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1章 星の海で遊ばせて
恋色リトマス紙(1)
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林間学校の後は二日間の休みが入り、水曜日から登校が始まった。
たった三日間ではあったが、寝食を共にしたことで、A組にも、クラス分けをしてまだたった一月とは思えないような連帯感のようなものが生まれていた。休み明けの火曜日、クラスは朝から、五月の快晴にぴったりの陽気な雰囲気に包まれていた。
そして、詩乃をとりまく周囲の目にも、変化が生まれていた。
昼休み、詩乃の斜め前の席――柚子が机を回転させて、詩乃に、一緒に食べようと提案してきたのだ。林間学校の延長のように、自然と班で固まっての食事になる。柚子、多田紗枝、その他班員の男子二人――テニス部の白壁とバスケ部の藤である。白壁と藤は、林間学校の時にはすでに仲が良かった。というよりは、詩乃だけがあまりにも、他の四人と離れていた。逆に言えば、詩乃がいようがいまいが、柚子、紗枝、白壁、藤は関係ができているから、昼食を一緒に食べることになっても、そこに不自然さはなかった。
古典の神原がさぁ―。あぁ、またやってたね――。
昨日『雨コイ』観に行ったんだけど――。え、マジで、いいなぁ――。
デートじゃねぇよ、バスケ部の奴と――。
日曜カラオケ行ったらさぁ――。
そろそろバイト始めよっかな――。ねぇ、やりたいよねぇ――。
会話が弾む。
「水上君は――」
柚子は、会話に全く参加していない詩乃に話を振った。実は、林間学校で柚子を手当てした件で、秘かに株を上げていた詩乃である。それによって詩乃は、こういう場での発言権を得ていた。詩乃のことを嫌っていた紗枝すら、水上のことを誤解していたのではないか、と思い始めたくらいだ。しかし詩乃は、皆が自分に向ける感情の変化、空気というものを感じ取ってはいたが、それに合わせようとは思っていなかった。
柚子から振られたのは映画の話だったが、詩乃は、「あんまり観ない」とだけ答えた。この場で映画について話す気は、詩乃にはなかった。
「全然見ないの?」
「水上、そういうのちょっと詳しそうじゃん」
紗枝と白壁が詩乃の発言を催促する。
しかし、詩乃にしてみれば、これは会話ではなくトランプゲームの〈スピード〉であり、あるいは、爆弾処理の実習や圧迫面接のようなものだった。コンマ何秒という、長考を許されない制限時間の中で、おしゃべりのルールから逸脱しない単語を口に出す。しかし、そうやって神経をすり減らす思いで発言しても、次の瞬間にはまた、発言を催促される。これはもう、詩乃にとっては地獄のような爆弾ゲームだった。
詩乃は結局、昼休みの食事会は三日で脱落し、その翌週からは、昼休みになると、柚子に呼ばれる前に急いで弁当を持って文芸部の部室に避難するようになった。そうして詩乃が皆から距離を置くようになると、皆の方でも、詩乃の林間学校でのちょっとした善行は無かったことになり、誰も詩乃に発言を求めることもなくなっていった。
そうこうしているうちに、五月もあっという間に過ぎていった。
五月も終わりに近づくと、六月末にひかえた体育祭の準備が徐々に始まってゆく。伝統的に学校行事で有名な茶ノ原高校は、体育祭にも力を入れる。六月に入ると、放課後は毎日のように、応援団のエールと太鼓の音が校舎にこだました。応援団は、練習が厳しいことで有名だが、体育祭の目玉でもあるため、運動部の多くの生徒は、これに志願した。気温も湿度も上がり始める中での練習、軽い熱中症が続出するが、放課後までは保健委員も面倒は見れないので、そこは、須藤教諭をはじめ、養護教諭の領域となる。
そういうわけで、放課後は保健委員も特別仕事があるわけでもなく、詩乃は放課後、文芸部の部室に直行するのが日課になっていた。文芸部の部員は、詩乃たった一人である。教室を半分にしたほどの細長い部屋を一人で独占できる特権を得て、詩乃はかなり満足していた。冷暖房完備で、パソコンもあり、おまけに、教師はこの部屋には干渉しないので、ほとんど自室のように使うことができる。
しかし詩乃は、部室を私物化して、ただ遊び惚けているわけではなかった。文化祭では、文芸部から部誌を出さなければならない。その条件で詩乃は、茶ノ原高校に転入できることになったのだ。部誌も、それなりの体裁というものがあるから、二百ページくらいの厚みは必要になってくる。短編を五編か六編くらいは最低でも、作らなければならない。詩乃は、ちょっとずつ文化祭の部誌のために、短編の構想を練っていた。
その日の放課後もいつもの通り、詩乃はうたた寝をするように思考を巡らせていた。一人の時間、一人の空間、パソコンのモニターとキーボード、その隣にはA4の真っ新なコピー用紙――これは、メモ帳のように使っている。
詩乃は右手の指にボールペンを挟み、足を組み、デスクチェアーにもたれかかり、目を閉じていた。冷房の『除湿モード』の静かな送風音に、早く書け、早く書けと急かされているような気分になる。
「あー、うー……、うーん……」
短編の内容を考え始めてから一週間。詩乃は部室で、うんうん呻きながら、未だ執筆にとりかかれていなかった。いくつか短編の題材やストーリーなどを考えてはみたが、どれもこれも、何か違うような気がする。とりあえずワープロソフトで冒頭数行を書き始め、「これじゃない」と思い、ファイルごと消去する。そんな不毛な作業を、すでに何十、百とループしていた。
「あー……ダメだぁ……」
ついに、組んでいた脚を解いて机の上に突っ伏する。
「何がダメなの?」
突然、頭の上から声が降ってきたので、詩乃は驚いて顔を上げた。
声の主は、ダンス部の白Tシャツ姿の柚子だった。
「な、いつ入ってきたの!?」
「え、本当に気づいてなかったの!?」
「う、うん……」
「ノックして、呼びかけてたのに」
うわぁと、詩乃は自分にショックを受けた。呼びかけられて気づいていないというのは、人間として、いよいよ危ない所まで来ているのかもしれない。
「ここ涼しいね」
「除湿してるから」
「今日は水上君だけなの?」
「部員、自分だけだよ」
「そうなの!? じゃあ、貸し切り!?」
「まぁ」
「いいなぁ!」
柚子のペースで弾む会話。詩乃は、眉間にしわを寄せる。
「水上君、今日も朝、挨拶無視したでしょ」
「……」
なぜ柚子はここに来たのか、それを聞こうと思ったが、詩乃は、完全に機先を制されてしまった。朝の挨拶については、詩乃も、少なからず罪悪感を覚えていた。
詩乃が昼食グループを出ていった後も、柚子は毎朝、詩乃には挨拶をしていた。柚子の席は詩乃の左斜め前なので、学校に来ている限りは、必ず顔を合わせることになる。「おはよう」に対して、「おはよう」で返すだけの簡単なルールなのだが、それを詩乃は、していなかった。挨拶の習慣がなかったので、顔を合わせての「おはよう」が、不自然に思えて、口にするのを躊躇ってしまうのだ。
「一人が好きなのはわかるけど、挨拶くらいは、ちゃんと返した方がいいよ。紗枝ちゃん、激オコだよ、いつも」
「激オコ……」
普段使わない面白い言葉を聞いて、詩乃はくすくす口元を隠して笑った。今どこかに笑う要素があったろうかと 柚子は不思議に思う。
「――それで、何がダメなの?」
なんでこんなにグイグイ来るんだと不信に思いながらも、詩乃は答えた。
「部誌用の短編が、決まらなくて」
「時代劇の話?」
「部で出す雑誌。武士じゃないよ」
「あぁ、部誌ね。え、水上君、小説書くの!?」
あれ、言わなかったっけ? と林間学校の時の会話を思い出す。あの昼食事のやりとりを「会話」というのなら別だが、それ以外では、詩乃は林間学校以来、柚子とはまともに言葉を交わしていなかった。あの合宿の二日目の夜、森の中で話したあれが、唯一の会話である。そしてあの会話が、柚子とは最後の会話になるのだろうと、詩乃は思っていた。
「書く、けど……」
ここ、大体文芸部だし、と付け加える。
「読みたい!」
「……」
じいっと、詩乃は柚子の顔を観察する。小説を書いていると言うと、必ず皆、読みたい、と言ってくる。素人の小説を読むほど小説が好きなのかと、そういう時はいつも詩乃はそう思うのだった。
「新見さん、友達がお菓子を作って来たとするね」
「え? う、うん」
「それをもらって食べたら、すごくまずかった。そうしたら、目の前の友達になんて言う?」
「え……」
柚子は、答えに窮してしまった。いきなり、友達関係における最高難易度の問題を突き付けられてしまった。詩乃は、ボールペンのノック部分を柚子の額の前に差し置き、じいっと柚子の目の奥を覗き込むようにして見つめた。
「それ、すごく難しいよ。相手にもよるけど……」
「けど?」
「――だって、折角作ってきてくれたわけでしょ」
「そう。でも問題は、それがまずいこと」
「味は美味しくなかったとしても、作ってきてくれたことは嬉しいから、うーん……」
詩乃は、柚子の反応にうんうんと頷いた。それはまるで、教え子が予想通りの答えを出して満足している時の教師の仕草そのものだった。詩乃はボールペンを自分の口元にもってゆき、再び足を組んでから言った。
「優しさは人を傷つけるっていうことを証明する良い例だと思うんだよね」
柚子は、詩乃の瞳に思わず見惚れてしまった。
柚子はまだ、詩乃のことがよくわからなかった。しかし、よくわからない中でも、何か、深い部分で、分かり合えるような気がしていた。そして何より、詩乃といる時のわくわく感というのは、柚子にはもう、代えがたいものになっていた。根拠も、理由も良くわからないけれど、どういうわけか、もっと水上君のことが知りたいと思う。こんな感覚は、柚子は初めてだった。
「でも、やっぱり、水上君の書いた話、読んでみたいな」
「……どうせ部誌に載るから、読めるよ。文化祭で出すから」
「あ、そうなんだ!」
新見さんは、本当にわからないと詩乃は思った。クラスのコミュニティーの中心人物だから、まぁ、馬鹿なわけはない。きっと新見さんは、自分の可愛さや、ソプラノの綺麗な声や、分け隔てなく接する性格の良さ――そういったものを全部無自覚に知っていて、そのうえで、会話を成り立たせているのだろう。そんなコミュニケーション界の最終兵器のような女の子が、一体どんな魂胆があって自分に近づくのか、詩乃は恐怖さえ覚えていた。
「――でも、文化祭十月だよ。そんなに待てないよ」
「まぁ確かに、そんなに待つほどの価値は無いけど」
「そういう意味じゃなくて! 早く読みたいって事!」
「うん。でも、そうだなぁ……」
詩乃は少し考えてから、ぱっとあることを閃いた。
「新見さん、何でもいいから思いついた単語言ってみて」
「え? た、単語!?」
「サン、ニ、イチ……」
「あぁ、えええっと、猫!」
「猫、ね。猫、かぁ……」
詩乃は猫、猫と繰り返しながら、一人空想の世界に入っていってしまった。私を置き去りにしないでよと柚子は不満を顔に出したが、詩乃は見てもいない。時計を見れば、もう四時。部活に行かないといけない。
「部活行かなきゃ! またここ、来て良い?」
「どうぞ」
「また来るね!」
柚子はそう言って、文芸部部室を後にした。
詩乃は柚子の出ていった扉が閉まり、ガタンという音が耳の中から消えるまでじっと入口を眺め、それから再び、物語の創作の世界に入っていった。
たった三日間ではあったが、寝食を共にしたことで、A組にも、クラス分けをしてまだたった一月とは思えないような連帯感のようなものが生まれていた。休み明けの火曜日、クラスは朝から、五月の快晴にぴったりの陽気な雰囲気に包まれていた。
そして、詩乃をとりまく周囲の目にも、変化が生まれていた。
昼休み、詩乃の斜め前の席――柚子が机を回転させて、詩乃に、一緒に食べようと提案してきたのだ。林間学校の延長のように、自然と班で固まっての食事になる。柚子、多田紗枝、その他班員の男子二人――テニス部の白壁とバスケ部の藤である。白壁と藤は、林間学校の時にはすでに仲が良かった。というよりは、詩乃だけがあまりにも、他の四人と離れていた。逆に言えば、詩乃がいようがいまいが、柚子、紗枝、白壁、藤は関係ができているから、昼食を一緒に食べることになっても、そこに不自然さはなかった。
古典の神原がさぁ―。あぁ、またやってたね――。
昨日『雨コイ』観に行ったんだけど――。え、マジで、いいなぁ――。
デートじゃねぇよ、バスケ部の奴と――。
日曜カラオケ行ったらさぁ――。
そろそろバイト始めよっかな――。ねぇ、やりたいよねぇ――。
会話が弾む。
「水上君は――」
柚子は、会話に全く参加していない詩乃に話を振った。実は、林間学校で柚子を手当てした件で、秘かに株を上げていた詩乃である。それによって詩乃は、こういう場での発言権を得ていた。詩乃のことを嫌っていた紗枝すら、水上のことを誤解していたのではないか、と思い始めたくらいだ。しかし詩乃は、皆が自分に向ける感情の変化、空気というものを感じ取ってはいたが、それに合わせようとは思っていなかった。
柚子から振られたのは映画の話だったが、詩乃は、「あんまり観ない」とだけ答えた。この場で映画について話す気は、詩乃にはなかった。
「全然見ないの?」
「水上、そういうのちょっと詳しそうじゃん」
紗枝と白壁が詩乃の発言を催促する。
しかし、詩乃にしてみれば、これは会話ではなくトランプゲームの〈スピード〉であり、あるいは、爆弾処理の実習や圧迫面接のようなものだった。コンマ何秒という、長考を許されない制限時間の中で、おしゃべりのルールから逸脱しない単語を口に出す。しかし、そうやって神経をすり減らす思いで発言しても、次の瞬間にはまた、発言を催促される。これはもう、詩乃にとっては地獄のような爆弾ゲームだった。
詩乃は結局、昼休みの食事会は三日で脱落し、その翌週からは、昼休みになると、柚子に呼ばれる前に急いで弁当を持って文芸部の部室に避難するようになった。そうして詩乃が皆から距離を置くようになると、皆の方でも、詩乃の林間学校でのちょっとした善行は無かったことになり、誰も詩乃に発言を求めることもなくなっていった。
そうこうしているうちに、五月もあっという間に過ぎていった。
五月も終わりに近づくと、六月末にひかえた体育祭の準備が徐々に始まってゆく。伝統的に学校行事で有名な茶ノ原高校は、体育祭にも力を入れる。六月に入ると、放課後は毎日のように、応援団のエールと太鼓の音が校舎にこだました。応援団は、練習が厳しいことで有名だが、体育祭の目玉でもあるため、運動部の多くの生徒は、これに志願した。気温も湿度も上がり始める中での練習、軽い熱中症が続出するが、放課後までは保健委員も面倒は見れないので、そこは、須藤教諭をはじめ、養護教諭の領域となる。
そういうわけで、放課後は保健委員も特別仕事があるわけでもなく、詩乃は放課後、文芸部の部室に直行するのが日課になっていた。文芸部の部員は、詩乃たった一人である。教室を半分にしたほどの細長い部屋を一人で独占できる特権を得て、詩乃はかなり満足していた。冷暖房完備で、パソコンもあり、おまけに、教師はこの部屋には干渉しないので、ほとんど自室のように使うことができる。
しかし詩乃は、部室を私物化して、ただ遊び惚けているわけではなかった。文化祭では、文芸部から部誌を出さなければならない。その条件で詩乃は、茶ノ原高校に転入できることになったのだ。部誌も、それなりの体裁というものがあるから、二百ページくらいの厚みは必要になってくる。短編を五編か六編くらいは最低でも、作らなければならない。詩乃は、ちょっとずつ文化祭の部誌のために、短編の構想を練っていた。
その日の放課後もいつもの通り、詩乃はうたた寝をするように思考を巡らせていた。一人の時間、一人の空間、パソコンのモニターとキーボード、その隣にはA4の真っ新なコピー用紙――これは、メモ帳のように使っている。
詩乃は右手の指にボールペンを挟み、足を組み、デスクチェアーにもたれかかり、目を閉じていた。冷房の『除湿モード』の静かな送風音に、早く書け、早く書けと急かされているような気分になる。
「あー、うー……、うーん……」
短編の内容を考え始めてから一週間。詩乃は部室で、うんうん呻きながら、未だ執筆にとりかかれていなかった。いくつか短編の題材やストーリーなどを考えてはみたが、どれもこれも、何か違うような気がする。とりあえずワープロソフトで冒頭数行を書き始め、「これじゃない」と思い、ファイルごと消去する。そんな不毛な作業を、すでに何十、百とループしていた。
「あー……ダメだぁ……」
ついに、組んでいた脚を解いて机の上に突っ伏する。
「何がダメなの?」
突然、頭の上から声が降ってきたので、詩乃は驚いて顔を上げた。
声の主は、ダンス部の白Tシャツ姿の柚子だった。
「な、いつ入ってきたの!?」
「え、本当に気づいてなかったの!?」
「う、うん……」
「ノックして、呼びかけてたのに」
うわぁと、詩乃は自分にショックを受けた。呼びかけられて気づいていないというのは、人間として、いよいよ危ない所まで来ているのかもしれない。
「ここ涼しいね」
「除湿してるから」
「今日は水上君だけなの?」
「部員、自分だけだよ」
「そうなの!? じゃあ、貸し切り!?」
「まぁ」
「いいなぁ!」
柚子のペースで弾む会話。詩乃は、眉間にしわを寄せる。
「水上君、今日も朝、挨拶無視したでしょ」
「……」
なぜ柚子はここに来たのか、それを聞こうと思ったが、詩乃は、完全に機先を制されてしまった。朝の挨拶については、詩乃も、少なからず罪悪感を覚えていた。
詩乃が昼食グループを出ていった後も、柚子は毎朝、詩乃には挨拶をしていた。柚子の席は詩乃の左斜め前なので、学校に来ている限りは、必ず顔を合わせることになる。「おはよう」に対して、「おはよう」で返すだけの簡単なルールなのだが、それを詩乃は、していなかった。挨拶の習慣がなかったので、顔を合わせての「おはよう」が、不自然に思えて、口にするのを躊躇ってしまうのだ。
「一人が好きなのはわかるけど、挨拶くらいは、ちゃんと返した方がいいよ。紗枝ちゃん、激オコだよ、いつも」
「激オコ……」
普段使わない面白い言葉を聞いて、詩乃はくすくす口元を隠して笑った。今どこかに笑う要素があったろうかと 柚子は不思議に思う。
「――それで、何がダメなの?」
なんでこんなにグイグイ来るんだと不信に思いながらも、詩乃は答えた。
「部誌用の短編が、決まらなくて」
「時代劇の話?」
「部で出す雑誌。武士じゃないよ」
「あぁ、部誌ね。え、水上君、小説書くの!?」
あれ、言わなかったっけ? と林間学校の時の会話を思い出す。あの昼食事のやりとりを「会話」というのなら別だが、それ以外では、詩乃は林間学校以来、柚子とはまともに言葉を交わしていなかった。あの合宿の二日目の夜、森の中で話したあれが、唯一の会話である。そしてあの会話が、柚子とは最後の会話になるのだろうと、詩乃は思っていた。
「書く、けど……」
ここ、大体文芸部だし、と付け加える。
「読みたい!」
「……」
じいっと、詩乃は柚子の顔を観察する。小説を書いていると言うと、必ず皆、読みたい、と言ってくる。素人の小説を読むほど小説が好きなのかと、そういう時はいつも詩乃はそう思うのだった。
「新見さん、友達がお菓子を作って来たとするね」
「え? う、うん」
「それをもらって食べたら、すごくまずかった。そうしたら、目の前の友達になんて言う?」
「え……」
柚子は、答えに窮してしまった。いきなり、友達関係における最高難易度の問題を突き付けられてしまった。詩乃は、ボールペンのノック部分を柚子の額の前に差し置き、じいっと柚子の目の奥を覗き込むようにして見つめた。
「それ、すごく難しいよ。相手にもよるけど……」
「けど?」
「――だって、折角作ってきてくれたわけでしょ」
「そう。でも問題は、それがまずいこと」
「味は美味しくなかったとしても、作ってきてくれたことは嬉しいから、うーん……」
詩乃は、柚子の反応にうんうんと頷いた。それはまるで、教え子が予想通りの答えを出して満足している時の教師の仕草そのものだった。詩乃はボールペンを自分の口元にもってゆき、再び足を組んでから言った。
「優しさは人を傷つけるっていうことを証明する良い例だと思うんだよね」
柚子は、詩乃の瞳に思わず見惚れてしまった。
柚子はまだ、詩乃のことがよくわからなかった。しかし、よくわからない中でも、何か、深い部分で、分かり合えるような気がしていた。そして何より、詩乃といる時のわくわく感というのは、柚子にはもう、代えがたいものになっていた。根拠も、理由も良くわからないけれど、どういうわけか、もっと水上君のことが知りたいと思う。こんな感覚は、柚子は初めてだった。
「でも、やっぱり、水上君の書いた話、読んでみたいな」
「……どうせ部誌に載るから、読めるよ。文化祭で出すから」
「あ、そうなんだ!」
新見さんは、本当にわからないと詩乃は思った。クラスのコミュニティーの中心人物だから、まぁ、馬鹿なわけはない。きっと新見さんは、自分の可愛さや、ソプラノの綺麗な声や、分け隔てなく接する性格の良さ――そういったものを全部無自覚に知っていて、そのうえで、会話を成り立たせているのだろう。そんなコミュニケーション界の最終兵器のような女の子が、一体どんな魂胆があって自分に近づくのか、詩乃は恐怖さえ覚えていた。
「――でも、文化祭十月だよ。そんなに待てないよ」
「まぁ確かに、そんなに待つほどの価値は無いけど」
「そういう意味じゃなくて! 早く読みたいって事!」
「うん。でも、そうだなぁ……」
詩乃は少し考えてから、ぱっとあることを閃いた。
「新見さん、何でもいいから思いついた単語言ってみて」
「え? た、単語!?」
「サン、ニ、イチ……」
「あぁ、えええっと、猫!」
「猫、ね。猫、かぁ……」
詩乃は猫、猫と繰り返しながら、一人空想の世界に入っていってしまった。私を置き去りにしないでよと柚子は不満を顔に出したが、詩乃は見てもいない。時計を見れば、もう四時。部活に行かないといけない。
「部活行かなきゃ! またここ、来て良い?」
「どうぞ」
「また来るね!」
柚子はそう言って、文芸部部室を後にした。
詩乃は柚子の出ていった扉が閉まり、ガタンという音が耳の中から消えるまでじっと入口を眺め、それから再び、物語の創作の世界に入っていった。
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