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4章
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部屋を出てから、さっきまでの気迫は嘘のように消えた。おぼつかない足取りでアジトをさまよった。
凪は一体どこにいるのか。彼を見つけるためなら、どこにだって歩いていく。
彼が死んだなんて嘘だ、絶対にありえない。彼は精霊最強と呼ばれているのだから。まだ息があると信じたい。
麓は一度立ち止まって近くの壁に手をついた。重く息を吐く。
この所さらに体が言うことを聞かない。天災地変の医療従事者の気遣いを喜んでいいのか拒絶した方がいいのか。天神地祇としては複雑な心境だ。
だが、その彼女のおかげで寝たきりにならずに済んでいるのかもしれない。
麓はここに連れて来られてからというもの、出された食事にあまり手をつけようとしなかった。毒でも入っているのではないかと疑っていたのだ。
それが何日も続いて麓はとうとう倒れ、医者に叱られた。せめて栄養は摂りなさいと。
やっと食事をまともに取ろうとした頃には、麓の食欲はほとんどなくなってしまっていた。主な原因は心労と運動不足。
結局アジト内を出歩くのもできなくなってしまった。体に大きな負担がかかるのだ。
なぜあの彼女は麓のことをあんなに気遣ってくれたのか。他の者に邪見に扱われたこともないけど、彼女の優しさは日に日に身に染みていた。
だからというわけではないが、麓も凪を見つけて助けたい。すぐには動けるようにならなくても、ただ生きていてほしい。
麓はひそかに零から精霊たちの結晶を奪うことも考えていた。彼に一番長い間近くにいるのは自分だ。結晶のありかさえ分かればたやすいのかもしれない。
今度は小さく息を吐き、少しだけ歩くと突然開けた場所に出た。
こんな場所がったなんて知らない。パルテノン神殿を思わすような太くて高い白い柱がいくつも立ち並んでいる。この空間だけ白で統一されていた。色があると言えば奥にある玉座の赤と────。
「…凪さん!」
その手前で床に伏していたのは、探していた会いたかった人。
再会したら謝りたかったのに、普通に言葉を交わすことさえ叶わない。
麓はつんのめりながら凪に駆け寄り、彼のすぐそばで膝をついた。近くには刃こぼれした海竜剣が転がっている。麓はそれをそっと持ち上げて目を伏せた。海竜剣にも心の中で労いの言葉をかける。凪の近くに置き、うつ伏せの彼の傷口を見て目をそらした。
愛用のパーカーは着ていない。左腕は特に大きな傷が目立っていた。零にやられたのであろうまだ新しいその傷口は、ワイシャツを赤く染めていた。
「こんな…ボロボロに…」
やっと会えた彼は満身創痍。それもそのはず。顔を合わせていない期間、彼はずっと天神地祇を率いて天災地変と戦ってきたのだから。
再び涙がこぼれた。彼はこんな状況なのに麓はのうのうと暮らしてきた。その差に罪悪感を覚えた。
凪の青い前髪にそっとふれる。零が言った通り、本当に彼は息絶えてしまったのか。もう、あの切れ長の黄金色の瞳を見ることはできないのか────。
「…うっ」
小さなうめき声。ハッとした麓は、凪が眉間にシワを寄せたのを確認した。
「凪さん!」
ひと際大きい声を上げると、凪は重たい体を持ち上げるようにゆっくり立ち上がろうとした。しかし体を起こすのが限界だったようで、麓は肩を貸して座らせた。
「おめー…が、なんでここに?」
ひどくかすれた寝起きのような声。話す気力はあるらしい。麓は小さじ一杯分安堵して彼の体を支える。
「大丈夫ですか…?」
「い、や…おかしい。会えねェヤツに…会うなんて。俺、死んだのか…。おめーは幻覚…?」
凪の思考回路が正常でなくなっている。眠たそうな声。すぐにでも閉じてしまいそうな瞳。手当しないと彼は本当にこの世から去ってしまうことになる。
そんなのは嫌だ。初めての温もりを与えてくれた人。初めての感情を教えてくれた人。
何より誰からも必要とされ、慕われている精霊。そんな大事な人をこの世から失うわけにはいかない。
それは口に出す前に行動として表れていた。
「行かないで…凪さん…」
気が付けば彼の首に腕を回し、彼のことを抱きしめていた。彼の血で着物が汚れるのも構わずに。
「ろ…く…」
「お願いです。どこにも行かないで…! あなたがいなくなるのだけは、絶対に嫌です…」
「でも、俺…怖ェよ。アイツ思ったより、強かったし…」
初めて見る弱々しい彼。声に覇気がなく、普段の彼からは考えられない姿だった。
麓は瞳を閉じ、涙を一筋流した。
「…です。大丈夫です。あなたは最強って言われているんだから…あなたを越せる精霊はいません」
麓はこの時決心した。
かつて結んだ彼との約束を破ろうと。それで愛する人が救われるのならば、この身がどうなろうと構わない。
(ごめんなさい、凪さん。アマテラス様…。私はやっぱり自分の能力を活かしたいです)
今までの不調。自己治癒力の無さ。それはこれから悪化するのか、自分の身が滅ぶことになるのか。
どちらであっても構わない。自分の身は自分で責任を持つ。天神地祇に入った時に決めたのだから。
────守られるのだけは嫌だから、皆さんのことも守ります。
全員の傷を治す。それが麓の入寮を決めた時の言葉。
麓は凪を抱きしめる腕に力をこめ、静かに目を閉じた。
『完・癒傷────』
それが麓の、最初で最後の禁断の秘技。技の名前は知らなかった。たった今、頭にそう流れ込んできたのだ。誰かが耳元でささやいてくれたように。
やがて麓の身体から発生した萌黄色のオーラは凪のことを包んでいく。彼女の髪も浮き上がってきた。
凪の体の傷がみるみる綺麗になり、塞がっていく。心なしか表情も穏やかなものに変わっていくようだった。
オーラは萌黄色から銀色に変わっていき、とうとう消えると、耳元で凪の安心しきった寝息が聴こえてきた。
よかった、と母親のようにほほえんだ麓は、自身の髪色がさらに薄くなっていることに気づいた。手に取り、はらはらとこぼす。
淡緑とも呼べない色素。それは銀色と呼ぶのがしっくりくる。海竜剣の刃と同じだ。
それも悪くない。
もう一度ほほえんだ麓はスッと目を閉じ、ゆっくりと倒れた。
凪は一体どこにいるのか。彼を見つけるためなら、どこにだって歩いていく。
彼が死んだなんて嘘だ、絶対にありえない。彼は精霊最強と呼ばれているのだから。まだ息があると信じたい。
麓は一度立ち止まって近くの壁に手をついた。重く息を吐く。
この所さらに体が言うことを聞かない。天災地変の医療従事者の気遣いを喜んでいいのか拒絶した方がいいのか。天神地祇としては複雑な心境だ。
だが、その彼女のおかげで寝たきりにならずに済んでいるのかもしれない。
麓はここに連れて来られてからというもの、出された食事にあまり手をつけようとしなかった。毒でも入っているのではないかと疑っていたのだ。
それが何日も続いて麓はとうとう倒れ、医者に叱られた。せめて栄養は摂りなさいと。
やっと食事をまともに取ろうとした頃には、麓の食欲はほとんどなくなってしまっていた。主な原因は心労と運動不足。
結局アジト内を出歩くのもできなくなってしまった。体に大きな負担がかかるのだ。
なぜあの彼女は麓のことをあんなに気遣ってくれたのか。他の者に邪見に扱われたこともないけど、彼女の優しさは日に日に身に染みていた。
だからというわけではないが、麓も凪を見つけて助けたい。すぐには動けるようにならなくても、ただ生きていてほしい。
麓はひそかに零から精霊たちの結晶を奪うことも考えていた。彼に一番長い間近くにいるのは自分だ。結晶のありかさえ分かればたやすいのかもしれない。
今度は小さく息を吐き、少しだけ歩くと突然開けた場所に出た。
こんな場所がったなんて知らない。パルテノン神殿を思わすような太くて高い白い柱がいくつも立ち並んでいる。この空間だけ白で統一されていた。色があると言えば奥にある玉座の赤と────。
「…凪さん!」
その手前で床に伏していたのは、探していた会いたかった人。
再会したら謝りたかったのに、普通に言葉を交わすことさえ叶わない。
麓はつんのめりながら凪に駆け寄り、彼のすぐそばで膝をついた。近くには刃こぼれした海竜剣が転がっている。麓はそれをそっと持ち上げて目を伏せた。海竜剣にも心の中で労いの言葉をかける。凪の近くに置き、うつ伏せの彼の傷口を見て目をそらした。
愛用のパーカーは着ていない。左腕は特に大きな傷が目立っていた。零にやられたのであろうまだ新しいその傷口は、ワイシャツを赤く染めていた。
「こんな…ボロボロに…」
やっと会えた彼は満身創痍。それもそのはず。顔を合わせていない期間、彼はずっと天神地祇を率いて天災地変と戦ってきたのだから。
再び涙がこぼれた。彼はこんな状況なのに麓はのうのうと暮らしてきた。その差に罪悪感を覚えた。
凪の青い前髪にそっとふれる。零が言った通り、本当に彼は息絶えてしまったのか。もう、あの切れ長の黄金色の瞳を見ることはできないのか────。
「…うっ」
小さなうめき声。ハッとした麓は、凪が眉間にシワを寄せたのを確認した。
「凪さん!」
ひと際大きい声を上げると、凪は重たい体を持ち上げるようにゆっくり立ち上がろうとした。しかし体を起こすのが限界だったようで、麓は肩を貸して座らせた。
「おめー…が、なんでここに?」
ひどくかすれた寝起きのような声。話す気力はあるらしい。麓は小さじ一杯分安堵して彼の体を支える。
「大丈夫ですか…?」
「い、や…おかしい。会えねェヤツに…会うなんて。俺、死んだのか…。おめーは幻覚…?」
凪の思考回路が正常でなくなっている。眠たそうな声。すぐにでも閉じてしまいそうな瞳。手当しないと彼は本当にこの世から去ってしまうことになる。
そんなのは嫌だ。初めての温もりを与えてくれた人。初めての感情を教えてくれた人。
何より誰からも必要とされ、慕われている精霊。そんな大事な人をこの世から失うわけにはいかない。
それは口に出す前に行動として表れていた。
「行かないで…凪さん…」
気が付けば彼の首に腕を回し、彼のことを抱きしめていた。彼の血で着物が汚れるのも構わずに。
「ろ…く…」
「お願いです。どこにも行かないで…! あなたがいなくなるのだけは、絶対に嫌です…」
「でも、俺…怖ェよ。アイツ思ったより、強かったし…」
初めて見る弱々しい彼。声に覇気がなく、普段の彼からは考えられない姿だった。
麓は瞳を閉じ、涙を一筋流した。
「…です。大丈夫です。あなたは最強って言われているんだから…あなたを越せる精霊はいません」
麓はこの時決心した。
かつて結んだ彼との約束を破ろうと。それで愛する人が救われるのならば、この身がどうなろうと構わない。
(ごめんなさい、凪さん。アマテラス様…。私はやっぱり自分の能力を活かしたいです)
今までの不調。自己治癒力の無さ。それはこれから悪化するのか、自分の身が滅ぶことになるのか。
どちらであっても構わない。自分の身は自分で責任を持つ。天神地祇に入った時に決めたのだから。
────守られるのだけは嫌だから、皆さんのことも守ります。
全員の傷を治す。それが麓の入寮を決めた時の言葉。
麓は凪を抱きしめる腕に力をこめ、静かに目を閉じた。
『完・癒傷────』
それが麓の、最初で最後の禁断の秘技。技の名前は知らなかった。たった今、頭にそう流れ込んできたのだ。誰かが耳元でささやいてくれたように。
やがて麓の身体から発生した萌黄色のオーラは凪のことを包んでいく。彼女の髪も浮き上がってきた。
凪の体の傷がみるみる綺麗になり、塞がっていく。心なしか表情も穏やかなものに変わっていくようだった。
オーラは萌黄色から銀色に変わっていき、とうとう消えると、耳元で凪の安心しきった寝息が聴こえてきた。
よかった、と母親のようにほほえんだ麓は、自身の髪色がさらに薄くなっていることに気づいた。手に取り、はらはらとこぼす。
淡緑とも呼べない色素。それは銀色と呼ぶのがしっくりくる。海竜剣の刃と同じだ。
それも悪くない。
もう一度ほほえんだ麓はスッと目を閉じ、ゆっくりと倒れた。
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