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第1章 人形師編
30御奉仕でおまかせを
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タバコ屋を後にした僕らは、最寄りのケーキ屋へと訪れブルーベリーパイを購入した。
流石に今から材料を調達し、作り始めるには時間が掛かり過ぎたのが理由の一つだ。
それに、これは完全に僕の思い付きでもある。本当は手作りのをプレゼントにしてあげたいところだったが。
仕上げるのには時間が無さ過ぎる。メリィは、購入したブルーベリーパイの包みを大事そうに両手で抱えていた。
十字街を過ぎた先には街並みが徐々に薄れ、歩く人々も見えなくなる。
代わりにあるのは、まるで人を寄せ付けないとでも云うような背の高い木々が立ち並ぶ森が現れ始める。
その森の中心にはポツリと点を添えたような古めかしい屋敷、そこが今僕らの中で話題の都月家の屋敷だ。
「ここが都月家の、屋敷か・・・。」
今考えれば、中々の近所じゃないか。ここまでの距離は苦労するまでの距離では無かった。
人形師の屋敷と聞いて最初は、日本の伝統的な古屋敷をイメージしていたが実際はその逆。
まさにセレブのような洋風の屋敷で、どちらかといえば館と表現した方が正しいのかも知れない。
加えて彼らの屋敷は、ぐるりと囲うように緑の絨毯が引かれた庭がある。
そして更にはその庭すらもすっぽりと囲う鉄製の門で覆われている。
その豪勢な造りで模られた鉄製の扉に思わず圧倒され、黒サングラスのガードマンが居ても違和感が無い。
だがその威圧的なガードマンの代わりに居たのは、その扉によしかかりながら待つスーツ姿の女性。
云うまでも無い、うちの社長こと飛川コマチだ。ついでに云うと彼女の肩には、メルもセットだ。
「むっ?垂くん遅かったではないか。」
僕達が近付いてきた事に気付くと彼女は、少し不機嫌そうに云った。
軽く会釈をした僕に対し、煙たいものでも吹き飛ばす程の溜め息を見せつけてくれた。
彼女の云いたい事は、良く分かる。恐らく溢したい言葉はこうだ。
“上司より早く現場に来ないとは何事だ”とかだろう。襟元のネクタイを少し緩めた彼女に僕は声を掛けた。
「あぁ、社長!お疲れ様です。」
「あぁ、お疲れ様です・・・ではない!全くっ!上司より早く現場入りしない新人が何処にいる‼︎」
あなたの目の前です、はい。可笑しいな、それでも約束の時間には間に合っているんだけどな。
これが理不尽という奴か。こんな状況下でも五分前行動とやらを実施しなければならないか。
もう少しケースバイケースというのを理解して欲しいところではあるけれど、ここでの反論はナンセンス。
油と水のように噛み合わない、それどころか火に油を注ぐ勢いだ。出会って早々に炎上は御免だ。
すると腰に手を当てていた幼女は、肘で僕の身体を小突きながら愚痴を吐き散らしてくる。
「ほらな、イサム。やっぱ怒られたじゃねぇか。道草なんか食ってっからだぞ。」
「これは通るべき道だったんだよ、だから道草じゃない!」
「仕方がありませんわ、コマチ様。お兄様は私の為に用意をして頂いたんですもの。
これは必然、通るべくして通った道ですわ。」
そう、これは通るべき道で道草なんかではない。所謂、正規ルートって奴だ。サブイベントではないぞ。
しっかり足踏みをして、ここへ来たのだ。文句を云われる筋合いは無い、少なくともチップには。
ただ、メリィが弁明すると妙に納得したのか社長は腕を組みながら、ふんっと外方を向いた。
特に言い返す事も無く、社長は都月家の屋敷を眺めていた。まぁ、確かに僕が云うよりは説得力があるか。
あくまで依頼人には丁重に、といった具合なのだろうか。
「まぁ、御託は良い。覚悟は出来てんのか新人?」
社長の肩に乗っていたメルは、そう訊いてきた。
それは僕の芯にある決心が定まっているのかとも訊いているようだった。
生半可な覚悟では押し潰されてしまう。“ギフト”が絡んでいる以上、必ずしも五体満足という訳ではない。
気持ちが揺れれば怪我もするし、一瞬の判断を誤れば死だって免れない。
全く、こんな仕事だと知っていれば面接なんて受けなかったよ。けれど、勘違いしないでくれ。
決して後悔している訳では無いんだ。先述の通り、僕はハズレくじを引きやすいホシなんだ。
ここに来たと云う事はそういう事。死にたくないよりも解決したいと云う気持ちの方が勝る。だから・・・。
「だから、ここに来ているんだよモジャモジャ。」
僕は、彼らのように戦える訳ではない。
自分を守る術も無ければ、“ギフト”と対峙する際の知識も無い僕には彼らに頼る他無いのだ。
けれど覚悟と威勢なら張る事は出来る。それが若者の痩せ我慢だと云われれば、それまでなのだろうが。
もし僕にも“ギフト”に対抗出来る程の力があれば、少しは違ったのだろうか。
いや、やめておこう。たらればを積もらせても仕方が無い、今出来る事に専念しよう。
暫く屋敷を眺めていた社長は、その屋敷へと指を差しながら視線を僕の方へと向け口を開く。
「君達が来る前に、既にメルのソナー探査は完了している。こちらは既に突入の準備は整っているところだ。」
「で、首尾はどうなんだ?メル。」
どうやら彼女達は、僕らがここへ来る前に調べてくれていたらしい。
メルのソナー探査とは通称で、奴の能力でもある音を使った探査能力の事だ。
あれ、でも超音波を使った探査だった筈。あのモジャモジャは、この姿でも使用する事が出来るのか。
あくまでも言葉を具現化させる能力を発動する時は、大狼の姿にならないといけないと錯覚していたが。
探査程度の事であれば、今のままでも充分に運用する事が出来るというのか。
その理由もあってなのか腕を組みながら幼女は、問い詰めるようにメルヘ確認をした。
ふんっと不機嫌そうにメルは唾を吐いた後、怪訝な態度で返す。
「見たところ、人の気配は無ぇな。可笑しな障壁はいくつかあったが。」
「気配が無い?そんな事あんのかよ、モジャ公。テメェの見間違いじゃねーのか?」
それでも疑い続けるチップ。腕を組みながら、苛立ちすら浮き上がらせていた。
確かに不思議といえば、違和感だとも云えてしまうだろう。
実際にこの屋敷には何年も人が住んでいないとは、板さんもそう云っていた。
その事実はメリィにとっては辛辣な事かも知れないのだから、どうにも素直に受け取りづらいのが現状だ。
幼女の執念深いとも表現出来る程のしつこさに、いい加減痺れを切らし始めたメルはギロリと睨みつける。
「あ?俺を信じねぇなら、お前ぇの顔で豆代わりに挽いてやっても良いんだぞ?」
メルが静かに擦り潰すように吐いたセリフが、チップの背筋をゾクリと凍らせた。
案の定それ以上の言葉を失った幼女は、反射的に背筋をピンと伸ばし小さく細い身体を硬直させていた。
一度でもその状況を味わった事でもあるかのように、一種のトラウマが湧き出したかのように汗が溢れる。
ん・・・、本当にあるのか?恐怖で塞いだ瞼は凍った鈴蘭のように閉ざされ、ビクビクと震えている。
この間の大狼の姿を見た為だろうか、あれ以来メルに対しての態度が明らかに萎縮していた。
悪魔の直感だろうか。自分よりも強い者が現れるとそれ以上噛み付く事は無く、直感的に萎縮してしまうのか。
自力では元の姿や能力を使えないチップでは、やむを得ないのだろう。
しかしそれにしてもだ、人の気配が無いというのは俄に信じ難い。
そう思っているのは僕やチップだけで無く、この少女もまたそうだった。
「コマチ様。本当に、人の気配は無かったのですか?」
どこか心配そうに屋敷を見上げていたメリィは、視線はずらす事無く問い掛けた。
彼女の目は決して朗らかと云うには程遠く、少しずつ木の葉が減っていく大木を眺めているようだった。
漸く家に帰れたいうのに、ここには誰も居ないのかと。
この屋敷の扉の先に待ち受けているのが都月ではなく、虚しい現実だけだと受け止められるだろうか。
しかし、社長の唇から発した言葉は無情とも云えるものに等しかった。
「あぁ、メルの探査に狂いは無い。
実際調べた見たところ、何年もこの屋敷には人が住んでいるような目撃情報は無いようだ。
まぁ、それはあくまで人の気配に関しての話だがな。」
情報と事実は忌み嫌う程に一致していた。
けれど、彼女は云った。“人の気配に関しては”と何かを含ませるように、言葉はオブラートに包まれた。
僕はその一言を聴き逃さなかった。恐らくそれは、人では無い何かがこの屋敷に潜伏しているのか。
三度に渡る確認もやはり人の気配は無い。またメルの探査は、“ギフト”を当然聴き分ける事が出来る。
それでも反応が無いのだから、逆に屋敷の中が違和感に思えてしまうのだ。
本当にここは、誰も住んでいないのか・・・。そう改めて鬱蒼な森にも見えてしまう屋敷を眺めていた。
「なぁ、おい。空いてんぞ、この入り口。」
何を思ったのかあの馬鹿チップは、ズカズカと前に出て徐に鉄格子の扉を開け始めていた。
ギィぃ・・・と鉄同士を擦り付けた鈍い音が風を切りながら、ガランと開けた。
事もあろうか幼女は何食わぬ顔で両手を頭に添えながら、下手くそな口笛を吹きながら庭へと踏み入れた。
「おいおい、勝手に入るんじゃねーよバカチップ。」
「まぁ、良いじゃねーか細かい事は。
鍵が空いてんなら、“どうぞお入りください”って云ってるようなもんだろ?」
「いや、そうは云ってないだろ。」
いくら無人とは云え勝手に入るのは不味いだろ。
つい僕は頭を抱えてしまったが、幼女は謎理屈を貫き通して前へ進もうとする。
幼女に感化されたのか、社長も前へと進み出し開いた門を潜り抜けた。
そうして僕の肩にポンと手を添えたと思えば、独特な笑みを浮かべながらこう云った。
「仕方あるまい、開いているのだからな。
それに今は住んでいた家族もいるのだ、問題はなかろうさ。」
と、後ろに控えるメリィを親指で差しながら云い放った。まぁ確かに、厳密には帰って来た訳だし。
それにここにもう住んでいる者が居ないとなれば・・・、いやそれでも厳密には不法侵入だろ!
とは云っても、もはやこの人達に何を云っても無駄か。チラリと後ろで佇んでいたメリィと目が合う。
少女は気品ある佇まいのまま、ゆっくりと肯定の会釈をした。ここまで来てしまったら仕方ないか。
僕は両手でシュラグを構えながら、彼らのズカズカと進む行動を抑止する事を諦めた。
「とても歓迎しているようには見えませんけどね。」
「なんだ新人。メイドからのお出迎えでも期待してたのか?」
社長の肩に乗っていたメルは、くるっとこちらへと振り返りそう云った。
一般的に見てもこの屋敷は、かなり豪華だ。この敷地の広さにこの門構え。
屋敷の扉を開ければ、十数人の畏まったメイド達が居ても違和感が無い。ん・・・?
違うぞ、僕は別に期待をしている訳じゃ無い。そういうシチュエーションもあるかもと云っただけだ。
そりゃあメイド喫茶にも云った事も無いし、一度くらい云われてみたいという願望はあるかもだけど。
「まさか、お前からそういう返しが来るとは思わなかったよ。」
そう云い放ったは良いものの、皆の視線は何故か冷たかった。
メリィは少し笑みを浮かべていたけれど、他の皆は冷めた眼差しでこちらを無言で見つめていた。
なんだ、僕が何をしたって云うんだ。あれか、メリィが僕の事を“お兄様”と呼んでいる事か?
それは誤解が解けたじゃないか。いつの間にか僕は、ロリコンやら変態やらと不名誉のレッテルを貼られている。
遺憾であると叫んでも良いだろうか。腑に落ちない状況下にも関わらず、何も云い返す言葉が見つからない。
それが妙に情けなくも感じながら、僕は彼らの後を追うように渋々と前へ進んだ。
・・・。
・・・・・・。
門を潜り抜けると、中央に聳える屋敷を囲うように庭が広がっていた。
これをシンメトリーと呼べば良いのか、左右対象に建てられたオブジェや花たち。
何年も住んでいないとは思えない程に綺麗に整地され、放置されボウボウに伸びた雑草も無い。
むしろ庭の柵を越えないようにピシリと整えられた草木が並んでいる。
まるで今も尚、庭師が毎日欠かさず整備をしているみたいだ。
不思議と屋敷へと続くこの道を歩いていると、自分がここの領主にでもなったかと錯覚してしまいそうだ。
それだけ綺麗に整えられている。それ自体が不思議で仕方無かった。本当にここに誰も居ないのかと。
敷き詰められた大理石の床も、風化されているどころか素材そのものの輝きを発している程に綺麗だ。
その証拠に床を踏む度に、聞き弾みの良い足音を奏でてくれる。
しんとした静けさを装飾した庭を抜けると、屋敷の入り口となる大きな扉がある。
まさに豪邸のような佇まいだ。もはや何の素材を使っているのかも畏れ多くて聞くに聞けない。
あれだけズカズカと真っ直ぐ突き進んでいた社長も、扉の前ではピタリと止まり出す。
両手をスーツパンツのポケットへと忍ばせながら、スンと鼻で辺りの臭いを嗅ぐ。
「どうしたんですか、社長?」
「本当に誰も住んでいないのか、ここは。」
「え、でもさっきメルがそう云ってたじゃないですか。それに社長だって。」
「この扉や窓を見てみたまえ。誰も住んでいないにしては、綺麗過ぎる・・・。
君だって流石に気付いたのではないか?あまりにも整理された庭を見てな。」
今更この人は何を云っているのだろう、そう思ったに違いない。
安心してくれ、僕もその一人だ。自分達で調べたものをごろっとひっくり返して否定したのだから。
確かに彼女の云いたい事は理解出来るし、現に僕も気にはなっていたところだ。
誰も住んでいないにしては整い過ぎているのだ。庭だけじゃない、住処となるこの屋敷も。
入り口を塞ぐこの扉のノブさえ、雨汚れや埃すらない。つい先程にも拭き取ったみたいだ。
各所の付けられた窓ガラスですら、蜘蛛の巣も手垢も無い。当然、傷や汚れも無く鏡反射するくらいである。
誰かが根城にしているのか、それでも隠れ家として利用しているにしては整い過ぎている。
典型かもしれないが野蛮な連中がそんな事をするだろうか。住んでいるか分からない状態を好む筈だ。
ましてやここまで綺麗に建物を大事には扱わない。と、なれば答えは単純で明快。
「云われてみればそうですわ。私が住んでいた頃と比べても変わらないですもの。」
今、ここに住む者は、前からずっとここに住んでいる者で変わりはない。
薄々、少女も気付いたのではないだろうか。キョロキョロと周りを見渡し、間違い探しでもするように見つめていた。
すると背中にドンッと軽めの衝撃が押し寄せてきた。ふとそこには手にポケットを突っ込んでいたチップの姿。
僕の背中を靴底でべったりと踏み付けるように、幼女は蹴っていたのだ。
真紅に染まった瞳を輝かせながらチップは、本日一番のドヤ顔を見せつける。
「コケツに入らずんばって言葉があるじゃねぇか。入ってみねぇ事にはグダグダ云っても仕方ねーよ!」
「それもそうだな。」
一同、それはまぁ確かに、とでも感じたのだろうか。それを代表して、メルはうむと返事をする。
幼女の云う通り、予測や憶測を並べても仕方が無い。この扉を開けて、現実を見つめない事には分からない話だ。
社長は、チップの言葉にでも感化されたのか金色に装飾された豪勢な扉のドアノブに手を掛ける。
ガチャ、コ・・・ン・・・。
重々しくも響く音を奏でながらその扉は、いとも簡単に開かれた。
何年も開かずの扉だったとは思えない。拍子抜けする程、重々しい音とは相反して軽々しく扉は開いた。
時間が経過していた扉であれば、軋みや埃が溢れてきても可笑しくは無い。
つい先日やったホラーゲームで古びた洋館の扉を開けた時には、そんな反応があったからだ。
少し誇張し過ぎなのかもしれないが、現にここまで軋みの一つ見せない扉はあまりに不自然だ。
これはやはり、この屋敷には誰かが住み着いている。その人物はやはり・・・。
おっと、憶測はウダウダ今云っても仕方ないか。まずは中に入って様子をみよう。
「あぁ、それとチップ。多分だけど、その虎穴に入らずんばって奴。そういう意味で使う奴じゃねぇからな。」
そう云うと幼女は、ぶすぅっと頬を膨らませる。
本来の意味は、危険を冒さなければ大きな成功は得られない事の例えだ。
指摘された事が恥ずかしかったのか、チップは少し俯きながら頬を赤らめていた。
そうだ、チップ。それが勉強と云う奴だ。恥ずかしさから学ぶ事の方が多いのが人間界なのだ。
その白い肌にしっかりと刻んでおくんだ。時刻はなんだかんだと過ぎて夕暮れ時。
辺りは橙に染まろうとする夕陽が影を大きく強調させる。その為か、屋敷の中は少し薄暗かった。
一人、また一人と僕等は屋敷の中へと吸い込まれるように入っていく。
不思議と何かに誘われているのではないかとさえ錯覚してしまう程に。
・・・。
・・・・・・。
扉を開けた先は、がらんとした空間が広がっていた。
屋敷の中は、まさに洋館と云えばしっくりとくる造りで玄関から先は広々としたホール。
中央には二階へと続く大きな階段があり、豪勢な赤い絨毯が敷かれている。
両サイドには、三つの扉。更に奥にはまた階段がある。和式の戸建てとは大きく異なる内装。
漫画やゲームなどに出てくるファンタジーを彷彿させるこの屋敷は、異様に感じてしまった。
一歩踏み込む毎に足音が木霊する。まるでタップシューズでホールを蹴り上げるようだ。
人の気配は無い。けれどそれは人の気配に関しては・・・、だ。それは、僕でも感じ取れる程だ。
どこかこの屋敷の中は禍々しく、何かに覗かれているみたいだった。それも一つ二つの何かではない。
複数の、何か夥しい何かに見られているような、そんな気配は何処となく感じている。
各々が辺りを見回している中、社長は腕を組みながらボソリと呟く。
「少し・・・、寒いな。」
「えぇ、陽が当たってないからでしょうか?」
彼女が云うように、確かにここは寒く感じてしまう。
この屋敷の構造上なのか、窓からは僅かな木漏れ日に近い淡い陽の光が差しているだけ。
晩暑とはいえ、まだ汗を拭いたくなる季節だ。それでもこの屋敷の中は、ひんやりと冷たい風が吹いている。
エアコンのようなものは無い。少し肌寒いとさえ感じる程で、残念ながらうちの事務所とは大違いだ。
広々とした空間というだけでここまで快適な環境を作り出せるのか、そう思うとなんだか羨ましくなってきた。
「どうやら、それだけじゃねぇみてーだぞイサム。」
スンっと何かを嗅ぎ付けたように鼻を鳴らしたチップが、二階へと続く中央階段を見つめる。
皆、中央階段へと視線を向けるがそこには誰も居ない。
悪魔独特のセンサーか何かを嗅ぎ分けたのか幼女の目付きがガラリと変わる。
開けた二階のフロアを真紅の瞳が鋭く睨み付けていた。
「あら、珍しいお客が来たじゃない?ここが何処だがわかって土足で踏み入れたのかしら?」
「何だ⁉︎どこから声が⁉︎」
一早く嗅ぎ分けたチップの云う通り、時は訪れた。
しかし謎の少女の声だけが聞こえており、姿は見えない。どれだけ見渡しても見当たらないのだ。
少女の声は幼い。恐らくメリィと同等か少し上か、それくらいの歳の透き通った幼い声だ。
何処か高飛車にも聞こえてしまうその声は、まるで僕らを見下しているみたいだ。
「今すぐ引き返したら、見逃してあげるわ。寛大だと思いなさい。」
「あ?違ぇだろ⁉︎まずは“お帰りなさいませ、ご主人様。”が筋だろーが!」
「お前こそ何云ってんだよ・・・。」
姿は見えないが足を組みながら、頬に手を添えながら見下しているのが手に取るようにわかる。
何とか主導権を取ろうとしているのか牽制を試みるチップだが、一度の溜め息で幼女は軽くいなされていた。
だいたい何だよ、お帰りなさいませ、ご主人様って。ここはメイド喫茶でも無いだろ。
この声の主だってメイドとは限らない訳だし、そもそもどちらかと云うとそれを従える姫様の方がしっくりくる。
絶対的な自信。まさに権力を振り翳した気品ある姫君。そう捉えた方が良さそうだ。
「この声は・・・、リリィ。あなたなのね・・・。」
僕のすぐ後ろに隠れるようにメリィは、恐る恐る口を滑らせた。
やはり予想通りと云うべきか、この声の主はリリィか。しかし何故、姿を見せない・・・?
様子見というところだろうか。もしそうだとすると、この少女も中々の慎重派というべきか。
「聞こえなかったかしら?出て行けと云った筈よ?それとも御奉仕が必要なのかしら。」
少女の声は圧を掛けるように凄んでいた。出て行け?果たしてそうだろうか。
ここでおめおめと尻尾巻いて逃げたところで、この少女は大人しく返してくれるだろうか。
答えは否、見えないところから襲撃され串刺しにされるのがオチだ。
「すまないな、この先が我々のゴール地点なのだ。上がらせてもらうぞ。」
どうやら社長も同意見のようだ。まぁ、そうだろう。
この社長ならば、ここでそうかと帰るような半妖ではない。請け負った仕事は最後まできっちりやり遂げる。
それが便箋小町の飛川コマチだ。そう云うと彼女は、ズゲズゲと腕を組みながら歩みを進める。
忠告も警告も関係無い。少女の言葉を受け付けず、しっかり乖離させていた。
「そう・・・、それなら手厚く歓迎してあげなくてはね。今日の紅茶は、美味しく出来そうよ。」
「あぁ、それなら紅茶ではなくほうじ茶で構わん。あと、茶菓子は落雁あたりで。
椅子なら大丈夫だ、こちらで用意するのでな。」
「ふん、アンタとのお茶会は話が弾みそうに無いわ。良いわよ、特別に歓迎してあげるわ。」
少女の声から、チッと短く舌を打つ。
沸々と湧き上がる苛立ちが声だけでもよく伝わる。これだけ前のめりに挑発されては、まぁそうだろう。
仮に僕があの声の少女でも、きっと同じ気持ちで苛立ちをぶちまけていた事だろうな。
社長も社長で己の言葉や信念を曲げないどころか、ストレートの豪速球である。
彼女たちの会話は、水と油のように噛み合わない。お互い混じる事無く、お互いを主張したがる。
リリィと思しき少女の捨て台詞と共に、何か不思議な悪寒を感じ始める。
鳥肌が立った腕周りに纏わり付く何かは、決まって想像が付いてしまうのがどうにも溜め息が止められない。
そう、こんな芸当が出来るのも勘付いてしまうのも全ては“ギフト”の仕業だ。
ほーら、すっと後ろを振り向きでもしたら・・・。
「ぶっ⁉︎」
その光景が瞳に映り込み、思わずギョッとしてしまった。いや、無理もない話だ。
ふとピリリと張り付くものを感じたと思い振り返った先にあったのは、大量の人形たちが居たからだ。
西洋人形と呼べば良いのだろうか、いや確かべスクドールと呼ばれるものか。
無表情な顔をした子供の人形は十九世紀頃の衣装ドレスを羽織り、こちらを一斉に見つめていた。
それは数えるのも億劫になるくらいの数で、夥しい蟲の大群に遭遇した時と酷似する。
目の前だけではない、気が付けばこちらの逃げ道を塞ぐようにぐるりと囲まれていた。
「な・・・⁉︎人形が、こんなに・・・、しかも一人でに動いている・・・のか。」
「うわっ!何だこりゃ、いつの間にこんなに集ってやがんだ⁉︎」
そう、ただ人形が置いているわけではないのだ。
こいつらはまるで魂でも憑依したかのように人形が浮いており、一体一体がふわりと浮遊しているのだ。
それだけならまだしも、この人形たちを良く見てみるとそれぞれが手に武器を持っている。
ナイフに、包丁、糸切り鋏に、ノコギリ、カッター、キリ、フォーク。敵さんは刃物のオンパレード。
どれも片手で持てる程の刃物ばかり。人形が手で持てるくらいと云う事か。
そうしないと宙に浮いて素早く動く事が出来ない為だからだろうか、そんな憶測が立てられる。
これから団体さんで大道芸でもやってくれるものなら、是非の身物ではあるが・・・。
当然そんな事は無く、各々両手に携えた刃物を擦り付けながら静かな威嚇をしている。
「アンタ達を特別に御奉仕してくれる私のメイド達よ!尻尾巻いて帰らなかった事、後悔させてやるわ!」
「リリィ・・・。」
メリィは、少女の声に懇願するように小さく呟いた。
彼女の声は、近くにいる僕でもギリギリ聴こえるかどうかの瀬戸際。
ピンと張らせたタコ糸を弾いた程度の音だ。案の定、他の者には彼女の声に気付いていない。
お願いだから、やめて欲しい。少女がこの後に云いたかったセリフは、きっとそう叫びたかったのではないか。
整った眉をすっかり歪めてしまい、指を交差させながら胸元へと添えている。
そんな少女の想いは虚しく、まだ声しかわからないリリィには届いていないようだ。
僕達を取り囲む人形たちは一斉に刃物を構えだし、無表情な視線が集まり出す。
「成程な、通りで俺の探査に引っ掛からねぇ訳だ。」
「どういう事だよ、メル?」
人形たちを見つめていたメルが悠長に分析したのか一人で頷いていた。
なるほど、そうかそうかと勝手に納得し自己完結している。
いよいよ戦闘かと力みだすチップは腕まくりをしながら、分析を終えたモジャモジャへと言葉を返す。
どうやら、いくら“ギフト”たちでも間近で観ないと分からない事の方が多いらしい。
そんな視聴者のぶつけてきた疑問をメルは、流暢にコホンと咳払いの後に語りだす。
「あいつらは、文字通り本当にただの人形だ。そのリリィだがって奴が魔力で操ってるんだな。
人形の背中に張られている線状のマナがその証拠だな。
ただの人形に俺のソナーは反応しねぇからな。こいつは、仕方ねぇな。」
そうか、この人形たちはリリィが操っているってわけか。
確かに良く見ると淡い紫色が発光した糸が一体一体に括り付けられているように見える。
僕にはどうしてもその糸がぼんやりとでしか見えず、はっきりとはわからない。
それでも確実に僕は彼ら“ギフト”たちとの交流が多かった為か、以前よりも見えるようになってしまっている。
自分の環境の吉凶さにどうにも嫌気が差す。出来るならば普通の人間でありたかった。
これではテレビなんかで見る所謂、霊能者という奴の類では無いだろうか。まぁ、見えるだけの端くれだけれど。
「操ってるって・・・、四、五十体は居るぞこれ‼︎」
それにしたってだ。リリィの能力の方が馬鹿にならない。
たった一人でこれだけの数を操っているというのか。ざらっと数えるだけでも五十体は下らない。
恐らく一体あたりの行動には、少し制限されているのが良くあるセオリーだ。
それでもリリィとやらのマナ量とでも云えば良いのか、その総体量はかなりのモノと云えるだろう。
これらを可能とするルーツは大方の予想は付く。それはメリィの双子の姉だからか。
彼女たちの魔力の原動力となるのは瞳として模られた純度の高いブルーサファイア。
それを二つに分けられた力が姉であるリリィにも存在するのであれば、点と点が線で結ばれるように納得が出来る。
彼女の絶対的な自信はそこからか。セリフから察するに、不敗から生まれる、虚勢とは違う発した威圧。
吐き捨てた少女の声には、勝利しか見えない何かがあるからか。でなければ、社長を見て態度を変える筈だ。
確信となるそれを探り当てなければ、リリィとの対峙は分が悪いかもしれない。
「やれやれ、相当の自信家のようだな相手は。これは、マカロンでも添えてもらわんとな。」
社長は肩に掛けたスーツジャケットを靡かせながら、腕を組む。
どうやら彼女には無表情で物騒なメイド達を見ても、ただの頭数程度にしか思っていないのだろうか。
やれやれ、と云うようにまるで子供のお遊戯会を仕方無しに参加してあげているような素振りだ。
その為か社長の両手を覆う白い手袋は、外そうとはしていなかった。そういう貴女も相当の自信家ですよ。
司令塔が自信家同士のチェスなど、戦場も会議室も大荒れだ。
すっかり戦闘態勢と入った社長を気遣ってか、メルはぴょんと飛び降りて真っ直ぐメリィの元へと飛び移る。
白いモジャモジャを両手で受け止めたメリィは、中央階段へともう一度視線を向けて震えるように呟く。
「リリィ、どうして・・・。どうして、こんな事をするの⁉︎」
「どうやら、やっこさんはもう聞こえねぇらしいな。マチコ、どうすんだ?」
少女の願いは儚く、虚しくも届かなかった。
ただ、空となったままの中央階段の先を青い瞳に映し出し、唇と同様に少し震えていた。
もう止めて欲しい、こんな事をしないで欲しい。一番届けたい想いは、シャボンのように半透明に弾け飛ぶ。
コツー・・・ッン・・・。
メルの確認に呼応するように、社長の前へと進む足音がホールを響かせる。
後ろへと一本に結わせた髪を僅かに靡かせながら、中央階段へと手を差し伸ばす。
「決まっているさ。」
ニッと口角を上げながら、彼女は差し伸ばした手を自分の胸元へと添えていた。
ここから先は彼女達の本業開始と云う訳だ。前に歩み出した社長へ警戒するように、人形らは刃を向ける。
「“便箋小町におまかせを”だ‼︎」
静寂だったこの空間が夕暮れのダンスホールとなる瞬間であった。
流石に今から材料を調達し、作り始めるには時間が掛かり過ぎたのが理由の一つだ。
それに、これは完全に僕の思い付きでもある。本当は手作りのをプレゼントにしてあげたいところだったが。
仕上げるのには時間が無さ過ぎる。メリィは、購入したブルーベリーパイの包みを大事そうに両手で抱えていた。
十字街を過ぎた先には街並みが徐々に薄れ、歩く人々も見えなくなる。
代わりにあるのは、まるで人を寄せ付けないとでも云うような背の高い木々が立ち並ぶ森が現れ始める。
その森の中心にはポツリと点を添えたような古めかしい屋敷、そこが今僕らの中で話題の都月家の屋敷だ。
「ここが都月家の、屋敷か・・・。」
今考えれば、中々の近所じゃないか。ここまでの距離は苦労するまでの距離では無かった。
人形師の屋敷と聞いて最初は、日本の伝統的な古屋敷をイメージしていたが実際はその逆。
まさにセレブのような洋風の屋敷で、どちらかといえば館と表現した方が正しいのかも知れない。
加えて彼らの屋敷は、ぐるりと囲うように緑の絨毯が引かれた庭がある。
そして更にはその庭すらもすっぽりと囲う鉄製の門で覆われている。
その豪勢な造りで模られた鉄製の扉に思わず圧倒され、黒サングラスのガードマンが居ても違和感が無い。
だがその威圧的なガードマンの代わりに居たのは、その扉によしかかりながら待つスーツ姿の女性。
云うまでも無い、うちの社長こと飛川コマチだ。ついでに云うと彼女の肩には、メルもセットだ。
「むっ?垂くん遅かったではないか。」
僕達が近付いてきた事に気付くと彼女は、少し不機嫌そうに云った。
軽く会釈をした僕に対し、煙たいものでも吹き飛ばす程の溜め息を見せつけてくれた。
彼女の云いたい事は、良く分かる。恐らく溢したい言葉はこうだ。
“上司より早く現場に来ないとは何事だ”とかだろう。襟元のネクタイを少し緩めた彼女に僕は声を掛けた。
「あぁ、社長!お疲れ様です。」
「あぁ、お疲れ様です・・・ではない!全くっ!上司より早く現場入りしない新人が何処にいる‼︎」
あなたの目の前です、はい。可笑しいな、それでも約束の時間には間に合っているんだけどな。
これが理不尽という奴か。こんな状況下でも五分前行動とやらを実施しなければならないか。
もう少しケースバイケースというのを理解して欲しいところではあるけれど、ここでの反論はナンセンス。
油と水のように噛み合わない、それどころか火に油を注ぐ勢いだ。出会って早々に炎上は御免だ。
すると腰に手を当てていた幼女は、肘で僕の身体を小突きながら愚痴を吐き散らしてくる。
「ほらな、イサム。やっぱ怒られたじゃねぇか。道草なんか食ってっからだぞ。」
「これは通るべき道だったんだよ、だから道草じゃない!」
「仕方がありませんわ、コマチ様。お兄様は私の為に用意をして頂いたんですもの。
これは必然、通るべくして通った道ですわ。」
そう、これは通るべき道で道草なんかではない。所謂、正規ルートって奴だ。サブイベントではないぞ。
しっかり足踏みをして、ここへ来たのだ。文句を云われる筋合いは無い、少なくともチップには。
ただ、メリィが弁明すると妙に納得したのか社長は腕を組みながら、ふんっと外方を向いた。
特に言い返す事も無く、社長は都月家の屋敷を眺めていた。まぁ、確かに僕が云うよりは説得力があるか。
あくまで依頼人には丁重に、といった具合なのだろうか。
「まぁ、御託は良い。覚悟は出来てんのか新人?」
社長の肩に乗っていたメルは、そう訊いてきた。
それは僕の芯にある決心が定まっているのかとも訊いているようだった。
生半可な覚悟では押し潰されてしまう。“ギフト”が絡んでいる以上、必ずしも五体満足という訳ではない。
気持ちが揺れれば怪我もするし、一瞬の判断を誤れば死だって免れない。
全く、こんな仕事だと知っていれば面接なんて受けなかったよ。けれど、勘違いしないでくれ。
決して後悔している訳では無いんだ。先述の通り、僕はハズレくじを引きやすいホシなんだ。
ここに来たと云う事はそういう事。死にたくないよりも解決したいと云う気持ちの方が勝る。だから・・・。
「だから、ここに来ているんだよモジャモジャ。」
僕は、彼らのように戦える訳ではない。
自分を守る術も無ければ、“ギフト”と対峙する際の知識も無い僕には彼らに頼る他無いのだ。
けれど覚悟と威勢なら張る事は出来る。それが若者の痩せ我慢だと云われれば、それまでなのだろうが。
もし僕にも“ギフト”に対抗出来る程の力があれば、少しは違ったのだろうか。
いや、やめておこう。たらればを積もらせても仕方が無い、今出来る事に専念しよう。
暫く屋敷を眺めていた社長は、その屋敷へと指を差しながら視線を僕の方へと向け口を開く。
「君達が来る前に、既にメルのソナー探査は完了している。こちらは既に突入の準備は整っているところだ。」
「で、首尾はどうなんだ?メル。」
どうやら彼女達は、僕らがここへ来る前に調べてくれていたらしい。
メルのソナー探査とは通称で、奴の能力でもある音を使った探査能力の事だ。
あれ、でも超音波を使った探査だった筈。あのモジャモジャは、この姿でも使用する事が出来るのか。
あくまでも言葉を具現化させる能力を発動する時は、大狼の姿にならないといけないと錯覚していたが。
探査程度の事であれば、今のままでも充分に運用する事が出来るというのか。
その理由もあってなのか腕を組みながら幼女は、問い詰めるようにメルヘ確認をした。
ふんっと不機嫌そうにメルは唾を吐いた後、怪訝な態度で返す。
「見たところ、人の気配は無ぇな。可笑しな障壁はいくつかあったが。」
「気配が無い?そんな事あんのかよ、モジャ公。テメェの見間違いじゃねーのか?」
それでも疑い続けるチップ。腕を組みながら、苛立ちすら浮き上がらせていた。
確かに不思議といえば、違和感だとも云えてしまうだろう。
実際にこの屋敷には何年も人が住んでいないとは、板さんもそう云っていた。
その事実はメリィにとっては辛辣な事かも知れないのだから、どうにも素直に受け取りづらいのが現状だ。
幼女の執念深いとも表現出来る程のしつこさに、いい加減痺れを切らし始めたメルはギロリと睨みつける。
「あ?俺を信じねぇなら、お前ぇの顔で豆代わりに挽いてやっても良いんだぞ?」
メルが静かに擦り潰すように吐いたセリフが、チップの背筋をゾクリと凍らせた。
案の定それ以上の言葉を失った幼女は、反射的に背筋をピンと伸ばし小さく細い身体を硬直させていた。
一度でもその状況を味わった事でもあるかのように、一種のトラウマが湧き出したかのように汗が溢れる。
ん・・・、本当にあるのか?恐怖で塞いだ瞼は凍った鈴蘭のように閉ざされ、ビクビクと震えている。
この間の大狼の姿を見た為だろうか、あれ以来メルに対しての態度が明らかに萎縮していた。
悪魔の直感だろうか。自分よりも強い者が現れるとそれ以上噛み付く事は無く、直感的に萎縮してしまうのか。
自力では元の姿や能力を使えないチップでは、やむを得ないのだろう。
しかしそれにしてもだ、人の気配が無いというのは俄に信じ難い。
そう思っているのは僕やチップだけで無く、この少女もまたそうだった。
「コマチ様。本当に、人の気配は無かったのですか?」
どこか心配そうに屋敷を見上げていたメリィは、視線はずらす事無く問い掛けた。
彼女の目は決して朗らかと云うには程遠く、少しずつ木の葉が減っていく大木を眺めているようだった。
漸く家に帰れたいうのに、ここには誰も居ないのかと。
この屋敷の扉の先に待ち受けているのが都月ではなく、虚しい現実だけだと受け止められるだろうか。
しかし、社長の唇から発した言葉は無情とも云えるものに等しかった。
「あぁ、メルの探査に狂いは無い。
実際調べた見たところ、何年もこの屋敷には人が住んでいるような目撃情報は無いようだ。
まぁ、それはあくまで人の気配に関しての話だがな。」
情報と事実は忌み嫌う程に一致していた。
けれど、彼女は云った。“人の気配に関しては”と何かを含ませるように、言葉はオブラートに包まれた。
僕はその一言を聴き逃さなかった。恐らくそれは、人では無い何かがこの屋敷に潜伏しているのか。
三度に渡る確認もやはり人の気配は無い。またメルの探査は、“ギフト”を当然聴き分ける事が出来る。
それでも反応が無いのだから、逆に屋敷の中が違和感に思えてしまうのだ。
本当にここは、誰も住んでいないのか・・・。そう改めて鬱蒼な森にも見えてしまう屋敷を眺めていた。
「なぁ、おい。空いてんぞ、この入り口。」
何を思ったのかあの馬鹿チップは、ズカズカと前に出て徐に鉄格子の扉を開け始めていた。
ギィぃ・・・と鉄同士を擦り付けた鈍い音が風を切りながら、ガランと開けた。
事もあろうか幼女は何食わぬ顔で両手を頭に添えながら、下手くそな口笛を吹きながら庭へと踏み入れた。
「おいおい、勝手に入るんじゃねーよバカチップ。」
「まぁ、良いじゃねーか細かい事は。
鍵が空いてんなら、“どうぞお入りください”って云ってるようなもんだろ?」
「いや、そうは云ってないだろ。」
いくら無人とは云え勝手に入るのは不味いだろ。
つい僕は頭を抱えてしまったが、幼女は謎理屈を貫き通して前へ進もうとする。
幼女に感化されたのか、社長も前へと進み出し開いた門を潜り抜けた。
そうして僕の肩にポンと手を添えたと思えば、独特な笑みを浮かべながらこう云った。
「仕方あるまい、開いているのだからな。
それに今は住んでいた家族もいるのだ、問題はなかろうさ。」
と、後ろに控えるメリィを親指で差しながら云い放った。まぁ確かに、厳密には帰って来た訳だし。
それにここにもう住んでいる者が居ないとなれば・・・、いやそれでも厳密には不法侵入だろ!
とは云っても、もはやこの人達に何を云っても無駄か。チラリと後ろで佇んでいたメリィと目が合う。
少女は気品ある佇まいのまま、ゆっくりと肯定の会釈をした。ここまで来てしまったら仕方ないか。
僕は両手でシュラグを構えながら、彼らのズカズカと進む行動を抑止する事を諦めた。
「とても歓迎しているようには見えませんけどね。」
「なんだ新人。メイドからのお出迎えでも期待してたのか?」
社長の肩に乗っていたメルは、くるっとこちらへと振り返りそう云った。
一般的に見てもこの屋敷は、かなり豪華だ。この敷地の広さにこの門構え。
屋敷の扉を開ければ、十数人の畏まったメイド達が居ても違和感が無い。ん・・・?
違うぞ、僕は別に期待をしている訳じゃ無い。そういうシチュエーションもあるかもと云っただけだ。
そりゃあメイド喫茶にも云った事も無いし、一度くらい云われてみたいという願望はあるかもだけど。
「まさか、お前からそういう返しが来るとは思わなかったよ。」
そう云い放ったは良いものの、皆の視線は何故か冷たかった。
メリィは少し笑みを浮かべていたけれど、他の皆は冷めた眼差しでこちらを無言で見つめていた。
なんだ、僕が何をしたって云うんだ。あれか、メリィが僕の事を“お兄様”と呼んでいる事か?
それは誤解が解けたじゃないか。いつの間にか僕は、ロリコンやら変態やらと不名誉のレッテルを貼られている。
遺憾であると叫んでも良いだろうか。腑に落ちない状況下にも関わらず、何も云い返す言葉が見つからない。
それが妙に情けなくも感じながら、僕は彼らの後を追うように渋々と前へ進んだ。
・・・。
・・・・・・。
門を潜り抜けると、中央に聳える屋敷を囲うように庭が広がっていた。
これをシンメトリーと呼べば良いのか、左右対象に建てられたオブジェや花たち。
何年も住んでいないとは思えない程に綺麗に整地され、放置されボウボウに伸びた雑草も無い。
むしろ庭の柵を越えないようにピシリと整えられた草木が並んでいる。
まるで今も尚、庭師が毎日欠かさず整備をしているみたいだ。
不思議と屋敷へと続くこの道を歩いていると、自分がここの領主にでもなったかと錯覚してしまいそうだ。
それだけ綺麗に整えられている。それ自体が不思議で仕方無かった。本当にここに誰も居ないのかと。
敷き詰められた大理石の床も、風化されているどころか素材そのものの輝きを発している程に綺麗だ。
その証拠に床を踏む度に、聞き弾みの良い足音を奏でてくれる。
しんとした静けさを装飾した庭を抜けると、屋敷の入り口となる大きな扉がある。
まさに豪邸のような佇まいだ。もはや何の素材を使っているのかも畏れ多くて聞くに聞けない。
あれだけズカズカと真っ直ぐ突き進んでいた社長も、扉の前ではピタリと止まり出す。
両手をスーツパンツのポケットへと忍ばせながら、スンと鼻で辺りの臭いを嗅ぐ。
「どうしたんですか、社長?」
「本当に誰も住んでいないのか、ここは。」
「え、でもさっきメルがそう云ってたじゃないですか。それに社長だって。」
「この扉や窓を見てみたまえ。誰も住んでいないにしては、綺麗過ぎる・・・。
君だって流石に気付いたのではないか?あまりにも整理された庭を見てな。」
今更この人は何を云っているのだろう、そう思ったに違いない。
安心してくれ、僕もその一人だ。自分達で調べたものをごろっとひっくり返して否定したのだから。
確かに彼女の云いたい事は理解出来るし、現に僕も気にはなっていたところだ。
誰も住んでいないにしては整い過ぎているのだ。庭だけじゃない、住処となるこの屋敷も。
入り口を塞ぐこの扉のノブさえ、雨汚れや埃すらない。つい先程にも拭き取ったみたいだ。
各所の付けられた窓ガラスですら、蜘蛛の巣も手垢も無い。当然、傷や汚れも無く鏡反射するくらいである。
誰かが根城にしているのか、それでも隠れ家として利用しているにしては整い過ぎている。
典型かもしれないが野蛮な連中がそんな事をするだろうか。住んでいるか分からない状態を好む筈だ。
ましてやここまで綺麗に建物を大事には扱わない。と、なれば答えは単純で明快。
「云われてみればそうですわ。私が住んでいた頃と比べても変わらないですもの。」
今、ここに住む者は、前からずっとここに住んでいる者で変わりはない。
薄々、少女も気付いたのではないだろうか。キョロキョロと周りを見渡し、間違い探しでもするように見つめていた。
すると背中にドンッと軽めの衝撃が押し寄せてきた。ふとそこには手にポケットを突っ込んでいたチップの姿。
僕の背中を靴底でべったりと踏み付けるように、幼女は蹴っていたのだ。
真紅に染まった瞳を輝かせながらチップは、本日一番のドヤ顔を見せつける。
「コケツに入らずんばって言葉があるじゃねぇか。入ってみねぇ事にはグダグダ云っても仕方ねーよ!」
「それもそうだな。」
一同、それはまぁ確かに、とでも感じたのだろうか。それを代表して、メルはうむと返事をする。
幼女の云う通り、予測や憶測を並べても仕方が無い。この扉を開けて、現実を見つめない事には分からない話だ。
社長は、チップの言葉にでも感化されたのか金色に装飾された豪勢な扉のドアノブに手を掛ける。
ガチャ、コ・・・ン・・・。
重々しくも響く音を奏でながらその扉は、いとも簡単に開かれた。
何年も開かずの扉だったとは思えない。拍子抜けする程、重々しい音とは相反して軽々しく扉は開いた。
時間が経過していた扉であれば、軋みや埃が溢れてきても可笑しくは無い。
つい先日やったホラーゲームで古びた洋館の扉を開けた時には、そんな反応があったからだ。
少し誇張し過ぎなのかもしれないが、現にここまで軋みの一つ見せない扉はあまりに不自然だ。
これはやはり、この屋敷には誰かが住み着いている。その人物はやはり・・・。
おっと、憶測はウダウダ今云っても仕方ないか。まずは中に入って様子をみよう。
「あぁ、それとチップ。多分だけど、その虎穴に入らずんばって奴。そういう意味で使う奴じゃねぇからな。」
そう云うと幼女は、ぶすぅっと頬を膨らませる。
本来の意味は、危険を冒さなければ大きな成功は得られない事の例えだ。
指摘された事が恥ずかしかったのか、チップは少し俯きながら頬を赤らめていた。
そうだ、チップ。それが勉強と云う奴だ。恥ずかしさから学ぶ事の方が多いのが人間界なのだ。
その白い肌にしっかりと刻んでおくんだ。時刻はなんだかんだと過ぎて夕暮れ時。
辺りは橙に染まろうとする夕陽が影を大きく強調させる。その為か、屋敷の中は少し薄暗かった。
一人、また一人と僕等は屋敷の中へと吸い込まれるように入っていく。
不思議と何かに誘われているのではないかとさえ錯覚してしまう程に。
・・・。
・・・・・・。
扉を開けた先は、がらんとした空間が広がっていた。
屋敷の中は、まさに洋館と云えばしっくりとくる造りで玄関から先は広々としたホール。
中央には二階へと続く大きな階段があり、豪勢な赤い絨毯が敷かれている。
両サイドには、三つの扉。更に奥にはまた階段がある。和式の戸建てとは大きく異なる内装。
漫画やゲームなどに出てくるファンタジーを彷彿させるこの屋敷は、異様に感じてしまった。
一歩踏み込む毎に足音が木霊する。まるでタップシューズでホールを蹴り上げるようだ。
人の気配は無い。けれどそれは人の気配に関しては・・・、だ。それは、僕でも感じ取れる程だ。
どこかこの屋敷の中は禍々しく、何かに覗かれているみたいだった。それも一つ二つの何かではない。
複数の、何か夥しい何かに見られているような、そんな気配は何処となく感じている。
各々が辺りを見回している中、社長は腕を組みながらボソリと呟く。
「少し・・・、寒いな。」
「えぇ、陽が当たってないからでしょうか?」
彼女が云うように、確かにここは寒く感じてしまう。
この屋敷の構造上なのか、窓からは僅かな木漏れ日に近い淡い陽の光が差しているだけ。
晩暑とはいえ、まだ汗を拭いたくなる季節だ。それでもこの屋敷の中は、ひんやりと冷たい風が吹いている。
エアコンのようなものは無い。少し肌寒いとさえ感じる程で、残念ながらうちの事務所とは大違いだ。
広々とした空間というだけでここまで快適な環境を作り出せるのか、そう思うとなんだか羨ましくなってきた。
「どうやら、それだけじゃねぇみてーだぞイサム。」
スンっと何かを嗅ぎ付けたように鼻を鳴らしたチップが、二階へと続く中央階段を見つめる。
皆、中央階段へと視線を向けるがそこには誰も居ない。
悪魔独特のセンサーか何かを嗅ぎ分けたのか幼女の目付きがガラリと変わる。
開けた二階のフロアを真紅の瞳が鋭く睨み付けていた。
「あら、珍しいお客が来たじゃない?ここが何処だがわかって土足で踏み入れたのかしら?」
「何だ⁉︎どこから声が⁉︎」
一早く嗅ぎ分けたチップの云う通り、時は訪れた。
しかし謎の少女の声だけが聞こえており、姿は見えない。どれだけ見渡しても見当たらないのだ。
少女の声は幼い。恐らくメリィと同等か少し上か、それくらいの歳の透き通った幼い声だ。
何処か高飛車にも聞こえてしまうその声は、まるで僕らを見下しているみたいだ。
「今すぐ引き返したら、見逃してあげるわ。寛大だと思いなさい。」
「あ?違ぇだろ⁉︎まずは“お帰りなさいませ、ご主人様。”が筋だろーが!」
「お前こそ何云ってんだよ・・・。」
姿は見えないが足を組みながら、頬に手を添えながら見下しているのが手に取るようにわかる。
何とか主導権を取ろうとしているのか牽制を試みるチップだが、一度の溜め息で幼女は軽くいなされていた。
だいたい何だよ、お帰りなさいませ、ご主人様って。ここはメイド喫茶でも無いだろ。
この声の主だってメイドとは限らない訳だし、そもそもどちらかと云うとそれを従える姫様の方がしっくりくる。
絶対的な自信。まさに権力を振り翳した気品ある姫君。そう捉えた方が良さそうだ。
「この声は・・・、リリィ。あなたなのね・・・。」
僕のすぐ後ろに隠れるようにメリィは、恐る恐る口を滑らせた。
やはり予想通りと云うべきか、この声の主はリリィか。しかし何故、姿を見せない・・・?
様子見というところだろうか。もしそうだとすると、この少女も中々の慎重派というべきか。
「聞こえなかったかしら?出て行けと云った筈よ?それとも御奉仕が必要なのかしら。」
少女の声は圧を掛けるように凄んでいた。出て行け?果たしてそうだろうか。
ここでおめおめと尻尾巻いて逃げたところで、この少女は大人しく返してくれるだろうか。
答えは否、見えないところから襲撃され串刺しにされるのがオチだ。
「すまないな、この先が我々のゴール地点なのだ。上がらせてもらうぞ。」
どうやら社長も同意見のようだ。まぁ、そうだろう。
この社長ならば、ここでそうかと帰るような半妖ではない。請け負った仕事は最後まできっちりやり遂げる。
それが便箋小町の飛川コマチだ。そう云うと彼女は、ズゲズゲと腕を組みながら歩みを進める。
忠告も警告も関係無い。少女の言葉を受け付けず、しっかり乖離させていた。
「そう・・・、それなら手厚く歓迎してあげなくてはね。今日の紅茶は、美味しく出来そうよ。」
「あぁ、それなら紅茶ではなくほうじ茶で構わん。あと、茶菓子は落雁あたりで。
椅子なら大丈夫だ、こちらで用意するのでな。」
「ふん、アンタとのお茶会は話が弾みそうに無いわ。良いわよ、特別に歓迎してあげるわ。」
少女の声から、チッと短く舌を打つ。
沸々と湧き上がる苛立ちが声だけでもよく伝わる。これだけ前のめりに挑発されては、まぁそうだろう。
仮に僕があの声の少女でも、きっと同じ気持ちで苛立ちをぶちまけていた事だろうな。
社長も社長で己の言葉や信念を曲げないどころか、ストレートの豪速球である。
彼女たちの会話は、水と油のように噛み合わない。お互い混じる事無く、お互いを主張したがる。
リリィと思しき少女の捨て台詞と共に、何か不思議な悪寒を感じ始める。
鳥肌が立った腕周りに纏わり付く何かは、決まって想像が付いてしまうのがどうにも溜め息が止められない。
そう、こんな芸当が出来るのも勘付いてしまうのも全ては“ギフト”の仕業だ。
ほーら、すっと後ろを振り向きでもしたら・・・。
「ぶっ⁉︎」
その光景が瞳に映り込み、思わずギョッとしてしまった。いや、無理もない話だ。
ふとピリリと張り付くものを感じたと思い振り返った先にあったのは、大量の人形たちが居たからだ。
西洋人形と呼べば良いのだろうか、いや確かべスクドールと呼ばれるものか。
無表情な顔をした子供の人形は十九世紀頃の衣装ドレスを羽織り、こちらを一斉に見つめていた。
それは数えるのも億劫になるくらいの数で、夥しい蟲の大群に遭遇した時と酷似する。
目の前だけではない、気が付けばこちらの逃げ道を塞ぐようにぐるりと囲まれていた。
「な・・・⁉︎人形が、こんなに・・・、しかも一人でに動いている・・・のか。」
「うわっ!何だこりゃ、いつの間にこんなに集ってやがんだ⁉︎」
そう、ただ人形が置いているわけではないのだ。
こいつらはまるで魂でも憑依したかのように人形が浮いており、一体一体がふわりと浮遊しているのだ。
それだけならまだしも、この人形たちを良く見てみるとそれぞれが手に武器を持っている。
ナイフに、包丁、糸切り鋏に、ノコギリ、カッター、キリ、フォーク。敵さんは刃物のオンパレード。
どれも片手で持てる程の刃物ばかり。人形が手で持てるくらいと云う事か。
そうしないと宙に浮いて素早く動く事が出来ない為だからだろうか、そんな憶測が立てられる。
これから団体さんで大道芸でもやってくれるものなら、是非の身物ではあるが・・・。
当然そんな事は無く、各々両手に携えた刃物を擦り付けながら静かな威嚇をしている。
「アンタ達を特別に御奉仕してくれる私のメイド達よ!尻尾巻いて帰らなかった事、後悔させてやるわ!」
「リリィ・・・。」
メリィは、少女の声に懇願するように小さく呟いた。
彼女の声は、近くにいる僕でもギリギリ聴こえるかどうかの瀬戸際。
ピンと張らせたタコ糸を弾いた程度の音だ。案の定、他の者には彼女の声に気付いていない。
お願いだから、やめて欲しい。少女がこの後に云いたかったセリフは、きっとそう叫びたかったのではないか。
整った眉をすっかり歪めてしまい、指を交差させながら胸元へと添えている。
そんな少女の想いは虚しく、まだ声しかわからないリリィには届いていないようだ。
僕達を取り囲む人形たちは一斉に刃物を構えだし、無表情な視線が集まり出す。
「成程な、通りで俺の探査に引っ掛からねぇ訳だ。」
「どういう事だよ、メル?」
人形たちを見つめていたメルが悠長に分析したのか一人で頷いていた。
なるほど、そうかそうかと勝手に納得し自己完結している。
いよいよ戦闘かと力みだすチップは腕まくりをしながら、分析を終えたモジャモジャへと言葉を返す。
どうやら、いくら“ギフト”たちでも間近で観ないと分からない事の方が多いらしい。
そんな視聴者のぶつけてきた疑問をメルは、流暢にコホンと咳払いの後に語りだす。
「あいつらは、文字通り本当にただの人形だ。そのリリィだがって奴が魔力で操ってるんだな。
人形の背中に張られている線状のマナがその証拠だな。
ただの人形に俺のソナーは反応しねぇからな。こいつは、仕方ねぇな。」
そうか、この人形たちはリリィが操っているってわけか。
確かに良く見ると淡い紫色が発光した糸が一体一体に括り付けられているように見える。
僕にはどうしてもその糸がぼんやりとでしか見えず、はっきりとはわからない。
それでも確実に僕は彼ら“ギフト”たちとの交流が多かった為か、以前よりも見えるようになってしまっている。
自分の環境の吉凶さにどうにも嫌気が差す。出来るならば普通の人間でありたかった。
これではテレビなんかで見る所謂、霊能者という奴の類では無いだろうか。まぁ、見えるだけの端くれだけれど。
「操ってるって・・・、四、五十体は居るぞこれ‼︎」
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たった一人でこれだけの数を操っているというのか。ざらっと数えるだけでも五十体は下らない。
恐らく一体あたりの行動には、少し制限されているのが良くあるセオリーだ。
それでもリリィとやらのマナ量とでも云えば良いのか、その総体量はかなりのモノと云えるだろう。
これらを可能とするルーツは大方の予想は付く。それはメリィの双子の姉だからか。
彼女たちの魔力の原動力となるのは瞳として模られた純度の高いブルーサファイア。
それを二つに分けられた力が姉であるリリィにも存在するのであれば、点と点が線で結ばれるように納得が出来る。
彼女の絶対的な自信はそこからか。セリフから察するに、不敗から生まれる、虚勢とは違う発した威圧。
吐き捨てた少女の声には、勝利しか見えない何かがあるからか。でなければ、社長を見て態度を変える筈だ。
確信となるそれを探り当てなければ、リリィとの対峙は分が悪いかもしれない。
「やれやれ、相当の自信家のようだな相手は。これは、マカロンでも添えてもらわんとな。」
社長は肩に掛けたスーツジャケットを靡かせながら、腕を組む。
どうやら彼女には無表情で物騒なメイド達を見ても、ただの頭数程度にしか思っていないのだろうか。
やれやれ、と云うようにまるで子供のお遊戯会を仕方無しに参加してあげているような素振りだ。
その為か社長の両手を覆う白い手袋は、外そうとはしていなかった。そういう貴女も相当の自信家ですよ。
司令塔が自信家同士のチェスなど、戦場も会議室も大荒れだ。
すっかり戦闘態勢と入った社長を気遣ってか、メルはぴょんと飛び降りて真っ直ぐメリィの元へと飛び移る。
白いモジャモジャを両手で受け止めたメリィは、中央階段へともう一度視線を向けて震えるように呟く。
「リリィ、どうして・・・。どうして、こんな事をするの⁉︎」
「どうやら、やっこさんはもう聞こえねぇらしいな。マチコ、どうすんだ?」
少女の願いは儚く、虚しくも届かなかった。
ただ、空となったままの中央階段の先を青い瞳に映し出し、唇と同様に少し震えていた。
もう止めて欲しい、こんな事をしないで欲しい。一番届けたい想いは、シャボンのように半透明に弾け飛ぶ。
コツー・・・ッン・・・。
メルの確認に呼応するように、社長の前へと進む足音がホールを響かせる。
後ろへと一本に結わせた髪を僅かに靡かせながら、中央階段へと手を差し伸ばす。
「決まっているさ。」
ニッと口角を上げながら、彼女は差し伸ばした手を自分の胸元へと添えていた。
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