便箋小町

藤 光一

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第2章 雨やどり編

60東雲色の瞳へおまかせを

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 何かが終わる時はいつもこんな感じの夕暮れ時だ。まるで一日の終止符を前もって見せびらかすように、橙が眩しい。
あれだけ粘着質でしつこかったヤヅギを漸く倒した。するとどうだろう。この森を覆い尽くしていた物が変わったような。
暗雲のようにじっとりと重たい空気が晴れ渡る感覚。そう、例えるなら梅雨明けの朝日のようだ。
これはきっと、親玉であるヤヅギを倒した事で奴の術が解けたのだろう。その気配に皆気付いたのか、ドッと安堵する。
ただ一人を除いて。まるで子供のように空に向かって泣き叫ぶ黒羽の少女が一人。漸く、胸に抑え込んでいたわだかまりが失せた。
それが何よりも嬉しかったのだろう。そして、ずっと蜘蛛の網に掛かったまま閉じ込められたところからの解放。
彼女は一度にずっと抱えてきた思いを一気に解放する事が出来たのだ。子供のように泣くのも無理は無いだろう。
すると、彼女の握った刀に異変が生じる。

 ピシ・・・、ピシピシ・・・ピキィッンン

「セン・・・、刀が・・・。」

 彼女が握っていた刀は、まるで飴細工のように柄が粉々に砕け散ってしまった。
刀身だけがすっぽりと抜け落ち、地面へと音も無く突き刺さる。未練や後腐れも無く、その役目を終えたように凛と立つ。
銀色に輝く刀身は夕陽に当てられ、宝石のような輝きを見せていた。その光景に相まってか、彼女の啜り泣く声も止んでいた。
柄を握っていた右手を広げ、風にさらわれた柄のかけらを見つめる。

「えぇ・・・、柄が、取れてしまったみたいね・・・。」

「それ、大切な刀だったんだよね・・・?」

「・・・そう。けど良いの・・・。この刀は、やるべき事を成し遂げたのだから。」

 彼女自身も失った宝刀に、未練は無かったようだった。その東雲色の瞳が奥から物語っているようだ。
まるで一日中遊んだ我が子が眠りにつくのを、そっと優しく微笑みながら見守るように彼女は突き刺さる刀身を見ていた。

「しっかし、すげー刀だよなぁー!こんなに薄いのにピンッと立ってらぁ!」

「ににに兄さん、あんまり触らない方が・・・。ゆゆ指、切っちゃうかも・・・。」

 その余りの薄さに見惚れたソーアが興味本位に唆られ、突き刺さった刀身を摘んでいた。
刀身と云うには余りにも薄過ぎる。キラリと刀身を輝かせてはいるが、紙一枚程の厚さなのだ。
僕は勿論の事、太刀を持つソーアもこんな刀は見た事が無かったのだろう。ただ、シウンも気にしていたがこの刀の切れ味だ。
先の戦いで見せたその切れ味の良さh尋常ではない。指など簡単にスッパリと切れてしまうかも知れない。
そう思っていた。

〈いや、恐らくそれは問題無いだろうね。この刀が斬れるのはマイナスエネルギーの強いマナだけに限るんだと思う。
ヤヅギの身体をヅタヅタに断ち斬ったのも、あいつの身体の大部分がマナで覆われていたからこそ斬れたんだ。
だから、あいつからは血が溢れ出なかった・・・、そうだろ?セン?〉

「私も振るうのは、初めてだったけどね。それよりも一度見ただけで、良くもそこまで分析出来たわね。」

「これが僕の、今の本職だからね。」

 インカムから流れる音をスピーカーホンに変えた事で、ジェニーの声は全体に聞こえるようになっていた。
丁度、僕とレタの分のインカムは崖から落ちた時やヤヅギの戦いで壊れてしまったからだ。
先の戦いの成果から分析したらしく、どうやらこの刀には人体を斬る力は無いのだと云う。
彼曰く、ヤヅギの身体の殆どがマナで構成されていたからこそ、ピンポイントに相性が合ったという事らしい。
それを振るったセンも実際には初めてだからこそ、ジェニーの分析能力に驚きを見せていた。
けれど、もし彼女が居なかったらどうなって居た事やら・・・。仮にマナで構成された装甲だと分かっていても・・・。
元々のメンツでは対抗する手段が他に有っただろうか。そう思うと、なんだか背筋が凍らせる程ゾッとした。
ジェニーの自信に満ちた口調に、センはふとそういえばと思い出したかのように空を見上げる。
顎下を摩るように記憶を読み返すように目を泳がせ、ピンと閃いたと思えばインカムに向かって話しかけた。

「と、云う事はそこの彼女と初めて会話していた時だけど・・・。本当は、あなたが私に話をしていたんじゃないの?」

「う・・・。」

 あー、そうか。あの時か。センと初めて出会した時に、レタが交渉していた時だ。
実際のところはジェニーがモニタリングをして、その言葉をそのままレタの声で出していたのだ。
この少女、中々に鋭い・・・。まぁ、けど実際に素のレタと話してみて違和感が生じたのだろう。
案の定、云い当てられた図星がレタの胸を突き刺していた。センの鋭い指摘に心臓を掴まれたように硬直している。
そのリアクションを見てセンは、はぁ~と長めの溜め息を吐き溢しながら右手を腰に当てた。

「やっぱりね。彼女・・・、そこまで交渉上手っていう程、頭が良い訳じゃないでしょうし。
あなたが話していたのなら、納得は出来るわ。」

〈そりゃどうも。〉

「良くないわよッ!いつの間にか、あたしバカにされているじゃないッ‼︎」

 二人の会話に唯一納得のいっていないレタは、二人の会話をせき止めるように声を荒げた。
プライドを傷付けられた彼女の憤怒は、まるで躍起になる駄々っ子のようだった。こう云う一面も見せるのか。
っていうかこの人、半分以上の本数の指を折られているのに、なんでこんなに元気なんだ・・・。
ほんと、妖怪って生命力凄いんだな・・・、いや、こんなんで納得していいのか僕。
しかし彼女の凄みも何のその。センはそんな彼女に対してクスリと笑って見せると、レタの目を見つめる。

「けれど、あなたたちの話を聞いてみようと思ったのは本当よ?じゃなきゃ、とっくに私はここから消えているわ。」

 夕陽に跳ね返る東雲色の瞳は笑っていた。心なしかそう口にする彼女の言葉も、どこか弾むような話し方だった。
これがひょっとしたら、本来のセンの表情なのかも知れない。ずっと塞ぎ込んでいた本当の表情。
きっかけ一つでここまで表情というのは、ここまでガラリと変えさせてくれるんだな。

「もーーーー、最っっっ悪なんですけどぉー。蜘蛛に出会うわ、指は折れるわ。マナもすっからかんで暑いし、馬鹿にされるし。
ちょっと、ジェニー?あたし、来週ネイル予約してたんだけど、これ治せるもんなの⁉︎」

〈とりあえず、炎症が広がる前に冷やしておきなさい。その感じだと三ヶ月はかかるだろうけどね・・・。〉

「さ、三ヶ月~~~⁉︎じょーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーだんじゃないわよッ!
あたしは、あのネイル予約するのに三ヶ月待ったのよ!」

〈知らんよ。〉

 ジェニーの冷静な切り返しに対し、レタは更に悲鳴を上げるように声を荒げていた。
まぁ、確かに色々疲れた。一度にいっぺんに色々あり過ぎたのだ。そりゃあ、誰でも溜め息の一つ吐くくらい疲れるだろう。
レタの場合、大きなショックを受けていたのはどうやら僕らとはまた違うベクトルの話で荒げているのだろうけど。
ボロボロに折れ曲がった指を広げながら、ワナワナと震えているレタ。というか、妖怪もネイルとか気にするんだ・・・。
すると、トタタっとシウンがレタへと駆け寄り、その傍らでしゃがみ込む。

「れれレタ、ううううちが代わりに、ネイルしてあげるから・・・。」

「・・・うん。じゃあ、ぐす・・・。それで、お願い・・・。」

「れれレタ、頑張ったもんね。ヨシヨシ。」

 シウンの慰めで怒りの業火は鎮火したのか、先程まで荒げていた風貌とは打って変わって子猫のようにしゅんとなる。
頭を優しく摩るように撫で、怒り荒げていた雪女はすっかり子猫と重ね合わせた姿で縮こまっていた。
なんだかこう見ると、妖怪としては一番年下である筈のシウンの方がお姉さんのように見えてしまう。
外見は幼く見えてしまうけど、対応の仕方はほんのりと母性があるもんな。ちゃんとレタの気持ちも汲み取っているし。
さて、ここも目的は達成した訳だし早いところ下山しないとな。もうそろそろ、ここから離れる頃合いだろう。
そう思った僕は、一足先に前へ踏み出した。

「それじゃあ、帰りますか。もうすぐ、夜になっちゃいますし。」

「だな、それに腹も減った!」

「っておい、チップ!またお前、髪の毛短くなってるぞ⁉︎」

 ふと、チップの声がする方へと振り向くと、そういえばそうだった。
こいつの特性というか、欠点というか・・・。能力を使い過ぎた時の副作用があったんだっけか。
ボサボサに伸びていた黒髪は姿を失い、天然パーマがチラつくベリショートヘアになっているのだ。
まるでそう。増えるワカメの乾燥状態のように、今はあの暑苦しいボサボサのロング黒髪は無く、実にチンチクリンだ。

「・・・ん?ん・・・?・・・・・・のわぁあああああああああ、俺の丹精込めて育てた愛しい髪がァアアあああ!」

 自分の置かれている状況に漸く気付いた幼女は、無い髪を掻き毟りながら驚嘆していた。
空でも落ちてきたかのような絶望っぷりで声を荒げており、今にも魂が抜け出しそうな程に狼狽している。
当然、その姿を目にした周りの妖怪たちは、ドッと笑いが込み上げる。

「ぶははははは、チップなんだよ⁉︎その髪型ッ⁉︎ぶはははははあははははーーーッ!」

「ちょ、悪魔くん。なーにその髪は!あははは、むしろそっちの方がイけてるかもよ?」

「ふふふ、ほんと。チップくん、そそそそっちの方が可愛い・・・かも。」

「うるせー!うるせぇぇぇぇぇええええーーー‼︎皆して俺の事をバカにしやがって、ちくしょーーー‼︎
仕方ねぇええだろ、そういう仕様なんだよ‼︎俺だって嫌なんだよ!くそ、あのキツネめ‼︎」

 これでもか云うくらい矢を射るように指を差されるチップ。ソーアに至っては腹を抱えながら笑い転げている。
本当に、さっきまでシリアスさはどこに行ったんだか。良くいえばこれも、ムードメーカーなのかな。
皆の笑いに感化されたのか、その様子を見ていた黒羽の少女も釣られるように笑いを見せていた。

「くす・・・、ほんとにあなた達は騒がしい人たちね。」

「それは誤解だ、セン。騒がしいのは、主にあいつだけ!」

「あなたも充分、変わった人よ。はぁーー・・・、なんだか久しぶりに笑った気がするわ・・・。」

 そこにはさばさばとしていた雰囲気は無かった。まるで歳相応の少女のように無垢に笑う。
溜め息をしたら幸せが逃げていくと誰かがそう云っていた気がするけれど、全てがそうとは限らないのだろう。
彼女が安堵した溜め息は、マイナスに包まれた吐き溜を身体から逃すように溢すようだった。
だから、僕は訊いた。恐らく、彼女はもう決心している。

「・・・君は、これからどうするんだい?」

「そうね、私の故郷も、大切な人たちも・・・、もう元通りにはならなくなっちゃったから・・・。
ヤヅギも居なくなったし、ここで静かに暮らしていこうとも考えていたわ。」

 センは雨上がりの空を見上げるように、じっと空を見つめながらそう話した。

「考えていた・・・、なんだか含みのある云い方だね。」

「えぇ、考えていた。けど、そうじゃない。私は・・・、私も前に進まなくちゃいけないものね・・・。
私は・・・、あなた達について行こうと思ったの。」

 彼女の言葉には決意が乗っていた。それでもまだ、彼女は僕へ顔を合わせようとはしない。

「・・・良いのかい?」

「あなた達の顔を見ていたら、なんだか暗い気持ちが吹き飛んじゃったわ。それにね、純粋なところは変わらないから。」

「純粋なところ・・・?」

 そう僕が聞き返すと、彼女はこちらへと振り返りニコッと笑いながら口を開いた。

「そう・・・、ここで過ごした家族との想い出は、私の中にずっとあるから。」

 ゆっくりと微笑んでいた。何だかその瞬間だけ、スローモーションで再生されているみたいだった。
だからだろうか。彼女の瞳にしがみついていた一粒の涙が、ほんの少しの間だけ姿を見せていたのが映り込む。
すると、拍子の終わりを告げるようにパンっと手を叩く音が響き渡る。

「そ。それじゃあ、セン。」

 振り返るとボロボロに折れ曲がった指を差し出すレタの姿があった。ニッと白い歯を見せながら、笑って見せる。

「改めて・・・。ようこそ、保護活動団体“ヤドリ”へ!」

 その言葉にセンはコクリと静かに頷き、差し出された手首を掴んだ。
多分、折れた指に刺激を与えないようにと気を遣ってか、黒羽の少女はそうしたのだろう。

「うっし!本来の目的もこれで達成だな!なぁ、ジェニー!」

〈あぁ・・・、お疲れ様、皆。これで、ミッションコンプリートだ。〉

 そこで漸くにして妖怪たちの歓声の響きがドッと湧き上がる。
ジェニーの言葉に締め括られ、皆それぞれ肩を組んだりしながら喜びを表現していた。
ここにビール瓶やらシャンパンなんかがあれば、お互いにかけ合ってるくらいの浮かれっぷりだ。
わいわいと歓喜を騒ぐ中、センは静かに手を挙げ皆に提案を持ち掛ける。

「あの・・・、最後に一つ、良いかしら?」

「どうぞ。」

「ここを出て行く前に、寄りたいところがあるの。」

「えぇ、身支度もあるだろうから構わないわよ。」

 レタはセンが持ち掛けた提案をすんなりと受け入れた。
それもそうだろう、出発しようにもそれなりの身支度なりの準備は必要だ。
センは頭を浅く下げた後に、くるっと僕の方へと目線を送り出した。

「ありがとう。じゃあ、えっと・・・君。君も、来てもらっていい?」

「え・・・?僕・・・・・・?」

 それは、まさかの推薦だった。思いがけない指名に、僕はつい反応について来れず、きょとんとしてしまった。
なんで、僕?何か、あるのだろうか。けれど、彼女はそれ以上何も云わなかった。
黙って私についてきて、と云わんばかりの背中を見せ、スタスタと行ってしまう。
まぁ、考える必要も無いか。ここはレタに倣って快く受け入れてみよう。そう思った僕は、彼女の背中を追った。


・・・。


・・・・・・。


 彼女に案内されてから数分が経過した頃、森を抜けた先は幻想的な光景だった。
辺り一面が木々に覆い尽くされた景色、赤や黄色に染まった紅葉やイチョウ、カラマツ、どれもが美しく風に撫でられる。
その色鮮やかに染め上げた秋色に拍車をかけるように、今日一番の橙に光るコントラストが暖かみをブレンドさせた。
そんな木々たちを一望出来るこの丘には、ポツンと一つ石が積み上げられていた。
彼女はその積み上げられた石の前で立ち止まり、一呼吸の間を空けている。

「ここは・・・?」

「うん、家族のお墓・・・。こんな状況だったから、まともなお墓も作れなかったけど・・・。」

 どうやら案内されたのは、家族のお墓だったようだ。彼女の云うように、お世辞にも大層なお墓では無い。
その場にある物で間に合わせで作った急拵え、と云えば丁度良い程の見窄らしい墓だった。
強い風でも吹けばバラバラに砕けそうだし、蹴られたりでもしたらあっという間に更地にされてしまいそうな程。
ただ、石が積み上げられているだけ。そこには名前も何も彫られていない何の変哲も無い石の山。
彼女は静かに座り込み、目を瞑りながら手を合わせていた。それだけ彼女にも余裕が無かったのだろう。
家族たちを満足に弔う事も出来ず、辛かったのだろう。
彼女にとって、こうやって落ち着いた状態で手を合わせる事が出来たのはいつぶりなのだろうか。

「・・・。」

 そう思うと、僕は何だか言葉が出なかった。
彼女は目を開き、ゆっくりと合わせていた手を下ろしながら唇を震わせる。

「けどね、ここには家族達の骨なんて無いの。皆、食べられてしまったから・・・。だから、・・・形だけ。」

「そうか・・・、僕も挨拶しても良いかい?」

「どうぞ・・・。」

 ここには彼女の家族は居ない。肉も骨も服も、恐らくそれぞれの錬磨されたマナでさえ、ここには遺されていない。
ただポツンと積み上げられた石があるだけの、形だけのお墓。センは眉を下げながら申し訳無さそうに、そう告げた。
僕は彼女の傍らへと座り込み、積み上げられた家族の墓に対し手を合わせた。さて、何を伝えるべきか・・・。
センの家族へ。勝手に踏み入った事、お許しください。さぞ辛く、大変だったと思います。でも、もう大丈夫だと思います。
あなたたちの無念や報い、あなたたちの娘であるセンがついに叶えましたよ。誇りに思って良いと思います。
塞ぎ込んだ自分に勝ち、ずっと苦しめていたヤヅギを倒してくれたんですよ。間違い無く彼女はこの里の、あなたたちの英雄です。
だから、誇りに思って、今はゆっくりと休んでいてください。・・・・・・、こんな感じだろうか。

 そういえば、どうして彼女は僕をここへ案内したのだろう。まぁ、流石に皆で訳には行かないだろうけど。
それでも代表として向かうなら本来だとレタの方が適役ではある筈だけど、なんで僕なんだ?
そう思っていた僕は、傍らでじっとお墓を見つめる黒羽の少女に声を掛けた。

「なぁ、セン・・・。どうして、僕だけをここに?」

「だって君、その“ヤドリ”っていう団体のメンバーじゃないんでしょう?妖怪でも悪魔でもないし。」

「ま、まぁ・・・。そうだけど・・・。僕は妖怪の事に関しては、どうしても疎いし・・・。
僕よりもレタの方が適役だったんじゃ無いかな。」

「多分だけど、彼女の場合こういうの向かないと思うの。きっと彼女、幼気な少女並みに涙脆いわよ?
私以上に泣かれても、正直対応に困るから一番初めに選択肢から外れたわ。
それにね、関係者じゃない方がリラックス出来る事があるでしょう?だから、君が一番都合良かったのよ。」

 成程、そういう考えも有りなのかも知れない。レタが涙脆い?まぁ云われてみれば確かにそうなのかも。
他はセンよりも明らかに精神年齢が歳下の者ばかりだし、そう考えると唯一溢れるのは僕になる訳か。
って云っても僕に限っては普通の人間だし、皆の半分も生きていないぞ。参ったな、どうしても見た目のせいで混乱する。
ぱっと見は僕と同じくらいか少し下の少女にしか見えないのに、僕の倍以上も生きているんだもんな。
彼女の云うように団体の関係者じゃないのは、幾分かは気を張る必要は無いから楽なのかも知れないけど。
僕にそんな妖怪たちへ接する対応力があるかどうか・・・・。

「どうかな・・・。そんな気の利く人間じゃないよ、僕は。」

「そうかしら?あれだけ私に啖呵切っておいて、良く云うわ。」

 彼女はじっとりとした細い眼差しで僕を睨み付けた。
やっぱり人間に啖呵を切られたのは、ちょっと気にしていたのかな。
少女のムッとした表情がどの鈍器よりも強烈な威圧を放っていたせいで、僕はタジタジになりながら脂汗をかいた。

「あ・・・、あの、なんていうかあれは、その、勢いというか・・・、何とかしたいって気持ちが覆い被さって・・・。」

「良いわよ、別に。むしろ・・・、君の言葉に感謝しているんだから。」

「・・・。」

 今にも叩きつけようとする表情から一変、センはパンパンに張り詰めていた風船から空気を一気に抜かれたように萎んでいく。
どうやら彼女は僕に怒る気は無いらしい。むしろクスリと静かに笑いながら安堵しているようにも見えた。
そっとセンは立ち上がり、石の山の背中に広がる一望の景色を眺めながら薄紅色の唇を開いた。

「きっとね・・・、君の言葉で目が覚めなければ、今ここから見える景色はずっと違っていたと思う。
こんなにも前を向いて、視界に広がる景色の更に奥、まだその奥を見つめようとする思いは・・・。
君の言葉が無ければ、この気持ちにはなれなかったんだと思う。」

「・・・文字に起こすのも、声に出すのも簡単な事さ。難しいのは、何事もそれを実行する事。」

「あら?それは誰かの受け売り?」

 その言葉は、いつかあの人が云っていたセリフだった。どうして急に頭の中で思い描いてしまったのだろう。
ふと思い出したセリフが切り取られ、僕の口から音となって響く。
そうだ、その言葉は文字に起こすのも声に出すのも簡単な事。忘れてはならないのは、何事もそれを実行する事。
思いを音にして言葉に出しても、前へと踏み出し実行するという行動が始まらなければ、何も生まれない。
そう、これは受け売りだ、とある人のね。待てよ、そういえば彼女はあんな事も云っていたな。

「そ、ちょっと曰く付きのね。けどね、その時はその続きを云っていなかったんだけど。
その人は、過去にこんな事を云っていたんだ。」

「どんな?」

「難しいなんて言葉は、ほんの一瞬。案外きちんと紐解けば簡単なもので、難しいものなんて基礎の応用に過ぎん。
時に、物事に触れずに所感だけでモノサシをするから、複雑だと錯覚するだけだってね。」

 僕はついあの人のように人差し指を突き立てながら、悠長に雄弁してみた。

「なんだか不思議な人ね・・・。まるで人間じゃないみたい。」

「そうだね。その人は、人間じゃないからね。」

「ううん、違う。・・・君の事を云っているんだよ。」

 なんだかその言葉に、ドキッとした。何だろう、心の奥底を揺れ動かすような微かな衝動は・・・。
僕がまるで人間じゃないみたい?あの人ならまだしも、僕が?いやいや、どこかの異世界転生物語の主人公じゃないんだから。
僕は至って普通の、平凡な人間だ。戦う事も出来なければ、実に人間らしく臆病な存在なんだから。

「僕が・・・?はは、色々と感化されたのかな・・・?」

「そうかも知れないわね。」

 けど、そんな平凡な僕の周りには妖怪やら悪魔やらがあちこちに蔓延っている。それも、こんなにも手の届く範囲に。
そう思うと僕もひょっとしたら、普通という概念から既に逸脱してしまっているのかも知れない。
けれど、どれであろうと何物にも変え難いものがある人それぞれ一つある。その象徴となるのが心だ。
たった一つの、唯一人が目視することが不可能なものが時にして大きな原動力を生む事がある。
彼女もまたその一人、たった一つの歯車が大きく動かし、ずっと重かった足を動かす事が出来たのだ。

「話を戻すけどさ、君はこの困難だった道を乗り越えたんだ。今まで辛かったね、凄く頑張ったんだね。」

「ほんと、君って変な人ね・・・。妖怪に啖呵切ったり、慰めてきたり。君は、妖怪とか悪魔が怖くないの?」

 また彼女はクスリと涙目になりながら微笑んでいた。すると、髪を靡く程の風がスゥーっと通り抜けていく。
その風に晒されて、積んでいた石がホロリと落ちていく。僕はその石を摘みながら、ゆっくりと立ち上がる事にした。

「怖いさ、僕だってただの普通の人間だからね。けど・・・、直に受け止める感情なんてさ。
妖怪だろうと悪魔だろうと、人間と変わらないだろ?そこに境界の垣根なんて要らない。
もっと・・・、単純なんだよ、きっと。・・・僕らはね。」

「・・・。」

 そうして、摘んでいた石を元の位置へと静かに戻した。そう、もっと単純な筈なんだ。
面倒な計算式も、術式も要らない。繊細で色鮮やかに見えて、ほんとはずっとシンプルなものなんだと思う。
人も妖怪も悪魔もが持つ感情というものは、元は単純な原色で構成されたパレットたちなんだ。
それを真っ白なキャンパスに想い想いに自分という存在を色鮮やかに染め上げていくだけ。
はは、まさにその通りじゃないか社長。案外きちんと紐解けば、難しさなんて基礎の応用そのものなんだな。
僕は顔を上げて、ゆっくりとまだ沈みきっていない夕陽を見つめた。もう見つめる事が出来る程、明るさは徐々に失っている。
もうすぐ夜が来る。そう周りの木々が囁くように、風に揺られた葉音が耳元で知らせているようだった。

「いつか・・・、落ち着いたらさ。このお墓をもっと立派に、綺麗にしてあげようよ。僕も、手伝うからさ。
この景色に負けないくらい、君の大切な家族の為にも・・・。」

「うん・・・。」

 敢えて僕は彼女の顔は見なかった。その方が良いと思ったからだ。気になるなら、後の事は想像に任せる事にしよう。
僕は固まった筋肉をほぐすように両手を腰に当て、背筋や腕をぐっと伸ばす。


「さて・・・、用意出来たら、そろそろ行かないとね。またあいつらにブーブー云われるのも癪だし。」

「そうね、行きましょう。・・・あ、そういえば・・・。」

「ん?」

 レタたちの元へと戻ろうとしたセンは突然立ち止まり、くるりと振り返る。
そういえば?何か他にもあったっけかな。彼女は頬を人差し指で掻きながら、少し恥ずかしそうに唇を開けた。

「今更だけど、君の名前は・・・?」

「あぁ、本当にそういえばだったね・・・。僕の名前は、垂イサム。ただの、普通の人間さ。」

 そう、僕は普通の人間、垂イサム。そう告げると、また彼女はクスリと笑って見せてくれた。
あぁ、そうだ。彼女の背に映る赤や黄に染め上げた絶妙なコントラストの風景よりも、ずっと繊細でシンプルな。
彼女の、東雲色の瞳が最も輝いて映っているのが、何よりも印象的だった。彼女もまた、広げた傘下で雨宿りに袖を通す。

 これがもし小説だと云うならば、僕は彼女の瞳の事をなんと表現するだろうか。
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