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1章
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天災地変のアジト。戦いの最前線から遠く離れた部屋に、麓はいた。
帰りが遅くなって寮に向かおうとした所を零にさらわれたのだ。
逃げようとして後ずさったが、彼は麓をやすやすと引き寄せて気絶させた。
豪奢な装飾を施された部屋の片隅で麓はうずくまり、うつらうつらとしていた。
来た時には制服だったが、零に勧められて仕方なく袴に着替えた。太陽は見えないので時間感覚はないが、ずっと制服でいるわけにもいかない。
袴はいつものとは違い、桜色の生地に金銀の花の刺繍が施されている。着物は白、赤い襦袢を重ねた。帯は黒で、銀色の打紐で締められている。
コンコンとドアをノックする音がした。麓が顔を上げるとドアが開き、零が顔をのぞかせた。麓をここへ連れ込んだ張本人だ。
「おはよう。我が君」
「おはようございます…」
麓は答えてからそっぽを向いた。
名前と正体を知らない間だったら零に心を閉ざすことなんてなかったのに。
天神地祇である麓とである零。2人は本来、敵同士。それにも関わらず零は麓を気に入っており、彼女を求めている。そばに置きたいと。
「素っ気無いではないか。以前ははにかんでくれただろう。私はもう一度、我が君のあの表情が見たい」
麓の前にひざまづいた零は、彼女の髪を一房すくってほほえんだ。今までは彼が近づくと寒くて仕方がなかったのに、言霊をかけられたことでそれはなくなった。
「…できません」
「なぜだ」
「私とあなたがここに一緒にいるなんて…笑い合えるわけがありません。おかしいでしょう…」
「おかしくなどない。私は我が君を敵だとは思っておらなんだ」
「…私はそうは思えません。凪さんたちを裏切ることはしたくありません」
麓は零の手からさりげなく離れ、足をくずして横座りになった。相変わらず顔を零と合わせないようにしている。
零は息をつくと、自分も姿勢を崩した。
「裏切り…か。その心配は必要ない」
その言葉に麓は不審な視線を向けた。零は口の端をわずかに上げ、不敵に笑んでみせた。
「奴らは私が片付ける。誰もいなくなれば裏切ったことにはなるまい。それに…先ほど、リタイアした者が出たようだ。あんな少人数で来るなど愚かなものだ…」
「どういう事っ!?」
聞き捨てならないことに麓はここに来て初めて大きな声を出した。心配そうに揺れた瞳。胸の前で組んだ手がわずかに震える。
「…誰が? どうしてですか?」
「話を聞いただけだがな。金髪の少年らしい。急に倒れたのだと」
「光君…!」
ついに恐れていたことが起きてしまった。麓の瞳は見開かれ、口元を袖で押さえている。
「…そやつは手から五芒星の塊を出しては投げつけていた。5人がかりでヤツに襲い掛かった時、それまでで1番大きな輝きを放った塊を出したとか────」
そこまで行って零は言葉を切り、何か思い出したような表情になった。
「…このような話がある。武器化身ではない能力を持つ者は自分や愛する者が命の危険にさらされると、己の中に眠る秘技が覚醒するとか。後に能力保持者が何らかの形で変化をきたす場合があり、もう二度と能力が使えなくなったり、見た目が変わったり。”禁断の妙技”と呼ぶらしい」
精霊の能力の新たな事実を知った。
光のことが余計に心配だ。しかし離れている今、何も変化がないようにと祈ることしかできない。
悔しくて唇をかみそうになったが、零の手が伸びて唇にふれられた。
何をされたのかよく分からずに彼のことをまじまじと見つめると、やわらかいほほえみを向けられた。
2回ほど唇を人差し指でなぞられる。その手つきに誘われて口が開きそうになったがこらえる。零との距離はいつの間にか近くなっていた。
「可愛らしい唇だ。やわらかくて、艶やかな桃色で花びらのようだ。そそられるではないか────」
零は麓に顔を近づけるとそっと額を合わせた。つややかな黒髪が麓の肩にこぼれてくる。彼女は何もできずに固まっていた。
零は自分の唇に、先ほどまで麓の唇にふれていた人差し指を当てた。その瞳は甘く、伏せられている。
麓は息を呑み、零のことを押し離して身を縮こませた。
「我が君?」
「あ…何してるんですか!?」
「関節キス…だろうか」
「さらっとそ、そそそそういうこと言わないでください!」
「そなたが何をしているのかと聞くから…」
「遠回ししてください!」
麓は緊張と一気に吐き出したことで息を切らして肩を上下させ、袖で必死に口元を拭っている。
霞や扇に額や頬にキスされたことならある。それは親愛から、のはず。事故ではあるが凪には指をくわえられたことも。唇にされたことはない。
ましてや身も心も許してはいけない相手に。麓の目には徐々に涙がたまっていく。
「泣いておるのか?」
「泣いてなんて…」
目元をこすった。赤く腫れてしまうのも気にせずに。
「なんで…こんなことをするんですか。私はあなたとこんな関係になった覚えはありません…」
弱弱しくなった声。麓は再びしゃがみこんで膝を抱え込んだ。
零はあごに手をかけ、麓のことを見つめた。
「そなたのことがほしいからな。これからそういう関係になっていけばよいだろう」
「嫌です!」
麓が男女として親密になりたいのは目の前の男ではない。キスをしたい相手だって。
「きっぱりと言い切るか…そのような女子は嫌いではない。ますますそなたに惹かれる…」
「お断りします。地上に帰して下さい」
「断る。我が君が強情になるのなら、私もそれ相応の態度を取らせてもらうぞ」
いたずらっぽく笑った零は楽しそうだ。逆手に取られて悔しい麓は、ムッと頬を膨らませる。これでは何を言っても埒が開かなさそうだ。
あの時聞いた寂し気な声。悲しさをこめた腕。かよわく見えた彼はどこにも見当たらない。
(少しでも同情しかけた自分がバカみたい…)
麓はため息をつくことしかできなかった。
帰りが遅くなって寮に向かおうとした所を零にさらわれたのだ。
逃げようとして後ずさったが、彼は麓をやすやすと引き寄せて気絶させた。
豪奢な装飾を施された部屋の片隅で麓はうずくまり、うつらうつらとしていた。
来た時には制服だったが、零に勧められて仕方なく袴に着替えた。太陽は見えないので時間感覚はないが、ずっと制服でいるわけにもいかない。
袴はいつものとは違い、桜色の生地に金銀の花の刺繍が施されている。着物は白、赤い襦袢を重ねた。帯は黒で、銀色の打紐で締められている。
コンコンとドアをノックする音がした。麓が顔を上げるとドアが開き、零が顔をのぞかせた。麓をここへ連れ込んだ張本人だ。
「おはよう。我が君」
「おはようございます…」
麓は答えてからそっぽを向いた。
名前と正体を知らない間だったら零に心を閉ざすことなんてなかったのに。
天神地祇である麓とである零。2人は本来、敵同士。それにも関わらず零は麓を気に入っており、彼女を求めている。そばに置きたいと。
「素っ気無いではないか。以前ははにかんでくれただろう。私はもう一度、我が君のあの表情が見たい」
麓の前にひざまづいた零は、彼女の髪を一房すくってほほえんだ。今までは彼が近づくと寒くて仕方がなかったのに、言霊をかけられたことでそれはなくなった。
「…できません」
「なぜだ」
「私とあなたがここに一緒にいるなんて…笑い合えるわけがありません。おかしいでしょう…」
「おかしくなどない。私は我が君を敵だとは思っておらなんだ」
「…私はそうは思えません。凪さんたちを裏切ることはしたくありません」
麓は零の手からさりげなく離れ、足をくずして横座りになった。相変わらず顔を零と合わせないようにしている。
零は息をつくと、自分も姿勢を崩した。
「裏切り…か。その心配は必要ない」
その言葉に麓は不審な視線を向けた。零は口の端をわずかに上げ、不敵に笑んでみせた。
「奴らは私が片付ける。誰もいなくなれば裏切ったことにはなるまい。それに…先ほど、リタイアした者が出たようだ。あんな少人数で来るなど愚かなものだ…」
「どういう事っ!?」
聞き捨てならないことに麓はここに来て初めて大きな声を出した。心配そうに揺れた瞳。胸の前で組んだ手がわずかに震える。
「…誰が? どうしてですか?」
「話を聞いただけだがな。金髪の少年らしい。急に倒れたのだと」
「光君…!」
ついに恐れていたことが起きてしまった。麓の瞳は見開かれ、口元を袖で押さえている。
「…そやつは手から五芒星の塊を出しては投げつけていた。5人がかりでヤツに襲い掛かった時、それまでで1番大きな輝きを放った塊を出したとか────」
そこまで行って零は言葉を切り、何か思い出したような表情になった。
「…このような話がある。武器化身ではない能力を持つ者は自分や愛する者が命の危険にさらされると、己の中に眠る秘技が覚醒するとか。後に能力保持者が何らかの形で変化をきたす場合があり、もう二度と能力が使えなくなったり、見た目が変わったり。”禁断の妙技”と呼ぶらしい」
精霊の能力の新たな事実を知った。
光のことが余計に心配だ。しかし離れている今、何も変化がないようにと祈ることしかできない。
悔しくて唇をかみそうになったが、零の手が伸びて唇にふれられた。
何をされたのかよく分からずに彼のことをまじまじと見つめると、やわらかいほほえみを向けられた。
2回ほど唇を人差し指でなぞられる。その手つきに誘われて口が開きそうになったがこらえる。零との距離はいつの間にか近くなっていた。
「可愛らしい唇だ。やわらかくて、艶やかな桃色で花びらのようだ。そそられるではないか────」
零は麓に顔を近づけるとそっと額を合わせた。つややかな黒髪が麓の肩にこぼれてくる。彼女は何もできずに固まっていた。
零は自分の唇に、先ほどまで麓の唇にふれていた人差し指を当てた。その瞳は甘く、伏せられている。
麓は息を呑み、零のことを押し離して身を縮こませた。
「我が君?」
「あ…何してるんですか!?」
「関節キス…だろうか」
「さらっとそ、そそそそういうこと言わないでください!」
「そなたが何をしているのかと聞くから…」
「遠回ししてください!」
麓は緊張と一気に吐き出したことで息を切らして肩を上下させ、袖で必死に口元を拭っている。
霞や扇に額や頬にキスされたことならある。それは親愛から、のはず。事故ではあるが凪には指をくわえられたことも。唇にされたことはない。
ましてや身も心も許してはいけない相手に。麓の目には徐々に涙がたまっていく。
「泣いておるのか?」
「泣いてなんて…」
目元をこすった。赤く腫れてしまうのも気にせずに。
「なんで…こんなことをするんですか。私はあなたとこんな関係になった覚えはありません…」
弱弱しくなった声。麓は再びしゃがみこんで膝を抱え込んだ。
零はあごに手をかけ、麓のことを見つめた。
「そなたのことがほしいからな。これからそういう関係になっていけばよいだろう」
「嫌です!」
麓が男女として親密になりたいのは目の前の男ではない。キスをしたい相手だって。
「きっぱりと言い切るか…そのような女子は嫌いではない。ますますそなたに惹かれる…」
「お断りします。地上に帰して下さい」
「断る。我が君が強情になるのなら、私もそれ相応の態度を取らせてもらうぞ」
いたずらっぽく笑った零は楽しそうだ。逆手に取られて悔しい麓は、ムッと頬を膨らませる。これでは何を言っても埒が開かなさそうだ。
あの時聞いた寂し気な声。悲しさをこめた腕。かよわく見えた彼はどこにも見当たらない。
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