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動き出す
踏み出せない一歩
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(さあて、どうしたもんか)
いつもの威勢の良さはすっかり失われ、珍しくしおらしい山並美冬が目の前でまるで精進落としの席にいるようなテンションで食事を取っている。
付け入るなら今かもしれない。ジョン・キンバリーの目の前で、「彼氏」だなんて名乗ってしまった以上、「ただの知り合い」の枠からはなんとしても抜け出さねばならない。
彼女のそばにいる役割を手に入れることができなければ、追っている組織からも疑われるし、任務にも支障が出てくるしで問題がどんどん肥大化してしまう。まさに四面楚歌。彼女を助けようと勢いで躍り出てしまったことが、完全に自分の首を絞めている。
チラリと、涙の筋が頬に残る彼女の顔を見た。これまで笹嶋も含めて飲みにきている時の彼女は、食事の最中に一回は、化粧直しのために席を立つ。いつもその間に笹島とちょっとした相談をしたりしていたので、記憶に残っていた。
だが今日は、先ほど泣いて確実に化粧が落ちているにも関わらず、一度もポーチを持って席を立っていない。カフェを出るときに多少直していた様子はあったが、本当に繕っただけという感じだった。きっとそれだけメンタルが弱っているということだろう。
(これは……押したらいけるか?)
テーブルの上に乗せられた、彼女の小さくて細い手のひらを見る。さっきカフェで見たよりは血色がいい。もう一回、まずは手をとってみるべきか。その時の反応を見て、次の行動を決めればいい。そうだ、そうしよう。
だが、妙な緊張を感じてしまったせいか、若干手汗をかいてしまった。このまま触ってはまずい。そっとハンカチを取り出し、テーブルの下でコソコソと手を拭いた。
(これでよし。……いざ!)
「あの」
さあ手を伸ばそうと動きだした瞬間、彼女が話しかけてきたことに驚いて、思いっきりテーブルの下に手の甲を打ち付けてしまった。凄まじい音がしたので、彼女が一瞬怯み、「大丈夫ですか」と呆気に取られたように言葉を紡いだ。
「あ、ごめん、ちょっと、うっかり……テーブルが見えなかったみたい。はは」
(くっそ、何をやってるんだ、俺は)
ああ、またババアに「顔だけ男」と馬鹿にされてしまう。あまりの痛さに涙目になりつつ、平静を装っていると、彼女が見たこともない表情を見せた。
「……ふ。杉原さんて、思ったより面白い人ですね。それに今日の杉原さん、とってもカッコよかったです。助けてくれて、ありがとうございました」
いつもの気の強そうな、生意気そうな顔ではなくて。真っ直ぐに自分にお礼を言う柔らかく笑った彼女の笑顔が、彼女の年齢より幼くも見えて、とても、綺麗で。
パチン、と耳の奥で何かが弾けて、暖かな何かが心の中に流れ出すような、そんな感覚があった。
そのまま彼女の瞳から、目が離せなくなって。じっと見つめていると、怪訝な顔になった彼女に顔を覗き込まれた。
「……杉原さん?」
「あ、えっ、うん。まあ、無事でよかった。とりあえず、鑑定結果がわかったら、また連絡するから」
(俺がときめいてどうするんだよ……!)
「じゃあ、そろそろ、帰りますね。えっと、今から帰ろうとすると、電車は何時かな……」
彼女はカバンからスマートフォンを取り出し、画面の上でスイスイと指を滑らせた。乗り換え案内のアプリを操作していたらしき彼女の指が、画面の上で止まる。
「あれ、なんかダイヤ乱れてますね」
「えっ、ほんと?」
「ちょっと待って、SNS……あ、どっかで人身事故が起きたみたい。人身で遅れてるってポストが出てますね。これは……復旧まで時間がかかるかも。タクシーも混みそうだなあ」
「人身事故」というワードが耳に残る。ヒヤリ、と背中を嫌な予感が走った。仕事用のスマートフォンを取り出し、メッセージをチェックする。
笹嶋と途中で尾行をバトンタッチしていた仲間から、連絡が入っていた。その文面を見て、口の中に苦いものが広がる。
煌々と発光するスマホの画面には、今回の尾行が失敗に終わったことを告げる残酷な事実が表示されていた。
『ジョン・キンバリー死亡。犯人は不明。ターゲットと別れたら事務所へ来るように』
いつもの威勢の良さはすっかり失われ、珍しくしおらしい山並美冬が目の前でまるで精進落としの席にいるようなテンションで食事を取っている。
付け入るなら今かもしれない。ジョン・キンバリーの目の前で、「彼氏」だなんて名乗ってしまった以上、「ただの知り合い」の枠からはなんとしても抜け出さねばならない。
彼女のそばにいる役割を手に入れることができなければ、追っている組織からも疑われるし、任務にも支障が出てくるしで問題がどんどん肥大化してしまう。まさに四面楚歌。彼女を助けようと勢いで躍り出てしまったことが、完全に自分の首を絞めている。
チラリと、涙の筋が頬に残る彼女の顔を見た。これまで笹嶋も含めて飲みにきている時の彼女は、食事の最中に一回は、化粧直しのために席を立つ。いつもその間に笹島とちょっとした相談をしたりしていたので、記憶に残っていた。
だが今日は、先ほど泣いて確実に化粧が落ちているにも関わらず、一度もポーチを持って席を立っていない。カフェを出るときに多少直していた様子はあったが、本当に繕っただけという感じだった。きっとそれだけメンタルが弱っているということだろう。
(これは……押したらいけるか?)
テーブルの上に乗せられた、彼女の小さくて細い手のひらを見る。さっきカフェで見たよりは血色がいい。もう一回、まずは手をとってみるべきか。その時の反応を見て、次の行動を決めればいい。そうだ、そうしよう。
だが、妙な緊張を感じてしまったせいか、若干手汗をかいてしまった。このまま触ってはまずい。そっとハンカチを取り出し、テーブルの下でコソコソと手を拭いた。
(これでよし。……いざ!)
「あの」
さあ手を伸ばそうと動きだした瞬間、彼女が話しかけてきたことに驚いて、思いっきりテーブルの下に手の甲を打ち付けてしまった。凄まじい音がしたので、彼女が一瞬怯み、「大丈夫ですか」と呆気に取られたように言葉を紡いだ。
「あ、ごめん、ちょっと、うっかり……テーブルが見えなかったみたい。はは」
(くっそ、何をやってるんだ、俺は)
ああ、またババアに「顔だけ男」と馬鹿にされてしまう。あまりの痛さに涙目になりつつ、平静を装っていると、彼女が見たこともない表情を見せた。
「……ふ。杉原さんて、思ったより面白い人ですね。それに今日の杉原さん、とってもカッコよかったです。助けてくれて、ありがとうございました」
いつもの気の強そうな、生意気そうな顔ではなくて。真っ直ぐに自分にお礼を言う柔らかく笑った彼女の笑顔が、彼女の年齢より幼くも見えて、とても、綺麗で。
パチン、と耳の奥で何かが弾けて、暖かな何かが心の中に流れ出すような、そんな感覚があった。
そのまま彼女の瞳から、目が離せなくなって。じっと見つめていると、怪訝な顔になった彼女に顔を覗き込まれた。
「……杉原さん?」
「あ、えっ、うん。まあ、無事でよかった。とりあえず、鑑定結果がわかったら、また連絡するから」
(俺がときめいてどうするんだよ……!)
「じゃあ、そろそろ、帰りますね。えっと、今から帰ろうとすると、電車は何時かな……」
彼女はカバンからスマートフォンを取り出し、画面の上でスイスイと指を滑らせた。乗り換え案内のアプリを操作していたらしき彼女の指が、画面の上で止まる。
「あれ、なんかダイヤ乱れてますね」
「えっ、ほんと?」
「ちょっと待って、SNS……あ、どっかで人身事故が起きたみたい。人身で遅れてるってポストが出てますね。これは……復旧まで時間がかかるかも。タクシーも混みそうだなあ」
「人身事故」というワードが耳に残る。ヒヤリ、と背中を嫌な予感が走った。仕事用のスマートフォンを取り出し、メッセージをチェックする。
笹嶋と途中で尾行をバトンタッチしていた仲間から、連絡が入っていた。その文面を見て、口の中に苦いものが広がる。
煌々と発光するスマホの画面には、今回の尾行が失敗に終わったことを告げる残酷な事実が表示されていた。
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