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75.その声に泣きたくなった(SIDEセティ)

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*****SIDE セティ



 子猫はイシスに懐いている。面白くない感情もあるが、子猫に八つ当たりをする気はない。何しろ、奴は何も覚えていないのだから。幼い姿でよたよた歩く子猫は、あのいけすかない豊穣神アトゥムの魂を宿した器だった。記憶も神格もすべて剥奪してやったが、元神である事実は変わらない。

 あの場で完全に食ってしまうつもりでいた。オレに逆らうなら、神でも魔物でも同じだ。滅びてしまえばいい。ゲリュオンに半分譲ったが、残りを貪って吸収した。神が神を食らうということは、その力も能力も信仰すら奪う行為だ。ほとんど吸収し終え、残るのは作り物めいた頭くらいか。

 そのタイミングで、あの野郎が横やりを入れやがった。豊穣の神がいなくなると困る。数万年の封印で許してやれと頭ごなしに命じてきた。撥ねのけることも可能だが……オレは譲歩した。代わりに別の条件を飲ませるために。

 全能神を名乗る不遜な奴は、悩んだ末に了承した。いや、了承せざるを得ないだろう。オレが本気で攻撃すれば、奴だって無事では済まない。今は戦いと争いを司るゲリュオンがいる。過去の聖戦ほど簡単に引いてやる理由はなかった。

 赤い顔のイシスは熱がある自覚はないのだろう。怠い体を動かして、子猫に手を伸ばす。何も持たない子供が初めて得た生き物は、あふっと小さな口で欠伸をした。体調不良に気づかないイシスは、鼻を啜り息苦しそうだ。額に触れると熱い。間違いなく具合が悪いのに、尋ねると否定する。

 どうやら全能神を名乗るあのバカが仕事をしたらしい。イシスの体は作り替えられていく。その過程で発熱や体の痛みがあるのは仕方なかった。根本的に作り直すのだから。

「オレも寝るから、一緒に休もう」

「一緒に、寝る」

「いい子だ。おいで」

 壁際に横たわると、のそのそベッドを四つん這いで進むイシスが寝転ぶ。あっという間に手足を丸めて、子猫のように丸くなった。当然のように子猫がイシスの顔のそばで丸まって鳴く。

 起きたら少し楽になればと、手をかざして力を流し込む。この子の本質を変えないよう、だがオレが望んだ存在に変質させるために。治癒なんて苦手なんだが……。イシスが楽になるなら、苦手な調整もこなせるし、苦にならなかった。

 起きたイシスが、ゲリュオンと軽口をたたきあう。どうやら体調不良は落ち着いたらしい。これから数回に分けて、イシスの体は変わっていく。楽しみであると同時に、多少の怖さもあった。

 人間はいつだって、大きな力を手にすると変わる。美しかった透明の内面を曇らせ、濁らせて腐らせるのだ。イシスなら大丈夫だと思う反面、恐怖はどうしても拭いきれなかった。

 くすくす笑うイシスを後ろから抱きしめる。

「どうしたの?」

「おいおい、俺がいないときにしてくれ」

 きょとんとしたイシスと、肩を竦めて立ち上がるゲリュオン。友人が出ていくのを見送り、イシスの首に唇を押し当てた。ひゃっと変な声が出ていたが、すぐにイシスは体の力を抜く。そんなに無防備だと、悪い神に食われちまうぞ……。

「セティ、僕……セティが大好き。子猫もありがとう。頑張ってお母さんになるね」

 指先の冷たい手がオレの腕をつかみ、イシスはゆっくりと話す。その声が耳に心地よくて、なぜか鼻の奥がツンとした。
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