看取り人

織部

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 看護師がやってきて宗介のバイタルと瞳孔の動きを確認する。
「聞こえますかあ?」
 看護師が耳元で声を掛けても反応がない。
 看護師は、優しく宗介の髪を撫でる。
 そして看取り人の前までやってくる。
「恐らく・・あと1時間もないわ」
「・・・そうですか」
 看取り人は、小さく呟く。
「まだ、いる?」
 看取り人は、頷く。
「ええっ仕事ですから」
 看護師は、マスク越しに微笑み、看取り人の肩に手を置く。
「話しかけてあげて。声は、最後まで聞こえてるから」
 看取り人は、小さく頷いた。
 看護師は、宗介に小さく頭を下げて部屋から出ていく。
 沈黙が流れる。
 聞こえるのは不規則になった宗介の呼吸音と酸素の機械の音だけ。
「聞こえますか?」
 看取り人が話しかける。
 宗介は、答えない。
「なんか話しが尻切れ蜻蛉になっちゃいましたね」
 ちょっと前の宗介なら「抜かせ」と言って小さく笑っただろう。しかし、彼の口から漏れるのは不規則な呼吸音だけだ。
「これじゃあ物語として消化不良になっちゃうので・・僕が続きを話してもいいですか?」
 宗介の不規則な呼吸が変微細に変化した気がする。
「アイさんは・・この世界にちゃんといますよ」
 宗介の呼吸が乱れる。
 虚な目が小さく揺れる。
「アイさんは、貴方の前から消える前日に目を覚ましたんだそうです。付き添っていた家族は喜び、アイさんに状況を説明しました。1番上のお兄さんが貴方に連絡しようとしました。でも、アイさんがそれを止めたんだそうです」
 宗介の呼吸が不規則に早くなった気がする。
「アイさんは、お兄さんに言いました」

「お願い・・兄さん・・彼に伝えないで」
 アイは、泣きながら兄に縋り、懇願した。
「私と一緒にいたら彼をまた不幸にしてしまう」
 戸惑う兄。
 しかし、その後ろでずっと黙っていた父親が「分かった」と小さく告げた。
「全て私に任せなさい。お前は・・・何も気にするな」
 そう言って微笑み、優しくアイの肩に手を乗せるその顔はまさに娘を思う父親のものだった。
 
 看取り人は、小さく息を吐き、パソコンのキーボードに目を落とす。
「アイさんは、絶望していたんです。自分がこうなったのも、シーさんが死んだのも自分のせいだって。自分の運命が幸せになることを許さないせいだって」
 看取り人は、話しながら唇を噛み締める。
「彼女は、愛する宗介さん、貴方を自分の運命に巻き込まないために離れることを選んだんです。愛する貴方のために・・」
 宗介の口から呼吸が長く漏れる。
「家族や友達に黙っているようにお願いし、職場を変え、自分を探しにきた興信所にもお金を渡して伝えないようお願いしたそうです」
 看取り人は、顔を上げる。
 その目にうっすらと潤んでいる。
「全ては、宗介さん・・貴方の幸せを願って・・」
 宗介の口から空気が溢れる。
 もうすぐ・・もうすぐ命が消える。
 魂が身体から抜け、激しい後悔と嘆き、そして絶望を持ったまま彼はこの世から消え去ってしまう。
 看取り人は、パソコンの上に置いた拳を握りしめる。
 本当にそれでいいのか?
「貴方は、それでいいんですか!」
 看取り人の声が部屋の中に響き渡る。
 宗介は、何の反応もしない。
「もう直ぐ終わってしまうんですよ!会えなくなってしまうんですよ!この世でもっとも大切な人に!この世で最も最愛な人に!貴方は本当にそれでいいんですか!」
 看取り人の神に向かって吠えるような叫び。
 宗介は、反応しない。
 看取り人の目から涙が一筋流れる。
「後悔しないでください。意地を張らないでください・・自分の気持ちに耳を傾けてください・・・」
 宗介は、祈るように、願うように呟く。
「アイさん・・・」
 ドアが開く。
 髪の長い、妙齢の女性が姿を現す。
 その二重の綺麗な目からは涙が溢れ、愛らしい顔は悲しみに崩れ、華奢だけどがっちりとした身体は震えていた。
 女性は、迷いのない足取りで宗介の眠るベッドに駆け寄り、痩せ細った手を握る。
「宗介・・・」
 少し低い声で女性は、宗介の名前を呼んだ。
 虚であった宗介の目が揺れる。
「宗介・・・宗介ぇ!ごめんなさい・・宗介ぇぇ!」
 女性は・・・アイは、泣きながら宗介の名前を呼び続ける。
 アイに握られた宗介の手が弱々しく動き、握る。
 呼吸と共に宗介の唇が小さく動く。
 その口からは声は出ない。
 しかし、アイには分かった。
 彼が自分の名前を呼んでくれたことに。
「宗介」
 アイは、ベッドに横たわった彼の身体を優しく抱きしめた。
「ずっと・・・ずっと一緒にいるからね」
 宗介の手が力なく、アイの背中に添えられる。
 まるで抱きしめるように。
「宗介・・・愛してるよ・・宗介・・」
 看取り人は、パソコンを閉じて立ち上がる。
 2人にゆっくりと頭を下げ、部屋から出ていく。
 小さく息を吐き、奥のエレベーターに向かって歩いていくとアイの慟哭の声が聞こえた。
 看取り人は、歩みを止め、目を閉じる。
「どうぞ安らかに。ご冥福をお祈り致します」
 宗介は、天に召された宗介を思い浮かべた。
 安らいだ笑みを浮かべた、宗介の顔を。
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