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第一章 人質の花嫁
後宮入り
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「今夜、お前ともう一人、新しい妃の面通しがあるそうだ」
後宮に続く翡翠門に併設された茶室、背もたれのある椅子にふんぞり返ってそう言うのはバートル。護衛兼大風の大使としてツェツェグの旅に同行していた彼は、幼馴染でもある。
後宮へ皇帝以外の男は入ることを許されない。彼がついてこられるのはここまでだ。
『こいつが妃だなんて、長老も無茶なことを。美人なら他にいくらでもいただろ』
ささやかな手荷物が検閲されているのを横目に、バートルがそう呟くのが聞こえ、ツェツェグは唇を噛み締める。彼は子どもの頃から、率先してツェツェグをいびってきた男だ。そのため道中は苦痛以外の何者でもなく、ようやく離れられると思うとせいせいした。
「もう役目は終わったんでしょ。早く帰って」
「馬鹿が。俺は使者だぞ? きちんと妃を皇帝の御前に連れてくまでが仕事なんだよ。今帰るわけがないだろ」
『牛の脳みそほどの頭もない女め、そんなこともわからないのか』
眉間に皺が寄りそうになるのを必死に堪えた。せっかくした化粧がよれては困る。
『お前、自分の役割はわかっているな』
ツェツェグは俯き、こくりと頷く。
『妃としての働きなんて、ネズミの糞ほども求めてないからな。とにかくお前は、宮廷内の人物や皇帝の心の声から、大風にとって有益になる情報を得ろ。俺が定期的に陽にやってくる手筈になっている。この部屋に呼んだときは、必ず来て報告しろ』
あんたの言うことなんか聞いてたまるかと言ってやりたかったが、そうもいかない。ツェツェグは小さくうなずいて「是」の意を伝えた。
『ま、いい子にして務めを果たしてりゃ、俺がそのうちお前を貰ってやるよ』
いい子、という言葉も、口にする人間によってこんなにも印象が変わるものなのか。腹立たしさに黙って見つめ返したツェツェグを、バートルは満足そうな顔で眺めていた。
長期間の馬車移動の疲れもあり、与えられた部屋について早々、ツェツェグは寝台に体を横たえた。まぶたは重くなり、少しでも油断すれば眠りに落ちてしまいそうになる。だが。
残酷で美しくて、氷のように冷たい視線を持つ男。そう時間をおかずに、あの皇帝の前で顔を晒さねばならないと考えた途端、疲労とは裏腹に、頭は冴えていった。
首を落とされ絶命した屍が、脳裏に蘇る。
「波風立てず、付かず離れずの関係を保たないと……粗相は許されないな」
『……妃』
ぼわん、と骨を直接震わせるような音が、耳に届く。それに気づいたツェツェグは、嘆息を漏らす。
「勘弁してよ、私の異能。もうこれ以上私を疲れさせないで」
現王朝の歴史の中で、今の皇帝の後宮は最も規模が小さいのだという。妃嬪の数は二十で、一様に皆個別の宮を持たぬ下級妃。つまりツェツェグがいるこの宮に、今いる妃全員が住んでいる。
少し遠くから聞こえてくる心声は、ぼわんぼわんとツェツェグの頭の中で響き渡る。
『また新しい妃嬪が来たのね。どんな女なのかしら』
『ひとりは十八、もう一人は十七か。年齢的にすぐに御渡りがあってもおかしくないわね。良い盾になってくれそうでありがたいわ』
『ああ、また皇太后の茶会の招待だわ……新しい妃に標的が移ってくれないかしら。妃教育なんて、建前以外の何者でもない。あんなの嫁いびりだわ。あの暴君が妃を寵愛するなんて考えられないのに』
部屋にいるだけで情報が入ってくるのだから、効率はいいのかもしれない。だが、休む間もないというのは辛いものがある。
目を閉じて心を沈める。こうすると遠い心声でも、より鮮明に聞くことができた。
『十七の子は田舎の姫らしいわね。牛の角みたいな変な髪型をしていたらしいし。朱雀宮が牛の糞臭くなったらどうしようかしら』
思わず自分の袖を嗅ぐ。風呂には入ったが、つい先日まで牛の世話はしていた。衣からは白檀が香り、どこかの妃が心配するような牛糞の匂いはしない。
『もうひとりは商家の娘……。こちらの方が御渡りのある可能性が高いかしら』
『ああ、私のことも早く、陛下が手放してくれないかしら。あんな恐ろしい男の妃なんて嫌。うっかり寵愛を受けたりなんてすれば、今度は皇太后が怖いし。でも、自分から下賜をねだりなんかしたら、それこそ命がないし……』
「妃が、下賜を望んでる……?」
パチリ、と瞼を開け、体を起こす。
——妃としての喜びは、皇帝の子を宿すことだと思っていたのだけど。ここにいる妃は皆、それを望んでない。
聞こえてくる言葉の中には、皇帝を貶めるような言葉も多かった。怪物、人の心を持たない鬼、殺人狂。
血も涙もない暴君であるのは、妃に対しても同じらしい。
くるりと寝返りを打って起き上がり、鏡の前に座ったツェツェグは櫛を手に取った。今晩の目通りに向けてひとりで準備するなら、そろそろ準備をしないと間に合わない。
「誰か雇わなきゃ。目には止まらなくていいけど、あまりにも見窄らしいからって処刑されたらたまらないもの」
大風の花嫁衣装に合わせた髪型は、この国では「奇妙な牛の角」と評されてしまった。ツェツェグにできる他の髪型で豪華に見えるのは、組紐を編み込んだおさげくらいである。
今度は獣に見えなければいいなと思いながら、彼女は自分の下ろし髪に手を添えた。
後宮に続く翡翠門に併設された茶室、背もたれのある椅子にふんぞり返ってそう言うのはバートル。護衛兼大風の大使としてツェツェグの旅に同行していた彼は、幼馴染でもある。
後宮へ皇帝以外の男は入ることを許されない。彼がついてこられるのはここまでだ。
『こいつが妃だなんて、長老も無茶なことを。美人なら他にいくらでもいただろ』
ささやかな手荷物が検閲されているのを横目に、バートルがそう呟くのが聞こえ、ツェツェグは唇を噛み締める。彼は子どもの頃から、率先してツェツェグをいびってきた男だ。そのため道中は苦痛以外の何者でもなく、ようやく離れられると思うとせいせいした。
「もう役目は終わったんでしょ。早く帰って」
「馬鹿が。俺は使者だぞ? きちんと妃を皇帝の御前に連れてくまでが仕事なんだよ。今帰るわけがないだろ」
『牛の脳みそほどの頭もない女め、そんなこともわからないのか』
眉間に皺が寄りそうになるのを必死に堪えた。せっかくした化粧がよれては困る。
『お前、自分の役割はわかっているな』
ツェツェグは俯き、こくりと頷く。
『妃としての働きなんて、ネズミの糞ほども求めてないからな。とにかくお前は、宮廷内の人物や皇帝の心の声から、大風にとって有益になる情報を得ろ。俺が定期的に陽にやってくる手筈になっている。この部屋に呼んだときは、必ず来て報告しろ』
あんたの言うことなんか聞いてたまるかと言ってやりたかったが、そうもいかない。ツェツェグは小さくうなずいて「是」の意を伝えた。
『ま、いい子にして務めを果たしてりゃ、俺がそのうちお前を貰ってやるよ』
いい子、という言葉も、口にする人間によってこんなにも印象が変わるものなのか。腹立たしさに黙って見つめ返したツェツェグを、バートルは満足そうな顔で眺めていた。
長期間の馬車移動の疲れもあり、与えられた部屋について早々、ツェツェグは寝台に体を横たえた。まぶたは重くなり、少しでも油断すれば眠りに落ちてしまいそうになる。だが。
残酷で美しくて、氷のように冷たい視線を持つ男。そう時間をおかずに、あの皇帝の前で顔を晒さねばならないと考えた途端、疲労とは裏腹に、頭は冴えていった。
首を落とされ絶命した屍が、脳裏に蘇る。
「波風立てず、付かず離れずの関係を保たないと……粗相は許されないな」
『……妃』
ぼわん、と骨を直接震わせるような音が、耳に届く。それに気づいたツェツェグは、嘆息を漏らす。
「勘弁してよ、私の異能。もうこれ以上私を疲れさせないで」
現王朝の歴史の中で、今の皇帝の後宮は最も規模が小さいのだという。妃嬪の数は二十で、一様に皆個別の宮を持たぬ下級妃。つまりツェツェグがいるこの宮に、今いる妃全員が住んでいる。
少し遠くから聞こえてくる心声は、ぼわんぼわんとツェツェグの頭の中で響き渡る。
『また新しい妃嬪が来たのね。どんな女なのかしら』
『ひとりは十八、もう一人は十七か。年齢的にすぐに御渡りがあってもおかしくないわね。良い盾になってくれそうでありがたいわ』
『ああ、また皇太后の茶会の招待だわ……新しい妃に標的が移ってくれないかしら。妃教育なんて、建前以外の何者でもない。あんなの嫁いびりだわ。あの暴君が妃を寵愛するなんて考えられないのに』
部屋にいるだけで情報が入ってくるのだから、効率はいいのかもしれない。だが、休む間もないというのは辛いものがある。
目を閉じて心を沈める。こうすると遠い心声でも、より鮮明に聞くことができた。
『十七の子は田舎の姫らしいわね。牛の角みたいな変な髪型をしていたらしいし。朱雀宮が牛の糞臭くなったらどうしようかしら』
思わず自分の袖を嗅ぐ。風呂には入ったが、つい先日まで牛の世話はしていた。衣からは白檀が香り、どこかの妃が心配するような牛糞の匂いはしない。
『もうひとりは商家の娘……。こちらの方が御渡りのある可能性が高いかしら』
『ああ、私のことも早く、陛下が手放してくれないかしら。あんな恐ろしい男の妃なんて嫌。うっかり寵愛を受けたりなんてすれば、今度は皇太后が怖いし。でも、自分から下賜をねだりなんかしたら、それこそ命がないし……』
「妃が、下賜を望んでる……?」
パチリ、と瞼を開け、体を起こす。
——妃としての喜びは、皇帝の子を宿すことだと思っていたのだけど。ここにいる妃は皆、それを望んでない。
聞こえてくる言葉の中には、皇帝を貶めるような言葉も多かった。怪物、人の心を持たない鬼、殺人狂。
血も涙もない暴君であるのは、妃に対しても同じらしい。
くるりと寝返りを打って起き上がり、鏡の前に座ったツェツェグは櫛を手に取った。今晩の目通りに向けてひとりで準備するなら、そろそろ準備をしないと間に合わない。
「誰か雇わなきゃ。目には止まらなくていいけど、あまりにも見窄らしいからって処刑されたらたまらないもの」
大風の花嫁衣装に合わせた髪型は、この国では「奇妙な牛の角」と評されてしまった。ツェツェグにできる他の髪型で豪華に見えるのは、組紐を編み込んだおさげくらいである。
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