便箋小町

藤 光一

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第2章 雨やどり編

57微笑む悪意へおまかせを

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「サぁあー・・・、続きをシましょうかぁぁ?」

 木々を掻き分け、ヌッと現れたその巨体は僕らの何倍も大きい化け物と化した蜘蛛だった。
もはやあれを蜘蛛と呼ぶべきか、全長にして十メートル近くはあるし、背中からは人のような上半身が生えてるし。
この八握脛ヤツカハギと呼称されるこの妖怪は、いずれにしても人智を超えた規格外の存在だ。
今更ながらこんなのが町の近くの森に住み着いていたなんて、たまったもんじゃ無いよな。

「くそ、こんな時に!」

 思わず僕は口を尖らせた。けれどこの妖怪は、どうして僕らの居場所が分かったんだ・・・?
匂いか、もしくはレタのマナを辿って?いや、もっと断定的な何かだ。あの獲物を突き止めた表情は、探し回った顔ではない。
もっと確固たる糸を手繰り寄せ、ここへやって来ているのだこの化け物は。それにしても、一体どうやって・・・。
虫嫌いの彼女も流石に腹を括ったのか、今度は失神する事は無く、短く舌打ちをしていた。

「やるしか無いわね・・・。セン、イサムくん、なるべくここから離れて・・・ッ⁉︎」

 覚悟を決めたその矢先、僕らを戦闘区域から離れるよう指示したレタの背後に大鎌がゆらりと現す。
ゾクリと内臓を抉るようなプレッシャーが押し寄せる。その大鎌を振うモノは他でもない、あの蜘蛛の形をした化け物だ。

「レタさんッ!」

「余所見してる暇なんて、あるのかしらネェぇ?仔猫ちゃんンンン?」

シュゥウゥゥ・・・

 レタは咄嗟に振り向きながら、僕を足で突き飛ばした。大鎌に見えたその武器は、八握脛の前脚。
それはほんの一瞬の出来事。僕が地面に尻餅をつき見上げた頃には、既に戦闘が始まっていた。
化け物が振り翳した脚を受け止めたのは、彼女の持つ氷で出来た銃。切先や毒棘に当たらないように、しっかりと受け止めていた。

「何よ・・・、ほぼ不意打ちじゃないの。」

「アララ、面白い。ちゃんと受け止めたのねぇ?偉いわぁア・・・。」

 だが、力の差はその体格差から歴然。なんとか受け止めたものの彼女の腕は震えていた。
泥濘ぬかるんだ地面に靴底が減り込み、下へ下へと乱暴な力は容赦無く押し込んでいく。
不気味で粘着質な笑みを浮かべる蜘蛛はギョロリとした八つの目を覗かせながら、粘膜の強い涎を垂れ流す。
早くこの空腹を満たしたい、いやそれよりも・・・、早くいたぶりたいの方が正しいのかも知れない。
圧倒的な力差があるからこそ、より一方的に楽しみたい。そんな表情を見せたこの化け物は恐怖の象徴を持たせていた。

「そりゃ、どうも・・・。立花リッカッ!」

 彼女は受け止めた化け物の脚を振り払い、大きく後ろへ距離を取った後に氷の銃口を向けた。
口元から白い呼気が溢れ出したのは、彼女の溜め込んだマナが放出されている証拠。
右腕の上腕を左手で掴み、握り締めた六花と呼ばれる氷の銃を真っ直ぐに照準を定めていた。

ダンッ・・・ダダンッ

 打ち込まれた三発の氷の弾丸は両前脚、そして人のような形をした上半身の腹部へと命中する。

「良し!当たった!」

 思わず僕は小さな歓喜を露わに、静かにガッツポーズをした。
対する蜘蛛の化け物は、明らかな嫌悪感を示す。この攻撃が苦手というよりは、何度も見た光景に飽きを覚えたように。

「またその銃みたいなのを使うのねェェ、でもぉぉ・・・。」

 八握脛は、既にこの攻撃を対策構築済みだった。前脚に仕込んでいる毒棘から毒腺を出し、レタが作り出した氷を分解させる。
ジェニー曰く、細胞レベルでの侵食を行う事で氷という個体を維持出来ないように破壊させる。
この化け物の毒の威力が強力なのだと物語るように、前脚に付いたレタの氷は数秒と持たない内に粉々に砕け散った。

「くっ。」

「ワタシの動きを止めるだけでェ、勝てるかしラねェえええー?」

 瞳を持たない顔が面妖に口角をあげた。奴の云う通り、ただ動きを止めるだけでは決定打に至らない。
だがそれは当のレタも百も承知のようだった。ずっと握り締めていた氷のリボルバー銃を彼女はあっさりと手放した。
氷の銃は霧が散るように消えていき、再び彼女の掌は開かれる。すると彼女は何を思ったのか、そのまま化け物の元へと突っ込む。
その動きはただ走っていると云うよりは、まるでスケートリンクで滑るかのように滑空していた。
恐らく彼女の足元に自分のマナをコーティングし、移動スピードを上げているのだろう。だが、武器を持たないままでは危険だ。
このままでは返り討ちに遭ってしまうだけ。と思わせているのだろうが、勿論考え無しに突っ込むタイプでは無いのだろう。

「えぇ、だから・・・、こうするのよッ‼︎」

 レタの手の甲に氷の結晶が大きく浮かび上がると、青白い光と共にそれは現る。
一瞬の内に現れたのは氷で出来た銃。だが形状が違う。両手で持てる程の大きさに変わっており、先程より何だか重厚だ。
ーショットガン・・・。そうだ、あの氷で出来たあの銃の形は、ショットガンそのものだ。
トリガーは右手に、左手は銃のフォアエンドを支えるように持ち替える。

「銃が・・・、変わった⁉︎」

 彼女が扱う銃はリボルバー銃だけでは無かったのか。ミリタリージャケットを羽織るくらいだ。
恐らくはまだ数種類の銃を扱う事が出来るのが、彼女の能力なのだろう。そんな中で取り出したのはショットガン。
ミリタリーに詳しく無い僕でも映画やゲームなんかで観た事がある代表的な銃だ。彼女は銃口を下げ、フォアエンドは握ったまま。
ショットガンのお尻に当たるストックの部分を右手で押し込み、装填し終えた銃口を再び化け物へと照準を定めた。
 
カチッ・・・ーン

 化け物との距離は三メートルを下回る。ギリギリまで接近し、彼女は冷たく凍ったトリガーを弾いた。

「弾け飛べッ!・・・雪花セッカッ‼︎」

ダァーー・・・・ンンン

 撃ち放たれたのは氷の粒。本物のショットガン宛らの散弾を化け物へと浴びせた。一本の銀色の薬莢が銃から弾け出される。
だが通常のショットガンと違うのは、弾丸の軌道だ。通常は薬莢の中で起爆し、小さな散弾がランダムに弾け飛ぶ。
だが彼女から打ち込まれた氷の弾丸は、まるで別物。一度放射状に広がった弾丸は、蜘蛛に付着した氷に目掛けて軌道修正した。
それらが一斉に雨のように・・・、いやまるであられのように集まり、集中砲火させたのだ。

「あらあらら・・・?」

「至近距離で放つ炸裂弾よ!六花で凍らせた箇所に反応する事で、炸裂する威力が増す・・・。
流石にこれなら、アンタの頑丈な身体だって一溜まりも・・・・・・ッ!」

ジュゥウウウウうう・・・

「確かにぃ・・・、凄い威力だわねェェ。けどぉ、・・・まだ浅いわぁァアア。」

 弾け飛んだ氷からぶっきらぼうに吐き出す白煙から姿を現した蜘蛛の妖怪。
パラパラと表面に付着していた氷が地面へと零れ落ちていく。肝心の奴の身体は・・・。傷が・・・、無い・・・。
まるで無傷・・・、殆どダメージが通っていないのか・・・。あの攻撃を受けといて。

「そんな・・・、レタさんの攻撃が・・・。」

「頑丈な身体だ事・・・。さぞお手入れは大変そうね・・・!」

「そうぉぉでも無いわよぉぉ。蟲の自然治癒力は、甘くみちゃいけないわぁあ?気が付いた頃には勝手に治っちゃうんだからぁ。」

「だから、虫は嫌いなのよ・・・ッ!」

 再び彼女はストックに苛立ちを打つけるかのように強く押し込む。ナイフのように尖らせたエメラルドの瞳が光る。
氷のショットガンを構え、銃口を向けた。先の攻撃で把握したのか、化け物はその切先に動じる事は無かった。
どこまでも粘着質で気味の悪い笑みを見せつけるだけで、むしろはたから見ているこっちの方が背筋が凍る程だ。

「アラぁ・・・、じゃあ振り向かせてあげるわァぁ?この、ヤヅギ様の事をネェええ!」

 ヤヅギ・・・。それがあの化け物の名前。この森の生態系を狂わせ、ひっくり返すように牛耳った張本人。
蜘蛛の化け物はあの時と同じように、両前脚を高く上げ威嚇を現した。虚勢ではなく、強者としての威嚇。
同時にこの動作は、このヤヅギの戦闘スタイルの一つなのかも知れない。

「残念、あたしはじゃないの。アンタのデートなんて、来世でもお断りよッ!」

ダァ・・・ッンン

 レタは一切の躊躇を見せる事無く、再びトリガーを弾いた。撃ち放たれた氷の粒が、一斉にヤヅギへと飛び掛かる。
だがやはり、致命傷どころかダメージを受けているような形跡は無い。けど、レタもきっと考え無しに撃ってるとは思えない。
何か戦いながら、策を構築しているのだろうか・・・。だったら僕も何かしなくては・・・。何か・・・出来る事を!
彼女一人で戦わせる訳には行かない。少しでも加勢して援護しないと!僕はズボンの後ろに装着していたナイフを取り出す。
あの時、社長が貸してくれたワスプ・インジェクター・ナイフだ。結局返さず終いだったけど、まさか再び握る日が来るとは。
ケースから取り出し、ナイフを構える。あの硬い装甲にこのナイフが通るだろうか。ただのナイフよりは遥かにマシだけど。

「そんな小さな刃物で、戦う気なの?」

 息を吐くような声で彼女はボソリと呟いた。流し観るような瞳は、血が通っていない世界を見ているようだった。
希望を忘れた小鳥のように、彼女の背中に生える漆黒の翼は広がる事無く折り畳まれている。

「あぁ!少しでも彼女に加勢しないと!」

「・・・無駄よ。」

「・・・セン?」

「・・・。」

 なんだ・・・、このプレッシャーは・・・。何故彼女は、そんなにも冷たい眼差しをしているんだ。
その冷たい眼差しで一体どこを見ているんだ。目線は見つめ合っている筈なのに、彼女の視線はどこか遠くの闇を見ているようだ。
何がある・・・?なんだこれは・・・。僕らはもしかして、決定的な何かを見落としているんじゃないのか?
そんな危険信号が頭の中を過り始める。

「君は・・・、何故、んだい・・・?」

「私は・・・。」

 センは腰に携えた刀の柄に手を掛ける。なんだろう、この不安は。この震えている右手は。ナイフがふるふる震えて定まらない。
これは、恐怖・・・?それとも疑念か・・・?足が竦みそうな震えは、巨悪に蝕まれているみたいだ。
さっきから身体の中で掻き毟るように走り回るこの違和感は、一体なんだって云うんだ。

「ほらほらほらホらァアア!また上手に踊って頂戴なぁぁあ‼︎」

 ヤヅギは振り上げた前脚で槍のように突き刺してきた。それを一つ一つ、レタは丁寧に躱していく。
一発でも当たってしまえば一溜まりも無い。ましてやあの先端に刺されても致命傷だし、返しになっている毒棘が厄介だ。
人間の致死量を超えた毒を注がれ、たとえ妖怪である彼女であってその致死量は例外では無い。
一本また一本と躱わす中、ヤヅギも次の一手に出る。ずっと前脚二本でしか攻撃してこなかったところに二の矢。
第二脚である脚も戦闘に参加し、槍のように扱う第一脚とは違い大鎌のように振い始めた。
思わぬ横一閃の攻撃に躱す事が間に合わず、止むを得ず彼女は氷の銃で受け止めた。

「ぐッ・・・、痛っっっっっっったいわね!六花ッ!」

 ショットガンからリボルバー銃に切り替えながら、バク転しながら大きく後退し距離を取る。
そのまましゃがんだ体勢で数発の弾丸を放ち、右側の第二脚へ打ち込んだ。
直様、弾丸の効果は発動し一気に氷漬けへと変貌させた。彼女は呼吸を乱さない、次の攻撃に備える為に。
リボルバー銃を放し、再び氷のショットガンを具現化させた。

「追撃・・・、雪花!」

 そして、霰のように吹き荒れる大量の弾丸を浴びせる。飛散した弾丸たちは自動追尾弾のように氷に向かって一斉に飛ぶ。
けれどそれは先の攻撃と全く同じ手法。一度見た攻撃にヤヅギは溜息を零し始める。

「もう・・・、ワンパターンね。蜂みたいにチクチク遠くから刺すばかりじゃないぃぃぃい。」

「生憎、これがあたしの戦いなのよ・・・。あと・・・。」

 すると、今度はショットガンを掲げると青白い光に包まれる。それは一瞬の出来事。
形状を更に変化させた。ショットガンよりも銃身が大きく長くなり、全体的に細い形状へと。

「また、銃の様子が!」

 槍のように長い銃身。それを彼女は片手で構えながら銃口を化け物へと向けている。
ボシュウゥっとミリタリージャケットから冷却ファンが吹き出す音が溢れ始める。それはどれだけの寒さなのか。
彼女が立つ周りの草木は氷始め、ビキビキと足元には氷の結晶を作り始めていた。先程とは違う威圧感。
それはリボルバー銃やショットガンの比では無いマナの放出量。ミリタリージャケットを靡かせ、灰色の髪が揺れる。

「ワンパターンかどうかは、これを受けてから判断なさい!・・・雪月花セツゲッカッ!」

「あ、あれは・・・、スナイパーライフル・・・、なのか?」

 そうだ、あれはスナイパーライフル。けれど元々は狙撃を目的とした長距離射撃用の銃の筈だ。
それをこんな至近距離で・・・?けど、なんとなくわかる。あれはさっきまでの銃の比では無いくらいの威力がありそうだ。
もしかしたら、あれなら・・・。彼女は右腕を支えるように左手で上腕を握り込む。
本来であれば両手で支えるか地面に設置して撃つべき銃を、片手でブレる事無くじっと構えている。
あれが彼女の切り札・・・。人差し指に掛けられたトリガーは弾かれる。ゆっくりと静かに、音を置き去りに銃口から放たれる。

「シュ・・・ッ‼︎」

バキィィィーーーー・・・ィィィン

 その弾丸は高速で放たれた。スナイパーライフルの弾丸は、極限まで空気抵抗を抑えられるように作られていると聞く。
放たれた弾丸は僅かに弧を描くような軌道で氷が付着した第二脚に命中し、見事にその脚を吹っ飛ばして見せた。
僅かに逸れたのは、これもさっきのショットガンと同じように自動追尾する機能を持ち合わせているからだろうか。
そうか、だから照準を定める必要が無いから、スコープを覗き込む必要も当然無い。撃てば絶対に命中する技。
氷が付着しているという条件さえ整えば、必中必殺の能力。これが彼女の“雪月花”なのか。

「あら、やだ。強いわね、それぇ。」

「硬い装甲なら、一点に集中させた攻撃ってのがセオリーでしょ?」

 バキバキにへし折れたヤヅギの脚が漸く地面にべチャリと落ちた。
もぎ取られた自分の足を見て、思わず感心するように見つめているヤヅギは何処か不気味だった。
尾を引くような笑いを綴り、その後レタを面妖に見つめ直す。対するレタは鋭い目を曇らせていた。
破壊したとはいえ、まだ一本。奴の武器はまだ何本も残っている。まだ油断は出来ないといった表情を浮かべている。

「やった!攻撃が通ったぞ!・・・これなら!」

「素晴らしいぃぃ・・・、素晴らしいわぁ、仔猫ちゃん・・・。だけどネェ・・・。」

 ニタリと嘲笑うように見せたヤヅギ。なんだその目付きは・・・。何かを、企んでいるような目は・・・。
奥底にずっと隠し持っていたモノを大事そうに取り出そうとするその目は・・・。何故この瞬間に、あんなにも余裕そうな目を。
まさか・・・、奴の攻撃は、奴の行動は既に始まっている・・・⁉︎

ドクンッ

 その時、奇妙なふらつきが体躯を蝕み始める。視界が揺らぐ・・・?
手足が痺れるように動かない・・・。これは一体・・・?何が起きている?何が始まっているんだ・・・。
周りを見渡すと、彼女もまたふらつき始めている。ガクつく足は立っているのもやっとに見える。
思わず彼女は頭を押さえながら、なんとか体勢を保とうと蹌踉めきながらも食らいついていた。

「あ・・・、あれ・・・?」

「レタさん・・・!こ、これは・・・、一体・・・?」

 当然、何の耐性を持たない僕は堪らず膝が笑い出し、そのまま地面に膝をついてしまった。
レタも同じく状況を未だ理解出来ていない。自分の体の筈なのに、何が起きたのかさっぱりだ。

「漸く効いてきたみたいだネェぇ・・・。」

「な・・・、何を、したってのよ、アンタ・・・!」

 粘着質な笑いが響き渡る。それは確実な勝利を掴み取った不気味な笑顔。
“漸く効いてきた”・・・?何の事だ、一体。これもあのヤヅギの能力か何かか?しかし一体、いつだ・・・。
戦っているレタにその最中で隠れて麻酔を撃ったとかか、いやそれなら僕自身も何故、体が痺れ出しているんだ。

「ワタシの神経毒よぉぉ。ちょこまか動くのもぉ、面倒だからぁぁ、イれさせて貰っちゃったわァア。」

「し・・・、神経、毒・・・ですって・・・?そんなの、いつ・・・。」

「あらあららららぁァアア?には心当たりがあるんじゃアないのかしらあぁ・・・?」

 ヤヅギは顔を捻じ曲げるような不気味に笑っている。くそ、夢に出てきそうな顔だ。
しかし、僕たちに心当たりがあるだって・・・?一体何の事を・・・ってちょっと待て・・・。
思い出せ、何か重要な違和感を僕らは見逃している筈だ。僕らが崖から落ちた時、それを助けてくれたのはセン。
何故あんなにも都合良く、あの青天狗があそこに居たんだ・・・。それで、傷を負って軟膏剤だと渡してくれたあの薬。
僕だけじゃない、あの時・・・、そう、あの時だ。最初は拒んだレタにも塗るよう強要したあの塗り薬・・・。
蜘蛛が現れたと云うのに、一切何も手を出さないあの青天狗はまさか・・・!

「まさかッ⁉︎セン・・・!あれ、い、居ない・・・。」

「知ってるかしらぁ?待ち構えてたって、死神は来ないものよぉ?ほら、こうやって・・・。」

 くそ・・・、気付くのが遅かった・・・。何だよ、ちくしょ・・・。そう云う事かよ・・・。
傍らに居た筈のセンはいつの間にか姿をくらましていた。彼女が居たのは、戦火の渦の中。
腰に下げていた刀を鞘ごと抜き、振り回そうとするセンの姿がそこにあった。ガッチリと既に標的を捉えている。
そう、捉えているのは・・・。

「ぐ・・・ッはぁッ・・・⁉︎」

 センが振り回した鞘に命中したのは、レタだった。痺れた身体のせいで防御に回る事も出来ず、腹部へとモロに食らう。
受け身を取る事も出来ず、レタはそのまま力の限り吹っ飛ばされてしまった。

「いつだって、嫌な時に現れちゃうもんなのよぉぉ・・・、ヒヒヒヒィィィ!」

 まさか、こんな事になっているとは思いもしなかった。おいおいマジかよ。センさんよ、刃を向ける方向が逆じゃないのかい。
なんで僕らにその切先を、こっちに切先を向けるんだ。静寂で音を忘れてしまったガラスのような目でこっちを見るんだ。
それよりも何とか立ち上がらないと・・・。くそ、何でこんな時に僕の足は動かないんだよ!

「セン!ど、どうして・・・。」

「どうしても何しても無いわぁあ?だって、センは初めからぁ・・・、ワタシの仲間なんだからぁあ。」

 ついに白状しやがったよ、この黒幕は・・・。これが悪い夢なら早く覚めてくれ。
そう現実逃避したくなるくらいの状況だぞ、これ・・・。

「げほッ・・・げほ・・・、そ、そう・・・。初めからグルだったって、訳ね・・・。やって、くれるじゃない・・・。」

「そうヨォぉ?三対一だと思ったぁぁ?ざぁんねぇーんん、正解はでしたぁァアア!」

 センに吹っ飛ばされたレタが、痺れる身体に鞭を打ちながら何とか立ち上がる。
けれど思うように身体が動かない為か、立っているのもやっとのようだ。それだけじゃない。
恐らくこの神経毒は、元々は対妖怪用でもあるのだろう。もう一度氷の銃を具現させようにも、上手くマナを生成出来ない。
これはきっと、ただの神経毒じゃない。妖怪たちの身体に巡るマナ自身も麻痺させる事も出来るって訳か・・・。
それなら・・・、まだ自力で何とか立ち上がれる僕が、何とかしてここから引き剥がさないと・・・。
僕は思うように動かない体をこじ開けて立ち上がる。良し、これなら何とかこのままの勢いで・・・。
走り出せ、錘がのしかかった足首を引きずってでも走れ!腕を振れ、少しでも遠くへ、彼女の元へ行って助けるんだ!
僕は声を震わせた、精一杯の声を振り絞り奇声のように裏返りながらも叫ぶ。

「レタさん!」

「ハッ!」

 その瞬間、離れていた筈のセンが僕のすぐ近くまで迫っていた。彼女と目が合う。
けれど意思疎通は、そこには無かった。躊躇は無く、そのまま音も無く僕の真横へと並ぶように立ち竦む。
そして・・・。

「ぐふぅッ⁉︎」

「あなたは最後・・・。生きた人間は、妖怪にとってご馳走なの。だから、あなたは最後。そこでジッとしていて。
どうせ、あなたは普通の人間・・・。もうどうする事も出来ないわ・・・。」

 はらわたを押し付けるような鈍い痛みが急激に走り渡る。内臓が押し負けて、痛みと共に嗚咽が上り詰める。
どうやら僕は、センに攻撃を喰らったようだ。痛みからしてあの刀のこじりを押し付けられたのか・・・。
くそ、無茶苦茶痛ぇ・・・・・・。僕は耐えきれず、再び地面に伏してしまった。吐き出した涎が地面に付着している。
痺れて、首を動かすのもままならないし・・・、今、一体どうなっているんだ・・・?
僕は錘を引くように食い縛りながら顔を上げた。わかっていた、これが最悪の状況だって・・・。

「サァあああ・・・、これで主力は失ったわねェェ。けどぉ、ワタシは用心深いのぉ・・・。」

 ヤヅギはお尻を手前に突き出し、レタに向けて白い糸を吐き出した。
瞬く間にレタの足を絡め取り、抵抗する間も与えぬままにその下半身をぐるぐるに縛り上げていた。

「あ・・・、ぐッ・・・あぁ!」

 縛り上げられたレタは、逆さまのまま枝に引っ掛けられたのか宙吊り状態になっていた。
何とか反撃を試みようと銃を構える素振りを見せたレタだったが、ヤヅギのお尻からまた極太の糸が放出される。
極太の糸はレタの手首を捕まえ、弾き出された反動により無理矢理降ろし、両手首をガッシリと締め上げてしまった。

「こうやって縛っておけば、もう何も抵抗出来ないでしょぉ・・・?」

「ほんっっっと、悪趣味ね、アンタ!そうでもしないと勝てない訳⁉︎」

 彼女はモゾモゾと抵抗しようとするが、思うように力が入らず拘束を振り切る事が出来ないでいた。
両手足を拘束され、逆さ吊りという態勢もあり、あのままじゃ頭に血が登って本当に抵抗出来なくなってしまう。
何とかしないと・・・、何か、何か手は無いのかよ・・・。
あれだけ縛り上げておいて、ヤヅギはレタに近付こうとはしない。代わりに今度はお尻から細い糸をばら撒くように放った。
その糸は真っ直ぐにレタへと向けえられ、指一本一本をくるりと絡め取るように巻き付け始めた。
なんだ・・・、一体何をする気なんだあの化け物は・・・。

「うぅ・・・、ちょ、今度は・・・、な、に・・・?」

「何とでも云うと良いわぁぁ。けど、立場は分からせないとねェェ?」

 レタの指を絡め取った糸は、ヤヅギの上半身にある人のような指へと繋がっていた。
それぞれの指がその糸にリンクしているかのように、ピンと張り詰められている。ま、まさか、あいつ!

「え・・・?ま・・・。」

 クイッとヤヅギが人差し指を持ち上げるように挙げた。

ベキィィィッ

 鈍い音が痛烈に響き渡る。

「あぁぁぁぁぁぁぁあああああああーッ‼︎」

「れ、レタさん・・・ッ‼︎」

 レタの人差し指はあらぬ方向へとへし曲げられ、大きく反り返っていた。
へし折られた指は青黒く変色し、ピクピクと震えている。確実に折られている・・・。

「あ、あ・・・、か、・・・はっ、はぁ・・・はぁ・・・。」

「まずは、一本ねぇェェ。ほら、念の為こっちも・・・クィっとねェェ。」

 ヤヅギは堪えきれない笑みを露わにしていた。そうして今度は、左の人差し指をさっきと同じ動作で持ち上げる。

 ベキィ・・・ンン

「が・・・、ひぐぅッ⁉︎」

 レタの身体に再び猛烈な痛みが走り渡る。鈍く、荒く、激痛が声を殺した悲鳴となって僕の耳に響いた。
彼女の左の人差し指はぐったりと青黒く折れ曲がっている。あまりの激痛にレタの瞳からは、涙が滲んでいた。
残りの指は痙攣してしまっているのかピクピクと震えており、その痛みを伝えようと信号を発しているようだった。

「ヒヒヒヒひぃ、これでもう、さっきの術は出せないわねぇ・・・。」

「ぐ・・・、はぁ・・・はぁ・・・、こ、殺してやる・・・アンタなんか・・・ッ!・・・むぐッ⁉︎」

 彼女の目は怒気を強めていた。涙目を浮かべながら怒りをヤヅギへとぶつけようとするが・・・。
ヤヅギは次の行動へと移っていた。お尻を突き出し、プッと小さな球体状の糸を飛ばす。
球体はそのままレタの口元へと当たり、弾け飛ぶと一気に彼女の口を猿轡のように封じた。
目と鼻だけは残している・・・。これでは、まるで拷問そのものだ。それにあいつは確実にそれを楽しんでやがる。
くそ・・・、あれじゃあ彼女は、銃を出す事もマナを練る事も出来ない・・・。

「あららららぁ?この状況で、どうやってそんな事が出来るのかしらぇェ・・・。まだ、お楽しみはこれからヨォぉ?
ホラァ、まだ指がぁ、八本もあるじゃアないィィ?」

「んーー!むッ!むぐぅーーーッ‼︎」

 レタはジタバタと身を捩らせるが、頑丈に絡め取られた糸は放そうとはしない。
下半身も、腕も、指の一本さえ抵抗を許させない。ヤヅギは徹底的にレタを捕獲してしまった。

「くそッ!レタさんを、放せ!・・・ぶはぁ!」

「あらあらアラぁ、ここで還す馬鹿がどこにいるのかしらぁ?こういう時に使うのかしらねェェ・・・。」

 センの足で顔を踏みつけられた。抵抗しようにも手足が満足に動こうとしなかった。
口の周りが土の臭いに溢れ、口の中がジャリジャリする。振り払おうともがくが 湿った土は力む僕の手を拒んでいた。
目線を見上げるようにして漸く前が見えた。ギョロリとこちらへ振り向いたヤヅギ。
その瞬間、背筋が凍り付くような悪寒が舌で舐め回すような感覚が走る。ゾッとするのは恐怖の象徴。
どうする事も出来ない、無慈悲で一方的な暴力。その恐怖した者へと見せつけるように、たった一つの希望に拷問を始め出す。

「絶対・絶命って奴はさぁぁァアア!ひひひひひひひひひヒヒヒヒヒヒヒヒひひひひひひィィィ・・・。」

 これが絶望って奴か・・・。どうしろってんだよ、この状況・・・。
チップ、僕はここだ・・・。早く・・・、早く、気付いてくれ・・・・・・!
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冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

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ちょす氏
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「この先は分からないな」 帰れると言っても、時間まで同じかどうかわからない。 さて。 「とりあえず──妹と家族は救わないと」 あと金持ちになって、ニート三昧だな。 こっちは地球と環境が違いすぎるし。 やりたい事が多いな。 「さ、お別れの時間だ」 これは、異世界で全てを手に入れた男の爛れた日常の物語である。 ※物語に出てくる組織、人物など全てフィクションです。 ※主人公の癖が若干終わっているのは師匠のせいです。 ゆっくり投稿です。

ワスレ草、花一輪

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娘仇討ち、孝女千勢!妹の評判は瞬く間に広がった。方や、兄の新平は仇を追う道中で本懐成就の報を聞くものの、所在も知らせず帰参も遅れた。新平とて、辛苦を重ねて諸国を巡っていたのだ。ところが、世間の悪評は日増しに酷くなる。碓氷峠からおなつに助けられてやっと江戸に着いたが、助太刀の叔父から己の落ち度を酷く咎められた。儘ならぬ世の中だ。最早そんな世とはおさらばだ。そう思って空を切った積もりの太刀だった。短慮だった。肘を上げて太刀を受け止めた叔父の腕を切りつけたのだ。仇討ちを追って歩き続けた中山道を、今度は逃げるために走り出す。女郎に売られたおなつを連れ出し・・・

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