【完結】愛してないなら触れないで

綾雅(りょうが)今年は7冊!

文字の大きさ
37 / 112

36.同情なのに期待してしまう

しおりを挟む
 ヴィクトール様に妻がいないと聞いて、どきどきしてしまう。ひどく自分勝手に思えて自己嫌悪に陥ったのは、執事ベルントが退室してしばらくしてだった。

「どうなさいました? おく……お嬢様」

 奥様と言いそうになって、アンネは慌てて笑顔を作った。誤魔化すのが上手ね。ふふっと笑ってしまった。もしかして、それが目的? 私が青ざめたから心配したんじゃないかしら。

 私には過ぎた侍女ね。勿体無いくらい。そこで気持ちが少しほぐれた。彼女に相談してみようと思う。あの屋敷で前世の記憶の共有を知った日から、一蓮托生だもの。

「話を聞いてもらってもいいかしら」

 頷いてベッドサイドの椅子に座った彼女が、両手で私の指先を包み込む。人の温もりや手の柔らかな感触で、気持ちが軽くなった気がした。

「どうぞ」

 聞く体勢を整えたアンネは、なぜか微笑んでいた。少し嬉しそう。そこで気付いた。過去の私が彼女に相談したことはなかったわ。何か欲しいものをお願いしたことはあるけど、ただ聞いて欲しいなんて相談は初めてよ。彼女に頼り切っていたつもりだけど、物理的な面だけだったみたい。

「私、変なのよ。夫だったレオナルドと離縁できて嬉しい。好きでもないし、前世を思えば怖いだけだもの。だから爵位を取り戻して独立するつもりで……準備してきた。でも気持ちが揺らいでいるわ」

 空いている左手で胸元をぎゅっと握った。この胸が高鳴るの。それをどう説明したらいいかしら。

「大公閣下のご厚意ですか?」

「ええ。あの方は私達を助けてくれたわ。何も利害関係がないのに、あんなに親切で優しい方は初めて。あなたも知ってるでしょう? 私はアウエンミュラーの血を受け継ぐ存在だけど、実家で一度も大切にされたことはなかった」

 苦しくなる。アンネはリヒテンシュタイン公爵家の侍女だった。嫁ぐ前に滞在し始めてからの私しか知らないわ。精々1ヶ月程度。実際は前世もあるから、付き合いはもっと長い。それでも、実家で蔑ろにされた事実を詳しく話すのは迷った。

「令嬢なんて名ばかり、侍女より酷い生活をしてきたわ。食事は残り物だったし、部屋を掃除してもらったこともないの」

「っ、なんてこと……」

 息を呑んだ彼女の顔を見る勇気がなくて、私は俯いた。包まれたままの指先が温かくて、泣きたくなる。

「だから、勘違いしてしまいそうで怖いわ。ヴィクトール様は私に優しくしてくれる。それは同情なのに、私は期待してしまう。私だけに親切なわけではないのに」

 一気に吐き出して、震える喉で息を吸い込んだ。ゆっくりと吐いて気持ちを落ち着けようと心がける。気持ちを誰かに吐露したことはない。親しい友人もいないし、家族と呼べる母が亡くなってから、誰も頼れなかったわ。

「お嬢様は、ヴィクトール様に期待していらっしゃいます。その気持ちをなんと呼ぶかご存じですか?」

「いいえ。あなたは知っているの? 苦しくてどきどきするの。奥様の存在に思い至って心が痛むのに、いないと知ってほっとする。こんな浮き沈みの激しい感情は知らないわ」

 アンネはとても綺麗に笑った。そばかすの跡が残る頬にエクボが浮かんで、すごく可愛いと思う。私の指先だけでなく手をしっかりと握って、アンネは思わぬ解決方法を口にした。

「そのお気持ち、大公閣下に告げてください。きっと喜んでくださいます」

 どうして? 喜んでくれるわけないわ。私は妻でも恋人でもない、ただのお荷物だもの。
しおりを挟む
感想 288

あなたにおすすめの小説

我慢するだけの日々はもう終わりにします

風見ゆうみ
恋愛
「レンウィル公爵も素敵だけれど、あなたの婚約者も素敵ね」伯爵の爵位を持つ父の後妻の連れ子であるロザンヌは、私、アリカ・ルージーの婚約者シーロンをうっとりとした目で見つめて言った――。 学園でのパーティーに出席した際、シーロンからパーティー会場の入口で「今日はロザンヌと出席するから、君は1人で中に入ってほしい」と言われた挙げ句、ロザンヌからは「あなたにはお似合いの相手を用意しておいた」と言われ、複数人の男子生徒にどこかへ連れ去られそうになってしまう。 そんな私を助けてくれたのは、ロザンヌが想いを寄せている相手、若き公爵ギルバート・レンウィルだった。 ※本編完結しましたが、番外編を更新中です。 ※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。 ※独特の世界観です。 ※中世〜近世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物など、その他諸々は現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

王命により、婚約破棄されました。

緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。

忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。 そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。 もちろん返済する目処もない。 「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」 フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。 嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。 「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」 そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。 厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。 それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。 「お幸せですか?」 アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。 世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。 古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。 ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。 ※小説家になろう様にも投稿させていただいております。

逆行転生、一度目の人生で婚姻を誓い合った王子は私を陥れた双子の妹を選んだので、二度目は最初から妹へ王子を譲りたいと思います。

みゅー
恋愛
アリエルは幼い頃に婚姻の約束をした王太子殿下に舞踏会で会えることを誰よりも待ち望んでいた。 ところが久しぶりに会った王太子殿下はなぜかアリエルを邪険に扱った挙げ句、双子の妹であるアラベルを選んだのだった。 失意のうちに過ごしているアリエルをさらに災難が襲う。思いもよらぬ人物に陥れられ国宝である『ティアドロップ・オブ・ザ・ムーン』の窃盗の罪を着せられアリエルは疑いを晴らすことができずに処刑されてしまうのだった。 ところが、気がつけば自分の部屋のベッドの上にいた。 こうして逆行転生したアリエルは、自身の処刑回避のため王太子殿下との婚約を避けることに決めたのだが、なぜか王太子殿下はアリエルに関心をよせ……。 二人が一度は失った信頼を取り戻し、心を近づけてゆく恋愛ストーリー。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

処理中です...