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第二章 サトリの里

拍手喝采のあとに

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 ストーリー仕立てのマイケルのパフォーマンスが、会場を温めていく。

 佐和子はスマホを取り出し、コンテストの配信映像をチェックした。映像の下に流れる視聴者コメントも概ね好評。ブラッティ・ムーンはリアルタイム配信をしたことがなかったらしく、初めての生配信を見られたファンらしき視聴者は、感涙の絵文字を連打している。

 ––––あとはOKITSUNEさえ出てくれれば……ああ、もう、状況がわからないのは心臓に悪いよ……。

 マイケルのパフォーマンスは、人々に恐れられていたヴァンパイアの物語をダンスで表現したものらしい。

 ヴァンパイアを退治しようと討伐隊が結成されるも、彼は次々とそれを返り討ちにしていく。しかしある時彼の元に、一人の少女が迷い込む。彼女と心を通わせた所で再び騎士団の襲撃に遭い、巻き込まれそうになった彼女を守るために命を落とす、というストーリーのようだった。

 驚くべきは力強い剣舞を見せる騎士たちも、可憐でお淑やかな少女でさえも、全てマイケルが事前に収録しておいた自分の映像ということ。途中、これが一人のあやかしによって演じ分けられているということに気づいた記者が、興奮気味に隣にいる仲間に耳打ちしていた。

 十字架のついた剣で胸を貫かれ、舞台に倒れたマイケルは。音楽の終わりと共にむくりと体を起こし、カメラの向こうにいる視聴者に、目の前にいる記者たちに向かってお辞儀をする。

 一人の記者が拍手を始めると、他の記者たちもつられるように拍手をし、最後は照明係、会場整理、カメラマンなど運営スタッフたちも瞳を潤ませながら拍手を始めた。

 マイケルは仮面の下に手を差し入れるようにして汗を拭う。
 やりきってくれた。間に合わせのパフォーマンスとは思えない出来だ。

 顔半分が隠れているために表情ははっきりと見て取れなかったが、佐和子にはマイケルが満足げに笑っているように見えた。

「すごい、マイケルさん。始まる前はあんなに不穏な空気だったのに。あの空気の中で、こんなに素晴らしいダンスをできるなんて」

 佐和子がそう呟くと同時。バチン、という音とともに会場の照明が一気に落とされる。
 盛り上がっていた記者たちが静まり、カメラで舞台を狙う。

 ––––停電……? いや、これは。

「みんなー! お待たせー!」

 伸びのある透き通った女性の声が会場に響く。

「お待ちかねのショーの始まりよぅ」

「「じゃあ始めるよ! ステージから目を離さないでね!」」

 ステージ上に、赤、黄色、青緑、水色のライトが灯る。
 照らし出されたのは、色香を振り撒く美しい女狐のダンサーたち。
 背後の画面に「OKITSUNE」の文字が映し出され、記者たちから歓声が上がる。

「うわあああ、よかった。笹野屋さん、間に合ったのかあ……」

 腰が抜けそうになるのを、なんとか持ち堪え。緊張の糸が切れた佐和子は、涙目になりながらファインダーを覗き込む。

 直前まで喧嘩をしていたとは思えないほど、彼女たちのダンスは息がぴったりで。キラキラとした生命力に溢れていて、見るもの全てを引き込む力がある。長い手足を存分に使い、表情豊かにカラーの違う三曲を踊り切った。

 彼女たちのパフォーマンスが終わり、15分の休憩が挟まれる。
 この後がいよいよ最終審査だ。

「葵さん、お疲れ様」

 まるで散歩から帰った後のように涼しい顔をした永徳が、記者席に戻ってきた。あんなに緊迫した状況だったのに、この人は未来が見えていたのか。それともなんとかできるという自信があったのか。どちらにせよ、鉄の心臓を持っているのは間違いない。

「笹野屋さんもお疲れ様です」
「この後の撮影は代わるよ。俺もちょっと体を動かしたいしね」

 その場でラジオ体操をし始めた永徳を見て、佐和子は吹き出す。

「じゃあ、お願いします」

「おや、随分素直だね。前だったら『編集長にそんなことをさせるわけにはいきません!』なんて言って、絶対渡さなかったのに」

 そう言われて自分の心の変化に気づく。

「はい。無理をするのはもうやめにしました。ご厚意に甘えさせていただきます」

 両手でカメラを渡せば、永徳は戯けた顔を見せた。

「葵さんも変わったね。いい方向に」

「無理をして潰れたら意味がありませんから。周りにも息苦しさを振り撒いてしまいますし」

 永徳は佐和子の横のパイプ椅子に腰掛けると、首を両側に捻り、コキコキと鳴らす。

「マイケルさんがブラッティ・ムーンって、いつから気づいてたんですか」

「いやあ、素晴らしいパフォーマンスだったよねえ」

 飄々とした様子で、彼は満足そうな顔をしてそう言った。佐和子の質問に答えるつもりはないらしい。

「今日のマイケルさん、とってもキラキラしていました。編集部にいるときもいつも笑顔でしたけど、なんだか舞台にいる時は、さらに『生きてる』って感じがして、とても輝いてましたね」

 永徳は口角を上げて見せたあと、ステージに目をやる。

「彼はねえ、とってもいい子だから。親や他人のために、自分の気持ちを押し込んでしまうところがあるんだよね。あやかしの中では珍しい性格だ。インターンも親の一存で決まった事だったし。だからね、俺はタイミングがあれば、彼にチャンスを与えてあげたかったんだ。自分の人生を生きるための、チャンスを」

「笹野屋さんは、マイケルさんにダンスの道を歩ませるつもりなんですか?」

「いやいや、選ぶのはマイケルだよ。葵さんが人間の社会とあやかし瓦版と、どちらで働くかの選択をしたときのように」

 本当にやりたいことは何か、自分の進みたい道はどこにあるのか。佐和子も永徳に問われたことがあった。散々回り道をした結果、今は自分なりに、最適の選択をできたと思っている。

「このコンテストは、きっと話題になるだろう。トップを飾ったブラッティ・ムーンの名前も、今までとは比べ物にならない回数で検索されるだろう。事務所からも声が掛かるかもしれない。メディアからの取材依頼もくるかもしれない」

「……そうですね」

「チャンスというのはね。突然降ってくるものなんだ。OKITSUNEが解散宣言なんてしなければ、マイケルの出番はなかった。幸運の女神には前髪しかない、なんて言うよね。俺はそれを彼の元へ呼び込む手伝いをしただけ」

「でも、それを選ぶかどうかは、マイケルさん次第と」

「ダンスを選ぶなら、その時は笑顔で送り出してやりたいと思っているよ。ちょっと寂しいけどね」

 そう言いながら、眉をハの字にして彼は笑う。
 この人はいつも陰ながら、誰かのために走り回っている。OKITSUNE騒動だって、本当は永徳が対応する必要なんてなかった。でもきっと、一生懸命なサトリたちを見て、放ってはおけなかったのだろう。

 あやかし瓦版のミッションは、「あやかしの幸せに貢献すること」。永徳はそれを「メディア」という仕事の枠を超えて体現している。ついでに進路に思い悩むマイケルにチャンスを与えるなんて芸当もやってのけているところがまたすごい。

「笹野屋さんはすごいですね。私も笹野屋さんのように、あやかしの皆さんの幸せに貢献できたらなあと思います」

 素直な気持ちを伝えれば、永徳は佐和子から目を逸らし、桃色に染まった頬を指で掻いた。

『葵さんが隣にいてくれると、俺は頑張れるんだよ。一生懸命頑張る君は、眩しくて、美しい。可愛らしい笑顔を見るだけでも、元気になれる。人間の視点を持った君は、あやかしの世界でひとり奮闘してきた俺の、大きな心の支えになっているんだ。願わくばずっと……』

「うわああああああ!」

 悲鳴をあげた永徳に、佐和子は驚き目を丸くする。

「白樺! 今、読んだね?!」

 いつの前にか永徳の背後に佇んでいた白樺が、どうやら永徳の心のうちを読み上げていたらしい。

「いやいや、とてもいい事を心の中でおっしゃっているのに、口にされないのでつい」

「余計なお世話だよ!」

 大声でそう叫んだ永徳に視線が集まり、彼はハッと我にかえる。

「あの、葵さん、あのね、今のは……あ! 綺麗とか、可愛いとか、そういうのはね、ええと。冗談! 冗談だから! いや、冗談でもまずいのか……? 嘘! 嘘だから! 今のは無しにして!」

「あ、私気にしてないので。飲み物とってきます。撮影よろしくお願いしますね」

 恥ずかしくていたたまれなくなり、その場を離れれば、着替えを終えたらしきマイケルが慌ててこちらへやってくる。

「葵さん!」

「あ、マイケルさん。お疲れ様です! ステージ、最高でしたよ!」

「ありがとうございます……あの、葵さん……編集長の今の発言、聞き流してあげてくださいね」

 褒め言葉に恐縮しつつも、マイケルはチラチラと永徳のいる方を伺う。どうやらさっきの白樺の発言と、永徳がそれを取り繕おうと右往左往していた様子を、彼も見ていたらしい。

「最近刹那さんや葵さんに『セクハラです!』って言われたのをものすごく気にしてて。セクハラ防止の教本とか読んでるんですよ。で確か、女性の容姿については、褒めても貶してもいけないって教えがその本にあって……。だからさっきのは、葵さんを侮辱するような意図の発言ではなかったことは、ご理解ください」

「だからあんなに焦って訂正してたんですか」

 慌てた永徳の顔を思い出し、佐和子は苦笑した。そういえばここ最近、積極的なアプローチや、冗談めかした嫁候補扱いなども減っていた気がする。

「今の発言は全然気にしていないんですけど。面白いのでしばらく気にしたそぶりを見せておきます」

 イタズラっぽくそう言ってみれば、マイケルが困った顔で笑う。

「葵さんも、なんだかあやかしっぽくなってきましたねえ」

「そうですか?」

「はい、遊び心満載な感じがそれっぽいです。……さて! そろそろ最終選考が始まりますね。撮影の邪魔にならない位置に移動しましょう」

 佐和子はマイケルと移動しながら、チラリと永徳の方に視線をやる。彼は頭を抱えて何やら唸っていたが、照明が絞られると同時に、仕事モードに切り替えたようだった。
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