勇気をください。

橘 志摩

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9.確認作業

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「陽葵はこう見えて心広いし、滅多に怒らない奴だよ。常に無表情だからわかりづらいけど。だから七種さんがどんな子であっても受け止めるくらいの度量はあるから安心しなさい。俺が保証する」
「なんでお前が俺を保証するんだよ」

 そうやりとりしている二人に、月村さんが怒っているように見えるのは私だけか。
 背中を流れ落ちる冷や汗をそのままに口を挟めないでいると、津田島さんはね?っと私に話しかけた。

「大丈夫だよ、少しづつ慣れていけばいいんだから」
「…ぁ…」
「あのな、海翔お前簡単に言いすぎだろ、こいつは男も怖いんだろうが、俺が練習相手になるわけ…っ」
「大丈夫だって陽葵、お前の女顔は俺が保証するから! いや本当、もう32のおっさんには見えない!」
「…殺すぞまじで」
「あああああの、あの、わ、私は月村さんかっこいい人だと思ってます! 本当に! だってちゃんと男の人だってそう思ってて、だから怖いし!」
「え?」
「は?」

 私の言葉に二人は一瞬だけ驚いて、だが津田島さんは笑い、月村さんは黙り込んでしまった。
 何かおかしな事を言ってしまっただろうか。これが正しい仲裁だったのか、ちゃんとフォローができたのかさっぱりわからなくて焦りが募る。

 答えを教えてくれたのは、津田島さんだった。

「いやぁ、七種さんて素直な子なんだね。打算とか計算とかそういうの一切なさそう」
「へ…」
「いやいや、今の、本心でしょ? 本心で陽葵のことかっこいいって、ちゃんと男だって言ったんでしょう?」

 それ正解、と続けられて、ますます意味がわからなかったが、間違っていないのだということだけは理解してほっと胸をなでおろした。
 月村さんは相変わらず黙ったままだ。

「こいつ、女顔にコンプレックスあるから。だから男って言われるの嬉しいんだよ、それも、七種さんみたいな可愛い女の子に」
「えっ…」

 とてもじゃないがそんな風には見えなかった。
 今だってむすっとした表情で黙り込んだままで、眉間には深いシワが刻まれていて、視線を合わせてはもらえない。
 それに、コンプレックスに思っているだなんて、いつも胸を張っていて、揺るぎない人のようにみえたのに。

 信じられない面持ちで彼を見つめていると、津田島さんがごめんと呟いて席を立った。

「職場から電話だ。多分呼び出しだろうからそのまま行くわ」
「え、」
「おい海翔! お前この空気どうすんだよ!」
「そこはほら、陽葵の年上の余裕でよろしくお願いします。じゃ!」
「え、あ、」
「海翔!」

 慌ただしく立ち去ってしまったその人に取り残された私たちは言葉なく、その席には沈黙が落ちる。
 月村さんで練習すればいいとは言われたけれど、何をどうすればいいのか。
 そもそもこの人はその提案に賛成していなかったのだ。私からお願いするのもおかしいような気がして、だからといって何を言えばいいのかが全くわからない。
 気まずい沈黙の中、視線はじっとテーブルに向けられたままだ。

 このまま帰るといって立ち上がったほうがいいんだろうか。
 当初の目的は一ミリも果たせてはいないけれど、このままここにいてもどうしようもない気がして仕方ない。

 それでも立ち上がる決心がつかないのは、提示されたことが、余りにも魅力的だったからだ。

 もし、もし月村さんが私の友達になってくれるというなら。
 友達を作る手伝いとして、その練習相手を引き受けてくれると言ってくれたら。

 私はこの先、間違えなくて済む。人を見極めて、ちゃんと、七種萌個人を殺すことなく生きていけるような気がした。

 私から、ちゃんと、頼んでみるべきだろうか。頼んでもいいだろうか。
 他でもない、私に、「素直に生きればいいのに」とそう言ってくれたこの人に。

 意を決して顔をあげて口を開きかけたそのとき、小さく聞こえた声に、私は口を閉じた。

「…やるか。お前がいいなら」
「…え?」
「練習。俺でいいなら、付き合ってやるけど」
「えっい、いいんですか…!?」
「七種が怖くないならな。俺は男だし、お前が欲しいのは女友達だろうけど、いないよりはマシだろ」
「っ…お、お願い、お願いします…!」
「…あぁ」

 どこか、固く響くその声。
 だが、勢いよく下げた頭を上げると、彼は柔らかく、とても優しい笑みを浮かべていた。
 そんな表情をみるのは、初めてだった。

「じゃあ、よろしくな、七種」
「よ…よろしく、お願いします…っ」

 男の人はまだ怖い。
 いくら顔がかっこいいと言っても、月村さんが男性であることに変わりはなく、怖い気持ちもそのままだが、それでもこの関係を取り消したいとは思わなかった。
 初めて、本来の七種萌のまま、初めて「友人」と呼んでもいい人ができた。

 そう思った瞬間、心は喜びでいっぱいに満たされた。


 ◇◇◇◇◇


 携帯に登録された、月村陽葵の名前。
 教えてもらった番号は名刺に書かれていたものではなかった。
 彼曰く、あれは仕事用の電話番号らしい。登録のために教えてくれたのは完全なる個人用のプライベートの携帯だと言っていた。

 だが教えてもらっても、どういう時にメールをしたり、電話をしたりすればいいのかわからず、あのとき渡された名刺同様、じっと見つめることしかできなかった。
 怒涛の流れで決まった友達に、スキルのない私はどうすればいいのかわからない。
 もちろん、作った七種萌のままならばどうすればいいのかはわかるが、それをするのは違う。

 彼は本来の七種萌のままで友人になってもいいと言ってくれたのだから、作った自分で接するのは違うと思った。

「―――もーえ、帰ろ! って何携帯じっと見てんの?」
「っ! あ…や、なんでも!」
「ふーん?」

 更衣室を出たところで話しかけてきてくれた春花に心臓がはねたが、咄嗟に画面のライトを消したからか、彼女には何を見ていたのかは見えなかっただろう。
 深く追求されることはなくて、内心ほっとした。

 帰り道が重なるのは珍しいことではなく、一緒に帰るのもいつものことだ。
 だからここで断るのはおかしいし、何より私も彼女と話したいと、そう思ってた。
 こんなふうに思うのは初めてで、どうすればいいかなんて自分でも分かっていないけれど、少しでも春花のことがしれたらって、そう思ったのだ。

「まぁいっか。帰ろ~」
「うん」

 携帯をポケットに入れて、二人並ぶ。
 会社を出ると冷たい風が頬を撫でて、二人で身を縮こまらせた。

「さっむ!」
「うー」
「早くあったかくなんないかなあ」
「…本当にね。寒いのきっついわー」
「ふっ、独り身だと特にね…。あ! そうだ、そういえばさー」
「え?」

 歩きながら私の顔を見た春花に一瞬心臓がドキッと跳ねた。
 何を言われるのだろうと身構えてしまうのは私の悪い癖だと思う。
 春花を信じたいと思ってるのに、どこかで怖がっている自分がいると自覚しているからだ。

「萌さ、こないだの合コンで月村さんと一緒に帰ってったじゃん?」
「…ぁ…あ、…えと、それは、」
「ああいいのいいの、二人がどうなってるとか無理に聞く気はないんだけどさ。…実際のところ、あの人のこと、萌、どう思う?」
「ど、どうって…?」

 心臓がバクバクと嫌な音を立てている。
 これは正直に、友達になりましたと言ってもいいんだろうか。でもそれをしたら、そうなった経緯を説明しなければいけなくて、それをすべて打ち明けるには、確実に時間が足りない。
 言葉に詰まっている私を春花が気にした様子はなく、真剣な顔で私をみてから言葉を続けた。

「男としてどうかなーってこと。恋愛対象にはなりえるか、っていう、そういうあれ。ぶっちゃけすごい女顔じゃん、あの人。かっこいいことはかっこいいけど、どっちかっていうと観賞用っていうか。それにほら、口下手だからとかいってろくに話してなかったじゃん」
「か、観賞用ってそれはちょっと。…私は普通にかっこいい男の人だなぁって思ってるよ。口下手なのは本当なんじゃない? だから特に何も思わなかったよ」

 それに、彼が口下手だとかそういう印象は特に受けなかった。
 どちらかというと、私より月村さんが話しているのを聴いてることの方が多い気もする。
 苦笑しつつそう続けると、春花は一瞬驚いたような顔をして、だがすぐにその表情に喜びを浮かべていた。

「な、何…?」
「本当?! 本当にそう思う!? ねえ萌、あれがかっこいいって本気で!?」
「え、え? あ、う、うん…っ」

 いきなり前のめり気味でそう訪ねてきた春花に慌てて頷く。
 嘘は言ってないし、本音は本音だからまずいことはないだろうと思うのに、なぜか心は焦燥感に煽られていた。

「そっかー。そっかそっか、萌はああいうのタイプだったのかー」
「え…えっと、あの、春花さん…?」
「いやいや、いやいや大丈夫、ただの確認だから! 萌は気にしないで!」

 どこか意気揚々と足を弾ませた春花に何をどう聞けばいいのかわからずただ後をついて歩くことしかできない。
 彼女は一体、何を確認したかったのだろうか。

 疑問は疑問のまま、答えを与えられることなくどこかモヤモヤした気分のまま、私は逆方向の電車に乗る春花と駅で別れた。




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