暴君白澤帝の愛し妃〜心読みの乙女は愛を知る〜

春日あざみ

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第一章 人質の花嫁

遊猟

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「白澤」——人間の言葉を解し万物の知識に精通するとされる聖獣。為政者が有徳であれば姿を現し、政を助けたという。

——おとぎ話みたい。本当にいるとは思えないけど。

ツェツェグは、自室で取り寄せた本を読んでいた。妃が心声で、頻繁に「白澤帝」という言葉を使うのが気になり、調べてみることにしたのである。
大風では聞いたことのない言葉だったので、凛に尋ねると、関連する書物を取り寄せてくれた。

——蓮の皇帝は白澤の末裔だって考えられているのね。ふうん。まあ、確かに、あの珍しい銀色の髪は神がかったものがあるけど。

「ツェツェグ様! 皇帝陛下から狩りのお許しをいただきました」

開口一番、そう言いながらリンが手紙を持って部屋に帰ってきたのを見て、ツェツェグは椅子から立ち上がる。

「ええっ、本当? 望みは薄いと思っていたけど、お願いしてみるものね」

「私もツェツェグ様のお手紙をお持ちする際、ちょっぴり命の危機を感じました」

あら、とツェツェグは気遣わしげな表情で彼女を見る。

「命の危機を感じるくらいの状況だったのなら、私も呼んでちょうだい。凛にいなくなられると困るもの」

「そんな! もったいないお言葉です。私はツェツェグ様の侍女なのですから、なんだってやってみせますよ」

頭に響く心声で、彼女の言葉に嘘偽りがないことがわかる。『ツェツェグ様の侍女』という言葉に、誇りを感じてくれているようで、こそばゆい。

凛を雇い入れてからひと月が経つ。自分に悪意のない人間と暮らすことが、こんなにも心地よいことだとは思わなかった。このまま凛と二人、皇帝の目から隠れて平穏に暮らすのも悪くないと思えるほどに。

だが、大風の使者はまたやってくる。そのことを考えると、「何か役に立つ情報を得なければ」という焦りが強くなった。結果、ツェツェグは動くことにしたのだ。

凛に頼んで皇帝の予定を探ってもらえば、近々、大きな狩りの催しがあるという。
狩りはツェツェグの得意分野だ。大風では、男も女も狩りをする。弓矢を自身で作って背負い、森に潜って獣を狩る。獲れた獲物は捌いて塩漬けにし、日持ちのする食料にする。農耕もするが、季節によって移動を繰り返す大風では、あくまで補食。旅を基本とする大風は、そうして命を繋いできた。

「支度を整えなくてはね」

未だ芷晴ジーチンを殺した犯人はわからない。

心声を使って探れば、お渡りのあと取り乱してはいたものの、彼女は生きて歩いていたという証言は、下級妃の宮のあちこちから聞こえてきた。

しかし犯人らしき心声は聞こえない。下級妃と侍女の中に、今回の件に関わったものはいないように思われる。
殺したのが昊然でないのなら、彼が自分に危害を加える可能性は減った。ならば情報のために、芷晴殺しの犯人に警戒しつつ、皇帝の側へといかなければ。


◇ ◇ ◇


狩のためにしつらえられた黒い装束に身を包み、毛皮の襟巻きがついた外套を羽織ったツェツェグは、凛とともに馬車に乗り込んだ。今日の狩は年に一度行われる「遊猟」と呼ばれる大規模な催しなのだという。皇帝だけでなく、皇弟やその息子など皇家に連なる男子、貴族も参加すると聞く。皇族・貴族にとっては社交の場、そして帯同する軍の武官たちにとっては実戦訓練の場という、さまざまな性格のあるものらしい。

一方で、妃で参加するものは、ツェツェグ以外にはいない。あとで初めて知ったのだが、蓮では狩は男だけが楽しむものなのだという。

——狩が楽しむもの、という認識は、どうしても受け入れがたい。

狩とは自然の恵みをいただく神聖なもの。大風ではそう教えられた。決して命を取りすぎてはいけない。ましてや娯楽のために殺すなどあってはいけないものだ。

——やはり大風とでは文化の違いが大きいわ。不用意に余計なことを言わないように気をつけないと。

会場に到着し、馬車の扉が開いた瞬間、ツェツェグは声をあげそうになった。想像以上に人がいて驚いたのだ。

『おや、ツェツェグちゃ——おっと今はお妃様か』

頭に響いてきた声に反応し、視線を向けた。すると表情を崩しかけた景安が、きり、と表情を引き締めるのが見えた。相変わらずの人懐っこさに、思わず笑ってしまう。先日の礼を言おうと、ツェツェグが景安のもとへ向かおうと足を進めれば、凛に慌てて制止される。

「お、お待ちくださいツェツェグ様! ダメです。妃嬪が自ら主上以外の男性に声をかけては、不貞を疑われますよ」

「えっ、そういうものなの?」

「……お気をつけください。主上はこういうことに特に敏感ですから、失礼を承知で申し上げますが、要らぬ不興をかいませんよう」

「ごめんなさい。よくわかっていなくて」

「ご理解いただき、ありがとうございます」

『よかった、わかっていただけて。ふう、危なかったわ。やはり辺境におられたせいか、世間に疎いところがあるわね。私がお守りしなくては』

意図していなかったこととはいえ、頼もしい侍女の肝を冷やしたことに、ツェツェグは反省しうなだれる。
凛は、以前よりずいぶん垢抜けた。真新しく、汚れていない襦裙を着ているせいもあったが、辺境民族とはいえ、下級妃付きの侍女になれたというのが自信に繋がったらしい。今までより一層仕事に打ち込み、初めてツェツェグのもとへやってきた時よりも手際が良くなった。

下を向かなくなった顎先を見て、ツェツェグも誇らしい気持ちになっている。もう一人の自分が、新しい希望を見つけてくれたようで嬉しかった。

「不用意に動かないよう気をつけるわ。でも、狩りをしていいっていう許可はもらっているのよね?」

「はい。正直申し上げますと、武官の方々から否定的な声が上がったらしいですが。主上が許可を出したらしいです」

「へえ。そうなの」

芷晴と初めて顔を合わせた時も思ったが、彼は案外、意見をしっかりと持つ女性に対して好印象を抱く傾向があるように思う。結局芷晴とは仲違いしてしまったようだが。

「ツェツェグ様」

面通しの際に見かけた小さな宦官がやってきた。名をチャオ ウェーというらしい。

「主上がお呼びです。ご案内をいたしますので、こちらに」

丁寧な態度とは裏腹に、響いてくる心声は心地よいものではない。

『こいつもまたわざわざ不興を買いに行くのか、あの暴君に。しかもこの容姿で寵愛を得ようというのはまた、身の程知らずとしか言いようがない』

も、というのは、おそらく亡くなった妃嬪のことを指しているのだろう。心声に反応してはいけないと思いつつも、ツェツェグの顔は不快感に歪む。

——この都の人間は、あまりに他人に冷たすぎる。

たとえ自分に近しい人物でも、火の粉が及ぶ危険ありと見れば、遠巻きに離れて様子を見る。
それが特に関係のないものであれば、安全な場所から不幸な他人を眺めて、嘲笑うことで愉悦に浸っている。

そして芷晴は惨たらしく殺された。その妃を、憐れむ心はないのか。
対岸の火事を見るかの如く他人を見る姿勢が不愉快だった。

凛を連れ、チャオに続いて昊然の元へ赴く。ひと足さきに馬車を降りていた昊然は、狩猟を行う森の近くの館で身支度をしているらしかった。趙に続いて中に入ると、ちょうど支度を終え、椅子から立ち上がろうとしていた昊然の姿に出会う。

以前見た時に半分だけ下ろされていた銀の髪は、今日はすべて頭頂でまとめられている。相変わらず殿上人のように整った横顔を盗み見ながら、ツェツェグは拱手をした。
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