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本編
11. before the storm
しおりを挟む「主様、おはようございます」
「…ああ、おはよう」
いつもより早い、いつも通りの穏やかな朝。
…のはずが、今朝はなんとも涼やかな声が悠祈の寝室に響いた。
悠祈を主と呼ぶ声の主は、見上げるほど高い身長に黒の燕尾服を隙なく着こなし、音もなくたたずんでいる。
悠祈が初めてこの屋敷に足を踏み入れた時から少しも変わらない人間離れした美貌を持つこの男は、屋敷の家令であるエリヤだ。
くすんだ金色の長い髪を優雅に首の後ろでひとつに束ね、眼鏡越しの澄んだ夏空のような瞳には、穏やかな色をたたえている。
悠祈が目覚めるタイミングを見計らったかのように音もなくベッドサイドに立ち、サイドテーブルに入れたてのハーブティーを静かに整えると、悠祈の身支度に必要なものきっちりと用意して待っている。
悠祈はまだ眠気の残る頭をゆるく振ってベッドから起き上がると、大きく伸びをした。
入れたての温かなハーブティーに口をつけ、差し出される衣服を躊躇いなく身につけていく。
よどみなく今日の予定を告げるエリヤの涼やかな声を聞きながら身支度を終えると、階下の執務室に足を向けた。
いつもより早い朝の時間は、屋敷の者の気配がなくとても静かだ。
廊下に響く2人分の足音だけが、落ち着いた色合いの絨毯に吸い込まれていく。
足を踏み入れた執務室の椅子に悠祈が腰を下ろすのを見届けると、エリヤがうやうやしく一礼した。
「エリヤ。きみが朝から来た理由は?」
「さすが主様。先見の目がおありですね」
「おだてても何も出ないよ。それで?」
「こちらをお持ち致しました」
悠祈がちらりとエリヤに目を向けて問えば、至極嬉しそうに空色をすがめた美貌の家令が、とても優雅な動きで胸元から一通の封筒を差し出した。
白い手袋に載せられた封筒は、見るからに上質だとわかるそれ。
宛名には、流麗な筆致で悠祈の名が記されている。
いやな予感を抱きつつもそっと封筒を手に取り、くるりと裏返すと、やはりというべきか…この世界でだた一人のある御方を示す封蝋。
「主様。そのようなお顔をされるものではありませんよ」
「わかってる。それで、子細は?」
「詳しくは存じ上げません。お会いになられたときにおわかりになるかと」
「…当日の正装の準備を」
「かしこまりました」
「それと、エノクの予定を合わせておいてほしい」
「お任せくださいませ」
思わず眉をしかめた悠祈を嗜めるエリヤの視線から逃れるように、手元の封筒を開けて中のカードを確認すると、そこには二日後の時間と場所しか書かれていない。
念のためにエリヤに確認するも、やはり何も知らされていないとのこと。
カードと封筒を家令に渡しながら、めんどくさいことになったな、と心の中でひとりごちると、それでも逃れられない面会のための準備を指示した。
エリヤは諦めきった様子の悠祈に穏やかな笑みを向けると、優雅に一礼して主の息抜きになるような紅茶の準備をすべく動き始める。
てきぱきと動くエリヤを視界の端にとらえながら、悠祈も本来片付けようとしていた書類の山に手を伸ばし、黙々と処理し始めた。
■■■
早朝の静かな執務室。
そこには屋敷の主である悠祈と家令のエリヤのふたりが立てる音しかない。
エリヤ。
長年この屋敷の家令を務める、悠祈曰く人間離れした美貌の男。
2mはあるだろう長身は、ともすれば威圧感しか与えないはずなのに、その穏やかな声音と表情は彼の纏う雰囲気を柔らかなものにしている。
エリヤは紅茶を準備する手を休めずに、黙々と書類に向かう今の主をうかがった。
麗しい顔立ちは、初めて出会った頃より大人になり、より涼やかになっている。
それでも、文字を追う深い緑の瞳は、あの頃と変わらず穏やかで柔らかいまま。
エリヤや双子の兄で悠祈の側近でもあるエノクのことを知ってからも、なにひとつ変わらず接してくる貴重な人間だ。
そして、文武に優れたとても優秀な人物なのである。
朝食に影響のないお茶菓子を用意しながら、エリヤは今後の予定を頭の中で整理する。
あの御方への面会の準備を真っ先に整えるとして、主から指示のあったエノクの予定の確認が最優先だろう。
当日の正装のについては、今一度丁寧にクリーニングをして当日一番美しい状態で身につけられるように整えておかなくては。
普段はいい加減でだらしないところもある兄の衣服も、この麗しい主の後ろに控えていて恥ずかしくないようにしておかなくてならない。
そうと決まれば、今のうちに各所への手配を進めなければ。
集中して机に向かう主の邪魔にならないよう、机の上にそっと紅茶とお菓子を置いた。
心の中では誰よりも面倒くさがっているであろう悠祈が、少しでも癒されればいい…と願いながら。
「エリヤ、いつもありがとう」
扉の前で一礼し、音を立てないように部屋を出ようと背を向けると、穏やかな音が落ちてきた。
ハッとして視線を戻せば、机に向かったままのはずの悠祈が、紅茶のカップを片手にこちらに目を向けていた。
いつもいつも、この若く優秀な主は、エリヤの心が読めるかのように言葉を紡ぐ。
「朝食の準備が整いましたら、お呼びいたします」
エリヤは少し目元を綻ばせ、もう一度感謝を込めて一礼し部屋を出た。
朝食まであと2時間。
******
実は家令と側近もいるお屋敷住まいです。
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