8 / 21
3章
2
しおりを挟む
凪は梨音のことを見送ってから麓に一言、行くぞと声をかけた。まさか海まで歩いて行くのか────。確か出発前にここから1時間以上かかると言っていた。
そんな麓の心情は知らずに凪は再びツカツカと歩き、白いワゴン車の窓ガラスをコツコツと手の甲で叩いた。
中には先ほどの壮年の男がうたた寝をしていた。が、凪のノック音に気がついてガバッと起き、彼の存在に気づくと驚いた顔でわなわなと指差した。
「幽霊見たような顔してんなハゲ。ちょいと送ってくれ。どーせおめーん家の隣だしよ」
男性は窓を開けて凪と麓のことをまじまじと見つめた。
「凪! 来るのは聞いてたけどなんでここに?」
「世間知らずの山入り娘を市電に乗せたから。…それよりハゲ面積広くなった?」
「それよりじゃねェ! 人のデリケートな部分指摘すんな! 永遠の若さがあって抜け毛の悩みが無ェからって…。こんなの差別だ差別!」
「るっせーよ海斗。いいからはよ車に乗せろや」
梨音の祖父だという海斗の口調は凪にそっくりだった。
海斗の運転する車内で麓はきょろきょろと景色を眺めていた。
本当に田舎だ────というのが第一の感想。青々とした田んぼと畑が続き、人通りが少ない。時々見かけるのは自転車に乗った小学生やお年寄りたち。
今は窓を締め切ってエアコンを効かせているためわからないが、車外に出たらきっと潮の香りがするだろう。
海斗の一族────沖田家は海が近いということで、それに関係する商売を代々営んでいる。ちなみに海斗は寿司屋。先代は漁業を営む者が多かったらしい。伝統はささやかに受け継がれていた。
毎朝、新鮮な魚介類を市場で競ってきて捌き、握る。
ぶっちゃけると店は穴場で近隣住民ですらほとんど存在を知らない。
だが不思議なことに、波崎へ観光に来た変わり者が不意に見つけることが多く、リピーターがひそかにいた。
「ま、いつから始めていようが多くの人に知られていようが関係ねェ。たった1人でも通ってくれる人がいるなら万々歳だ」
「お寿司屋さんですか…。かっこいいですね」
「ありがとよお嬢ちゃん。よかったら滞在中に来るといい。…ところで凪」
「ん?」
凪は頬杖をついてボーッと外を眺めていたが、ミラー越しに海斗のことを見た。
赤信号で止まり、海斗もミラー越しに凪のことを見てニヤけ面で小指を立てた。
「もしかして────コレか?」
凪は海斗のことを真顔で見ていたが、フッと笑って目を閉じた。
「ざーんねん、ちげーよ。っつーかよォ、梨音もそんなこと言ってたぜ。孫と同じこと言ってんな」
「はは、血は争えんってヤツだ」
「あのー…。それなんですか?」
麓が戸惑いがちに海斗と同じように小指を立てると、凪は再び窓の外を見てはぐらかした。
「ガキは知らなくてもいいことだ」
「またそれ…」
「俺からしたらガキなんだよ」
「お嬢ちゃん、そのサインは"彼女"って意味だ」
「おいおい言うなよ! 俺が黙ってた意味…」
「いいじゃねェか。いい勉強だろ」
「何のだよ」
凪が呆れると海斗はケラケラと笑った。
車は再び走り出した。
車から降りると予想通りだった。
かぐわしい潮の香りを胸いっぱいに吸いこむ。胸が満たされた気分になった。
目の前には青空の色素をそのまま写し取ったような、どこまでも続く広く大きな海。
果てしない、というのはこのことだろう。
(ついに…来たんだ…)
心なしか感動で震え、涙が出そうになった。それもそのはず。
海ってどういう所なんだろう。どれほど大きいんだろう。海を題材にした小説を読む度に憧れが募っていたから。
海は午後の太陽の光を反射し、水面がキラキラと輝いていた。まるでその下に真珠や金銀の財宝が散らばっているように。
「お嬢ちゃん、ひょっとして海は初めてか?」
「はい。今まで写真でしか見たことないです」
車を降りていつの間にか隣に来た海斗が、腰に手を当てて笑った。
「そーかそーか。前波には何もないってか海しかねェけど。ここにいる間、存分にこの景色を楽しんで行きな」
「はい!」
海斗は軽く片手を上げてその場を離れ、入れ代わりのように寮長が来た────と思ったら、凪が突然怒鳴った。
「て…てんめぇぇぇ! 人がどんだけ連絡したと思ってんだァ! 一体何してやがった!?」
ビクっとして麓が振り向くと、そこには寮長が野菜がたくさん入った紙袋を抱えて立っていた。
「申し訳ございません凪様、麓様。実は私、スマホの電源を切ったままでした…」
「電源つけっぱにしておけバカ! こっちは途方に暮れかけたってのに。コイツだって…アレ?」
凪が隣の少女に話を振ろうとしたら、いつの間に消えたのか姿がない。
「麓様…?」
「あ。おい、アレ」
ここから階段で下りると波打ち際に着く。満潮時にはこの階段の3、4段辺りまで海水が上がってきて砂浜も覆い尽くされる。
今はその満潮時に差し掛かっており、階段の2段目でチャプンと海水が跳ねた。
見下ろすと、その一段目に麓はいた。
トングサンダルを脱いでお行儀よく5段目に置いてあり、波が行ったり来たりするのを珍しそうに眺めて足首まで浸かった。
彼女は楽しそうに笑っていた。初めての海にふれて。
その姿を見ているとなんだか穏やかな気分になった。
凪は決まり悪そうに後頭部をかき、スラックスのポケットに手を入れた。
「なんか…怒鳴ってごめん。どうにかなったからブチ切れることじゃねェよな」
「いえ、私こそ申し訳ございませんでした。ちゃんと連絡を返せなくて」
「いや。その様子だとすぐに買い出しに行ったんだろ。大所帯だからしゃーねェよ」
2人は麓の無邪気な姿を見守った。
潮の香りをたっぷりと含んだ涼しい風が2人の間を通った。
そんな麓の心情は知らずに凪は再びツカツカと歩き、白いワゴン車の窓ガラスをコツコツと手の甲で叩いた。
中には先ほどの壮年の男がうたた寝をしていた。が、凪のノック音に気がついてガバッと起き、彼の存在に気づくと驚いた顔でわなわなと指差した。
「幽霊見たような顔してんなハゲ。ちょいと送ってくれ。どーせおめーん家の隣だしよ」
男性は窓を開けて凪と麓のことをまじまじと見つめた。
「凪! 来るのは聞いてたけどなんでここに?」
「世間知らずの山入り娘を市電に乗せたから。…それよりハゲ面積広くなった?」
「それよりじゃねェ! 人のデリケートな部分指摘すんな! 永遠の若さがあって抜け毛の悩みが無ェからって…。こんなの差別だ差別!」
「るっせーよ海斗。いいからはよ車に乗せろや」
梨音の祖父だという海斗の口調は凪にそっくりだった。
海斗の運転する車内で麓はきょろきょろと景色を眺めていた。
本当に田舎だ────というのが第一の感想。青々とした田んぼと畑が続き、人通りが少ない。時々見かけるのは自転車に乗った小学生やお年寄りたち。
今は窓を締め切ってエアコンを効かせているためわからないが、車外に出たらきっと潮の香りがするだろう。
海斗の一族────沖田家は海が近いということで、それに関係する商売を代々営んでいる。ちなみに海斗は寿司屋。先代は漁業を営む者が多かったらしい。伝統はささやかに受け継がれていた。
毎朝、新鮮な魚介類を市場で競ってきて捌き、握る。
ぶっちゃけると店は穴場で近隣住民ですらほとんど存在を知らない。
だが不思議なことに、波崎へ観光に来た変わり者が不意に見つけることが多く、リピーターがひそかにいた。
「ま、いつから始めていようが多くの人に知られていようが関係ねェ。たった1人でも通ってくれる人がいるなら万々歳だ」
「お寿司屋さんですか…。かっこいいですね」
「ありがとよお嬢ちゃん。よかったら滞在中に来るといい。…ところで凪」
「ん?」
凪は頬杖をついてボーッと外を眺めていたが、ミラー越しに海斗のことを見た。
赤信号で止まり、海斗もミラー越しに凪のことを見てニヤけ面で小指を立てた。
「もしかして────コレか?」
凪は海斗のことを真顔で見ていたが、フッと笑って目を閉じた。
「ざーんねん、ちげーよ。っつーかよォ、梨音もそんなこと言ってたぜ。孫と同じこと言ってんな」
「はは、血は争えんってヤツだ」
「あのー…。それなんですか?」
麓が戸惑いがちに海斗と同じように小指を立てると、凪は再び窓の外を見てはぐらかした。
「ガキは知らなくてもいいことだ」
「またそれ…」
「俺からしたらガキなんだよ」
「お嬢ちゃん、そのサインは"彼女"って意味だ」
「おいおい言うなよ! 俺が黙ってた意味…」
「いいじゃねェか。いい勉強だろ」
「何のだよ」
凪が呆れると海斗はケラケラと笑った。
車は再び走り出した。
車から降りると予想通りだった。
かぐわしい潮の香りを胸いっぱいに吸いこむ。胸が満たされた気分になった。
目の前には青空の色素をそのまま写し取ったような、どこまでも続く広く大きな海。
果てしない、というのはこのことだろう。
(ついに…来たんだ…)
心なしか感動で震え、涙が出そうになった。それもそのはず。
海ってどういう所なんだろう。どれほど大きいんだろう。海を題材にした小説を読む度に憧れが募っていたから。
海は午後の太陽の光を反射し、水面がキラキラと輝いていた。まるでその下に真珠や金銀の財宝が散らばっているように。
「お嬢ちゃん、ひょっとして海は初めてか?」
「はい。今まで写真でしか見たことないです」
車を降りていつの間にか隣に来た海斗が、腰に手を当てて笑った。
「そーかそーか。前波には何もないってか海しかねェけど。ここにいる間、存分にこの景色を楽しんで行きな」
「はい!」
海斗は軽く片手を上げてその場を離れ、入れ代わりのように寮長が来た────と思ったら、凪が突然怒鳴った。
「て…てんめぇぇぇ! 人がどんだけ連絡したと思ってんだァ! 一体何してやがった!?」
ビクっとして麓が振り向くと、そこには寮長が野菜がたくさん入った紙袋を抱えて立っていた。
「申し訳ございません凪様、麓様。実は私、スマホの電源を切ったままでした…」
「電源つけっぱにしておけバカ! こっちは途方に暮れかけたってのに。コイツだって…アレ?」
凪が隣の少女に話を振ろうとしたら、いつの間に消えたのか姿がない。
「麓様…?」
「あ。おい、アレ」
ここから階段で下りると波打ち際に着く。満潮時にはこの階段の3、4段辺りまで海水が上がってきて砂浜も覆い尽くされる。
今はその満潮時に差し掛かっており、階段の2段目でチャプンと海水が跳ねた。
見下ろすと、その一段目に麓はいた。
トングサンダルを脱いでお行儀よく5段目に置いてあり、波が行ったり来たりするのを珍しそうに眺めて足首まで浸かった。
彼女は楽しそうに笑っていた。初めての海にふれて。
その姿を見ているとなんだか穏やかな気分になった。
凪は決まり悪そうに後頭部をかき、スラックスのポケットに手を入れた。
「なんか…怒鳴ってごめん。どうにかなったからブチ切れることじゃねェよな」
「いえ、私こそ申し訳ございませんでした。ちゃんと連絡を返せなくて」
「いや。その様子だとすぐに買い出しに行ったんだろ。大所帯だからしゃーねェよ」
2人は麓の無邪気な姿を見守った。
潮の香りをたっぷりと含んだ涼しい風が2人の間を通った。
0
あなたにおすすめの小説
悪魔な義理弟《ボディーガード》~ヤンキー校最凶犬男子の独占欲が強過ぎる~
Kore
恋愛
「余計なこと考えさせないくらい愛せば、男として見てくれる?」そう囁く義弟の愛は重くて、危険で、究極に甘い。
———勉強が大の苦手であり、巷で有名なヤンキー高校しか入れなかった宇佐美莉子。そんな義理姉のボディーガードになるため、後追いで入学してきた偏差値70以上の義理弟、宇佐美櫂理。しかし、ボディーガードどころか、櫂理があまりにも最強過ぎて、誰も莉子に近寄ることが出来ず。まるで極妻的存在で扱われる中、今日も義理弟の重い愛が炸裂する。———
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ソツのない彼氏とスキのない彼女
吉野 那生
恋愛
特別目立つ訳ではない。
どちらかといえば地味だし、バリキャリという風でもない。
だけど…何故か気になってしまう。
気がつくと、彼女の姿を目で追っている。
***
社内でも知らない者はいないという程、有名な彼。
爽やかな見た目、人懐っこく相手の懐にスルリと入り込む手腕。
そして、華やかな噂。
あまり得意なタイプではない。
どちらかといえば敬遠するタイプなのに…。
推しと清く正しい逢瀬(デート)生活 ーこっそり、隣人推しちゃいますー
田古みゆう
恋愛
推し活女子と爽やかすぎる隣人――秘密の逢瀬は、推し活か、それとも…?
引っ越し先のお隣さんは、ちょっと優しすぎる爽やか青年。
今どき、あんなに気さくで礼儀正しい人、実在するの!?
私がガチのアイドルオタクだと知っても、引かずに一緒に盛り上がってくれるなんて、もはや神では?
でもそんな彼には、ちょっと不思議なところもある。昼間にぶらぶらしてたり、深夜に帰宅したり、不在の日も多かったり……普通の会社員じゃないよね? 一体何者?
それに顔。出会ったばかりのはずなのに、なぜか既視感。彼を見るたび、私の脳が勝手にざわついている。
彼を見るたび、初めて推しを見つけた時みたいに、ソワソワが止まらない。隣人が神すぎて、オタク脳がバグったか?
これは、アイドルオタクの私が、謎すぎる隣人に“沼ってしまった”話。
清く正しく、でもちょっと切なくなる予感しかしない──。
「隣人を、推しにするのはアリですか?」
誰にも言えないけど、でも誰か教えて〜。
※「エブリスタ」ほか投稿サイトでも、同タイトルを公開中です。
※表紙画像及び挿絵は、フリー素材及びAI生成画像を加工使用しています。
※本作品は、プロットやアイディア出し等に、補助的にAIを使用しています。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる