物語の運送屋

ももぱんだ

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The Little Mermaid 泡の後の人魚姫

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 世界は優しくなんてない。飛ぶように変化するばかりで待ってもくれない。
 ぼんやりと外を眺めたり、本を読んだりするくらいゆっくりさせてほしいものだ。
 それなのに地球ときたら、そんなの関係なく回っていく。私のことなど知らん顔で。
 世界は残酷で美しい。

 土臭さに目がさめると、陸の上の見知らぬ場所に倒れていた。見渡す限り一面の霧で、何も見えない。声を上げようとしても言葉は出ず、立とうとしても足も立たなかった。不安が募る。誰かいない? と問いたかった。

「大丈夫?」

 不意に言葉がかけられた。穏和な温かみのこもった声が。誰だろうか。そちらを見上げると、青の混じった薄い灰色の瞳と目が合った。

「……ぁ……」

 何でも良い。何か声を返さなければ。しかしやはり、声は出なかった。

「とりあえず、おいで。ここに居るのは危険だ」

 声の主は、手を引いて立たせようとする。でも、やはり脚は動かなかった。

「もしかして、立てない?」

 その言葉に頷くと、声の主はこの身体を抱き上げた。声の主の姿がきちんと見えるようになる。
 帽子の男だ。彼は、自分のらしきバイクの後ろに座らせた。

「良かった。座れはするね」

 穏和な笑みで彼は言う。

「これから、一旦安全なところに行くよ。振り落とされないように捕まっててくれないか?」

 それに頷くと、彼はバイクに跨って発車させた。二人を乗せたバイクは、ライトと彼が付けたカンテラの明かりだけを頼りに、どこかへと走っていく。

 突如、前方から石畳の砕ける音と土煙が上がった。

「しまったな。上手く避けてたつもりだけど、気づかれたみたい」

 彼は渋い顔をしている。何だろうか。

「紙魚だ。人食い怪物みたいなものだよ。とにかく逃げよう。捕まって」

 なんでそんなものが居るんだろう。目が覚めてから、わからないことだらけだ。
 とりあえず、速度の上がったバイクから振り落とされないように、男の背にしがみつく。土煙を避けて進んでいくと、その中に銀色がちらりと見えた。

「あれがそう」

 あれか。顔も足も見えないから、きっとすごく大きいんだ。
 しばらく轟音と、土煙を避けて進むと、霧の向こうに明かりが見えた。

「もうすぐ着くよ。あそこまで行けば、当分は大丈夫だ」

 明かりの近くに停車する。それは、男のと似たようなカンテラの下がったポストだった。

「ここまでくれば安心。大丈夫? 疲れてないか?」

 たしかにここに来てぱたりと爆音も煙も収まったようだ。男はバイクから降り、抱き下ろしてくれた。

「怪我とかない? お尻、痛くなかった?」

 首を横に振る。

「よかった。じゃあ、俺たちの今置かれている状況と、これからのことを話そうか」

 彼は荷台からシートとバスケットを取り出し、シートを広げながら話しだした。

「まずは自己紹介を。俺はザッカリー・L・カーニーだ。気軽にザックと呼んでくれ。よろしく」

 軽く会釈をする。

「うん。そしてここはアクスバーグの成れの果て、と言うにはまだ早いか。この世界を覆い始めた謎の霧の中だよ。俺は運び屋。この世界の中心に逃げて行く人たちに、荷物を届けたり、逃げ遅れている人を探して連れ出したりしている。それとは別にもう一つ仕事があるんだけど、今回の話そのもう一つの仕事の一環で、俺はこれから君を駅まで運ぶよ」

 駅とは何か、何故そこに運ぶのだろう。首を傾げる。彼はその仕事について、詳しくは語らなかった。

「不安だろうけど、大丈夫だよ。ちゃんと送り届けるから」

 きっと、安心させようとしてくれているんだ。頭を撫でてくる手が優しくて、すこしありがたかった。

「そうそう。ちょっと待っててね」

 ザックはそう言うと、すこし離れたところにしゃがみこみ、花を摘んで戻ってきた。

「ほら。こうした方がきれいだ。ごめんね。女の子にぼろぼろの服のままで居させちゃって。せめて、花くらいは良いだろう。あと、俺の服を貸すよ。ここから先もバイクで移動することになるからね」

 そう言って、ザックは花を髪の毛に刺してくれる。女、なのだとぼんやり思った。
  私は彼がかけてくれた上着の裾を握って、引き寄せながら彼を見上げる。

「まあ、このまま駅に行って、満月の夜だけ現れる銀河鉄道に乗れば終わりなんだけれど、それだと君は自分のことすらわからないまま、天国に行くことになるんだ。それだとあまりにも可愛そうだし、次の満月までの間、君の記憶探しを手伝っても良いかな?」

 ザックは優しく微笑みかけてくれる。優しい人だ。私は頷く。

「ありがとう」

 それは私の台詞なのに。声が出ないことが、とてももどかしかった。仕方なく、軽く会釈することで答えた。

「さて。そろそろ行こうか。ずっとここにいるわけにはいかない」

ザックは私の体を抱き上げ、再びバイクの後ろに座らせる。バランスをとってうまく後部座席に座ることができた。
 彼も操縦席に座り、バイクは再び走り出した。
 風が清々しい。視界は今だに真っ白だし、足は風に触れると、切られるように痛かったけれど、それらが気にならないくらい気持ちが良かった。

「この近くに、大きな街があるんだ。多分君はそこにいたんだと思う。だから、とりあえずそこに向かうよ」

 しばらく走ると、風が海風に変わったようだ。海が近いのかもしれない。なんだか懐かしい気がする。私は目を細め、ザックの背にしがみついていた。

「ほら、あれだ」

 ザックが前方を指差す。前方にはお城のある、大きな街がそびえ立っていた。こんなところに私はいたんだろうか?
 ザックはそんな私の疑問をよそに、手続きをして私を乗せたバイクごと街に入っていく。
 宿をとると、彼は今日は疲れただろうからと、今日はもう休むことになった。食事を終えて部屋に戻る間じゅう、彼は私の介助をしてくれた。

「そういえば、君は何か覚えていることや、ここに来て思い出したことはないかい?」

 覚えていること、とはどういうことだろうと考え、自分がほとんど何も覚えていないことに気がついた。
 唯一思い出せた単語を、宿に置いてあった紙の束に書く。ザックは近づいて、難しい顔をしてその単語を眺める。

「うーん」

 たった一単語だ。難しいことはないはずなのだが。

「この文字列は。ああ、わかった。見たことがあるぞ。L、O、V、E『愛して』だ」

 彼は、嬉しそうに答える。『愛して』というよりは、単純に愛情ということだと思うが、伝えようがない。仕方なく曖昧に笑っておいた。

「でも、愛してとはどういうことだろう? 愛して欲しいのか、愛しているのか。誰を?何を?情報が足りないな」

 そうやって頭をひねっている姿が、なんだかおかしくて笑ってしまった。

「はは。そんなにおかしいかな?」

 彼も苦笑する。

「まあ、何かのきっかけくらいだけれど、役にはたつだろう。焦らなくても良い。満月までは、あと三日ほどあるからね。また思い出したら教えておくれ」

 頷く。

「うん。それじゃあ、今日は早めに休もう、おやすみ」

 ベッドに寝かされ、布団もかけてもらう。私は目を閉じた。
 不安がないわけではない。けれど、怯えたり悩んだりしたとしても、何かが変わるわけではない。きっと、なるようにしかならないのだと自分に言い聞かせてから、眠りについた。

 * 

 私は夢を見た。夢の中の私は人ではなく、人の上半身に綺麗な魚の尾びれと、美しい声を持っていたらしい。でも、誰かのためにその声もひれも捨てて、陸に上がって。
 そしてその人には、何も伝えられなかった。私は……。

 *

  目を覚ますと、目の前に心配そうなザックの顔があった。

「何やら、うなされていたみたいだ。大丈夫?」

 私の目から溢れる涙をぬぐいながら、彼は問う。私はゆっくり頷いた。

「そうか。それなら良いんだけれど。辛いことがあるなら、なんでも聞くよ」

 私は大丈夫だと、首を振る。
 しばらく心配そうだったが、私の様子に折れてくれた。
 そう。あれは夢だ。きっと、私とは関係のない、誰かのもの。首を振り夢の内容を振り払って、ザックと部屋の外に出た。

「さて。今日はここを色々と回ろう。何か手がかりが見つかるかも」

 バイクに私を乗せ、街じゅうを歩き回る。人影の全くない、不気味な街の中を。かつて活気があったのであろう商店街は、閑散としていて静かすぎた。

「ここももう、こんなに出て行った後なのか」

 寂しげに呟く彼の横顔に目をやる。出会ってから普段見せる優しげな表情とは打って変わった、憂いを帯びた表情が少し気にかかった。
 しかし、それはすぐに消えて、優しい表情で私に話しかける。

「何か、感じることや、思い出したことはあるかい?」

 私は首を振った。

「そうか。じゃあ、少し場所を変えようか」

 バイクを押して、今度は港にやってきた。なんとなく、見たことがある気がするそこでも、私は何も思い出せない。

「そう。ここでもだめか。あそこなら、どうかな」

 港から離れた大きなお城を指差す。そのとたん、私の胸は締め付けられるように痛んだ。なんだろう。切ない、と言うのだろうか。

「どうかした?具合が悪い?」

 ザックは心配そうに、私の顔を覗きこんだ。首を振って、お城に向かってもらうように頼む。

「そうか?無理はしないでね。辛くなったら言って」

 そう言い、二人でお城に向かう。
 大きなお城だった。そして、ここだけは人の気配がしたのだ。

「おかしい。何故ここだけ人の気配がするんだろう。何かがあるのかな?」

 ザックは私を抱き上げ、お城に入っていく。
 お城の中は、どこもかしこも少し見覚えがあった。何があったかは思い出せないけれど。ザックは、そんな私の様子に気づいたようだ。

「見覚えがある?」

 頷く。

「そうか。ここの関係者なのかな。少し休憩してから、ここを探索しよう」

 そう言って、彼はバイクのところまで戻り、何かの缶詰を持ってきた。中身はどうやら、豆を使ったスープのようだ。

「気をつけてね。これは、あんまり美味しくないよ」

 彼は苦笑しながら、それを一緒に持ってきたバーナーにセットした小さな鍋で温めている。

「曰く『海の豆スープ』だからね」

どういうことだろう。温まった頃に、少しもらった。驚くほど塩辛い。

「ね?しょっぱいだろう?」

 顔をしかめていると、ザックは水の入ったボトルを渡してくれた。
色々な缶詰で軽食を済ませ、お城の奥に進む。人の気配はあるのに、まだ誰ともすれ違っていない。

「奥に誰かいるのかな」

 私を抱いたまま、部屋の扉を開ける。そこは、大広間のようだった。そこに、一人の男性が立っていた。

「人魚姫!」

 男性は私を見て、駆け寄ってきた。

「帰ってきてくれたんだね。俺のために。ごめんね、気づいてあげられなくて」

 綺麗で豪奢な身なりの男性は、抱かれた私の手を取ろうとしている。ザックはその手から逃れるように、私を守るように一歩下がった。

「なるほど。君の気配だったんだね、ガンサク」
「何だよお前は。お呼びじゃないよ」

 記憶が一気に蘇ってきた。私は、あの人を知っている。私が声と引き換えに、陸に上がってまで愛した人だ。結局その愛は叶わず、私は泡になって消えてしまった。その相手が、目の前にいる。
 私は手を伸ばした。

「あれはね、君を毒する悪魔のようなものなんだ。……君は良い?このままで」

 彼の声が聞こえる。静かな、諭すような声色が私の心を打った。嗚呼、思い出した。なぜ私が泡になったのか。LOVEの意味は。

 私は彼、王子に話しかける。声はいつのまにか、出るようになっていた。

「王子様、私はあなたの幸せを願って、あなたを殺さない道を選びました。その気持ちは今でも変わりません。……あなたの歪みを貰っていきます」

 そう言って、人魚姫は再び泡となり、王子を取り巻くようにして消えていった。後に残されたのはたった一言と、憑き物が落ちたような顔の王子だけだった。

「『愛して』います」

 彼は、涙を流している。ザックは目を伏せた。

「彼女の願いだろうからね。彼女の代わりに、君を駅に連れて行こう」
「何故?」
「向こうに行けば、彼女と会える可能性が高いから、かな」

 ザックは微笑む。このようなことは、今までもよくあった。

「行こう。今日は満月だ」
「どこへ行くんだ?」
「廃駅だよ」

 戸惑う王子の手を引いて、ザックは駅にやってきた。誰もいない駅に、何故か明かりが灯っている。

「はい。これに乗っていけば、その先は楽園だ。そこで、彼女は待っているだろう」

 王子に切符を渡す。

「銀河鉄道が来るまで、もう少し時間があるな。何か、話をしていようか」
「なら、今回起こったことについて、話してくれないか?いまいち、状況がつかめていないから」
「わかったよ」

 駅のベンチに座り、ザックは王子に隣に座るように勧めた。

「まず、この世界を覆っている霧のことは知っているよね」
「ああ。確か、世界を外側から内に向かって広がってる霧だよな。中にいると、記憶がなくなっていく、という噂だけど」
「そうだね」

 ザックは水筒を出してきて、カップに注いで王子に渡す。

「実はその噂は、事実なんだ。俺もまさかと思ったけれどね。この霧の中に居続けると、霧は人の記憶を奪っていく。やがては自分のこともわからず、誰からも忘れ去られて霧の中に消えてしまうんだ」

 王子は言葉を失った。それが事実ならば、自分は人魚姫が消えたことを知らないどころか、人魚姫など忘れたままだった可能性もあるということなのかと、考えただけでも恐ろしい。

「忘れられた人の中に、かろうじて霧の中に存在しているものがいる。……俺は彼らを『モノガタリ』と呼んでいるんだけれどね。彼らは、自分の記憶もほとんどなく、姿も存在自体もあやふやだ。人魚姫はそれだったんだね」
「では、俺は? ガンサクと言っていたけど」

 ザックは、水筒から自分の分を注ぎ、飲む。

「君は、ガンサクだった。曖昧になったモノガタリが、色々なものの影響で歪んでしまった存在。彼らは、いわゆる悪魔のようなものなんだ。モノガタリや、生きた人間にちょっかいをかけ、同じガンサクにしようとしたり、死に追い込もうとしたり、弄ぶだけ弄んで捨てたり、自分の意のままにしようとしたりする」

 王子には、その心当たりがあった。俯いて、カップを握りしめる。人魚姫の笑顔が、浮かんでは消えていった。

「ガンサクが悪いわけではないんだ。彼らだって、元はなんの罪もないただのモノガタリだった。それでも、自分のエゴだったり、誰かの影響だったりを受けてガンサクになってしまう危険性を誰でも持っている。そして、彼らを元のモノガタリに戻すのは、とても難しい。……君は運が良かった」

 電車の走らないはずの廃線のレールの上に、真っ白な汽車がやってきた。美しく、荘厳でありながら、その汽車はとても不気味だった。
 王子は汽車に乗り込んでいく。

「ありがとう、お陰でこうして自分を取り戻して行けるんだな」
「俺は大したことはしていないよ。ただの運び屋だからね」

 ザックは微笑む。

「本当の物語では、不運にも結ばれることはなかったけれど、今度こそ幸せになれると良いね」
「うん。……さようなら、運び屋」
「ザックだよ。……さようなら、王子様」

 汽車が発車する。警笛を鳴らして。ザックは汽車の走る先を見つめた。

「まだ、この先は見えないのか」

 汽車が見えなくなるまで、見送り、踵を返して夜の霧の中に走り出した。
 ザッカリー・L・カーニーは運び屋だ。依頼を受けて荷物を運び、依頼とは関係なくモノガタリを駅に運んで、楽園行きの汽車に乗せる仕事をしている、二十三の男である。
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