暴君白澤帝の愛し妃〜心読みの乙女は愛を知る〜

春日あざみ

文字の大きさ
6 / 10
第一章 人質の花嫁

毒の土産物

しおりを挟む
芷晴ジーチンは信じられない気持ちで、夜更けを迎えていた。
あれから先ぶれがあり、今夜枕を交わす相手として、自分が指名されたという知らせがあったのだ。

「準備に抜かりはないわね」

「はい、お嬢様」

「私はきちんと綺麗に見えるかしら」

「もちろんでございます」

下級部族の女と同時の後宮入りというのが気に食わなかったが。それ故に比較対象ができてよかったのかもしれないと今は思っていた。

絹のようなまっすぐのびた黒髪に、もう一度櫛を通してもらう。
父からは必ずや昊然に気に入られろと命を受けている。そのためにいくらお前に費やしたと思っているのだと、嫌と言うほど聞かされてきた。

家のために尽くすのは娘の勤め。だがそれ以上に芷晴には、この後宮入りに込める思いがあった。

——世の中に、あんなに美しい殿方はいないわ。

遠目でしか見たことのない、神がかった美しさの男が目の前に現れた時、芷晴は恋に落ちた。これまで下級妃以上の妃がいないというのも頷ける。後宮にいる女たちよりもよっぽど皇帝の方が美しいのだ。
これまでもお渡りがあった妃はいたというが、そうした妃は決まって後宮から姿を消してしまったという。

——きっと粗相があったんだわ。行儀が悪く、天子の妃として不釣り合いだったのよ。とにかくあの美しいお方の妻として、見合わないことをしてしまったに違いないわ。

鏡に映る自分の姿は、完璧だ。この美しい女に落ちない男がいるはずもない。そう言い聞かせ、笑顔を作る。

「芷晴さま、お越しになられました」

侍女たちが引く波の如く姿を消していく。そして現れたのは、焦がれた男の姿だ。

「お待ち申し上げておりました」

額の前で手のひらと拳を合わせ、体勢を低くする。
薄青の長衣を着た昊然は、面通しの際には結っていた銀の髪をおろしていた。だが、表情はぴくりとも動かず、芷晴を見下げている。

——照れていらっしゃるのかしら。

会心の笑みを浮かべながら、芷晴は侍女が用意してくれた茶を乗せた盆を持ち、昊然の元へと運ぶ。

「どうぞお掛けくださいませ。陛下のお口に合うと良いのですけど」

「いらぬ」

がちゃん、と陶器の割れる音がするまで、芷晴は何が起こったかわからなかった。
手に持った盆は払われ、茶器は床に落ちていた。こぼれた茶が湯気をたて、床に広がっていく。
何か、機嫌を損ねるようなことをしてしまっただろうか。だが、何が悪かったのか分からない。

「あの、私は……陛下のことを、ずっとお慕いしておりました。それで、陛下のために……お茶を……」

「俺はお前の顔など記憶にない」

好意を伝えてみても、昊然は厳しい表情をしたまま。芷晴の顔さえ見ない。

「一度、父と共にご挨拶を申し上げたことがございます」

「覚えていないな」

美しい顔が、憎しみを孕んだ表情に歪む。先ほどまで浮かれていたのが嘘のように、体が冷えてこわばった。

「お前の父は俺が玉座についていることをよく思っていない」

「そんなことはございません。誰がそんな讒言ざんげんを! 父は陛下のことを尊敬しております」

「おめでたい女だ。その証拠に、この茶には何が入っていたと思う?」

「これは、父が用意した、疲労をとる……」

「毒だ」

灰色の瞳が大きく見開かれ、明確な敵意を持って芷晴をとらえる。

「後宮入りの際にお前が持ち込んだ茶葉については、毒物は混入されていなかった。だが、お前の侍女が茶を入れる際、侍女が毒を入れているのが目撃された」

信じられない、とばかりに芷晴は首をふる。

「そんなこと、私は知りません。私はただ、陛下をお慕いする一心で……」

くだらぬことを、と昊然は吐き捨てる。

「俺の何を知って慕っているなどと言える。これを見ても、美しいなどと言えるか?」
昊然は前髪をかきあげると、芷晴の眼前に顔を近づけた。

直後、みきみきと肌が裂けるような音を立てながら、昊然の美しいかんばせが変化していく。

「ヒッ……」

人とは思えぬ異様な容姿を前にして、芷晴の顔は引き攣り、唇はガタガタと震え始める。

「お前の愛は、やはり見せかけなのだな。その顔が物語っている」

昊然の額には、芷晴の拳ほどもある大きな瞳が見開いていた。

「あ、あ……」

「父親にそのように言えと言われていたのだろう。本当は毒のことも知っていたのではないか?」

侍女たちは誰も止めに入ってこようとしない。怖いのだ。この男が、自分も怒りに触れ、酷たらしく殺されるのが怖くて、怯えた猫のように皆丸まっている。

「化け物……」

恐怖、侍女たちに対する怒り、理想と現実の不一致、膨れ上がった感情が押し出した一言は、最悪のものだった。

「自ら首を括れ。明日になっても生きていたら、俺が首を刎ねてやる」

大股で床を鳴らしながら、暴君は寝所を出ていった。
夢見てきたことが打ち砕かれ、今や命までも取られようという状況に、芷晴は力無く膝を折り、その場にうずくまった。

「お嬢様、大丈夫ですか。すぐにお召し替えを」

部屋に戻ってきた侍女の言葉に、芷晴はギョロリと目を剥くと、怒りに任せて叫び散らした。

「何よ貴方たち、ずっと隠れて、私を助けようともしないで。自分の身がそんなに可愛いのね! それに毒ってどういうこと? 私知らないわ!」

「申し訳ありません。あなた、お嬢様は混乱しておられるわ。あたたかいお飲み物をすぐに」

「もういや、こんなところ、一刻も早く出てやる!」

芷晴は侍女の制止を振り切り、寝所を飛び出した。

「なんなの、あの男。どうして父様はあの男の正体を教えてくださらなかったの? そうしたら私、後宮に入るだなんて承諾しなかったのに」

思いこがれた相手は、暴君という呼び名に偽りのない、とんでもない化け物だった。

何が美しい天子だ。尊き血のお方だ。
舞い上がっていた自分が恥ずかしい。

夜着のままたどり着いた先は、蓮池にかかる橋の先に建てられた東屋だった。

足の裏が痛い。怒りが遠のき、惨めさが押し寄せると、芷晴は力尽きるようにしてその場にうずくまった。

「う、うう……」

これからどうしよう。本当に父は茶に毒など混ぜさせたのだろうか。本当にそうだとしたら、死刑は免れない。かといって、今からあの化け物に縋るのは恐ろしい。

次から次へと流れる涙を止められず、感情に任せて泣き続けているところに、声が降ってきた。

「お嬢様、こんな時間にこんなところにうずくまっていては、何をされても文句は言えませんよ」

刹那、後頭部に強い衝撃が走り、芷晴の意識が遠のいていく。

芷晴妃が最後に見たのは、青白く光る望月だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

私も処刑されたことですし、どうか皆さま地獄へ落ちてくださいね。

火野村志紀
恋愛
あなた方が訪れるその時をお待ちしております。 王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。 そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。 エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。 それがこの国の終わりの始まりだった。

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...