上 下
34 / 92
第4章 奪われる恐怖

34

しおりを挟む
※流血表現があります。
***************************************







「っくしょう、間に合うか……」

「ライアン?」

 リスキアの怪訝そうな声を無視し、自分の左手の手首を切る。鍛え上げられた刃は鋭く、軽い所作から想像も出来ないほど深く肌を切り裂いた。

 流れ出した血の赤い色がシリルの肌に落ちる。ぽたぽたと音を立てる量でなく、ひたすら途切れることなく流れ続けるほど。痛みに噛み締められていた唇をキスで開き、自分の左手から流れる血を流し込んだ。

 上から注がれる血を飲み込むことが出来ないシリルの口から、血が溢れて零れる。

「……シリル……」

 何度流し込んでも床に零れる赤い命水を眺め、ライアンは焦った様子で左手首の傷をさらに抉った。彼自身が失血死しかねない程の血が、シリルの白い肌を汚していく。

 左手の傷口から吸った血をキスで流し込み、嚥下えんかを促した。

「頼む、間に合ってくれ……」

 泣き出しそうな声で囁きながら、ライアンは美しい人形のような黒髪の少年を抱き締めた。




 口移しで流し込む血に、シリルの意識が浮上する。げほっ、けほっ……噎せて苦しさに目を薄く開けば、あれほど望んだライアンの青紫の瞳が見えた。

 心配そうに歪められた表情と、震える腕の感触、求めた人の温もり――ぽつりと頬に涙が落ちる。上から降ってくるライアンの心に、シリルは口を開いた。

「……ィア……っ」

 声が出ないながらも、唇は震えながら名を呼ぶ。

「シリルッ……良かった……」

 膝をついたまま胸元に引き寄せていたシリルの頭を抱き込み、頬を伝う涙を止める術もないまま流し続けた。自分の左手の血を口に含んで、もう一度、錆びた匂いのキスを贈る。

 口移しに与えられる甘い血を受け取りながら、あまりに濃厚な臭いに顔を顰めた。怠い体を鞭打って周囲を見回せば、アイボリーの絨毯を基調とした淡い色彩の室内は、血の赤に染まっている。転がる死体に不愉快さが増し、シリルは深い息をついた。

「ライ……ン……」

 気怠くて持ち上がらない手を動かせば、指の動きに気づいたのか。ライアンの温かい手が指を包み込んでくれる。普段は少し冷たく感じる肌なのに、血が足りないシリルの方が冷えていた。

「ゴメンな、側を離れたりして……こんな目に合わせちまった」

 ぎゅっと抱き締められ、シリルはほっと息をつく。再びライアンに出会えてよかった。もう会えなくなるかと思ったのに。

 肩の傷がむず痒い。ライアンの持つ不死の民の血が、傷を塞ぎ始めたのだろう。視線を向けた先で自分を抱き締めるライアンの顔は、少し血の気を失って青白かった。大量の血を自分に与えたからだと悟り、シリルは何も言えずに顔を埋める。

 ふわりと抱き上げられ、柔らかいソファにおろされた。背から下ろされても、もう傷は酷い痛みを訴えることはなくて、安堵に息をつく。

「っ……アイザックは?」

 はっと顔色を変えて起き上がろうとするシリルを、ライアンの腕がそっと押し戻した。首を横に振る仕草と、かすかに浮かんだ笑みに、彼の無事を知る。

「大丈夫、オレ達の血の力を知ってるだろ? アイザックも、リスキアも無事だよ」

 額に接吻けられ、濡らしたタオルでそっと顔を拭われる。血でべっとりとしていた肌が清められる感触の心地よさに、シリルは長い息を吐き出し……眠りのかいなに沈んで行った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

昔々の幼なじみの

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:5

片翼の召喚士-Rework-

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:151

故国の仇が可哀想すぎて殺せない~愛は世界を救う。たぶん、~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:89

私の意地悪な旦那様

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:136

自分を見ないで

BL / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:48

国で一番醜い子は竜神の雛でした。僕は幸せになれますか?

BL / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:558

月が導く異世界道中

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:55,621pt お気に入り:53,819

竜人族の婿様は、今日も私を抱いてくれない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:172

少女は魔物に心を奪われる。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:8

処理中です...