エリーと紅い竜

第六話 撃退

　強靭な脚力でその巨体を軽々と跳躍させるドラゴンだが、少年はそれをすんでの所でかわし、すれ違い様に渾身の一撃を加える。

「でえりゃああああ！」

　斬撃が敵の、多分、前足の付け根辺りに命中した手応えをジェフは感じる。
　だが、その感触は訓練で使う巻き藁や、かつて戦ったゴロツキを斬りつけた時のそれとは大きく違った。まるで石や鉄を打ち据えたような、おおよそ生物の身体とは思えぬ感触に、少年は手に酷い痺れを感じた。

「ちっくしょー！　鋼鉄の皮膚とはよく言ったもんだよ！」

　悪態をつきながらも剣を構え直した少年は、悔しそうに唇を噛む。切っ先の向こうには次の攻撃を繰り出さんとするドラゴンの姿があった。
　それでもジェフは構えを崩さない。両者は間合いを維持したままに睨み合う、まさに膠着状態だった。
　すると、その間に割って入る様に白く光り輝く感応石が弧を描いて飛び込む。

「伏せて！」

　石が地面へと落ちる直前にミーナの叫び声が響く。少年は言葉を受けて反射的に身を丸め、その直後に頭部をかばう様に覆った腕の隙間から、光の洪水が網膜に流れ込む。
　光は一瞬だったが、それは太陽を直視するよりも眩い輝きで、まともに浴びれば数分は視力を失っただろう。
　もちろんそれは人間に限る事では無かった。感応石が許容限界以上の術を受ける事によって起きる小爆発が放った光は、少女の狙い通りにドラゴンの視力を奪った。
　かの凶暴な生物は、自身に起きた事を理解出来ず、半狂乱になりながら鋭い鉤爪を振り回す。
　もっとも、目くらめっぽうな攻撃など当たるはずもなく、名剣をも遥かに凌駕する切れ味の爪は鈍い音と共に空気を引き裂くばかりであった。

「危なかったわね」

　ジェフの元に駆け寄るミーナに続いてエリーもその姿を現し、三人は直ちに攻撃の構えを取る。

「この後どうするんですか？」
「私とミーナでドラゴンの動きを止めるわ！」

　早口に言葉を交わす三人に割って入るかのように、音を頼りにしたドラゴンは彼女ら目掛けて襲い来る。作戦を練り切れぬまま二手に分かれると、まずは術士の娘たちが足止めにかかった。

「こっちだよ！」

　意識を手の平に集中させ、湛えた光弾をドラゴンに放つミーナ。命中した光弾の小さな爆発は、鋼鉄の様な表皮を僅かに煤けさせたばかりであったが、相手の気を逸らし、その体勢を崩すには十分だった。
　爆発に抗うドラゴンは深く関節を曲げ、四つの足で地面に踏ん張ったが、次の瞬間、地面はその固さを瞬時に失い、まるで沼の如くその四肢を根元まで飲み込んだ。

「今よ！　喉元を狙って！」

　敵の自由を奪う為の、水と土を同時に操る術を行使したエリーがジェフに合図を出すと同時に、地面は泥濘から乾土へと化す。

「まかせろっ！」

　ドラゴンは激しくもがき、その凄まじい力を以て拘束を解かんとする。乾いた地面に無数のひびが入り、戻りつつある視力で少年の方を睨みつける。
　けれどもジェフは臆する事無く、その身を魔物の懐に飛び込ませると、手にした長剣を急所へと突き上げる。
　柔らかな部位は剣に抗う事が出来ず、その切っ先は脊椎にまで達した。傷からは深紅の血が噴き出し、断末魔の咆哮と共にドラゴンはその身を力なく沈みこませた。

「や、やったぜ……」
「やるじゃん！」
「お見事、見直したわ」

　勇気ある剣士の傍へ駆け寄る術士二人は、労いの言葉を掛けると優しくその肩に手を置いた。



　その後、少女たちと、彼女らに協力を申し出た街の者たちは、朝まで寝ずの番を行った。幸い、再びドラゴンが彼女たちの前に現れる事は無かったが、その他の地域の被害や状況は分からず、不安な一夜を過ごした事に変わりはなかった。
　こうして夜は明け、朝日と共に街の状況も人づてに伝わってきた。



「ドラゴン、怖かった……」
「だから言ったわよね？　ロマンなんて感じないって」
「でも、エリーさんが居たから大丈夫でしたね！」

　仮眠の後、三人は随分と豪勢な食事を取りながら昨夜を思い出していた。
　危機的な状況を打破した彼女らに感謝の意を伝えるべく、街の皆々が御馳走を持ち寄ったおかげで、三人は精をつけることには事欠かなかった。

「そう言えば、私たち以外にもドラゴン退治で活躍した人が居るんだって」
「でしょうね。ドラゴンを倒せば、その身体の一部が取り分としてもらえるんですから。この街に出稼ぎに来ているような者なら、命がけで戦うわ」

　きつね色の焦げ目のついた、なんとも香ばしい焼き菓子を頬張るエリーは、分かり切った事を言うな、とばかりにミーナに少々冷たい言葉を返す。

「最後まで聞いてよ！　なんと、その活躍した人って言うのが、この国の王女様で、えーっと名前が、セ、セレス……」
「セレスティーヌ・シャルパンティエ殿下。正確には今は王女ではなく、女王の妹、王妹（おうまい）よ」
「へえー、流石にアルサーナの元貴族だけあって詳しいですね」

　感心するジェフだったが、エリーの表情は冷ややかさを増す。

「でも、どうして殿下がこんな所に居るのかしらね。殿下は数年前に行方を眩ませたって話なのに、急にこんな街に現れるなんて。もっとも、名を騙る偽物なら、合点がいくけれども」
「えーっ？　エリーはその王女様が偽物だって言うの？　せっかく、見に行こうと思ったのに」

　早々に否定された少女は、返す言葉も乏しく肩を落とす。
　けれども、彼女の幼馴染――美人には目がない、何とも節操の無い少年――は、エリーの言葉を受け入れながらも、反論に似た言葉を返す。

「確かに、アルサーナ王国の姫がこんな薄汚い街で、凶暴なドラゴン退治に精を出しているとは到底思えませんね。でも、街の人が王女様と思える程ですから、それはきっと麗しい女性なのでしょう。僕としては、その真偽の程を確かめる意味合いも兼ねて、一目その姿を見に行きたいですね！」
「どうしてそう言う発想になるかな？　不細工なお姫様も居るんじゃない？　まあ、どうでも良いけど。そう言えば、その王女様がこの後で街の人に話をするって話だよ」

　また始まったよ――、暖かな珈琲を思わせる暗褐色の瞳に、凍てつく氷河の如き侮蔑の念をたっぷりと含ませた視線を送るミーナ。
　そんな彼女の視線など気付かないジェフは、力強く握った拳を胸元に震わせながら、もっともらしい言葉でも隠し切れないその下心を吐露していた。

「何でも良いわ。二人が見物に行きたいというのなら私もついて行くまでよ」

　そんな二人とは違い、姫の事など全くに無関心な元貴族の娘はその蒼い瞳を窓の外へと向けた。