義手の探偵

御伽 白

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思い出を辿る部屋

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 玲子達が暮らす街は森乃宮もりのみや市という。名前の通り自然豊かな街であるが、生活に困らない程度には公共交通機関も存在している。駅の周辺はその影響からか、いくつもの店が立ち並び、特殊なものでなければ、一通り揃えることが出来る。
 そして、駅から少し離れた街を二つに分けるような大きな叶川と呼ばれる川があり、川を越えると自然豊かな田舎町に顔色を変える。
 都市化の進んでいる最中の街というのが、森乃宮市のイメージである。
 駅から少し離れたに建つ洋風の建築物がある。大きな庭があり、あまり手入れをされていないのか、花壇からは雑草が生い茂っており、繁殖力の高い蔓の植物が白い建物の二割ほどを緑に染め上げている。豪華な建物だが、どこか陰鬱な雰囲気を放っていて、その家の門には天野と書かれた表札が付けられている。この家が天野 玲子の自宅である。
 玲子は家に入ると自室で荷物を適当に放り投げるとクローゼットから寝巻きを取り出す。玲子の普段のイメージとは違うどこか幼い印象の残る部屋である。玲子は基本的にこの部屋で寝るのと着替えるのに使っているだけで、ほとんどこの部屋を使っていない。というよりも玲子は、いくつもの部屋があるが、ほとんど出入りすることはない。
 玲子は服を着替え終えると自室を出て、いつものように父の仕事部屋に入った。
 電気を点けると、そこは壁一帯に標本の飾られた部屋だった。彩り華やかな蝶が飾られ、博物館のような印象すら受ける。部屋の端には、分厚い本が入れられた本棚があり、それらは昆虫。特に蝶に関する物が多く取り揃えられていた。
 玲子は部屋にある大きな椅子に腰掛け、机の上に置いた読みかけていた本に手を伸ばした。
 それもやはり蝶に関する本であった。知識に入れると言うより、流し読む様に玲子は本を読み進める。ただ読んでいるだけで、しばらくすれば大半は忘れてしまう。印象に残った部分はかなり記憶としても維持されるが、それも、ほとんど断片的だ。
 玲子は、蝶が好きだ。けれど、詳しくなりたい訳では無い。玲子にとって、本を読むという動作は亡き両親を思い出す方法なのだ。
 玲子以外の誰もいないこの家で暮らして、もう五年の時が経つ。玲子が高校二年の頃、車での移動中に事故に遭った。自分もかなりの怪我をしたらしいが、命に別状はなかった。しかし、両親は助かる見込みはなかったらしい。自動車同士の接触事故らしく、ニュースにも取り挙げられていた。
 私自身は、よく理解出来ないまま、気がつけば病院のベッドで横になっていた。
 自分は事故当時の記憶を失っていた。まるで抜け落ちたように事故当時の記憶がなく、医者はショックによる軽度の記憶喪失だと診断した。
 それ以上に注目されたのは、記憶を失う前まで生身の右腕だったはずが、禍々しい義手に変貌していたことだった。
 しかも、それが最先端技術でもありえない高精度で稼働する義手であるというのだから、医者も注目せざるを得なかった。しかし、調査しても原理の解明も出来ずに玲子の怪我は回復し、逃げるように自分の家に帰ってきていた。
 親の遺産と事故の慰謝料で合格の決まっていた大学に入り、現実逃避のように普段通りの生活を続けた。
 けれど、家に帰るたびに玲子は、自分以外に誰もいない家に両親の影を探していた。玲子が読んでいる本も父が好きだった本だった。読んでいるとなんとなく懐かしい香りがする。両親との思い出がその香りを通して思い出される。
 父とは仲が良かったという訳では無い。父は多忙で基本的に夜中に家に帰ってきて、朝には家を出ていた。家にいる時も部屋に篭って趣味で集めている蝶の本や標本を見て過ごしていた。だから、父との思い出は、多くある訳ではない。
 けれど、父の影響からか蝶の姿に惹かれて父の部屋に入り浸っていた。会話もほとんどなく、ただ同じ空間を共有していただけだったが、それでも充実感があった。母はいつもそんな玲子達に呆れ顔を浮かべながら食事が出来たことを報告に来る。
 そして、家族全員で食事をとることが玲子の日常だった。
 今は、この部屋に母が顔を出すことはない。父が珍しい標本が手に入ったと見せに来ることもない。
 そうして、玲子が過去に想いを馳せていると玄関のドアを開く音が聞こえる。
「玲子。ご飯作りに来たよ。君どうせ、適当な食事かしてないだろうし」
 玄関から聞こえる誠の声に玲子は、意識を現実に戻した。誠には合鍵を渡しているため、声をかけて入ってきたようだ。
 玲子の生活能力は低くは無い。けれど、こうして過去に没頭していると時間を忘れてしまうため、食事もおざなりになってしまうことも多かった。
 大学時代、両親を失った喪失感から何に対してもやる気を持てず、日に日にやつれていったことがあった。それを心配した誠が定期的に家を訪れては家事をしていく。大学を卒業した今でもそれは続いている。誠がいなければ、玲子はどこかで折れて廃人同然の生活を送っていただろう。
 足音が近づいて来てドア越しに誠の声が聞こえる。
「キッチン借りるよ。終わったら出てきなよ。」
 音が去っていくのを感じて、玲子は読んでいた本を置いて部屋を出た。
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