夜の街物語

あんのーん

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#10 罠

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 ヨウが海の橋を渡りこの街へやって来て、ひと月がたった。
 あれからオサキは姿を見せず日々は一見平穏だったが、禍々しい気は一層濃く街を覆いはじめていた。
 昼下がりだった。鉱山から使いが来た。
 坑道で落盤があった、という使いの言葉に、ミオは顔色をなくした。
「薬も人手も足りません、どうか巫女さまも来ておくんなさい……!」
 驚きを呑み込んだミオは杖を手に椅子から立ち上がりかけたが、ヨウが制した。
「いけません……! わっしが代わりに参ります、巫女さまは薬の用意を」
 鋭くそう言い立ち上がると、ミオの肩越しに小さく続けた。
「胸騒ぎがするんです。それでなくても今夜は満月、おまえさまは外に出てはなりません」
 そう言われ、ミオもはっと何かに思い当たった表情になった。
「そんなめくらを連れて帰っても何の役にも立ちゃしませんや。巫女さまが来ておくれでないと困る」
 と使いが言うのに、ミオははっきりと
「このひとに代わりに行ってもらいます。このひとは目は見えずとも何でもできるし薬師の心得もある、きっと役に立ちます」
 と答えた。
 使いは舌打ちした。そうまで言われて力尽くで連れて行くもならず、いらいらとした様子でヨウの支度を待っていたが、早く早く、と急かしたりした。
「お待たせしました」
 と立ち上がったヨウは、不安を隠せないミオに
「わっしが出たら閂をかけて、誰が来てももう出ちゃいけません。わっしが戻るまで──いいですね」
 とささやき、戸口を閉めた。

 小半時も後。やって来た鉱山は静まりかえっていた。
「……事故があって怪我人が出た、と聞いて来たんですが」
「……ああ」
 坑夫頭と思しき男が気のなさそうに返事をした。
 使いも、いつの間にやら集まった他の坑夫たちも、口の端に揶揄の笑いを浮かべている。
「それはもう、カタがついたんだ」
 どこかで笑い声が漏れた。
「……そうですか。それじゃ用もなくなりましたから、わっしは帰らせてもらいます」
 口元を引き締め踵を返そうとしたヨウの前に坑夫頭が立ちはだかり、ごつっ、と肩がぶつかった。
「まあそういわず、せっかく来たんだ。茶でも飲んで一服していきなせえ」
 また笑い声。今度は先より多い。
「茶をふるまうためにわざわざ騙して連れてきたのか」
「こっちが呼んだのは巫女さんだよ、あんたが来ちまったけどな」
 そう言いながら、坑夫頭は意外でもなさそうに見えた。もはや侮蔑を隠そうともせず、ひっ、ひっ、と下卑た笑いを漏らしながら坑夫頭が言った。
「まあ来ちまったものはしょうがねえ。実際どっちでもよかったのさ。向こうは向こうで今頃はお楽しみだろうよ」
 突っ立ったまま応えないヨウに坑夫頭はなおも言った。
「どのみち旦那からあんたは始末するように言われてるんだ。ふるまい茶は末期の水というわけよ」
「…………」
「ヘタを打ったな。乞食なら乞食らしく往来で物乞いでもしてればよかったものを、なまじ巫女に取り入ったりするからだ。──なあ」
 坑夫頭はヨウに顔をぐっ、と近づけた。
「あんたもうあの巫女とはヤッたのか? いかなめくらの乞食でも男は男だ、足萎えの女など転がすのはたやすかったろうなあ?」
 刹那。ヨウの杖を持つ手が動いた。次の刹那、坑夫頭は顎を砕かれて地面に伸びていた。
 ざわっ、と周囲が色めき立つ。
 おおかたの者には何が起こったかわからなかっただろう。しかしめくらの乞食、と侮っていた相手がどうやら驚くべき力を持っているらしいことには、皆が気づいたのである。
 気色ばみ、得物を手にぐるりと取り囲んだ坑夫たちに
「……俺は帰る」
 と、ヨウが低く押し出すように言った。
「手出しをするな……! 刃向かうなら容赦しない。オサキのためにむざむざ命を散らすのか、それとも永らえてこの先を全うするか──よく考えろ」
 だがその間にも杖がぼうっと光りはじめていた。杖を持つ手に汗がにじむ。
 ざわざわと坑夫たちの気配がうごめき、ひとりが
「ぬかせ……!」
 と叫ぶと掴みかかってきた。
 それを合図にするかのように、他の男たちもヨウに襲いかかった。堰が切れたように妖気が膨れあがる。
 ちいっ、とヨウは我知らず舌打ちした。
 杖が光を増していた。杖が杖であるうちは打ち据えて失神させるに留めることもできるが、人があやかしになり、杖が剣になり変わってしまった後は屠るしかない。
 しかしヨウには、もとは人であったそれらの哀れな命を考えている余裕などもうなかった。
 嵌められたのだ。
 一刻も早くミオの側に戻らなければ……!
 ヨウの心にあるのは、ただそれのみであった。
「くそっ」
 まるで惹きつけられるかのようにきりもなく襲ってくる獣のごときあやかしに、ヨウの口から唾罵の言葉が漏れた。
 埒があかねえ。
 両目を覆ったぼろに手をかけると、ヨウはそれをむしり取った。

 ひとが見るとは全く別の世界が、ヨウの眼前には広がっていた。
 赤く歪んだ視界には妖気が渦を巻いている。あやかしの姿はいっそう歪み、もはやひとのおもかげはどこにもなかった。
 手にした杖から白銀しろがねの炎が吹き上がり、木犀剣が姿を現す。
 あやかしの血を吸って刀身の赫く輝くさまは、殺戮の悦びに震えるかのようだ。
 木犀剣を振るいながら、ヨウは門へ向かって駆けた。
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