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4章
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睦月と別れると、翼とアヤトは職員室に向かった。
「おもしろいこと考えたのね、睦月君」
勇敢な少年が今、彼なりに作戦を立てていとこ────葉月の目を覚まそうとしているのを知って嬉しくなった。
デートの邪魔、という高校生だからこそできる大胆な作戦。若いっていいな……と翼は、すれ違う生徒たちの笑い声を聞きながら顔をほころばせた。
「あらあら。まだ結婚もしてないのに母親みたいな顔してる」
「え?」
腰を曲げて顔をのぞいたアヤトは、突然姿勢を正して立ち止まった。
「ささ、制服のお母さん。職員室に着きましたよ」
「そんなんじゃないわ」
妙な呼び名に口をとがらせると、”おっとっと、不機嫌な女王様のお出ましだ”なんてからかい口調になる。
手刀をくらわせると、アヤトは脇腹を押さえながらわざとらしいうめき声を上げた。
「悪魔に手を上げるなんて大した人間だ……」
これから職員室に乗り込む────否、お邪魔すると言うのに、おどけている彼からは緊張感を感じない。彼のことだからきっと、今回も翼の後ろで澄ましているのだろうが。
翼は職員室の引き戸の前に立ち、まるで高校時代に戻ったように錯覚した。
あの時は職員室に入るのが苦手だった。入口で顔を真っ赤にして口ごもり、”どうした、がんばれがんばれ”と通り過ぎる教師に肩を叩かれたものだ。
職員室に入るには学年とクラスを添えて名乗るのだが、誰もこちらに顔を向けていないのに声を張り上げるのが死ぬほど恥ずかしかった。見られていたら見られていたで恥ずかしいが、名乗り終わるまで反応が返ってこないのが翼にとっては居心地が悪かった。
────あ、二村さーん。提出物だよね、ありがとー。
そんな時、気を遣って顔を向けてくれるのが夢原だった。大きく手を振って翼のことを招き、人のよさそうな笑みで迎えてくれた。
今なら何のためらいもなく入れるだろう。社会人になってから、取引先が待つ応接室へ何度も立ち入ってきた。初めこそ部屋へ入って初手の挨拶で噛んでいたが、今ではどんな相手が待っていようが心臓をバクバクさせることはない。
「彼氏と一緒に職員室? 若いわねぇ」
職員室から出て来たのは、胸にプリントの束を抱えた女性教師だった。四十代くらいの彼女は、翼とアヤトのことを交互に見てほほえんだ。
「そっ、そんなんじゃないですよ!」
「無理に否定しなくていいの。お似合いよ」
翼は体の前で手を振ったが、アヤトは調子に乗って彼女の肩に腕を回した。
「そうでしょう? まだ付き合って日が浅いから恥ずかしがってるんですよ~」
「あらあら、可愛いことじゃない。アヤト君が彼氏ならうまくリードしてくれそうねぇ。二村さんも堂々としていいのよ」
こんなことをしている場合じゃないのに……と、翼は肩を抱く男をにらみつけた。かかとで踏みつけると、彼は一瞬だけ顔を歪めたが涼しい表情で声を切り替えた。
「ところで先生……中に菊池さんがいませんでしたか?」
彼の本業のようなふるまいに翼は半目になった。何をこんなところでかっこつけているのだろう。仕事モードで胸に手を添えているが、学ランのせいでちぐはぐに見える。
ずいっと顔を寄せた彼に頬を染め、彼女は職員室に目をやってうなずいた。
「いたわ。提出物を届けに来たみたいだった……」
「そうですか。教えて頂きありがt」
「ありがとうございます! それでは!」
彼女の手をそっと取った彼は手の甲にキスを落としそうだった。そんなキザなことをする生徒がいるものか。翼は学ランの襟を強めに引っ張った。
「失礼しま……」
(あ……なんて言うべきかしら……)
職員室の引き戸を勢いよく開けたはいいが、用事があるのは生徒だ。教師ではない。
おとなしく廊下で待ってるべきだった……と後悔し、昔と同じように顔を赤らめてだまりこんだ。
翼の肩を押しのけ、アヤトは職員室を覗き込んで”おっ”という顔をした。
「いるじゃん、佳乃ちゃん」
彼が指差した方向を見ると確かにいた。ほんのり顔を染め、嬉しそうに話している。その表情には見覚えがあり、翼はなるほどと納得した。
きっと彼女は今、例の好きな先生と話しているのだろう。大量のファイルが入った棚で相手は見えない。
佳乃は最後に深々と頭を下げ、こちらへ向かってきた。
同時に相手が椅子から立ち上がった。
その顔を見た瞬間────翼の中で様々な想いが弾けた。鼻がツンと痛み、唇に力が入る。痛んだわけではないのに、胸の辺りのリボンを掴んだ。
懐かしい。苦しい。切ない。
もう会うことはないと思ってたけど、心の底ではずっと会いたかった。
あの時もっと笑顔でいられたら。もっと話し上手だったら。
あの頃の後悔の念が押し寄せてきて、心が苦しくなってくる。
(ダメダメ、今は……仕事中だから……)
「二村さん……?」
「……っ!?」
泣いてしまいそうなのをこらえていたら、懐かしい声が降ってきた。半分戸惑いが混ざっている。
温かい声にふれ、強張った顔も抑えていた感情も爆発しそうだ。
「どうして君がここにいるの? その姿は……」
思わず顔を上げると、ずっと忘れられなかった相手がポカンと口を開けていた。
ふわふわの天然パーマ、丸いレンズのメガネ、前が開いた白衣。容姿も身に着けているものも、当時とほとんど変わらない。
その顔は驚きと、翼の泣きそうな顔に気づかわし気な心情が織り交ざっていた。八の字眉がたれ下がっている。
「ユメ先生……?」
佳乃は白衣の後ろから顔をのぞかせ、二人の顔を交互に見た。
彼女は表情を曇らせて上目遣いになった。彼の視線を独り占めする翼に、嫉妬しているようにも見える。
「……ごめんなさい!」
魔法が解ける零時を迎えたシンデレラのように、翼はその場から駆け出した。
「ユメ先生、今のって……」
「二村さん!」
「ちょ……え!? 翼ちゃん! どこ行くの!」
アヤトの声が聞こえたが、翼は振り向くことなく廊下の先へ消えてしまった。
「おもしろいこと考えたのね、睦月君」
勇敢な少年が今、彼なりに作戦を立てていとこ────葉月の目を覚まそうとしているのを知って嬉しくなった。
デートの邪魔、という高校生だからこそできる大胆な作戦。若いっていいな……と翼は、すれ違う生徒たちの笑い声を聞きながら顔をほころばせた。
「あらあら。まだ結婚もしてないのに母親みたいな顔してる」
「え?」
腰を曲げて顔をのぞいたアヤトは、突然姿勢を正して立ち止まった。
「ささ、制服のお母さん。職員室に着きましたよ」
「そんなんじゃないわ」
妙な呼び名に口をとがらせると、”おっとっと、不機嫌な女王様のお出ましだ”なんてからかい口調になる。
手刀をくらわせると、アヤトは脇腹を押さえながらわざとらしいうめき声を上げた。
「悪魔に手を上げるなんて大した人間だ……」
これから職員室に乗り込む────否、お邪魔すると言うのに、おどけている彼からは緊張感を感じない。彼のことだからきっと、今回も翼の後ろで澄ましているのだろうが。
翼は職員室の引き戸の前に立ち、まるで高校時代に戻ったように錯覚した。
あの時は職員室に入るのが苦手だった。入口で顔を真っ赤にして口ごもり、”どうした、がんばれがんばれ”と通り過ぎる教師に肩を叩かれたものだ。
職員室に入るには学年とクラスを添えて名乗るのだが、誰もこちらに顔を向けていないのに声を張り上げるのが死ぬほど恥ずかしかった。見られていたら見られていたで恥ずかしいが、名乗り終わるまで反応が返ってこないのが翼にとっては居心地が悪かった。
────あ、二村さーん。提出物だよね、ありがとー。
そんな時、気を遣って顔を向けてくれるのが夢原だった。大きく手を振って翼のことを招き、人のよさそうな笑みで迎えてくれた。
今なら何のためらいもなく入れるだろう。社会人になってから、取引先が待つ応接室へ何度も立ち入ってきた。初めこそ部屋へ入って初手の挨拶で噛んでいたが、今ではどんな相手が待っていようが心臓をバクバクさせることはない。
「彼氏と一緒に職員室? 若いわねぇ」
職員室から出て来たのは、胸にプリントの束を抱えた女性教師だった。四十代くらいの彼女は、翼とアヤトのことを交互に見てほほえんだ。
「そっ、そんなんじゃないですよ!」
「無理に否定しなくていいの。お似合いよ」
翼は体の前で手を振ったが、アヤトは調子に乗って彼女の肩に腕を回した。
「そうでしょう? まだ付き合って日が浅いから恥ずかしがってるんですよ~」
「あらあら、可愛いことじゃない。アヤト君が彼氏ならうまくリードしてくれそうねぇ。二村さんも堂々としていいのよ」
こんなことをしている場合じゃないのに……と、翼は肩を抱く男をにらみつけた。かかとで踏みつけると、彼は一瞬だけ顔を歪めたが涼しい表情で声を切り替えた。
「ところで先生……中に菊池さんがいませんでしたか?」
彼の本業のようなふるまいに翼は半目になった。何をこんなところでかっこつけているのだろう。仕事モードで胸に手を添えているが、学ランのせいでちぐはぐに見える。
ずいっと顔を寄せた彼に頬を染め、彼女は職員室に目をやってうなずいた。
「いたわ。提出物を届けに来たみたいだった……」
「そうですか。教えて頂きありがt」
「ありがとうございます! それでは!」
彼女の手をそっと取った彼は手の甲にキスを落としそうだった。そんなキザなことをする生徒がいるものか。翼は学ランの襟を強めに引っ張った。
「失礼しま……」
(あ……なんて言うべきかしら……)
職員室の引き戸を勢いよく開けたはいいが、用事があるのは生徒だ。教師ではない。
おとなしく廊下で待ってるべきだった……と後悔し、昔と同じように顔を赤らめてだまりこんだ。
翼の肩を押しのけ、アヤトは職員室を覗き込んで”おっ”という顔をした。
「いるじゃん、佳乃ちゃん」
彼が指差した方向を見ると確かにいた。ほんのり顔を染め、嬉しそうに話している。その表情には見覚えがあり、翼はなるほどと納得した。
きっと彼女は今、例の好きな先生と話しているのだろう。大量のファイルが入った棚で相手は見えない。
佳乃は最後に深々と頭を下げ、こちらへ向かってきた。
同時に相手が椅子から立ち上がった。
その顔を見た瞬間────翼の中で様々な想いが弾けた。鼻がツンと痛み、唇に力が入る。痛んだわけではないのに、胸の辺りのリボンを掴んだ。
懐かしい。苦しい。切ない。
もう会うことはないと思ってたけど、心の底ではずっと会いたかった。
あの時もっと笑顔でいられたら。もっと話し上手だったら。
あの頃の後悔の念が押し寄せてきて、心が苦しくなってくる。
(ダメダメ、今は……仕事中だから……)
「二村さん……?」
「……っ!?」
泣いてしまいそうなのをこらえていたら、懐かしい声が降ってきた。半分戸惑いが混ざっている。
温かい声にふれ、強張った顔も抑えていた感情も爆発しそうだ。
「どうして君がここにいるの? その姿は……」
思わず顔を上げると、ずっと忘れられなかった相手がポカンと口を開けていた。
ふわふわの天然パーマ、丸いレンズのメガネ、前が開いた白衣。容姿も身に着けているものも、当時とほとんど変わらない。
その顔は驚きと、翼の泣きそうな顔に気づかわし気な心情が織り交ざっていた。八の字眉がたれ下がっている。
「ユメ先生……?」
佳乃は白衣の後ろから顔をのぞかせ、二人の顔を交互に見た。
彼女は表情を曇らせて上目遣いになった。彼の視線を独り占めする翼に、嫉妬しているようにも見える。
「……ごめんなさい!」
魔法が解ける零時を迎えたシンデレラのように、翼はその場から駆け出した。
「ユメ先生、今のって……」
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アヤトの声が聞こえたが、翼は振り向くことなく廊下の先へ消えてしまった。
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