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第一章 人質の花嫁
暴君への面通り
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純金をふんだんに使った殿舎の装飾に目を奪われながら、バートルを伴い、新しい衣に袖を通したツェツェグは回廊を歩いていく。あまりに異なる建物の様子に、落ち着きなく視線を彷徨わせた。
大風では長老も一般の民も、皆ユルトで生活する。組み立て式の円形のテントに、細かい部屋割りなどはない。格子状の木材の骨組みに羊毛と布を被せた構造は単純で、無駄な装飾などはほとんどなく、移動に適した住居である。
凝った装飾に目を奪われる一方で、言い表せぬ閉塞感も感じていた。
後宮の外に出ることができず、暴君に怯える生活は、相当に息苦しいだろう。
——ちゃんと情報を渡して、頑張ったって認めてもらえたら。いつかここから出してもらえるのかしら。
厄介者の自分に、その時どんな待遇が待っているのかはわからないが、風を感じられて、馬を駆る自由があればいいと思う。
ついに終点に辿り着いたのか、大きな扉の前で案内の宦官が足を止めた。小柄で、人間を無理やり子供の形に押し込めたような男は、両脇に控えた護衛が扉を開けると、入り口にかけられた薄布越し、恭しく暴君のいる方へと拱手をした。
「大風長老が孫娘、ツェツェグ・バヤルサイハン姫のご到着にございます」
直後、ふわり、と左右に開かれた薄布の向こう、灯火に照らされた部屋の中に、美しくも怜悧な空気を纏ったあの男がいた。
途端に体を縛られるような緊張がツェツェグを襲う。だが、ここで粗相をすることは許されない。
視線を下げ、しずしずと眼前に進む。教えられた通り、大股五歩ほど離れた位置で止まり、震える両手で拱手の姿勢をとった。
「日の出国の天子にお会いできることに感謝いたします。ツェツェグ・バヤルサイハンでございます」
ぎい、と椅子の軋む音がした。
玉座に掛けた皇帝が、こちらをじっと観察しているのがわかる。
顔を上げることを許されねば、このままじっと耐えねばならない。
『牛……』
——え。
『今朝の、牛角の女。妃だったのか』
視線があったのは、気のせいではなかった。
『今度はみすぼらしい編み髪か。まあ、下級部族の娘ならこんなものか』
——なんなの、皆でよってたかって牛牛って。人の文化を馬鹿にして。
こんなことを言う相手がバートルなら、飛びかかって頬の一つ二つ張ってやるところなのだが。まだ胴体とは仲良くしていたい。ツェツェグは怒りをおさめ、穏やかな微笑を浮かべる。
「玉大商会、劉 翔宇が娘、劉 芷晴姫のご到着にございます」
後方からあの宦官の甲高い声がする。ほとんど足音をさせずにこちらに向かってくるのが芷晴だろう。
ツェツェグのすぐ隣までやってきた彼女が、ゆっくりと跪く気配がする。
「日の出国の天子にお会いできることに感謝いたします。劉芷晴でございます」
決められた文言を読み上げただけなのだが、不思議とツェツェグのそれよりも気品が感じられた。琴の音のような、少し低めの声には色気がある。
『こちらの方がいくらかマシか』
帝の心声が頭に響く。悔しいが同意せざるを得ない。横から姿を覗き見ることはできないが、華やかな香りから声色から、妃として少しの隙もない様が窺える。
「遠方からご苦労」
『一緒に到着したのがこの田舎娘でよかった。これならきっと、陛下は私に目を向けてくださるわ』
琴のような心声。これは芷晴か。
——宮の中にいる下級妃とは違って、この子は野心がありそう。
怯えてばかりで宮の中に縮こまっている妃たちと比べれば、好ましいと感じた。田舎娘呼ばわりをされたのだけは気に食わないが。
しかし芷晴の自信は、次の言葉で踏み躪られた。
「もう戻っていい」
『女と話すくらいなら、残りの仕事に時間を割く方がいい。少しでも隙を見せれば、何をしでかすかわからない奴らばかりだからな』
昊然の心には、すでに妃のことなど指先ほども存在しないようだった。
興味なさげにすぐさま椅子から立ち上がり、この場を去ろうとする。
「へ、陛下……!」
さっ、と周りの空気が不穏なものへと変わる。
——いくら寵愛が欲しくても、それはまずいのではないの?
謁見の場で初対面の妃が、皇帝に許されてもいないのに発言する。それは、非礼と言ってしかるべき行いだった。
周囲にいる官吏も、武官も、宦官も。お互いに視線を交わしつつ、昊然の顔色を窺っている。主君の意を読み間違えて、とばっちりを食いたくないという胸の内が聞こえる。その場の静寂とは対照的に、忙しく思惑が交差する中。昊然が、口を開いた。
「ほう」
ずっと下を向いていたツェツェグも、気づかれぬようゆっくりと視線だけを上げ、様子を窺う。
『面白い。この俺に向かって声をかけてきた妃はひさしぶりだな』
「なんだ、申してみよ」
発言を促され、青くなっていた芷晴の顔に血色が戻る。
「陛下は、とてもお疲れのようにお見受けします。当家が管理する茶畑から、良い茶葉をお持ちしました」
そこまで一気に言って、彼女は思い詰めた表情で、上目がちに帝を見上げた。
透き通るような白いかんばせ。ふっくらとした頬に、年相応の愛らしいまなざし。彼女の姿は、同じ女であるツェツェグから見ても、可愛らしいと感じられた。
「そうか」
そう言ったきり昊然は黙り、しばしの逡巡の後、何も言わずに広間の奥へと消えてしまった。
昊然の姿が見えなくなると、芷晴は気を失い、その場に倒れ込んだ。離れて見守っていた侍女たちが、彼女を介抱し、部屋へと連れていく。
その場にいたものは皆、芷晴に御渡りがあることはないだろうと思っていたようだ。礼を欠いたことで、興味は完全に失われただろうと。
だが、ツェツェグだけは確信していた。彼女の元に今夜、銀の君が訪れるであろうことを。
大風では長老も一般の民も、皆ユルトで生活する。組み立て式の円形のテントに、細かい部屋割りなどはない。格子状の木材の骨組みに羊毛と布を被せた構造は単純で、無駄な装飾などはほとんどなく、移動に適した住居である。
凝った装飾に目を奪われる一方で、言い表せぬ閉塞感も感じていた。
後宮の外に出ることができず、暴君に怯える生活は、相当に息苦しいだろう。
——ちゃんと情報を渡して、頑張ったって認めてもらえたら。いつかここから出してもらえるのかしら。
厄介者の自分に、その時どんな待遇が待っているのかはわからないが、風を感じられて、馬を駆る自由があればいいと思う。
ついに終点に辿り着いたのか、大きな扉の前で案内の宦官が足を止めた。小柄で、人間を無理やり子供の形に押し込めたような男は、両脇に控えた護衛が扉を開けると、入り口にかけられた薄布越し、恭しく暴君のいる方へと拱手をした。
「大風長老が孫娘、ツェツェグ・バヤルサイハン姫のご到着にございます」
直後、ふわり、と左右に開かれた薄布の向こう、灯火に照らされた部屋の中に、美しくも怜悧な空気を纏ったあの男がいた。
途端に体を縛られるような緊張がツェツェグを襲う。だが、ここで粗相をすることは許されない。
視線を下げ、しずしずと眼前に進む。教えられた通り、大股五歩ほど離れた位置で止まり、震える両手で拱手の姿勢をとった。
「日の出国の天子にお会いできることに感謝いたします。ツェツェグ・バヤルサイハンでございます」
ぎい、と椅子の軋む音がした。
玉座に掛けた皇帝が、こちらをじっと観察しているのがわかる。
顔を上げることを許されねば、このままじっと耐えねばならない。
『牛……』
——え。
『今朝の、牛角の女。妃だったのか』
視線があったのは、気のせいではなかった。
『今度はみすぼらしい編み髪か。まあ、下級部族の娘ならこんなものか』
——なんなの、皆でよってたかって牛牛って。人の文化を馬鹿にして。
こんなことを言う相手がバートルなら、飛びかかって頬の一つ二つ張ってやるところなのだが。まだ胴体とは仲良くしていたい。ツェツェグは怒りをおさめ、穏やかな微笑を浮かべる。
「玉大商会、劉 翔宇が娘、劉 芷晴姫のご到着にございます」
後方からあの宦官の甲高い声がする。ほとんど足音をさせずにこちらに向かってくるのが芷晴だろう。
ツェツェグのすぐ隣までやってきた彼女が、ゆっくりと跪く気配がする。
「日の出国の天子にお会いできることに感謝いたします。劉芷晴でございます」
決められた文言を読み上げただけなのだが、不思議とツェツェグのそれよりも気品が感じられた。琴の音のような、少し低めの声には色気がある。
『こちらの方がいくらかマシか』
帝の心声が頭に響く。悔しいが同意せざるを得ない。横から姿を覗き見ることはできないが、華やかな香りから声色から、妃として少しの隙もない様が窺える。
「遠方からご苦労」
『一緒に到着したのがこの田舎娘でよかった。これならきっと、陛下は私に目を向けてくださるわ』
琴のような心声。これは芷晴か。
——宮の中にいる下級妃とは違って、この子は野心がありそう。
怯えてばかりで宮の中に縮こまっている妃たちと比べれば、好ましいと感じた。田舎娘呼ばわりをされたのだけは気に食わないが。
しかし芷晴の自信は、次の言葉で踏み躪られた。
「もう戻っていい」
『女と話すくらいなら、残りの仕事に時間を割く方がいい。少しでも隙を見せれば、何をしでかすかわからない奴らばかりだからな』
昊然の心には、すでに妃のことなど指先ほども存在しないようだった。
興味なさげにすぐさま椅子から立ち上がり、この場を去ろうとする。
「へ、陛下……!」
さっ、と周りの空気が不穏なものへと変わる。
——いくら寵愛が欲しくても、それはまずいのではないの?
謁見の場で初対面の妃が、皇帝に許されてもいないのに発言する。それは、非礼と言ってしかるべき行いだった。
周囲にいる官吏も、武官も、宦官も。お互いに視線を交わしつつ、昊然の顔色を窺っている。主君の意を読み間違えて、とばっちりを食いたくないという胸の内が聞こえる。その場の静寂とは対照的に、忙しく思惑が交差する中。昊然が、口を開いた。
「ほう」
ずっと下を向いていたツェツェグも、気づかれぬようゆっくりと視線だけを上げ、様子を窺う。
『面白い。この俺に向かって声をかけてきた妃はひさしぶりだな』
「なんだ、申してみよ」
発言を促され、青くなっていた芷晴の顔に血色が戻る。
「陛下は、とてもお疲れのようにお見受けします。当家が管理する茶畑から、良い茶葉をお持ちしました」
そこまで一気に言って、彼女は思い詰めた表情で、上目がちに帝を見上げた。
透き通るような白いかんばせ。ふっくらとした頬に、年相応の愛らしいまなざし。彼女の姿は、同じ女であるツェツェグから見ても、可愛らしいと感じられた。
「そうか」
そう言ったきり昊然は黙り、しばしの逡巡の後、何も言わずに広間の奥へと消えてしまった。
昊然の姿が見えなくなると、芷晴は気を失い、その場に倒れ込んだ。離れて見守っていた侍女たちが、彼女を介抱し、部屋へと連れていく。
その場にいたものは皆、芷晴に御渡りがあることはないだろうと思っていたようだ。礼を欠いたことで、興味は完全に失われただろうと。
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