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#6 木犀剣
しおりを挟むミオと男が庵に帰り着いた頃には、辺りはもうすっかり暗くなっていた。
ミオは戸口と鎧戸の閂を、いつにもましてしっかりとかけた。そのあと灯籠の火を室内の燭台に移し、ようやく安心したようだった。
かたかたとかすかな物音が聞こえてくる気がするのは、ミオが震えているからかもしれない。男は何か言おうと口を開いたが、言葉にはならなかった。代わりに三弦を引き寄せると、無言のまま弾き始めた。
男の傍らに気配が近づいた。ミオが傍らに座り、耳を傾けていた。
三弦の響きは邪気を払うとされている。神事の際に用いられるのもそれがゆえであり、男のような、乞丐の如き音曲師が一定の敬意を以て巷に受け入れられているのも、それがためであった。
男が弓を置き、ミオは礼を述べた。
「ありがとう。私のために、弾いてくれたのね」
「……いえ」
男は口ごもった。
「わっしがついていながら、おまえさまに怖い思いをさせてしまった──」
それを聞き、
「……まだ日も暮れていなかったのに、あんなことになるなんて……」
とミオも唇をわななかせたが、
「おじさんの、あの──」
と話題を変えた。男は杖を、ミオに見せるように引き寄せた。
何の変哲もない、ただ木を削っただけの杖である。男と風雪を共にしたらしいその杖はあちこち傷だらけで、男の汗と脂に汚れていた。
「聞いたことがある──天上の樹で作られた、退魔の剣があると──」
「これがその退魔剣。この世に幾振りあるかは存じませんが」
男は杖をミオに握らせた。むろん木の杖のままである。だがミオはほんの少し、怯えたような様子になった。
「誰も知らない。この剣のことは」
男は呟くように続けた。
「木犀剣の姿を見て、生きながらえたのはおまえさまだけだ……」
「私だけ……なぜ……」
「これは妖気に感応する剣……おまえさまにはおわかりでしょう。これを見る者は、すなわち滅ぼされるべきあやかしだということになる──」
この世では、ひとはあやかしには勝てないきまりだった。あやかしに抗することが出来るのは、ひとでありながら妖力を秘めたごくまれな存在のみであり、その中でも限られた者にしか振るえぬのが退魔剣だったのだ。あやかしは闇に潜むがゆえにその存在を知るものは少なく、翻って彼らはその力のゆえに巷では忌避され、怖れられる存在だった。それがため、彼らは力を隠し、ひっそりと陋巷に身を潜めているのが常であり、こうして自ら名乗るなどほぼないことだった。
「なぜ、おじさんはこの剣を……」
「わかりません」
男は静かに言った。
「これはもともと、生家の宝でした。この棒きれがなにものかも知らず、ただ代々大事に祀っていたんです」
「……もしかして、おじさんも巫覡の血を」
男はミオには応えず、続けた。
「この剣は自ら遣い手を選ぶ。わっしは、本当は──」
「おじさん」
すみません、と男が言った。
「くだらんことを、ついべらべらと喋りすぎました」
「…………」
ミオは男の顔を盗み見た。
なぜか男が、泣いているような気がしたのだ。しかし顔の半分をぼろで覆った男は、ただ口元を引き締めているだけだった。
「おじさん」
と、ミオが男に話しかけた。
「おじさんは自分には名前がないと言っていたわね。でもひとには名前が必要なの。名前があって、はじめてひとになる……だから私が、おじさんに名前をあげる」
「…………」
「おじさんの名前は、今日から影よ」
ミオは知ったのだ。この男が何者か。この男の本質は音曲の奏者ではなくましてや哀れな盲人でもなく、守るべきもののために命を賭ける侍衛であり剣士であった。
「ヨウ……」
意味はわからずとも、男はなんとなくその音が気に入った。
「ありがとうございます」
蝋燭の火を落としても、ミオはなかなか寝つけなかった。夜更けの風にも浅い眠りを途切れさせていたが、男が寝苦しそうにしているのに気がつき、そっと寝台から下りた。
手燭を傍らに置き跪いて覗き込むと、男がうなされているのがわかった。
「おじさん……、ヨウ……」
ミオは声をかけながら男──ヨウ──の髪をなでたが、夢魔に囚われたか目覚める気配はなかった。ミオは汗ばんだヨウの手を取り、小さく祓詞を唱えはじめた。
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