惹かれる男は山ほどいると聞く。王都の貴族たちからの招待状も届いているそうだし、兄貴たちだっていつ目をつけてもおかしくない。
 それに、じーさんとは師弟のような関係性に落ち着いてくれているけれども……万が一だってあり得る。

 つまり、時間が経てば経つほどライバルは増えていくというわけだ。
 それなら――俺のやり方で、熊を狩るしかない。

 俺は研究ノートを広げ、新たな罠の構想に没頭し始めた。

 数日後。
 協会の資料室で計算に明け暮れていると、不意に背後から声をかけられた。

「ロベルトさん、また新しい罠の設計ですか?」

 振り返ると、そこには防寒具に身を包んだシーナが立っていた。その手には仕留めたばかりのムジカがぶら下げられているが――……うん、やっぱり今日も可愛い。

「あ、ああ。ちょっとした害獣対策さ」
「へぇ……。このトラバサミ、かなり大きそうですね。もしかして、熊を獲るんですか?」

 図星を突かれ、俺は反射的にノートを閉じかけた。

「そ、そんな構想を練っていてさ。あくまで理論上の話だよ」
「熊なら鼻が利きますから、誘引剤の配合を少し変えた方がいいかもしれません。私も考えていたんですけれど――」

 そう言って、シーナは屈託のない笑みを浮かべ、俺のノートにペンを走らせた。
 迷いのない筆致。示された数式と補足は、まさに俺が行き詰まっていた箇所そのものだった。

「……ありがとう。助かるよ、シーナ」
「いいえ! ロベルトさんの作る罠はいつも合理的で素晴らしいですから。完成、楽しみにしていますね」

 ……まさか、彼女に捧げるために熊を狩ろうとしているのに、当の本人から助言を貰うことになるなんて……。

 情けなさと、それでもやっぱり彼女の知識の広さに感服しながら、俺は彼女が書き込んだ数式をなぞった。
 
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