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初めてのサシ飲み(1)
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同じ部の隣のチームのめちゃくちゃ仕事ができる3つ上の先輩柚木さんに、実は5年付き合った婚約者との破談経験があると知ったのが一年前。「優秀な先輩」という印象と漠然とした憧れはあったものの、長くお付き合いをされた方と破談になるなんて、どうこうなりたいと思う対象にはならず、たまに業務上のメールのやりとりをするだけの日々が続いていた。
当然、なんとなくプライベートな話をするのも憚られる。部の飲み会があっても昼休みに雑談をしても、当たり障りのない話をするばかりで、社会人として適度な距離感を保っていた。
「ねえ、藤井さん、まだ仕事続ける? もう他のみんな帰ったよ」
「あ……本当ですね。私はまだ続けます。柚木さんは?」
「俺はもうちょっとかな。夜食食べに行くか、このまま続けるか迷っているところ。よかったら駅前のコンビニ行かない? もう帰れるなら、それが一番いいと思うけど」
「実は、ちょっとお腹空いて集中力切れかけていたんです。ご一緒させてください」
柚木さんに声をかけられたのは、残業に勤しみ夜の10時を過ぎたころだった。うちの部には古き残業体質が残っていて、この時間に誰かと二人きりになるのは珍しい。まだ他の皆も残業していると思っていた。
柚木さんに話しかけられ、せっかくなのでご一緒させていただくことにした。柚木さんは小顔で足も長く、懇意になりたいわけでなくとも一緒に歩けることに少しテンションが上がる。
駅前のコンビニまでは数分の距離だが、夏の夜はじめじめと暑く、アイスが恋しくなる。今抱えている仕事の話や、上司の愚痴を話しているとあっという間で、お互い苦労するねと慰め合う空気が残業に疲弊した心に沁みた。
「サラダとか、軽めのがまだ残っていてよかった」
「あれ、ガッツリ系のご飯ものじゃなくていいんですか?」
「うん、まあ三十路も過ぎて今32歳でしょ? うっかりすると体形が崩れそうで」
「いやいや、柚木さんスタイルすごくいいじゃないですか……」
「ありがと。嬉しいからアイス買ってあげる」
「え、申し訳ないです……だったら、半分こできるやつにしましょ?」
「はいはい」
サラダやブリトー、白くて丸い大福のようなアイスを買い込み、オフィスに戻る。ほかのフロアもほとんど電気が消えていて、早く帰りたい気持ちが募る。
「お互い山越えたらさ、コンビニごはんじゃなくておいしいもの食べに行こうよ」
「いいですね……ちょっとリッチなもの食べて元気になりたいです」
「そうそう、メンタルの回復デー作ろう。俺それ目標にしたいから日付決めよ。もうそういうゴールがないと、頑張れない」
「わかります。この日まで頑張れば……! っていうの、ほしくなるときありますよね」
「残業戦士の言葉は重いわ。入社してからずっとこの働き方でしょ? よく耐えたね、ほんとえらいよ」
新卒で入社してから6年。残業するのが当たり前すぎて、誰かに労わられるなんて思ってもいなかった。優秀な先輩が、私のこと気にかけて息抜きに連れ出してくれたのも嬉しくて、今日は柚木さんが帰るまで一緒に頑張ろうかな、と思えるくらい。
「じゃあ、再来週。金曜日にここいかない? この間一人で行ったんだけど、おいしくてコスパもよかったから」
「わ、なんかすごくお高そうに見えますけど……」
「リッチなもの食べたいって言ったじゃん。こんなに頑張ってるんだから、たまには自分にご褒美ってことで。決まりね。予約しておくから、この日だけは定時退社しよ。楽しみにしてる」
その場でサクサクと予約をしてくれるのも、なんだか年上の頼れる男性感がして、残業ばかりの社畜にはトキメキが強すぎる。私とのごはんが楽しみだなんて、口説かれているのかと勘違いしてしまいそうになるのは、あまりにも疲れているのだろうか。
柚木さんはドキドキしてしまった私とは異なり、落ち着いた雰囲気で仕事に戻っていった。
「んね、そろそろ終電じゃない?」
「あ、そうですね。何も終わってないけど、潮時ですね……」
「藤井さんの、終電なければまだ働けます!みたいなタフさ、俺好きだわ。でも健康第一だからね、帰ろう」
柚木さんと外に出ると、夜の少しひんやりした空気に目が冴えた。ほかに誰もいない状況で柚木さんとたくさんお話できて、いきなり心理的な距離が縮まった気がする。しばらく彼氏のいなかった私は、久々の「異性」との一対一の会話から得られる独特な緊張感を楽しんでいた。
「またこんな日があったらさ、今度はもう少し早めに夜食買いに行こうか。遅くなったらその分身体に悪いしね。まあ、一番いいのは残業せずに帰れることだけど」
ケラケラと笑いながら、また明日ね?と手を振る姿は、いつもオフィスで見るのと同じなはずなのに、自分でも自分のことを「ちょろすぎる」と理解しているはずなのに、どうしてかいつもの5割増しで魅力的に見えてしまった。
当然、なんとなくプライベートな話をするのも憚られる。部の飲み会があっても昼休みに雑談をしても、当たり障りのない話をするばかりで、社会人として適度な距離感を保っていた。
「ねえ、藤井さん、まだ仕事続ける? もう他のみんな帰ったよ」
「あ……本当ですね。私はまだ続けます。柚木さんは?」
「俺はもうちょっとかな。夜食食べに行くか、このまま続けるか迷っているところ。よかったら駅前のコンビニ行かない? もう帰れるなら、それが一番いいと思うけど」
「実は、ちょっとお腹空いて集中力切れかけていたんです。ご一緒させてください」
柚木さんに声をかけられたのは、残業に勤しみ夜の10時を過ぎたころだった。うちの部には古き残業体質が残っていて、この時間に誰かと二人きりになるのは珍しい。まだ他の皆も残業していると思っていた。
柚木さんに話しかけられ、せっかくなのでご一緒させていただくことにした。柚木さんは小顔で足も長く、懇意になりたいわけでなくとも一緒に歩けることに少しテンションが上がる。
駅前のコンビニまでは数分の距離だが、夏の夜はじめじめと暑く、アイスが恋しくなる。今抱えている仕事の話や、上司の愚痴を話しているとあっという間で、お互い苦労するねと慰め合う空気が残業に疲弊した心に沁みた。
「サラダとか、軽めのがまだ残っていてよかった」
「あれ、ガッツリ系のご飯ものじゃなくていいんですか?」
「うん、まあ三十路も過ぎて今32歳でしょ? うっかりすると体形が崩れそうで」
「いやいや、柚木さんスタイルすごくいいじゃないですか……」
「ありがと。嬉しいからアイス買ってあげる」
「え、申し訳ないです……だったら、半分こできるやつにしましょ?」
「はいはい」
サラダやブリトー、白くて丸い大福のようなアイスを買い込み、オフィスに戻る。ほかのフロアもほとんど電気が消えていて、早く帰りたい気持ちが募る。
「お互い山越えたらさ、コンビニごはんじゃなくておいしいもの食べに行こうよ」
「いいですね……ちょっとリッチなもの食べて元気になりたいです」
「そうそう、メンタルの回復デー作ろう。俺それ目標にしたいから日付決めよ。もうそういうゴールがないと、頑張れない」
「わかります。この日まで頑張れば……! っていうの、ほしくなるときありますよね」
「残業戦士の言葉は重いわ。入社してからずっとこの働き方でしょ? よく耐えたね、ほんとえらいよ」
新卒で入社してから6年。残業するのが当たり前すぎて、誰かに労わられるなんて思ってもいなかった。優秀な先輩が、私のこと気にかけて息抜きに連れ出してくれたのも嬉しくて、今日は柚木さんが帰るまで一緒に頑張ろうかな、と思えるくらい。
「じゃあ、再来週。金曜日にここいかない? この間一人で行ったんだけど、おいしくてコスパもよかったから」
「わ、なんかすごくお高そうに見えますけど……」
「リッチなもの食べたいって言ったじゃん。こんなに頑張ってるんだから、たまには自分にご褒美ってことで。決まりね。予約しておくから、この日だけは定時退社しよ。楽しみにしてる」
その場でサクサクと予約をしてくれるのも、なんだか年上の頼れる男性感がして、残業ばかりの社畜にはトキメキが強すぎる。私とのごはんが楽しみだなんて、口説かれているのかと勘違いしてしまいそうになるのは、あまりにも疲れているのだろうか。
柚木さんはドキドキしてしまった私とは異なり、落ち着いた雰囲気で仕事に戻っていった。
「んね、そろそろ終電じゃない?」
「あ、そうですね。何も終わってないけど、潮時ですね……」
「藤井さんの、終電なければまだ働けます!みたいなタフさ、俺好きだわ。でも健康第一だからね、帰ろう」
柚木さんと外に出ると、夜の少しひんやりした空気に目が冴えた。ほかに誰もいない状況で柚木さんとたくさんお話できて、いきなり心理的な距離が縮まった気がする。しばらく彼氏のいなかった私は、久々の「異性」との一対一の会話から得られる独特な緊張感を楽しんでいた。
「またこんな日があったらさ、今度はもう少し早めに夜食買いに行こうか。遅くなったらその分身体に悪いしね。まあ、一番いいのは残業せずに帰れることだけど」
ケラケラと笑いながら、また明日ね?と手を振る姿は、いつもオフィスで見るのと同じなはずなのに、自分でも自分のことを「ちょろすぎる」と理解しているはずなのに、どうしてかいつもの5割増しで魅力的に見えてしまった。
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