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1章 星の海で遊ばせて
うさぎの瞳(2)
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「柚子のクラス、めっちゃ繁盛してんじゃん」
川野が言った。
たこ焼き器の前にできた列は三つで、どの列にも、七人程度の人が並んでいる。このたこ焼き屋の繁盛を裏で作っているのが詩乃なのだと思うと、柚子はそれだけで嬉しくなってしまうのだった。今すぐ話しかけたい、手を振りたい、そんな衝動が沸き起こってくる。
「うん、いいでしょ、A組。みんな頑張ってくれてるんだよ。私全然手伝い行けてなくてちょっと申し訳ないんだけど」
「柚子忙しいからしょうがないっしょ」
そう言った後、川野は詩乃を見つけた。いるかいないかわからなかったが、川野は、これを狙っていたのだ。自分と柚子が二人でいるところを見せつけて、詩乃には、この戦いから降りてもらおう、そう思っていた。口喧嘩は強かったとしても、結局はひ弱そうな男だから、諦めさせるのは簡単だろう、と。
「――あ、あいつ居んじゃん。花火大会ん時、柚子と一緒にいた奴」
「うん。〈たこ焼きリーダー〉だからね」
柚子は胸を張る。
「なんだよそれ。ダセェな」
「ダサくないんだって。すごいんだよ、水上君」
「知らねぇけどさ。仲いいのかよ、あいつと」
「う、うーんと……たぶん」
私はそのつもりなんだけど、と柚子は心の中でそう言った。仲が良い、というよりも、もう一歩先、いや、もう二、三歩先の感情があるんだけどなぁと、柚子は内心呟く。
「何柚子、ああいうのがタイプなのかよ」
「え、ええっ!?」
こんな、誰に聞かれているかわからない中で、そんなことははっきり答えられない柚子だった。そんな柚子の反応に、川野はチっと舌打ちをする。よりにもよって、どうしてあんな根クラな男なんだ。男として、俺が負けている要素なんてないだろう。それなのになんで柚子は、あいつのことを――川野は、詩乃を前にして、激しい嫉妬を覚えるのだった。川野には、まだ柚子の詩乃に対する気持ちが信じられなかった。これがもし、川野の目から見ても、男としての美点を一つでも詩乃が兼ね備えている男だったなら、こんなに強引な方法はとらない。それが一つも見当たらないために、川野は、柚子の気持ちを、何かの間違いか気の迷いだと思っていた。少し吹いてやれば簡単に風化するだろうと、川野は思っていた。
はにかむ柚子とその隣にいる川野を、詩乃は視界の隅に発見した。
ムカっと、怒りが膨らむ。詩乃は顔を引き締めて、たこ焼き作業用のボトルに油を入れ替える作業をしながら、その感情が表に出ないように抑えた。二人で文化祭を回るなら、それはまぁ、二人の勝手だ。だけど、どうしてわざわざ、自分のいるこの教室に来たんだ。たこ焼き屋なら、一年生も出しているではないか。普通、そっち行くだろ。
そんな思いを込めて、詩乃は刻んだ長ネギをタッパーに入れる合間から、二人に一瞥を投げかけた。そうして詩乃は、柚子の表情が硬いのに気が付いた。いつもの、何だか、ふにゃあっとした柔らかさが無い。それを見た瞬間に、詩乃の怒りの矛先は、川野にのみ向くようになった。川野が強引に誘って、新見さんを連れまわしてるんだな――そうに違いないと詩乃は思った。だからたぶん、ここに来たのも、川野のアイデアだ。いちいち癇に障ることをしてくれる。あいつのたこ焼きだけ具を唐辛子にかえてやろうかな、と思う詩乃だった。
「あっ、――っ!」
近くで小さな悲鳴。
詩乃はぱっと顔を上げた。声を上げたのは悠里だった。右手を宙に上げて、ぶんぶん振っている。詩乃は、悠里の前の二台のたこ焼き器を確認した。油を敷く作業中だったらしい。プレートは二台とも空になっている。その右隣り、一台のプレートでたこ焼きを作っている白壁を確認すると、ちょうど、焼き上がり待ちの状況だった。
「白壁君、こっちもお願いできる? 近藤さんの火傷、冷やしてくる」
「あ、あぁ、いいよ、任せろ」
詩乃の指示に、白壁はすぐに対応する。
悠里の使っていた二台の空プレートに油を敷き、生地を流し込む。
「だ、大丈夫だよ、私――」
「いいから」
詩乃は悠里の手を軽くとって教室を出た。
その一連の様子を、柚子は見ていた。
「ちょっと、ごめん、待ってて!」
柚子はそう言うと、川野の返事も聞かないまま、教室を出ていった詩乃と悠里を追った。二人は、教室のすぐ近くの流し場にいた。詩乃に従い、悠里が、流水に右手をあてていた。柚子は小走りで二人のもとまでやってきた。
「近藤さん、大丈夫?」
「あ、新見さん……う、うん、全然平気」
突然現れた柚子に、詩乃は目を丸くした。
一方悠里は、柚子のいつもとは違う表情を見て、思わず息を止めてしまった。新見さんといえば、あの可愛くて綺麗な笑顔、そして優しい言葉に温かい眼差しだ。ところが今、柚子の顔にはそれが無い。笑顔のない柚子は、悠里にとっては恐怖でしかなかった。なんでそんな反応をされているのか全く分からない悠里だったが、とりあえず女の勘で、最初の可能性をつぶそうと思った。――水上君から離れよう。
「――水上君、大袈裟、大袈裟」
「怪我は最初の処置が大事なんだよ」
「いや、でも――」
水から手をどけようとする悠里の手を、詩乃は、手首を軽く掴んで止めさせた。びくっと、悠里は身体を震わせた。悠里は、怖すぎて柚子の顔を見られなかった。
「水上君、近藤さんは私が見ておくよ」
「え?」
「私にもそれくらい手伝わせてよ」
それもそうか、と詩乃は思った。火傷の手当ては、大火傷でもない限りは、難しいことはない。水で冷やして、細菌感染を防ぐために軟膏を塗るだけだ。今は混んでいるから、流石に二人で店を回すのは難しい。新見さんが近藤さんを看て、自分が店に戻る。これ以上に合理的な対処は無いと、詩乃は頷いた。
「近藤さん、痛みはひどくない?」
「うん、大丈夫」
詩乃は、悠里が冷静でないのを見てとった。痛みがどの程度か、これではまったくわからない。詩乃は、悠里の火傷をしたらしい場所をじっと見つめた。人差し指の親指側の付け根のあたりが、赤くなっている。色の違いがわかるくらいの赤くなり方だから、ひどい火傷ではないにしろ、ちゃんと手当てをした方がよさそうだと詩乃は思った。
「近藤さん、これで上がりにして良いよ。十五分くらいこのまま水で冷やしたら、保健室に行くようにして。あ、面倒くさかったら自分が手当てしちゃうけど――」
詩乃が言い終わるのを待たず、悠里が言った。
「いいよ、いいよ、保健室行くから!」
「私が連れてくよ!」
女子二人の、謎のやる気に押されつつ、詩乃は、じゃあ、そう言うことでお願いねと、そう言って、店に戻った。賑やかな廊下、ひたひた流れる水の音。悠里は、柚子が怖くて、顔を上げられなかった。
「ご、ごめんね、新見さん。大丈夫だよ私、一人でも――」
「ううん、ダメ。〈たこ焼きリーダー〉に任されちゃったんだから」
あ、あははは、そっかと、悠里。笑い声がいつもより高くなった。
体育館で映画の上映が始まった頃、紗枝は、二年A組に戻ってきた。料理部の模擬店、『地中海料理店ビザンツ』の魚料理は今日も朝から飛ぶように売れて、二時を待たずに魚は全部出し尽くしてしまった。魚を捌く役目を負っていた紗枝は、そのために、予定より早く暇を与えられたのだ。
A組のたこ焼き屋も、昼のピークを耐えきって、詩乃と他三人の生徒にも余裕ができていた。昼のシフトでの悠里の脱落は痛かったが、それから二十分もせずに、次の時間の担当生徒がやってきたので、店は滞りなく、客にたこ焼きを提供し続けることができた。
「皆お疲れー」
紗枝は、カウンターの奥に入りながら、皆に言った。
紗枝が来ると、皆ほっと安心した顔を見せた。
「ちょっと手伝うよ。水上、やること教えて」
「あぁ、うん……」
妙に威圧感のある紗枝の言葉に、詩乃は顔を伏せてしまう。何も後ろめたいことなんてないのに、何かやましいことをしているような気分になってくる詩乃だった。
「じゃあ、生地作りをお願い、します……」
「ん」
紗枝は言われた通り、ボールに水と小麦粉と卵を入れて、混ぜ合わせ始める。タコを焼くのは三人。詩乃と紗枝はその裏方として立ち回る。詩乃は、クーラーボックスからタコの足を取り出して、切り始める。その隣で、紗枝は生地を作って、空のペットボトルに移し替える。
何か言ってやりたいな、何を言ってやろうかな、と紗枝は考えていた。
詩乃を見ていると、もうちょっと男らしく振るまいなさいよと、お節介を焼きたくなる紗枝だった。しかし、下手なことを言って、柚子との関係に亀裂が生じるようなことは絶対に避けたい。
――紗枝がそんなことを考えていると、詩乃の方から、紗枝に話しかけた。
「多田さん」
「え? 何?」
意外なことに驚いてしまう紗枝。
「知らなかったら聞き流してほしいんだけど――」
「うん」
「新見さんって、よく他の人の看病とか、するのかな?」
「え……?」
紗枝は、生地を混ぜる手を止める。
詩乃は、タコを切り続ける。
「知らなかったら、気にしないで」
「ちょちょ、ちょっと、そうじゃないんだけど。ええとね――無いよ」
「無い?」
「看病。普通しないよ、他の人の家に行って、看病なんて」
「でも、新見さんって優しいから」
詩乃の言葉に、紗枝は強く反論する。
「優しくても、他人の看病なんてしないから。柚子だって、これまで一回も、そんなことないよ。――水上のが、初めてなんじゃない」
詩乃は唇を結んで、切ったタコをタッパーに入れた。そうしてまた、クーラーボックスからタコを取り出す。紗枝はその様子を、注意深く見つめた。
「やっぱり、知ってた?」
「何を?」
「自分が、新見さんに看病してもらったこと」
「そりゃあ……これでも一応、柚子の友達だからね」
そうだよね、と詩乃はため息をつく。今更恥ずかしがってもしょうがないかと諦めた。紗枝は、詩乃の言葉を待っていたが、詩乃はタコを切り始めて黙ってしまった。もう少しコミュニケーションをとる努力をしろと、紗枝は文句を言ってやりたかったが、それはまたの機会にすることにした。
川野が言った。
たこ焼き器の前にできた列は三つで、どの列にも、七人程度の人が並んでいる。このたこ焼き屋の繁盛を裏で作っているのが詩乃なのだと思うと、柚子はそれだけで嬉しくなってしまうのだった。今すぐ話しかけたい、手を振りたい、そんな衝動が沸き起こってくる。
「うん、いいでしょ、A組。みんな頑張ってくれてるんだよ。私全然手伝い行けてなくてちょっと申し訳ないんだけど」
「柚子忙しいからしょうがないっしょ」
そう言った後、川野は詩乃を見つけた。いるかいないかわからなかったが、川野は、これを狙っていたのだ。自分と柚子が二人でいるところを見せつけて、詩乃には、この戦いから降りてもらおう、そう思っていた。口喧嘩は強かったとしても、結局はひ弱そうな男だから、諦めさせるのは簡単だろう、と。
「――あ、あいつ居んじゃん。花火大会ん時、柚子と一緒にいた奴」
「うん。〈たこ焼きリーダー〉だからね」
柚子は胸を張る。
「なんだよそれ。ダセェな」
「ダサくないんだって。すごいんだよ、水上君」
「知らねぇけどさ。仲いいのかよ、あいつと」
「う、うーんと……たぶん」
私はそのつもりなんだけど、と柚子は心の中でそう言った。仲が良い、というよりも、もう一歩先、いや、もう二、三歩先の感情があるんだけどなぁと、柚子は内心呟く。
「何柚子、ああいうのがタイプなのかよ」
「え、ええっ!?」
こんな、誰に聞かれているかわからない中で、そんなことははっきり答えられない柚子だった。そんな柚子の反応に、川野はチっと舌打ちをする。よりにもよって、どうしてあんな根クラな男なんだ。男として、俺が負けている要素なんてないだろう。それなのになんで柚子は、あいつのことを――川野は、詩乃を前にして、激しい嫉妬を覚えるのだった。川野には、まだ柚子の詩乃に対する気持ちが信じられなかった。これがもし、川野の目から見ても、男としての美点を一つでも詩乃が兼ね備えている男だったなら、こんなに強引な方法はとらない。それが一つも見当たらないために、川野は、柚子の気持ちを、何かの間違いか気の迷いだと思っていた。少し吹いてやれば簡単に風化するだろうと、川野は思っていた。
はにかむ柚子とその隣にいる川野を、詩乃は視界の隅に発見した。
ムカっと、怒りが膨らむ。詩乃は顔を引き締めて、たこ焼き作業用のボトルに油を入れ替える作業をしながら、その感情が表に出ないように抑えた。二人で文化祭を回るなら、それはまぁ、二人の勝手だ。だけど、どうしてわざわざ、自分のいるこの教室に来たんだ。たこ焼き屋なら、一年生も出しているではないか。普通、そっち行くだろ。
そんな思いを込めて、詩乃は刻んだ長ネギをタッパーに入れる合間から、二人に一瞥を投げかけた。そうして詩乃は、柚子の表情が硬いのに気が付いた。いつもの、何だか、ふにゃあっとした柔らかさが無い。それを見た瞬間に、詩乃の怒りの矛先は、川野にのみ向くようになった。川野が強引に誘って、新見さんを連れまわしてるんだな――そうに違いないと詩乃は思った。だからたぶん、ここに来たのも、川野のアイデアだ。いちいち癇に障ることをしてくれる。あいつのたこ焼きだけ具を唐辛子にかえてやろうかな、と思う詩乃だった。
「あっ、――っ!」
近くで小さな悲鳴。
詩乃はぱっと顔を上げた。声を上げたのは悠里だった。右手を宙に上げて、ぶんぶん振っている。詩乃は、悠里の前の二台のたこ焼き器を確認した。油を敷く作業中だったらしい。プレートは二台とも空になっている。その右隣り、一台のプレートでたこ焼きを作っている白壁を確認すると、ちょうど、焼き上がり待ちの状況だった。
「白壁君、こっちもお願いできる? 近藤さんの火傷、冷やしてくる」
「あ、あぁ、いいよ、任せろ」
詩乃の指示に、白壁はすぐに対応する。
悠里の使っていた二台の空プレートに油を敷き、生地を流し込む。
「だ、大丈夫だよ、私――」
「いいから」
詩乃は悠里の手を軽くとって教室を出た。
その一連の様子を、柚子は見ていた。
「ちょっと、ごめん、待ってて!」
柚子はそう言うと、川野の返事も聞かないまま、教室を出ていった詩乃と悠里を追った。二人は、教室のすぐ近くの流し場にいた。詩乃に従い、悠里が、流水に右手をあてていた。柚子は小走りで二人のもとまでやってきた。
「近藤さん、大丈夫?」
「あ、新見さん……う、うん、全然平気」
突然現れた柚子に、詩乃は目を丸くした。
一方悠里は、柚子のいつもとは違う表情を見て、思わず息を止めてしまった。新見さんといえば、あの可愛くて綺麗な笑顔、そして優しい言葉に温かい眼差しだ。ところが今、柚子の顔にはそれが無い。笑顔のない柚子は、悠里にとっては恐怖でしかなかった。なんでそんな反応をされているのか全く分からない悠里だったが、とりあえず女の勘で、最初の可能性をつぶそうと思った。――水上君から離れよう。
「――水上君、大袈裟、大袈裟」
「怪我は最初の処置が大事なんだよ」
「いや、でも――」
水から手をどけようとする悠里の手を、詩乃は、手首を軽く掴んで止めさせた。びくっと、悠里は身体を震わせた。悠里は、怖すぎて柚子の顔を見られなかった。
「水上君、近藤さんは私が見ておくよ」
「え?」
「私にもそれくらい手伝わせてよ」
それもそうか、と詩乃は思った。火傷の手当ては、大火傷でもない限りは、難しいことはない。水で冷やして、細菌感染を防ぐために軟膏を塗るだけだ。今は混んでいるから、流石に二人で店を回すのは難しい。新見さんが近藤さんを看て、自分が店に戻る。これ以上に合理的な対処は無いと、詩乃は頷いた。
「近藤さん、痛みはひどくない?」
「うん、大丈夫」
詩乃は、悠里が冷静でないのを見てとった。痛みがどの程度か、これではまったくわからない。詩乃は、悠里の火傷をしたらしい場所をじっと見つめた。人差し指の親指側の付け根のあたりが、赤くなっている。色の違いがわかるくらいの赤くなり方だから、ひどい火傷ではないにしろ、ちゃんと手当てをした方がよさそうだと詩乃は思った。
「近藤さん、これで上がりにして良いよ。十五分くらいこのまま水で冷やしたら、保健室に行くようにして。あ、面倒くさかったら自分が手当てしちゃうけど――」
詩乃が言い終わるのを待たず、悠里が言った。
「いいよ、いいよ、保健室行くから!」
「私が連れてくよ!」
女子二人の、謎のやる気に押されつつ、詩乃は、じゃあ、そう言うことでお願いねと、そう言って、店に戻った。賑やかな廊下、ひたひた流れる水の音。悠里は、柚子が怖くて、顔を上げられなかった。
「ご、ごめんね、新見さん。大丈夫だよ私、一人でも――」
「ううん、ダメ。〈たこ焼きリーダー〉に任されちゃったんだから」
あ、あははは、そっかと、悠里。笑い声がいつもより高くなった。
体育館で映画の上映が始まった頃、紗枝は、二年A組に戻ってきた。料理部の模擬店、『地中海料理店ビザンツ』の魚料理は今日も朝から飛ぶように売れて、二時を待たずに魚は全部出し尽くしてしまった。魚を捌く役目を負っていた紗枝は、そのために、予定より早く暇を与えられたのだ。
A組のたこ焼き屋も、昼のピークを耐えきって、詩乃と他三人の生徒にも余裕ができていた。昼のシフトでの悠里の脱落は痛かったが、それから二十分もせずに、次の時間の担当生徒がやってきたので、店は滞りなく、客にたこ焼きを提供し続けることができた。
「皆お疲れー」
紗枝は、カウンターの奥に入りながら、皆に言った。
紗枝が来ると、皆ほっと安心した顔を見せた。
「ちょっと手伝うよ。水上、やること教えて」
「あぁ、うん……」
妙に威圧感のある紗枝の言葉に、詩乃は顔を伏せてしまう。何も後ろめたいことなんてないのに、何かやましいことをしているような気分になってくる詩乃だった。
「じゃあ、生地作りをお願い、します……」
「ん」
紗枝は言われた通り、ボールに水と小麦粉と卵を入れて、混ぜ合わせ始める。タコを焼くのは三人。詩乃と紗枝はその裏方として立ち回る。詩乃は、クーラーボックスからタコの足を取り出して、切り始める。その隣で、紗枝は生地を作って、空のペットボトルに移し替える。
何か言ってやりたいな、何を言ってやろうかな、と紗枝は考えていた。
詩乃を見ていると、もうちょっと男らしく振るまいなさいよと、お節介を焼きたくなる紗枝だった。しかし、下手なことを言って、柚子との関係に亀裂が生じるようなことは絶対に避けたい。
――紗枝がそんなことを考えていると、詩乃の方から、紗枝に話しかけた。
「多田さん」
「え? 何?」
意外なことに驚いてしまう紗枝。
「知らなかったら聞き流してほしいんだけど――」
「うん」
「新見さんって、よく他の人の看病とか、するのかな?」
「え……?」
紗枝は、生地を混ぜる手を止める。
詩乃は、タコを切り続ける。
「知らなかったら、気にしないで」
「ちょちょ、ちょっと、そうじゃないんだけど。ええとね――無いよ」
「無い?」
「看病。普通しないよ、他の人の家に行って、看病なんて」
「でも、新見さんって優しいから」
詩乃の言葉に、紗枝は強く反論する。
「優しくても、他人の看病なんてしないから。柚子だって、これまで一回も、そんなことないよ。――水上のが、初めてなんじゃない」
詩乃は唇を結んで、切ったタコをタッパーに入れた。そうしてまた、クーラーボックスからタコを取り出す。紗枝はその様子を、注意深く見つめた。
「やっぱり、知ってた?」
「何を?」
「自分が、新見さんに看病してもらったこと」
「そりゃあ……これでも一応、柚子の友達だからね」
そうだよね、と詩乃はため息をつく。今更恥ずかしがってもしょうがないかと諦めた。紗枝は、詩乃の言葉を待っていたが、詩乃はタコを切り始めて黙ってしまった。もう少しコミュニケーションをとる努力をしろと、紗枝は文句を言ってやりたかったが、それはまたの機会にすることにした。
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