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3章
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「────ゆっくり苦しむがいい。屍くらい回収しに来てやる。我らの聖域に死体が転がっているのは気分が悪いんでな」
零はぴくりとも動かなくなった凪に背を向け、その場を去った。
自分の着物を見ると少しだけ血が付着している。気づかぬ間に返り血を浴びていたらしい。
麓の部屋に行く前に新しい着物に変えた。黒地に白と赤で文様が描かれたものだ。灰色の羽織にし、知らず知らずのうちに自分がほほえんでいることに気が付いた。
やはりあの娘は他と違う。美しいだけではない、会うことを考えるだけで心が安らぐ。胸の高鳴りさえ感じた。
(麓殿の能力は他者の傷を癒やすもの。先ほどわざと刃を受けてもよかったな)
最後の凪の、零の不意をつこうと一直線に向かってきた顔を思い出した。よく精霊最強と言われたものだ。本当の戦闘をしなくなってから腕が落ちたようだった。
刀を武器化身として持つ精霊は他にもいるが、凪よりも格上な精霊と一戦交えたこともある。彼は零に結晶化されることを拒み、返り討ちにしたのだ。おそらくこの話は零と、彼と戦った者しか知らないだろう。彼がアマテラスに話してさえいなければ。
支度を終えて麓の部屋を訪れると、彼女はベッドにもたれかかってぼんやりとしていた。部屋に入ってきた零の存在に気づいていないようだ。
「我が君」
彼女は気だるげに目線だけを動かして零のことを見上げた。
いつもより青白く見える肌、虚になりつつある瞳。生気が日に日にかんじられなくなっている彼女は元気がない。体調が思わしくないと、医療担当の者に話を聞いた。彼女によると並の精霊よりもか弱く、人間が服用するような薬を用意しないといけないかもしれないと心配していた。
精霊は自己治癒力が高いから薬を飲むことはまずない。零も医療担当者も、見たことはあっても実際に使ったことはない。
どんな美しい着物や装飾品を増やしても彼女はお礼しか言わない。初めて会った時の笑顔は浮かべず、見向きすらしなかった。
そんな彼女の気を引こうと、零は心の中で意地悪い表情を浮かべた。
「────凪殿は死んだ」
麓の目が見開かれた。それこそ音が聴こえそうなほど。彼女の反応は分かりやすい。
零は腕を広げ、麓に歩み寄りながら続けた。
「これで邪魔者は全員片付いた。我が君も天神地祇という足枷から逃れることができるぞ」
「違う…凪さんが死ぬなんて…」
か細く震えた、泣き出しそうな声。麓の瞳に久しぶりに強い感情が宿った。
「嘘などではない。出血多量だったからな。精霊にとって命取りになることは知っているだろう」
彼女のそばにしゃがみこんで髪を救い上げると麓は顔を上げて零のことを、きっと睨みつけた。はっきりとした怒りの感情だ。
「こんなことして何が楽しいんですか!? 天神地祇は私の大切な人たちです。足枷だなんて失礼なことを言わないでください!」
「ろ…」
大声を上げられた。彼女の顔に一瞬にして生気が蘇った。零は見たことのない彼女の姿に口を開けたまま言葉が消えた。
「あなたがすることは誰も笑いません…」
目にいっぱい涙をためた麓は、勢いよく立ち上がった反動で涙をこぼした。雫が零の手の上で跳ね、彼女の髪はするりと逃れた。
麓は零の呆然とした姿を振り返ることなく部屋を飛び出た。
1人で部屋に残された零は嘆息をもらした。
好きな女に逃げられてしまった、と。そして分かってしまった。
麓は凪のことを天神地祇のトップとしてではなく、別の感情で見ていることを。
他のメンバーが命を落としたことを聞いても彼女は涙を流すだろう。だがさっきのは、強い思い入れを感じられた。
(麓殿はあんな野蛮な男が好みだったのか…)
嫉妬の念が浮かんでくる。野蛮と表現した辺り、凪のことを恨めしく思っている。
すると頭痛と同時に耳の奥で2人分の声がこだました。
『いつか自分に返ってきて泣くことになるよ。大切な物を失ったり、手に入らずに終わったりね…』
『あんたがしてきたことは全部、あんた自身が代償を払わなければいけないわ』
そして脳裏に現れたのは2人の人物。
1人は何度も夢に出て来た少女。
もう1人は結晶化前の雷。
零は眉間にシワを寄せて頭を抱えた。
(おぬしは一体なんなのだ…雷殿まで…)
先の少女は泣いていた。それはさっきの麓ときっちり重なった。こちらの心が苦しくなりそうな、悲哀に満ちた涙目。零のことを責めているのではなく、零のしてきたことを考えなおしてほしいと言いたげな。
(その目で見るな! 私は…私は…)
彼女のことを思い出そうとすると心臓が痛くなる。零は未だに思い出せないでいた。
彼女は零にとって敵なのか味方なのか。死神なのか、はたまた救世主なのか。
彼は麓の部屋で座り込んだ。
零はぴくりとも動かなくなった凪に背を向け、その場を去った。
自分の着物を見ると少しだけ血が付着している。気づかぬ間に返り血を浴びていたらしい。
麓の部屋に行く前に新しい着物に変えた。黒地に白と赤で文様が描かれたものだ。灰色の羽織にし、知らず知らずのうちに自分がほほえんでいることに気が付いた。
やはりあの娘は他と違う。美しいだけではない、会うことを考えるだけで心が安らぐ。胸の高鳴りさえ感じた。
(麓殿の能力は他者の傷を癒やすもの。先ほどわざと刃を受けてもよかったな)
最後の凪の、零の不意をつこうと一直線に向かってきた顔を思い出した。よく精霊最強と言われたものだ。本当の戦闘をしなくなってから腕が落ちたようだった。
刀を武器化身として持つ精霊は他にもいるが、凪よりも格上な精霊と一戦交えたこともある。彼は零に結晶化されることを拒み、返り討ちにしたのだ。おそらくこの話は零と、彼と戦った者しか知らないだろう。彼がアマテラスに話してさえいなければ。
支度を終えて麓の部屋を訪れると、彼女はベッドにもたれかかってぼんやりとしていた。部屋に入ってきた零の存在に気づいていないようだ。
「我が君」
彼女は気だるげに目線だけを動かして零のことを見上げた。
いつもより青白く見える肌、虚になりつつある瞳。生気が日に日にかんじられなくなっている彼女は元気がない。体調が思わしくないと、医療担当の者に話を聞いた。彼女によると並の精霊よりもか弱く、人間が服用するような薬を用意しないといけないかもしれないと心配していた。
精霊は自己治癒力が高いから薬を飲むことはまずない。零も医療担当者も、見たことはあっても実際に使ったことはない。
どんな美しい着物や装飾品を増やしても彼女はお礼しか言わない。初めて会った時の笑顔は浮かべず、見向きすらしなかった。
そんな彼女の気を引こうと、零は心の中で意地悪い表情を浮かべた。
「────凪殿は死んだ」
麓の目が見開かれた。それこそ音が聴こえそうなほど。彼女の反応は分かりやすい。
零は腕を広げ、麓に歩み寄りながら続けた。
「これで邪魔者は全員片付いた。我が君も天神地祇という足枷から逃れることができるぞ」
「違う…凪さんが死ぬなんて…」
か細く震えた、泣き出しそうな声。麓の瞳に久しぶりに強い感情が宿った。
「嘘などではない。出血多量だったからな。精霊にとって命取りになることは知っているだろう」
彼女のそばにしゃがみこんで髪を救い上げると麓は顔を上げて零のことを、きっと睨みつけた。はっきりとした怒りの感情だ。
「こんなことして何が楽しいんですか!? 天神地祇は私の大切な人たちです。足枷だなんて失礼なことを言わないでください!」
「ろ…」
大声を上げられた。彼女の顔に一瞬にして生気が蘇った。零は見たことのない彼女の姿に口を開けたまま言葉が消えた。
「あなたがすることは誰も笑いません…」
目にいっぱい涙をためた麓は、勢いよく立ち上がった反動で涙をこぼした。雫が零の手の上で跳ね、彼女の髪はするりと逃れた。
麓は零の呆然とした姿を振り返ることなく部屋を飛び出た。
1人で部屋に残された零は嘆息をもらした。
好きな女に逃げられてしまった、と。そして分かってしまった。
麓は凪のことを天神地祇のトップとしてではなく、別の感情で見ていることを。
他のメンバーが命を落としたことを聞いても彼女は涙を流すだろう。だがさっきのは、強い思い入れを感じられた。
(麓殿はあんな野蛮な男が好みだったのか…)
嫉妬の念が浮かんでくる。野蛮と表現した辺り、凪のことを恨めしく思っている。
すると頭痛と同時に耳の奥で2人分の声がこだました。
『いつか自分に返ってきて泣くことになるよ。大切な物を失ったり、手に入らずに終わったりね…』
『あんたがしてきたことは全部、あんた自身が代償を払わなければいけないわ』
そして脳裏に現れたのは2人の人物。
1人は何度も夢に出て来た少女。
もう1人は結晶化前の雷。
零は眉間にシワを寄せて頭を抱えた。
(おぬしは一体なんなのだ…雷殿まで…)
先の少女は泣いていた。それはさっきの麓ときっちり重なった。こちらの心が苦しくなりそうな、悲哀に満ちた涙目。零のことを責めているのではなく、零のしてきたことを考えなおしてほしいと言いたげな。
(その目で見るな! 私は…私は…)
彼女のことを思い出そうとすると心臓が痛くなる。零は未だに思い出せないでいた。
彼女は零にとって敵なのか味方なのか。死神なのか、はたまた救世主なのか。
彼は麓の部屋で座り込んだ。
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