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特訓

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 その日の深夜。アリシアとバーベナは闘技場で向かい合っていた。普段の稽古の時に着る鎧を身につけ、装備を固めているアリシアに対し、バーベナはかなりの軽装。銀色の髪を後ろに束ね、白いシャツに黒いズボン、必要最低限の部分を覆う皮のアーマーをつけているのみ。

 お互いに向かい合い、剣の切先を合わせる。アリシアが開始の合図をすれば、凄まじいスピードでバーベナが間合いを詰めてきた。

 まるで踊っているかのように軽やかに攻撃を仕掛けてくるバーベナに、アリシアは翻弄される。メンシスの騎士の中では、見たことのない動きだった。

 男としては細身だが打撃は重く、剣を受けるたびに手にビリビリと衝撃が伝わってくる。
 さらに厄介だったのは、砂をかけてきたり、剣技の合間に蹴りを飛ばしてきたりすることだ。

「ちょ、ちょっと! トーナメントでこんな卑怯な闘い方する人いないでしょ?」

 涼しい顔で笑いながら、バーベナは答える。

「アリシアはあまちゃんだな。トーナメントの優勝者に何が与えられると思う? 欲しいものなんでも貰えるんだぜ? 爵位とか、金とか、結婚相手とか。限度はあるが、王家が許す限りなんでも。王子相手だって、多少汚いことはやるさ。それに戦場では汚かろうがなんだろうが、最後まで立ってるやつが勝者だ」

 次々と繰り出される剣撃と蹴りに集中していたアリシアは、気づけば宙に浮いていた。
 死角から突如伸ばされたバーベナの右腕に投げ飛ばされたのだ。

「うわっ!」

「はーい、俺の勝ち~!」

 土の上に叩き落とされるかと思いきや、バーベナはアリシアの体が地面につかぬよう手で保護してくれていた。背中を支える手のひらが思っていたより大きくてどきりとする。そのままゆっくりと土の上に降ろされたアリシアは、剣を納めつつバーベナを見上げる。

「なんでこんなに強いの?」

「うーん自然に鍛えられた感じかねえ。俺、親いなくてさ。子どもの頃は路上で生活してたんだわ」

「えっ、そうなの?!」

 今のバーベナ姫としての彼の姿からは、想像できない生い立ちだった。これまで目にしてきた彼の優雅な立ち振る舞いとも、イメージが噛み合わない。

「食うものとか着るものは、基本盗品でさ。さらに同じように路上で生活してる子どもたちと奪い合いになるわけ。腕っぷしが弱いやつから餓死して死んでいくの。なかなかハードだろ」

「孤児院とか、教会とかに頼れなかったの?」

「グラジオがどうかは知らねえけど、ロベリアは弱きものは見捨てる、みたいなところがあって。俺らみたいな人間に救済の道はなかったんだよ。そんなんで結構荒れた生活してたから。騎士みたいなかっこいい戦い方はできねえけど、勝負に勝つことには自信あるんだよね」

 そう言うとバーベナは剣を鞘に納め、アリシアの隣に座る。

 アリシアは愕然とした。どこかで自分は「かわいそう」な部類の人間だと思っていた。無償の愛を与えてくれる肉親を失い、孤児院で暮らす生活が最底辺の生活だと。
 でも明るく振る舞うこの人は、自分なんかよりももっと苦しい生活を生き抜いてきたのだ。

「そこから、どうやって今の仕事に辿り着いたの?」

 純粋に興味が湧いてそう尋ねれば、今度ははぐらかさずに答えてくれる。

「ああ……ほら、俺この通り見た目がいいだろ? あるとき運悪く人攫いに攫われて売りに出されたわけ。でもなんとかして競売場から逃げ出したところで劇団に拾われてさ。で、それからはずっと役者をやってて。姫役をやってた時に、たまたま俺を目にした役人が『バーベナ姫』の身代わりの話を持ってきたんだ」

「役者……姫役……なるほど」

 彼の上流貴族らしい振る舞いは、劇場での縁起の練習の賜物だったのだ。

「スキあり!」

 突如伸びてきた長い足に、そばに置いていた剣を蹴り飛ばされる。視界には星空と、したり顔のバーベナ。両手は彼の手で拘束され、地面の上に仰向けに縫い付けられていた。

「ずるい! 会話の最中に突然かかってくるなんて」

 バタバタと暴れてみるもびくともしない。そのうちアメジストのような澄んだ瞳が迫ってきて、心臓の鼓動が速くなっていく。

 ドキドキしているのを聞かれていないだろうか。落ち着かない気持ちになりながらも、目が離せない。
 
「ちょ、近い近い!」

 やっとのことでそう叫べば、彼はニヤリと笑う。

「やっぱ女の子だわ。あんた」

「へ?!」

「鍛えてるけど、腕だって細いし、俺が片手で投げられるくらいに軽い。逃げたほうがいいんじゃねえの?」

 お互いの吐息が聞こえるほどに彼の顔が近づく。耐えきれなくなって目を瞑れば、額にやわらかな感触が広がる。
 口付けをされたのだと気づいた時には、全身の血液が沸騰したかのように体が熱くなった。

「突然何するのー!!」

 半泣きでそう抗議すれば、カラカラと笑って彼はアリシアの両手を解放する。

「仲良し作戦、第三弾?」

「ここには見せつける相手、誰もいないじゃない!」

「とにかく! 俺に負けるようじゃ、トーナメントの優勝者になんか勝てねーだろ。腹痛でもなんでも起こして辞退しろ」

「そ、そんなことない! もう一度! っていうか、トーナメントまで練習相手付き合って! お願い!」

「それ、メリットねーじゃん俺に。今日は気まぐれで付き合ってやったけどさ」

 くるくると剣を回しながら、今にも部屋に帰ろうとするバーベナに向けて、慌ててアリシアは口をひらく。

「じゃ、じゃあ……夕食のデザート一品多めにあげるよ!」

「……は?」

 バーベナはその場で腹を抱えて笑い出した。おかしくてたまらないというふうにその場にうずくまる。

「子どもかよ。お礼がしょぼすぎ」

「だって! 私何にも持ってないし。あげられるものがないから」

「はぁ? あんたさ、今は王子だろ? 王子と同様の待遇を与えられてんだろ? 宝石商でもなんでも呼び放題なんですけど。そういう方面に頭が働かなかったわけ? 庶民だなあ」

「あ、そっか……」

「まあいいや。なんか感覚が近くて安心する。あんたはずっとそのままでいてくれよ。あ、そうだ! じゃあさ」

 バーベナは、内緒話をするように口元に手をかざし、アリシアに向かって囁く。

「決勝戦の賞品。バーベナ姫からのキス、にしてくれ。お礼はそれでいいよ」

「な……!」

 パクパクと口を開閉し、顔を真っ赤に染めたアリシアを前に、バーベナはまた笑う。

「おいおい、あんた二十歳だろ。どんだけうぶなんだよ。っていうか、え? その年でもしかしてキスもしたことないわけ?」

「なくて悪かったな!」

「マジかよ」

 衝撃の表情を浮かべたバーベナは、かわいそうなものを見るような視線を向けてくる。

「まあ、人生長いし? いつかお前を愛してくれる男も現れるって」

「王子役に一生捧げてるって時点で、それは無理な気がする」

「そうだったわ」

 しょんぼりするアリシアの背中を、笑いながら叩くバーベナに付き添われつつ。自室へと続く回廊を、アリシアは歩いて行くのだった。
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