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4章

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 朱雀に自分の答えを伝えようと決めた次の日。

 まだ見世を開かない昼間、吉原中に怒号が響いた。

「また火が広がったぞォ!」

「ありったけの水を持ってこい! 早く!」

 眠たい目をこすっていたが、火事という言葉で一気に目が覚めた。

 舞花は2階の座敷の窓から外を見て呆然とした。

「茶屋が…」

「舞花姉さん、どうしたんですか…?」

 外の言葉で話しながら起きた禿の浅葱を、いつもだったら叱っているところを背中を押して部屋から出した。

「火事にございんす! 浅葱は早く下に行って指示を仰ぎなんし!」

「ど…どえぇぇぇ!? 火事!? でも姉さんは…」

「わっちは荷物をまとめておきんす。夜叉もおりんすから…。浅葱の分も、部屋に行って準備しておきんす」

「あ…ありがとうございます! とりあえず行ってきます!」

 浅葱は寝ぐせで鳥の巣になっている頭のまま廊下をドタドタと走り、バタバタと階段を駆け下りた。運動神経がよく、落ち着きがないのでじゃじゃ馬と呼ばれがちな禿だ。

 他の部屋からも花魁や禿が起き出し、何事かとざわついている。楼主たちも今起き出したようだ。

「夜叉…大丈夫。わっちがおりんすから…」

 外からは相変わらず、暴言のような叫びが聞こえるが、夜叉は特別大泣きすることはなかった。舞花に抱き上げられておとなしくしている。度胸があるのは誰に似たのか。

 その後、この廓の者たち全てが集められ、火事が大規模ですぐにおさまりそうになく、最悪全焼の可能性もあるとして吉原から脱出すると、楼主から伝えられた。

「私の親戚の家が大きいんだ。その近くにもアテがある。ここにいる全員を受け入れるだけの広さがあるから安心してくれ」

 他の廓でも吉原から脱出することを決めたらしい。

 本来だったら禁止されている、吉原の外へ出る行為。

 緊急時であれば仕方ない。

 あまり大きいものは持っていけないので、高価で小さめなものと金銭だけ、各々で分けて持ち運んだ。

「舞花姉さんは夜叉ちゃんを守ってください! その分私が多めに持ちますから」

「申し訳ありんせんが、よろしくお願いしんす」

「もう姉さんたら水くさいですよ」

 まだ火の手にかかっていない道を選んで歩き進め、もうすぐ吉原と外界を隔てる大門が見えてきた時。

「どうか…消火を手伝ってはくれませんか!?」

 必死な男の声。舞花は夜叉を強く抱いて振り向き、悲痛な顔になった。

 ススで黒くなった顔に衣。まだ若い。

(わっちを育ててくれたここを…わっちは…)

 夜叉の顔を見ると、彼女は泣きはしないが落ち着きなく腕をふっていた。

 可愛い我が子。でもそれと同じくらい大事なものが。

「わっちはやっぱり…まだ逃げることはできんせん」

 舞花は立ち止まり、うつむいた。先を歩いていた者たちが一斉に振り向いた。

「何を言ってるんだ舞花。猛火の吉原と心中するつもりか?」

「そんなたわけなことは致しんせん。まだ守れる場所はあるはず。わっちは火消しの方たちのお手伝いをしたいと思いんす。ここは────わっちの生まれ故郷でありんすから」

 舞花は夜叉にほほえみ、その頬に唇でふれた。これは海の向こうにある国のあいさつだと、朱雀が教えてくれた。そして彼女は、不安そうな顔をした浅葱に夜叉を預けた。

 舞花の申し出に他の花魁や禿、芸者たちがここに残って消火活動をすると名乗り出た。

 その瞬間だった。彼らがいる付近にも火が燃え移り、それが使われていないもろい家屋だったため、火の手はすぐに広がって崩れ始めた。

「だめぇ────!」

 聞いたことのない浅葱の悲鳴。振り向こうとしたときには火の手が遮って炎の壁を作っていた。ほとんどの者が壁の内側に閉じ込められてしまった。

「舞花姉さん!」

「浅葱…!」

 壁の向こう側で浅葱をはじめ、同じ廓の者たちが呼ぶ声がした。だが、声だけでは助けてもらうことはできない。

(わっちは…ここまででござんすね)

 舞花はその場にへたり込み、夜叉の鳴き声にどうすることもできない情けない母親として恥じた。

(もっと早く…わっちが決心していたら)

 そしたら親子3人で平和に新しい場所で生きていけたのに。夜叉にこんな思いはさせなかったのに。

 舞花はこぼれる涙を拭い、震える声で浅葱を呼んだ。

「浅葱…わっちの声が聞こえる…?」

「はい!」

「夜叉を…どうかよろしくお願い致しんす。わっちはそちらへ戻れない」

「姉さん何を言ってるんですか…。この子には姉さんが必要です! そんな弱気なこと言わないでください!」

「こんな…大事な決断をすぐにできなかったわっちは母親失格。ここで死ぬのがお似合いにござんす…」

 舞花はさらにうなだれ、煙にむせて咳をした。浅葱の声と夜叉の泣き声が、次第に遠のいていく気がした。

 否、舞花の意識が薄れ始めている。

「じゃ…じゃあ! この子はわっちが預けてきます!」

 どういうこと、と問う気力もない。熱気に包まれ始め、舞花は自分の体を支えるのもしんどくなってきて倒れこんだ。瞳を閉じ、聴力だけに集中する。

「わっちの故郷にアテがあります! …一か八か、女神様に頼んできますから!」

(女神様…?)

 妙な単語に疑問を持ったが、浅葱が楼主の止めも聞かずに駆けだすのが聴こえた。きっと今、誰も見たことがない早い走りを見せているんだろう。

(わっちも見たかった…)

 のびのびとどこまでも外の世界を駆ける浅葱はどんな顔をしているのだろう。

 そして夜叉はどんな娘に成長していくのか…。

(朱雀様…。わっちは主様を真に愛しておりんす。きっとこの先もあなた様だけを…。せめて来世で、夫婦になれますように…)

 舞花は自分の髪色のような炎に包まれる前に意識を失い、業火の中で消えた。
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