便箋小町

藤 光一

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第2章 鍛錬編

63虎のけんけんぱとおまかせを

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 次に彼は胡座を掻いたまま背筋を伸ばすと、猫のような唸り声を上げた。
身体に溜まったシコリを解すように天井へと向けた両腕は、静かなリラックスを求めていた。
一頻りの深呼吸を行った後に、彼は顔を挙げるとこちらの目線に合わせてきた。

「じゃあ、自分ここに立ってなぁー。」

「え・・・、は、はい・・・。次は何やるんですか・・・。もしかして、本格的なトレーニングを⁉︎」

 と、彼は僕が立ってる位置から数歩離れたところを提示した。と云っても、そこに何かがある訳ではない。
真っ新な白い空間がそこにあるだけだった。となると、漸く身体を鍛える為のトレーニングを始めようとしているのか。
僕はそんな期待を胸に込めながら、彼にそう訊いた。

「おう!聞いて驚けよー?ででーーん!」

 カイデンは手を叩き、今までより大きな煙を舞わせる。その煙からヌッと現れたのは一匹の大きな四足歩行の動物。
体長は二メートル前後で背中を中心に黄色と黒の縞模様がある。人の身体など一瞬に引き裂いてしまうであろう鋭利な爪。
帝王の風格とでも表現すれば良いか、そのプライドを染み込ませた顔に強靭な顎やチラリと見せる牙。
そう、誰がどう見てもこの動物の特徴と云えばアレしかない。僕がそれをそう認識した瞬間、胃がひっくり返りそうになった。

「どわぁ⁉︎ここここここここ、これ、もしかして虎ですか⁉︎」

「そや?どー見ても虎に決まっとるやろが。“ココ”云うねん、よろしゅーなぁ。」

 カイデンは紙飛行機でも飛ばしたかのようにヒョイっと実に身軽に、虎の頭へと飛び移っていた。
“ココ”という実に愛くるしい名前を名付けられたその虎は、猫のようにゴロゴロとご満悦に微笑む表情だった。
彼に撫でられる度にリラックスした顔を見せているが、本質は云わず知れた猛獣である。
僕の傍らに居るセンですら、目の前の虎に顔が強張り萎縮してしまっているのだ。対する普通の人間である僕はどうだろうか。
答えは聞かなくても分かるだろう。今すぐにでも、ここから抜け出したい。その思いに一点集中なのである。

「今度は、虎・・・?」

「ちょ、いくら何でも虎となんて戦えませんよ!」

 見たまえ、両者揃っての見事な萎縮っぷりである。というかワシントン条約やら特定飼育やらはどこへ行ったんだ!
いやけど、そうか・・・。相手は妖怪だっけか。しかもこの広々とした異空間であれば、ストレスフリーなんだから大丈夫。
ってなるか馬鹿野郎!いくらなんでも度過ぎるし、これから鍛えようとしている生身の人間が対峙して良い相手じゃない。
するとカイデンは沸騰したヤカンのように顔を真っ赤に染め上げながら、凄みを見せつけてきた。

「ドアホッ‼︎ワイのココは、こう見えてナイーブな性格やねんから、そーゆーのせぇへんのやドアホがッ‼︎」

 まさにカンカンとなったカイデンは、出だしと最後の畳み掛けに“ドアホ”を合わせて二発放ってきた。
虎がナイーブって・・・。もう既に見た目がイカつ過ぎて、もうこっちは圧倒されつつあるんですけど。
いや、でも確かにこのココと呼ばれる虎。その瞳を見れば、微妙に震えてる。極度の人見知りをしてるそれに酷似している。
それが浮き彫りとなり、本当にナイーブな性格の持ち主なのかと確信に迫られてしまう。

「せやから代わりにやってもらうんが、コイツや!」

 そうして彼はもはやお決まりになりそうなポージングで軽やかに手をパパンっと叩いた。
白煙に混じって現れたのは、床に一直線上に並ぶ無数の印たちだ。それが僕の目の前とココの目の前にずらりと整列している。
一列に整列しているかと思えば、ところどころが並列した二個の印、そしてその先はまた一個だけの印。
それは決められた法則というよりは完全なランダムで一つ印と二つ印が組み合わされている。・・・これ、アレだよな。
まさかとは思いたくもないが、やっぱりどう考えてもアレだよな・・・。

「えっと・・・、これはもしかして・・・。」

「“けんけんぱ”、やでぇ‼︎」

 彼は両の手を腰に当てながら、面接官も思わずニンマリしてしまいそうな元気溌剌とした声で返した。
けんけんぱ・・・、海外ではホップスコッチと呼ばれる子供の遊びだ。・・・いや、そんなことはどうでも良い!
僕はそっと反射的にお手本のようなお辞儀をし、昂まる感情を抑え込みながら冷静に言葉を発する事にする。

「じゃあ、今日はお疲れ様でした。また明日お願いします。」

「ちょいちょい、ちょい待てぇーーーーい!どこの弟子が、師匠の指定した修行を目の前でほっぽり出すドアホがおんねん!」

「何が悲しくて、十九にもなってけんけんぱを虎としなきゃならないんですか!一昔前のバラエティ番組じゃないんですよ!
ギャラが出たって、僕はやりませんよッ‼︎」

 僕は鬼コーチの如く、ぶんぶんと突き出した指でカイデンやココに荒立てた。

「えぇやろが、けんけんぱ!ワイは自分の百倍けんけんぱ好きやで?」

「あなたが好きかどうか訊いてるんじゃないんすよ!なんで虎とけんけんぱしないといけないか、訊いてるんすよッ‼︎」

「どーーーーでも良ぇやろがい、師匠がやれゆうとんのや!アホみたいに頷いて、さっさと位置付けドアホ!」

「だーーーから、そのやる理由をちゃんと教えてくれって、さっきから云ってるじゃないですか!」

「考えるんやない、感じるんやって言葉があるやろが、その・・・、あれや!はよ、やれや‼︎」

「絶対、今考えて云うの面倒臭くなってハショリましたよね⁉︎どうなんですか!この訓練、意味あるんですか⁉︎」

 最終的に僕はスキャンダルに迫り来るリポーターかのように捲し立てた。防御などガン無視のインファイト口論。
まぁ、詰まるところは口喧嘩。その間、激化し出す戦場にポツリと佇むセンは、稲田んぼに棒立ちするカカシの如くである。
もはやどっちの味方になれば良いか、最初はあわあわとしていたが、何かの悟りに目覚めたのか次第に彼女は考える事を止めた。
そっと目を瞑り、両の手を合わせ、耳を澄ませば漸く聞こえるであろう静かな呼吸をしていた。
カイデンとのボルテージを緩めない僕は、槍だ投石だと云わんばかりにここぞというタイミングで攻撃を繰り返す。
しかし敵陣に佇む頭領カイデンといえば、スゥーーっと息を大きく吸っては吐き、これまでに無い鋭い目付きでギラリと返す。

「アホが・・・、ワイが普通のけんけんぱやらす訳ないやろ。」

「は・・・?」

 その瞬間、ゾクリと背筋が凍りつくような感覚に陥る。まるで限界まで冷やし切った手で、力を加えずに喉を掴まれた気分だ。
彼が発するプレッシャーは、その独特さ故に不気味さを増していた。先程の激しい銃撃戦と打って変わり、静かな波音を立てる。
すると指揮者が持つタクトを振るうかのように彼は、小さな人差し指で目線の下、床に浮き出た印たちへと誘導する。

「今から自分には、ココと競争してもらう。けんけんぱは、バランス感覚や体幹の強化。
全身の運動性を上げつつ、リズム感を鍛え上げる事が出来るんやで。これがまぁ、答えにしとこか。
んでもって、こっからが本題やねん。ココよりも速く、・・・あそこの端っこまで辿り着いたら合格や。」

 一列に並んだ印たちの距離はおよそ百メートル弱だろうか。ゴール地点となる印だけ赤く発光されており、それ以外は青だ。
つまりはそこを先に踏んだ者が勝利となる訳だ。まぁ、その対戦相手が普通の相手であるならば、ここまで噛み付かないと思う。
そう、なんだってどう話がひっくり返ったのか、まさかの対戦相手は“ココ”と名乗る猛獣なのだから。

「いやいや、人間が虎のスピードに敵う訳無いでしょ・・・。」

「そやな、虎の時速は大体五十キロから速いもんで六十五キロ出ると云われとるさかい。」

「カイデンさん、人間の走れる最高速度って知ってますよね・・・。」

「あぁー、平均で云うんならせいぜい時速二十五キロがえーとこやな。
トップアスリートでも瞬間的な速度は、四十キロくらいらしいで?自分、勉強になったなぁ。」

 さも当然かのように語ったカイデンに対し、僕の顔は酷く青冷めた。
なんでも僕はいきなりベリーハードモードをやらされているんだ、どうでも良いから誰か連写パッド持ってきてくれ。
じゃないとあのチートには何度やっても勝てる気がしない。そんな鬱憤が爆発したのか、僕は思わずそんな想いが溢れた。

「無事に勝てる訳無いでしょぉぉぉおおおお!何云ってんですか、あなたは‼︎」

「だーーーから、さっきからけんけんぱでハンデしとるんやないかい!」

「じゃあ、そのけんけんぱを虎とさせる意味を教えろって云ってんですよ、さっきからこっちはぁ‼︎」

 ついには彼の顔と僕の鼻先がくっついてしまうスレスレの距離で啀み合っていた。
互いに飛ばし合う唾と高鳴る罵声。それがどれだけ醜いものか、ふと気付けばセンは村人Bの役柄を完全に演じていた。
我この先一切の干渉せず、とでもいうかのようにその域は明鏡止水の如く洗練とされた村人Bである。
対する対戦相手であるココはまだ始まらないのかと欠伸をしてしまう程、時間を持て余してしまっている模様だ。

「じゃーーーかしぃ!さっさと位置に着きや!よーーーーーい、ほれドン‼︎」

「うわ、急に始めるし・・・!仕方ない、何とかやっていくしか・・・って、ぇえええええ⁉︎」

 と突然にピストル音のようなスタートの合図で、けんけんぱダービーは始まったのである。
しかし、僕は目の前の光景に顎が外れるんじゃないかと思うくらいに圧倒された訳なのだ。
つい先程まで隣合わせに構えていたココは、見事なロケットスタートを決めさせていた。
且つまるで水を得た魚かのように俊敏な足捌きは惚れ惚れする程の動きであり、巧みなステップでぐんぐん前へと進んでいた。

「ほーーーーれ、モタモタすんなぁー。置いてかれるで~~~。」

 ココの頭の上で寝っ転がりながら、こちらへ挑発を送る小人が抜群に腹立たしい。
気負いしてしまった僕も、遅れながらに馬鹿正直にけんけんぱを始め出す。

「何がハンデですか⁉︎無茶苦茶速いじゃないですか‼︎」

「ほれほれ、さっさとアホみたいに足開きぃや!ほれ、けん、けん、ぱッ!けん、けん、ぱッ!」

 手を叩きながらリズムを無理矢理取らせ、もはや煽りを行う始末である。 
その顔はひょっとこのお面を被せながら馬鹿にしているかのような煽りを見せているのだ。眉間に皺が寄るのも無理は無い。

「ぐ、ぐぅ~・・・。」

 しかし、現実はとても追い付けるようなものではない。その後も距離を縮めるどころか、差は広がる一方だった。
それでも諦め切れない僕は、息を切らしながら虎とのけんけんぱに奮闘している。


・・・。


・・・・・・。


「ヒャッハーーーーー、ゴーール‼︎よーーーしよしよしよしよし、ココは偉いなぁ!よぉー走ったでぇ、お利口さんやぁ!」

「ぐぬぬ・・・。」

 大健闘虚しく、大逃げの大差を付けられ圧勝を手にしたココは余裕の笑みを浮かべていた。
カイデンは某動物研究家ばりの褒めちぎりで全身を使って、ひたすらにココを撫で回す。
余程ご満悦なのか、ココは喉からゴロゴロと低音が心地良く響かせていた。一頻り撫でた後に、カイデンはこちらへと振り返る。
ココへ向けた眼差しとは天地をひっくり返したように鋭く冷たい目でこちらを睨み付けていた。

「それに引き替え、おい芋団子。なんや、その屁っ放り腰は?真面目にやらんかいボケ!」

「ぬぬ・・・、だったら、あーーいうの先に云ってから始めて貰えませんかね⁉︎」

 僕は槍でも投げるように彼らへ反論した。あーーいうのってヤツだが、それは今から話す事を挙げれば納得な話だろう。
ただのけんけんぱ如きで僕が床に膝をつきながら息を切らしているのには並々ならぬ訳がある。

「そら、お前、けんけんぱやで?足ミスったら、お手付きくらいあるやろ?」

「お手付きで、ギャグ漫画みたいな鉄球やら槍を飛ばすけんけんぱがどこにあるんですか‼︎」

 そう・・・、。このけんけんぱには、あるお手付きがあったのだ。
指定された印を踏み外した途端に降り注いで来たのは、人を丸呑み出来る程の大きな鉄球、無数の槍の雨。
時には金タライやら、鉄製のバケツまで落ちてくるというお笑い劇団のド定番とも云える代物まで降ってきたのだ。
一度踏み外すとそれがスイッチとなり、前方上空から魔法陣が浮かび上がり、先に挙げたモノたちが僕に向かって飛んできた。
突然のお手付き攻撃に心臓が飛び出しそうにはなったが、槍だけは何とか躱わす事は出来た。
けれど何故かタライやバケツだけは僅か数センチの距離で魔法陣が展開され、躱わす余裕が全く無かった。
まるで二階の窓から落としたような衝撃が、脳天に向かって容赦無く叩き込む。皆まで云うな、これが無茶苦茶痛い。
一昔前のコメディアンは、余程身体を張ってお茶の間の笑いをドッと作り出していた事を身に染みる。
それでもなんとか立ち上がり、指定された印を踏みながらココを追いかけるが健闘虚しく惨敗した訳なのだ。
しかし、僕のヤジなんかお構い無しにカイデンは小指で耳を穿りながら不服そうな溜め息を溢していた。

「あ?何、ドアホ抜かしよんねん。えぇか、その屁っ放り脳みそに入るよう、耳の穴かっぽじってよー聞きや。」

「・・・。」

 穿り終えた小指にフッと息を吹きかけると、彼はこちらへとガラスのような眼差しを向けた。

「戦いにおいて、相手の攻撃がぜーんぶ、わかっとったら苦労せんやろ?」

「た、確かに・・・。」

「戦いは常に未知との遭遇や。相手の能力、運動性、マナの動き、呼吸。そのどれもが初見で分かる訳が無いやろが。
これは・・・、その訓練や。自分は、それを見極めろ!えぇな!」

 今日はこの一戦で幕を閉じた。というか走り終えて間も無く、僕はどうやらそのまま眠りについてしまったらしい。
思えばこの道場に訪れてから、ずっと動きっぱなしだったのだ。それに慣れない運動に、異常なな筋肉の超回復。
身体中の目紛しい変化にすっかり疲弊してしまったのか、僕が次に目覚めたのはその翌日の午後の事だった。
とはいっても時間を見ても、それが昼を迎えたばかりなのか深夜なのか判断しづらい。
何故ならこの道場はカイデンが作り出した、時間すらも大幅に遮断させた異空間。それ故に外の状況は全く分からない。
時間を把握する事が出来るのは、布団の横に置かれた目覚まし時計とカレンダーだけ。
センに聞いたところ、目覚まし時計は一日に一回鳴るという。朝六時の起床時、ここは自衛隊か・・・?
目覚ましのアラームと共にカレンダーは一日刻みで赤バツが自動的に書き出されるらしい。
つまり昨日の日付は、しっかりと油性マジックの赤ペンでも書いたようなバツ印が書かれている。
そして本来の起床時刻から大幅に遅れていた僕には、朝ご飯が無かった。くそ、昨日から殆どご飯食べてないのに。
身体中の筋肉、と云うか間接やら節々やらフルセットで痛い。鉛玉で挟み込まれたような痛みが全身に駆け巡っている。
一頻りセンからの話を聞いた後に、彼女は実に申し訳無さそうな表情を浮かべながら重い唇を震わせこう云った。

「あの・・・、カイデンさんが『よー寝れたか・・・、小僧?』って・・・。」

 センは少しだけカイデンの口調を真似ながら、そう僕に伝えてきた。
まるでビデオメッセージかのように、頭の中で腕を組みながら眉をピクピクと痙攣させながら凄んでいる姿が目に浮かんだ。
カイデンの沸々とした憤怒を想像するのは、あまりにも容易だった。故にそう思い立ったら、布団から反射的に飛び起きた。
時刻は十三時を回っている・・・。これ以上の遅刻は、何をされるか分かったもんじゃない。
僕はお尻に火でも点いたかのように酷い慌てっぷりで、布団の傍に用意された新しい道着に着替えながらカイデンの元へ走った。


・・・。


・・・・・・。


「だぁあああああああああああああああああああ‼︎」

「おぉ、おぉ、走れ走れ~!まだココの尻尾すら掴めてないでー?」

 そんな訳で僕は今、そのカイデンに絶賛しごかれている真っ最中だ。
彼此、本日十本目のけんけんぱダービーが行われている。が、未だ彼の云う通りココの尻尾すら掴めていない。
対するココは疲れ知らずで、あの虎とは殆どタイムも差も縮める事が出来ないでいる訳だ。
汗は頬を伝い、顎下でポタリとサラッサラの粘りの無い汗が落ちていく。少しでも空気を吸い込もうと全身を使って息をする。
この疲弊した身体を少しでも早く回復させようと、身体の中で駆け巡る細胞たちが煽ってくる。

「は、走れっ、たって・・・、このけんけんぱじゃ、速く走ろうにも・・・。」

 センから一枚のタオルがバサっと顔に覆い被さった。
そうだ、ただ単に全力疾走でゴールに向かうだけならまだしも、けんけんぱじゃどうにもロスが発生する。
ミスすれば鉄球やら槍が飛んでくるし、けんけんぱで追いかけるだけでなく今度は回避にも専念しなければならないのだ。
そのミスは更なるロスを生み、焦れば焦る程、ココとの距離は離れていってしまうのだ。
するとカイデンは扇子を仰ぎながら胡座を掻き、高過ぎる天井を見上げて口を開く。

「そやなぁ・・・、その固い頭じゃあ、速くはならんやろなぁ。」

「固いって・・・、だってけんけんぱって、印を踏みながら進むゲームでしょ・・・。それにあなただって最初に・・・。
・・・・・・いや、待てよ・・・。」

 彼の云った言葉、そして振り返って言葉にした瞬間、光明が差す。
そうだ、あの人は初めからそうだった。この特訓を、ルールを伝える時にそう云っていた。

『今から自分には、。けんけんぱは、バランス感覚や体幹の強化。
全身の運動性を上げつつ、リズム感を鍛え上げる事が出来るんやで。これがまぁ、答えにしとこか。
んでもって、こっからが本題やねん。辿や。』

 そうだ・・・、誰もけんけんぱでレースしろなんて一言も云っていない。
純粋にココよりも速くゴール地点に辿り着く事が目的だ。その工程に、指定は無い。くそ、本当にこの人は意地汚いな。
話の合間にけんけんぱをやる理由を噛ませておきながら、それは実のところブラフであり本質とは異なる。
何故ならば、仮にお手付きをしたからといって失格になる訳では無い。重要なのは、ココよりも速くゴールする事。

「ほう、何かに気付いたみたいやな。」

「それは走り方・・・とかですか?」

「せや。あいつはけんけんぱと聞いて、馬鹿正直に片足と両足を律儀に踏んどる。」

「けど、それがけんけんぱのルールでしょ?」

 僕は大の字になりながら床に大きく寝転がり、呼吸を整えていた。
声から察するに、センはまだこの特訓の本質を理解していないようだった。そして、やはりだった。
僕の辿り着いた過程は、恐らく正解に最も近い筈だ。

「んな事、ワイは一言も云うとらんで?ココよりも速くゴールせいと云うたんやで?」

「あ・・・!じゃあ・・・。」

 彼の言葉に漸く気付いたセンは、ハッと目を見開いていた。
丁度その瞬間に僕はむくりと起き上がったところで、彼女と目があったからそう見えた。
カイデンは小さな唇に折り畳んだ扇子を添えながら、ニヤリと薄らとした笑みを加えていた。

「そう、印の踏み方に指定はしていない!」



 パンッ

 そうして始められた本日何回目かの挑戦。二十、いや三十回目だろうか。
本質は掴もうとしても頭でわかっていようと身体も同時にリンクして動ける訳ではない。
むしろ僕は漸く、この特訓のスタート地点に立つ事が出来たのだ。

「はっ・・・、はっ・・・、はっ・・・!」

 印を外せばお手つきが飛んでくる。両足を広げながら踏む必要がある並列した印は、全部無視だ。
両足で踏むより、回避に専念した方がタイムを稼げる筈。それに相手の虎は、きちんとその印を踏み進めている。
確かにステップは軽やかではあるが、どうしても四足歩行故に並列した印を踏む時のみ僅かなロスがある事が分かった。

「それに全部律儀に踏めとも云っていない。お手付きはあるだろうが、その攻撃を躱わせば問題あらへん。」

「けど、躱わすといってもイサムじゃ・・・。」

 僕は並列した印を踏み外す。すると規定通り、真上に魔法陣が僕を追いかけるように現れ始め、鉄球が降り注ぐ。

「来た!・・・ここ!」

 人を飲み込む程の大振りの鉄球は僕目掛けて突進してくるが、追尾性能は無い。
僕はくるりと身体を捻りながら半転し、次の印を右足で踏み込む。体勢は低く屈んだのは、躱わした遠心力をバネにする為。
降り注ぐ鉄球を紙一重で躱わし、踏み込んだ右足に力を込めた。

「躱わした⁉︎けど、どうして・・・?」

「なんでやろなぁ。あいつは飛び抜けて攻撃を避けるのは、頭撫でたくなるくらい上手いもんやな。」

 彼らが話すように、僕もなんでかなんてよく分からない。理屈はまだ解明出来ていないが、これが好都合な事に変わりは無い。
この踏み込んだ足で更に前へ!トップスピードはまだ落ちていない。
律儀にけんけんぱを行うココとけんけんぱを必要な分だけ行う僕とで、漸くその差が縮まり出してきた。

「いける!後は・・・!」

 並列の印は全て無視だ。構うもんか、お手付きが来るなら、躱して前に進めば良いだけの事。
けれどそのスピードは決して緩めずに、瞬間的に訪れる殺気を悟って前へ進むんだ。
鉄球は横に半転しながら進めば避けられる。槍は普段よりも低く屈むように走れば簡単に避けられる。
超至近距離で魔法陣から繰り出されるタライとバケツについてが一番の難関だった。だが、この超至近距離こそが最大の抜け道。
印を踏み外すその瞬間だけ、スピードを速めれば良いだけの事だった。それでも息を切らしながら僕は満身創痍だ。
そう別に、急に強くなった訳ではない。試行錯誤故の機転に過ぎないのだ。だがその機転は、漸くにして文字通り尻尾を掴む。
これこそがこの特訓を突破する為の、僕が突破する為の今現在の唯一の方法・・・。

「そやな、やっぱ今のお前にはそれしかあらへんよな。」

「ココの尻尾を掴んだ‼︎」

 ずっと僕の前を走っていて、余裕綽々に揺らしていた尻尾を僕は漸く捕まえる事が出来た。
尻尾まで引き締まった硬い筋肉のようで、その上を柔くコーティングするように黄色い毛がみっしりと生えている。
そのお陰か掴んだ瞬間、がっちりと握り込む事が出来たので必要最低限の握力で済んだ。
これだ、この瞬間を・・・、ココの尻尾を掴むこの瞬間を僕はずっと待っていたんだ。

「漸く・・・、掴んだぞ、君の尻尾をッ!」

「ほんで、一瞬の緩みは完成されたリズムを一コンマずらす・・・。」

 そう、僕の狙いは尻尾を掴むだけじゃない。狙うのは、次の一手。
僕は掴み取ったココの尻尾を思いっきり引っ張り上げた。突然引っ張られる事で、虎といえど仰天し出す。
一定の保たれたリズムというのはほんの些細な、それでいてほんの僅かなきっかけで文字通り狂い出すのだ。
それは人という小さな力でも、猛獣のリズムを崩すには十分過ぎるくらいだった。今まで寸分の狂いも無かったステップは変わる。
印の中心にピタリと踏んでいた前脚が大きく踏み外していったのだ。

「ココが、印を踏み外した・・・。」

「そや、何も素の力だけで追い抜く必要は無い。それよりもトップを引き摺り下ろした方が遥かに楽なんや。」

 あの小人の云う通りだ。何も素の力だけで勝つ必要は無い。むしろ、そんなのは無理だ。
だったら、勝利へと導くきっかけを引っ張り上げれば良いだけの事。全くとんだペテン師だよ、あの小人は。
印を踏み外す事でココの前方に、初めて魔法陣が展開される。片足の印のペナルティは金タライ。
これは他の印のペナルティと比べて、放出するまでの展開が早い。だが、それでもこの虎は避け切る事が出来るだろう。
だから、これが僕の三の矢だ。二の矢では勝てない。そもそものポテンシャルが違う。だから・・・、三の矢。
僕は回避しようとするココに対し、掴んだ尻尾を更に強く引っ張り上げた。

ドゴォッゥワッぁぁああああアアアアアンン

 そうして、ココの顔面に金タライが命中する。虎の顔面すら覆い尽くす巨大なタライだ。
一体どれ程の高さから落ちてきたものなのかは定かじゃないが、音からして衝撃は充分だろう。
たちまちクリーンヒットしたココは目を回し、頭を揺らしながらよろめき始める。

「尻尾を掴んだのは、リズムを狂わせただけじゃない!お手付きで飛んできたタライをココに当てる為に⁉︎」

「後はそうやな・・・、トップを引き摺り下ろしたなら、全力で走り抜ければ良ぇんや‼︎」

 今こそ好機。僕は今日一番の全力疾走に集中した。もはや印なんて構ってられるか。
最後の印のところまで全力で走り切るんだ。例え、道中で槍が降ろうとバケツが降ろうと構うもんか。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーー‼︎」

 これは一種のゾーンというやつだろうか。ペナルティとなる罠たちがこちらへ襲いかかってはきている。
が、そのどれもが何故だかよく見えるのだ。誰かにスロー再生されているかのように、どれもゆっくりに見えてしまう。
降り注ぐ槍もその柄を縫うように進める。鉄球だって数歩のステップで身体を翻せば掠りもしない。
まるで鳥にでもなった気分だ。あぁ、そうか。これはちょっとだけ、気持ち良いかも知れない。
戦い好きのチップの気持ちが少しわかったかも知れないな。

「えぇやん、自分!この特訓も合格やで!」

「はぁ・・・、はぁ、はぁ・・・、お、お、押忍ッ!」

 カイデンの言葉で自分がゴールしていた事を実感出来ないでいた。
後ろを振り返れば本来のゴール地点である印からは、既に二十メートル近く離れていたのだ。
息は切らしているが、まだ全然走れる。身体全体が熱いのか寒いのか、よく分からない。
バクバクと震える心臓の音が刻々と一打を響かせている。こんなに鬱陶しいのに、不思議と嫌悪感は無い。
むしろ清々しいくらいだ。

「けど、ココを傷付けた事はー、後でキッチリ精算して貰うでぇーーーーーーーー?」

 後ろを振り返るとセンがこちらに向かってくるのが見えた。彼女の肩には例のカイデンが胡座を掻いている。
山彦でもするように彼は口元に両手を当てながら、こちらに向かって叫んでいた。
ん・・・、精算・・・?その言葉が、突如として僕の頭の中にあったものを真っ白にする。
消しゴムなんかそんな生優しいものなんかじゃない。原液の修正液でどっぷりと節度無くぶっかけられた気分だ。

「いや、でも、これしか無かったですし・・・えと、すみません・・・。」

 僕は慌てるように弁明した。そう、彼に云われてハッとしたのだ。
ゲームとはいえ彼のペットであるココに間接的に攻撃をしてしまった訳なのだから。
カイデンは顔を真っ赤に染め上げながら、憤慨を込めた怒声を弾倉に込め、一気にトリガーを躊躇無く放つ。

「せやで自分!こんなん動物愛護団体が見てたら、ド偉いバッシング受けとるところやからな‼︎ちゃんと謝ってや!」

「えと、ごめんよココ。」

 トボトボとこちらにやってきたココに対し、僕は頭を下げた。

「ゴロゴロロロ・・・。」

 するとココは僕の腹下に潜り込み、撫でろと云わんばかりにスリスリと顔を寄せながら低周波ボイスを鳴らしていた。
僕よりも何倍も大きい巨体なのに、その姿は猫そのもの。思わず僕は気持ちよさそうに目を瞑るココの頭を撫でた。

「良かったな自分、ココが寛大な大人で!ほな、次行こか。」

「はい!」

「あー・・・、けど今日のとこはもう休んどき。飯と布団は用意しとくさかい。」

 気付けば、時刻は夜七時を迎えていた。もうこんな時間になっていたのか。
何かをしている時って、どうしてこんなにも時間が過ぎるのが早いのだろうか。
だが、僕はこの日の事を忘れない。これが漬けの精算だというのか、僕に出された味噌汁が、涙が出るほど塩っぱかった事を。
このペテン師野郎・・・、僕のお椀だけ味噌溶けてないじゃないか‼︎この日師弟同士によるお茶の間戦争が勃発したのだった。
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