便箋小町

藤 光一

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第1章 河童編

14交渉はおまかせを(再編集版)

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 チップを置き去りにした僕らは、目的地の大学病院へと車を走らせる。
辺りは黒雲のようにどんよりと暗く沈み、影すらも飲み込む。
雨のせいで時刻を把握しづらかったが、曇天の向こうにある太陽は既に沈み切っているのか。
バトンを受け取るように代わりを引き受けた月は今、空を登って泳ごうとしているところなのだろう。
分厚い雲と豪雨で星は見えない。元々、然程星空が爛々と見える街では無いのだが。
いざ、見えないとなると物寂しさすら感じてしまいそうになる。
公道を走らせるこのキッチンカーは、相変わらずの法定速度を振り切ったスピードで駆け抜ける。
そのせいで周りの違和感に気付く事に少し遅れてしまった。
不思議と辺りは街中ではあるにも関わらず、何故か行き交う車も歩行者がポツリとも見せない。
まるで皆、この道を避けて通っているとでも云うのだろうか。真夜中の田舎道を走っている程、静かな道だ。
大通りも面しているこの大学病院は、決して人通りが少ない訳ではない。
ここまで異常な程、人が居ないのはかえって不気味だ。その不自然が感情を硬直させる。
恐らくこの現象を作り出しているのは、河童たちか社長のどちらかだ。
被害を最小限に抑える為に、人の領域や常軌では云い表せない力の何かでも作用しているのだろう。
まぁ、こちらとしてはとても都合が良い事に違いない。
さっきまでの戦いによりフロントガラスが砕け、車体全体もボコボコの状態で爆走しているのだ。
仮に僕が警察官だったら、通報を聞きつけ真っ先に呼び止めて事情聴取をし応援を呼ぶところ。
最も人通りが混み合うであろう平日の夕方にも関わらず、僕達の周りには警察どころか人っ子一人居ないのだ。
だからこそ社長は、躊躇する事なくアクセルを踏み込みギアを上げていくのだろう。
そういえば、何かを忘れているような・・・。あぁ、そうだ。あいつは、どうなったんだっけか。
ふと、思い出したかのように、脈絡無く僕は社長に尋ねた。

「そういえば、チップの事は良いんですか?」

 一頻り進んでから尋ねるのも何だが、相変わらず僕はシートベルトを握り締めながら社長へ訊いた。
握り締めている理由は、爆走する車に沿うように突拍子も無く襲い来る重圧に耐える必要があるからだ。
それよりも、青看板にぶつかり道路のド真ん中にくたばっているであろうアイツが少しだけ心配になった。

「む?あいつか。それなら心配無いぞ。」

 そう社長が安堵を誘うように言葉を返す。
なんだそんな事か、とでも云うように呆れ混じりの息を吐く。
そして、指揮棒を振るうようにクイッと親指を立てながら後ろへと視線を誘導させる。
僕は誘われるがままに、社長が指し示した方へ視線を向けた。後ろ・・・?でも、ここからじゃ見えないな。
僕は先の襲撃で空いてしまった窓から、そっと覗き込み車体の後ろへと確認する事にした。

ガラッ・・・ガタ・・・、ビタンッ

 何やら車の後ろの方から鈍い音が聞こえる。何かを無理矢理引き摺り回しているような・・・。
外へもう少しだけ顔を出したところで、社長は一言添える。

「見たまえ、垂くん!あの阿呆なら、しっかり着いて来てるではないか。」

 と、よく見るとキッチンカーのバンパーには黒い影みたいな物がガッチリと結びつけられていた。
その影の尾を目で追ってみると、ボロ雑巾のように成すがままに引っ張られているチップが居た。
居たと云うよりは、転がされているというか。車の運転に合わせて俯せと仰向けを繰り返している。
気絶している為か無抵抗のままに、慣性に沿って不規則に身体を転がされている・・・。
時折、「あぅ、ぶふぅ。」などと鈍い呼吸を潰したような声を漏らしながら引き摺られた幼女がそこに居た。

「って、おぉぉぉおぉおおおいい⁉︎何やってるんですか、社長⁉︎」

「何って、道路のド真ん中で阿呆が寝てたら邪魔であろう?」

 一体何に怒っているのだと云わんばかりに、社長は不服そうな顔で覗き込む。
運転が落ち着いてきているのか、頬杖をつきながら「ちっ」と舌打ちを交えながら運転をする程だ。
ハンドルを添えていた人差し指で、トントンと軽く叩きながら苛立ちを立ち込ませていた。

「あれ、引き摺ってるだけですって!引き上げてあげましょうよ!」

「私の使い魔として役目を終えたのだ。しかもしっかりと後処理として回収し、他人にも迷惑も掛けていない。
むしろ、君に怒られるどころか感謝されるべきとこだと思うがな!」

 深めの溜め息は、怪訝そうな態度と苛立ちがブレンドされており社長の顔はご機嫌斜めだった。
ブライダルカーに繋がれた空き缶のように、転げ回るチップの扱いはモノ同然だ。
光景を見る限り、そんな華やかでもハネムーンをイメージするような状況では無いが。
怒りとはまた違ったベクトルの力が指の先まで伝わり、思わず荒げてしまう。

「だったら、今そうなっているって教えて下さいよ!引き上げますから!早くこっち側に手繰り寄せてください!」

「全く、君と云う奴は。上司に命令するとはな・・・。」

「いいから早く、ロープでも何でも良いので‼︎」

 すると彼女は、車のバンパーに括られていた影を少しずつ小窓の方へ移動させる。
どう操っているのかはよく分からないが、指揮棒のように指を動かし影を動かしている。
徐々に近付く影とチップ。そのまま引き上げれば良いものの、依然幼女は引き摺られたままだ。
漸く小窓まできたあたりで僕は、幼女の文字通りである命綱となって結ばれた影を引っ張り上げる。
引っ張り上げる度に、チップは転がり回っているが今は気にしない事にしよう。
僕はそっと眼前に映る現実を背けるように目を逸らしながら、黒い尾を徐々に手繰り寄せる。
ゆっくりと少しずつチップの傷付く身体を車へと引き寄せていった。というかコイツ、意外と重いな。
つい勢いで引っ張り上げるなんて云ったけど、その度に二の腕の筋肉が締め付けられるようで痛みが広がる。
少しでも休もうなら、たちまち掴んだこの命綱はするりと抜けていってしまう。
変な声が漏れながらも僕は、歯を食い縛って幼女を引き揚げた。

「ふぐぬぅぅぅぅぅぅぅぅッ‼︎」

「ふむ、凸凹コンビかと思ってはいたが案外噛み合うじゃないか。」

「冗談じゃ、無いですよ!この悪魔と一緒に居たら、頭が悪く、なりそーーう、ですッ!」

「はっはっはー!そいつは良い事じゃないか!頭を柔らかくするのも悪くない運動だぞ、垂くん。」

 漸く引き摺り上げたチップは、魂が抜け落ちたようにぐったりとした状態だった。
普通の人間なら即入院レベルの瀕死だったろうが、どうやら気絶してるだけのようだ。
僕とチップの様子を見ると社長はハンドルを強く握り締めながら、瞳を閉じ大きく高笑いをしていた。
本当にいつもよりテンションが高いというか、この人はこの人でまるで別人。
ハンドルを握ると人が変わると云うのはよく聞く話だが、実際に目の当たりにするのはそう居ないだろう。
社長ってこんなに笑う人だったんだな。今思えば、静かに笑う素振りしか見せた事が無いから余計に新鮮だ。
と云っても、今の彼女は彼女であって彼女では無いのだろう。一種の別人格とかそんな感じなんだろうか。
そんな中、社長の目論見通りというところか。僕とチップをバディにさせた理由わけ
彼女としては、僕とチップの化学反応に驚きと併せて見繕っていた自分のロジックに噛み合ってきたのだろう。
その歯車は未だいびつだ。素人目でもガタガタで摩耗される事もなく、研磨なんてままならない。
謂わば、まだ荒削り。一週間程度で息の合ったバッテリーなんて出来たもんじゃない。
僕も寄り添う気も無いし、あいつだって我が物顔の自由奔放でなければ僕だって苦労はしない。
ただ、この馬鹿だって仲間であり同じ職場の社員の一人だ。放っておく事なんて出来ない。
馬鹿だけど河童の襲撃を守り、身体を張ってくれたんだ。その事実も、あいつの本心も本物だと思う。
だから、せめて骨くらい拾ってやるのが礼儀だろう。そう思ったから僕は、あいつに手を差し伸べたんだと思う。

「そうですね、それなら、うんと砂糖の効いたカフェオレが飲みたいです。」

「コーヒーならメルに頼むと良い。あいつの方が淹れ方は上手い。・・・それにだ。」

 そう彼女が告げると同時に、叩きつけるような力でブレーキペダルを強く踏み込んだ。
当然、高速回転していたタイヤは急激に抑制され、耳を塞ぎたくなる程の悲鳴を上げ始めた。
無理に止めようとしたせいで、雨で濡れた路面はタイヤの摩耗を許す事無くスリップさせてしまう。
それでも社長は動じずに忙しなくもハンドルを回しながら、車体も連なって回転し始める。
スピードを緩めさせる為なのか車体は何度も大きくスピンを繰り返す様は、まさに独楽そのもの。
もはや彼女のカーアクションは驚かまい。普通に少しずつブレーキを踏みながら、緩めれば良いものの。
何だってまたこんな大胆でアグレッシブな事しか出来ないのだろう、この人は。
フィギュアスケート選手だって、車でトリプルアクセルをかます奴は居ないだろう。
ただ横殴りのように迫る重圧が凄まじく、僕の口元からは鈍い声が漏れるだけだ。
メルの云う通り、紐なしバンジーを数回繰り返す方が遥かにマシで、まだそちらの方が生きた心地がする。
車体が数回の回転で漸く慣性の力は失い、車は暴れ馬でも落ち着いたかのように停止した。
ふぅーっと一息付くのも束の間、時間差攻撃かのように急激な嗚咽が襲い掛かる。
これを乗り物酔いと捉えて良いものか、咄嗟に口元を抑えて逆流しそうになった何かを飲み込んだ。
僕は思った。二度とこの人にハンドルを握らせてはならないのだ、と。強く十字を切って祈りながら、そう思った。

「目的地は、ここのようだな。」

 まず、先人を切って車から降りたのは本日のスタントマンである社長だ。
僕とコツメも彼女の後を追うように車から降り、辺りを見回した。
時刻は既に、すっかり陽が落ちたのだろう。真っ暗となった街には街路灯がチラチラと照らさせていた。
目の前に見えるのは、大きく佇む大学病院。白を基調としたこの付近では一番大きな病院だ。
それ故に、利用者も多い事から駐車場には混み合わないよう円滑にする為、常に警備員が居るくらいだ。
なのに今日は警備員どころか、通院の為に訪れている者も通行人すらやはりここでも見当たらない。
抜け殻のように放置された利用者の車だけが残されており、この一帯だけゴーストタウンのように静まっている。
雨さえ無ければ、しんと無音に作られた空間は擦れる砂利すら反響してしまいそうな程だ。
これは一体どう云う事なんだ・・・。何故これだけ大きな病院がここまで静まり返っているんだ。
常軌を逸している。仮にも大学病院だぞ?ここまで静かな状態があるだろうか。
深夜ならまだしも、民放のテレビも盛り上がるゴールデンタイムだ。控え目に云っても有り得ない・・・。

「社長・・・、これは一体・・・?」

「どうやら舞台は用意してくれたらしいな。見たまえ、周りの状況を。」

「いや、だから周りに誰も、人なんて・・・。」

「本当にそう思うかい、垂くん・・・?」

 社長にそう云われ、改めて周りを見渡す事で漸く僕はその存在に気付く。
人だ・・・、人が倒れている。それも一人や二人では無い。恐らく通院や入院などで訪れた利用者たちだ。
壁にもたれ掛かるように眠る者、床や地べたに倒れ込むように眠る者。どれも気を失ったように眠っている。
“舞台を用意した“と云う事は、まさかこれは河童たちの仕業なのか。奴らの都合に合わないから眠らせているのか。
詰まるところ、所謂“妖術“とでも云えば良いのだろうか。奴らの作戦に、周りの人達は邪魔だから?
関係の無い者へ命を脅かす程の危害を加えない辺り、河童たちは自分なりの距離感を保っているのだろう。
それなりの秩序を持っている証拠だ。目的以外の事は、無駄な殺生はしない。
コツメを見る限り、元々は温厚な種族なのだろう。自分たちの危惧が迫っているからこその今回の騒動だ。
見渡した現状を間近にした僕は、恐怖を隠せなかった。その理由は、僕達の周りのとある存在に気付いたからだ。

「あ、あれは・・・!」

 僕の影に付き添うように車から降りてきたコツメは、目を丸めながら見つめていた。
人々の代わりに病院の正面に立ち並ぶのは、行手を阻むようにずらりと横一列に並ぶ河童たち。
威勢良く敵意剥き出しで構える軍勢は、三十体程度では収まらない。五十、いや七十体程は数えられる。
各々が三又の矛を携え、真っ直ぐにこちらへと牙を向けていた。
軍勢の中央には、杖を突く年老いた河童が見える。身体を包み込むようにローブを羽織り一際目立つ姿。
包み込んだローブを括るように植物等で加工された首飾りを身に着けている。
形容するならば、それは一種のシャーマンのような身形であり、何かを奉る為のような佇まいにも見える。
その者を守るように他の河童たちよりも装飾が豪華な矛を携えており、神官を守るガードマンのような者も居る。

「河童の・・・、軍勢・・・。」

 そう息を呑みながら僕は言葉を摘んだ。 
目の前に映る光景は、恐怖に近いものか。以前のトリビュートのような強大な個による恐怖とはまた違う。
数を率いれた恐怖。巨大な個とは、対照的な集団で来襲された恐怖は全くの別物だ。
こちらの不利な状況は、その数だけが原因では無い。奴らが戦闘する環境としても最適に用意されている。
ご覧の通り、快晴とは程遠い大雨で地の利は河童勢に軍配がある。逆に、こちらは戦える者がゼロに等しい。
社長は、力の源でもあるいんを作る事がこの大雨が原因により出来ない。
チップたちのように誰かに分け与える、もしくは解放するような印は作れても自分の印を作れない。
彼女は足元を囲うように印を作らなければならないのだが、水溜りや泥濘んだ足元では安定して作り出せない。
メルもチップも力を使い切ってしまい、戦う程のコンディションではないのだ。詰まるところ圧倒的な戦力差。
戦える人数も力もいかに乏しいかは、素人の僕でも明白であるくらい絶望的な状況だ。
ここで抵抗しようものなら、海に砂糖を混ぜ込むような浅はかな無駄な抵抗だろう。
それでも社長は、立ちはだかる軍勢を前にしても表情は歪ませる事は無かった。
ただじっと奴らを睨みつけ、腕を組みながら肩にかけていたスーツジャケットを靡かせている。
それはまるで、獰猛な野生動物が敵と対峙する時の威嚇。一見、虚勢とも捉えられる防衛本能。
戦況は最悪だが、社長にはまだ策があるのだろうか。傍らに凛々しくも佇む彼女の瞳は、まだ諦めていなかった。
この戦況を打破する突破口が、彼女の頭の中では構図が出来ていると云うのだろうか。

「新人・・・。」

 僕の肩に居座っていたメルが重い腰を下ろすように呟く。
メルもすっかり疲れ切っている。少し休んでいたとはいえ、疲弊したその身体はとても本調子とはいえない。
少なくとも、先のような変身して戦うパフォーマンスは残っていないだろう。
何度も云うが唯一まともに戦えるのは、印が作れない社長のみ。
メルはすっかり雨で濡れてしまったトップスの長い髪でつつくように合図を送り、視線を誘導させる。
彼が仕向けた視線の先には、年老いた河童のすぐ傍に居る側近の河童だった。
メルが注目させたその河童は、真っ白な病衣を羽織った少年を抱き抱えていた。
少し奴らとは距離がある為、はっきりとは分からなかった。けれど、あの少年に傷を負わせた素振りは無い。
少年は魔法でも掛かっているのか、深い眠りについているように見える。

「あの子は・・・、もしかして・・・。」

「そうだな、垂くん。彼がおそらくトリヤマミズキくんであろう。まさか、ここまで準備が早いとはな。
田舎風情が、やってくれる・・・。」 

「どうしてあの子が・・・。オイラの、せいで・・・。」

「ちっ、一歩遅かったみてぇだな。」

「けど、なんだってまた奴らは、トリヤマくんを?」

 彼らが抱えているのは、恐らく僕らが探していた尻子玉の宿主“トリヤマミズキ”だ。
今回の目的であるコツメの依頼された届け先でもある。
だがしかし、気になるのは奴らの行動だ。尻子玉を取り戻すだけなら、こちら側に居るコツメを捕まえればいい。
けれど奴らは僕達より先周りをし、その尻子玉の持ち主であるトリヤマくんを何故、手中に収めた?
何故敢えて、そんな回りくどい方法を。理由はどうあれ、どうやって彼をピンポイントで突き止めたんだ?
奴らの行動を推測する内に、次から次へと疑問が湧き出す。傍らでは、ギリリと拳を軋ませる音が聞こえた。
社長は一層睨んでいた瞳を更に鋭利にさせ、立てた親指を少し噛む。

「知れた事・・・。奴らは、ミズキくんを交渉材料にする気だ。」

 雨に紛れて、社長の舌を切る音が微かに響く。
どうやら奴らは、ただの武闘派で田舎者という訳では無いようだ。それなりに頭も切れる。
何よりも身柄を使った交渉手段は、こちら側として手が出しにくくなる。
歪ませるのは、判断能力。仮に尻子玉を手渡したとして、彼らは潔く引き下がるだろうか?
トリヤマくんの身柄もそう。無事に返してくれるという保証は無い。
社長の尖らせた唇には苛立ちが塗られていた。勝機があったのはトリヤマくんと合流している事。
尻子玉を戻し、トリヤマくんを河童たちから退けるのが得策だった。しかし、奴らは一枚上手。
いや・・・、奴らは僕らよりも二手早く進行し、行く手を阻む作りに策を講じていたんだ。

「社長・・・。どうしますか?」

「ふぅ・・・。」

 そう聞いた僕は、眉間を寄せた社長へと声をかける。浅く深呼吸をし、少しの間だけ俯く。
刹那の間だけ閉じた目を開き、腕を組んだ姿勢は変える事なく顔を上げた。

「随分と準備が良ろしいようで、ご長老。わざわざ探す手間が省けて助かる。」

 降り注ぐ雨を貫くように大きな声で、ゆっくりと河童の群れへと社長は前進する。
中央に佇む年老いた河童は、社長の声が届いたのか片眉を上げた。
ギロリと張り詰めた瞳を研ぎ澄ました槍のように睨み、皺混じりの掠れた嘴を開く。

「キツネ風情め・・・、よう暴れよるわい。」

「前菜のようなウォーミングアップと考えれば、丁度良い運動さ。」

「相変わらずの減らず口だな、キツネよ。まぁ、良い。我らがここにおる理由は、察しておるのだろう。
我らの目的は、ただ一つ。コツメ・・・、尻子玉をこちらに。」

 彼はこの河童の軍勢のおさなのだろう。社長も「ご長老」とも呼んでいた。
そして、ここでも社長とは少なからず顔触れがあるようだった。けれど、決して仲慎ましくとは云い難い。
お互いに距離を取り、干渉はしない。特に面倒事を好まない社長の事だ。触らぬ神に・・・、というスタンスだ。

「何故、少年を?田舎者の情報量とは、如何に計り知れんな?」

「お主らの行動など、合戦をするよりも単純明快よぉ。
コツメがどこで尻子玉を手に入れたかなど、すぐにわかるわい。
故にこの少年の存在も、今どこにいるのかも我等にかかれば造作も無い・・・。さて、もう一度云おうかの?」

「ご長老、残念だがその要望は半分しか叶える事が出来ないだろうな。」

「・・・どういう意味だね、キツネよ?」

 掠れ交じりの重い声色を発する河童の長老は、素人目でも殺気の篭った刃物をチラつかせるようだった。
しかし恐るべしは、河童のネットワークだ。尻子玉の宿主の居場所は、最初からわかっていたと云う事か。
初めから既に二手、三手と対応はこちらの方が遅かったのも頷ける。後は至って単純。
別部隊が僕達を妨害して足止めし、その間に本隊はトリヤマミズキを回収し制圧すればいい。
準備は既に奴らの方が出来上がっていたと云う事か。けれど、ここでの交渉がキーとなる。
彼らの一言で全てが始まる。正に鶴の一声で、河童の群れが押し寄せてくるか退いてくれるか。
事を荒立てたくないのが僕の心境ではあるのだが、社長やあの長老はどうか。お互いにマウントは譲らない模様。
だからこそ彼女は覇気を緩める事無く、堂々と言葉を発する。

「尻子玉は返すさ。貴様らでは無く、その大事そうに抱えている少年にな。」

「それは悪手と思わんかね?人の街に住み着いてからに、ぬるま湯を浴び過ぎたようの。
この人の子が大事なのはお主かて、そうであろう?」

「生憎、仕事なんでね。私の名は、便箋小町の飛川コマチ。
チャチなプライドや私用は持ち合わせないようにしている。」

 河童のおさと見受けられる一際歳老いた河童は、彼女の言葉に聞く耳は無かった。
彼はあるものに気付いてから、社長から目線を変え薄らとした笑みを膨らませて覗き込む。
顎に携えた白く長い髭を手繰り寄せながら、長老の瞳は鋭く細くなった。

「あぁ、そうだ・・・。お前もそこに居るんだったな?・・・コツメ。」

「長老・・・。」

「何をしている、コツメ?その手に持つ尻子玉をこちらへ。今なら引き返せるぞ?」

「はんッ、それはどうだが。とても五体満足でこの先も過ごせる形相ではないようだがな?
ご長老の後ろで兵隊ごっこをしている連中が良い証拠ではないか。」

 長老の言葉を手で払い除けるように、彼女は物申した。
確かに彼女の云う通り、とてもコツメが五体満足のまま帰れるような保証は見えない。
河童にとっては里の未来に関わる重罪に等しい。その異端者を謝罪の一声で済む話では無いだろう。

「僕は・・・、尻子玉を・・・。」

 その震える声は、ギリギリ僕の耳に聴こえる程小さかった。
言葉の震えは、寄り添うように少年の身体を蝕む。年端も無い少年の心をじんわりと掴んだのは恐怖の具現。
優しく掴み掛かるように見せて、ゆっくりと後ろから首を締め上げてようとしている様。
迷いという葛藤が少年の小さな身体だけでなく、内包された心を大きく揺らし始めていた。

「コツメ君、それを彼らに渡してはダメだ。その時まで握っていないと。」

「けど・・・。」

 僕はコツメにだけギリギリ聴こえる程度の大きさの声で返した。
直前まで手放そうとしていたコツメの手首を掴み、僕は首を横に振った。
仮に返したところで、無事にトリヤマくんだって返してもらえるとは限らないからだ。
少年は俯いたまま、握られた手首をふと見つめていた。微かに揺れる振動。それは、震えた彼自身の心の現れか。
秒針を噛み、しんと静まり返る。社長と長老の視線から始まる冷戦は、互いに言葉の弾を充填している。

「・・・して、コマチ。この状況、どうすると?ブツはこちらにある。
尻子玉を手渡せば、我等も退くと云っているのだ。抵抗すれば・・・、等と考えずとも判るだろう?」

 河童の長老は、冷静だった。明らかにこちらが不利だと云うにも関わらずだ。
並大抵の者なら、奴らへ素直に従うのが筋だろう。けれど、彼女も彼女で眉一つ歪んでいなかった。
ただ淡々と、組んだ腕を指で叩きながら何かを数えるように。いや、何かを待つように淡々と。

「ご長老も相変わらず硬いな。世は変化して、進歩するものだ。人は世という言葉があるだろう?
貴様らは、仕来りと云うで自分達を縛っているのが何故気付かない?」

「ワシはそんな答えを聴きたい訳ではないぞ小娘が。
若者の御託など、後でいくらでも聞く。重ねて聞くぞコマチよ、返答を聞こうじゃないか。」

 長老は手を差し伸べるように、問いただす。
しかし、その質問に二択は無い。孤立を促された答えしかないのだ。
「尻子玉を差し出す事」しか選択肢は無いに等しい。断れば、目の前の軍勢が押し寄せる。
僕から見てもたちが悪い。こちらとしては、下手に刺激を与える事が出来ないからだ。
暫くの無言の中、静寂では無いのはこの雨のせい。社長も腕を組んだまま、ただ瞳を閉じるのみ。
雨は降り止む事は無い。ただ無慈悲に無数の雨粒が大地を穿つ。
すっかり濡れて冷えた身体は、つい反射的に身震いを起こしていた。
雨で濡れた服はじっとりと重くなり、額から溢れる冷や汗すら隠してしまう。
それでも、戦の火蓋を開けるか否かは社長の返答にかかっている。

「どうした、コマチよ。黙っていては、話は動かんぞ?」

 痺れを切らした長老は、追い討ちを積み立てる。
ゆっくりと音もなく手を上げた長老は、周りの兵たちに何かの合図を送るような仕草をした。
傍の河童の兵は、携えていた矛を抱き抱えていた少年の首元へとその切先を向け始める。

「やっぱり・・・、やっぱり返すよ!」

 痺れを切らしたのは奴らだけでは無かった。
コツメは慌てるように前へと走り出し、僕らの前へと立ち塞いだ。
広げた掌は、やはり震えていた。自分の身に纏った恐怖を少しでも振り払おうと必死に構える。
少年の行動を見た長老は、右手を下ろし後ろの軍勢へと静止の合図を促す。
先程のような薄ら笑みを浮かべながら、長老は口を開く。

「ほぉ、それが賢明じゃコツメよ。」

「このままじゃ、皆やられちゃうよ、オイラの我が儘で皆・・・。」

「コツメ君・・・。」

 駄目だ、このままでは・・・。このままでは、それこそ全滅だ。
コツメが長老に尻子玉を渡せば最後。待っているのは、全員血祭りだ。無事に帰れる訳が無い。
だが、どうすれば。社長もずっと黙っているままだし・・・。時間だって無限ではない。
何かを打開する為の策を練らなければいけない。けれど、そんな糸口は・・・。
少年の決意は暗雲、まだ拭いきれていない。コツメは、ずっと深く被っていた帽子を脱ぎ捨てた。
水浸しとなった地面へと被っていた帽子を落とし、元の河童の姿となって口を開く。

「長老様・・・。一つ教えて欲しいんです。」

「何じゃ、申してみぃ。」

「兄ちゃんは・・・、兄は、何処に・・・、居ますか?」

「そうか・・・、そんな事か、お前の兄はな、いない。」

 長老の掠れ交じりの言葉を聞いた時、ハニーイエローの瞳は細く睨みを増す。
力一杯に歯を食い縛り、その反動か彼の瞳から数粒の涙が溢れ散った。

「これでわかったであろう?奴らに従っては駄目だ、コツメ君。」

 社長はここから先はもう、コツメへ近付けさせまいと右手で進行を塞ぐ。
同時に、コツメがこれ以上前へ行かせない様にも見えた。
コツメの兄・・・。兄弟が居たのか、それももう奴らの手に・・・。
今回のコツメの行動が家族にも矛先が向けられて居たのか。確かに有り得なくは無い話だ。
少年の背中は、実に深みのあるブレンドを持ち合わせていた。哀しみと怒り、青と赤。
雨に紛れた少年の涙は、今どちらに傾いているのか。その事実を告げる奴らには、何の感情もないのか。
つい先日までは同じ仲間だったろうに。里を脅かす裏切り者には天誅を、そこに先日までの慈悲は無い。
今だってそうだ。奴らは眉一つずらす事無く、冷酷に事を進める。

「・・・三つ、数えてやろう。すまないの、田舎者は気が短くてな。」

 掠れ交じりの声を加えた後、長老は三本の指を立てカウントを刻む。
つまりそのままの沈黙もノーと下され、彼らに対するノーを答えても少年の首は切り捨てられてしまう。
そこに選択は無い、あるのはイエスのみ。残された答えは、それしか無い。
それでも尚、体勢を変えない社長は沈黙を刻み続ける。

「社長、これはいよいよですよ。ここはやっぱり・・・。」

 僕も焦りからか、社長の沈黙に痺れを切らそうとなっていた。
社長は一体、何を考えているのだろうか。この状況下を一変させるような手がまだ残っていると?
確かに彼女は、“泥舟に乗った気分で”等と云ってはいたが果たして。

「一つ・・・。」

 長老は軋むように嘴から、鈍い声を吐いた。
立てていた三本の指の内、見せびらかすように中指をゆっくりと折り曲げていた。
無情にもカウントは進む。決断のカウント。僕も含めて、ここに居る者全てが社長に掛かっている。

「ふん・・・。」

 一つ、呼吸が漏れる。
それは、長い沈黙を刻んでいた張本人である社長の口から溢れた吐息だった。
不貞腐れるように諦めた溜め息では無い。もっと、明るい。兆しを灯した橋を架けるようだ。
まるで何かを思い出し笑うかのように、その一言は軽く弾んでいた。

「漸くか。私を待たせるとは、田舎妖怪を見習うべきじゃないか?」

 と、雲を見上げるように社長は誰かに言葉を投げかける。
ここに見える者に話しかけてるとは思えない。第三者?新手?これが社長が残した秘策か。
彼女の視線を追う事で、漸く僕はその存在に気付く。いや、今まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。
僕達を、いや病院全体を取り囲うように人影がそこにはあった。あれは全て人なのか・・・?
全員揃えるように黒いスーツで身を包み、腕を後ろに組んだまま傘も差さずにじっと皆佇んでいる。

ババババババババババババババッ

 頭上に見えたのは、プロペラを爆音で回転しながら鳴らすのはヘリコプター。
煌々と大きなサーチライトを僕達に向けて、突如として現れた。
一体何が起きたのだろうか。自衛隊でも警察と云う訳ではないのは確か。
となると、この状況を引き起こしたのはまさか・・・。

「レディーーーーーーース、アーーーーンッ、ジェトルメーーーーン!」

 汽笛のようなハウリングを交えながら、高らかにその声は鳴り響いた。
雨にも風にも負けず、やけにテンションの高いその声は男性のものだった。
けれど姿はまだ見えない。河童たちも動揺しているのか雲を掴むようにキョロキョロと慌てている。
当の僕らもこの良く分からない状況に戸惑っているところだ。彼女は、ネクタイの緒を少し緩めた。
漸くか、とでも云うように安堵を模した唇を開く。

「どうやら、三つも刻む必要は無かったようだな。済まないが話し合いは以上だ。
さて、役に立ってもらうぞ・・・。なぁ、テンジョウよ!」

 これは咄嗟に引き起こしたものではない。恐らくこれは、社長が仕込んだもの。
形勢逆転を狙った策。降り注ぐ雨すらも払い除ける奇策。謀った目付きで社長は、天上を見上げていた。 
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