エリーと紅い竜

きょん

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第十六話 指輪

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 それ程広くはないが、上品で優雅な調度品に囲まれた室内。壁には術の力で輝くランプが灯り、碧色の絨毯を静かに照らしていた。

「失礼しまーす」

 メイドに扮したミーナは扉を閉めると、おもむろに内鍵を掛けた。
 少女が数歩進むと、窓際の椅子に腰掛けて葉巻をふかす男は彼女の存在に気付いたのか、怪訝そうな表情でミーナを見遣り、警戒した様子で口を開く。

「何だね、君は。こんな夜中にメイド風情が何をしている?」
「お、お届け物をお持ちしました、お手紙です!」

 素っ頓狂な受け答え、子供と変わらない背格好、それに不釣り合いなメイド服姿の彼女を見た男は、ますます訝しげな顔つきになっていく。

「見ない顔だ、さては屋敷の者ではないな?」

 男は座ったままだが、葉巻を持たない方の手を軽く握る。すると拳の内側が僅かに光を放つ。
 それが術の予備動作だと知っていたミーナはなおさら取り乱すと、手紙を持ったまま両手を振り回して男を落ち着けようとする。

「ごめんなさい! 違うんです! 怪しくないんです! セレスティーヌ様の手紙を持って来たんです」

 取り乱したミーナの発言は滅茶苦茶だったが、男は姫の名を聞くと作った拳を緩めた。

「……にわかに信じられんが、手紙を読んだところで何の損も無いだろう。それに君の様な子供にむざむざと打ちのめされる程、私も脆弱ではない。よろしい、その封書の中身を出しなさい。ただしゆっくりと、変な真似はするんじゃないぞ」

 完全に警戒を緩めたわけではなかったが、男はミーナに手紙を取り出すように指示すると、ゆっくりと立ち上がった。

「あ、はい!」

 それでも少女の緊張は続いていた。僅かに震える手で封を切ったその時、手先から手紙と、何か固い硬貨大の物が絨毯へとこぼれ落ちる。円形の、どこかひしゃげたそれは、はねる様に転がると、男の足へとぶつかり、そして倒れた。

「これは……!」
「ご、ごめんなさい!」

 慌てた少女の謝る言葉は彼の耳には届いていなかった。足元に転がるそれ、ひしゃげた指輪を拾い上げると、男はミーナの方を見据えた。

「まさか本当にセレスティーヌの使いの者だったとは……、ご苦労だったな。その手紙、しかと読ませてもらおう」

 少女が拾い集めた三枚の手紙を受け取ると、男は彼女に腰掛けるよう促し、自身も豪奢なソファへ沈むように腰を下ろした。



 二人を挟んで置かれたローテーブルには、読み終えた二枚の手紙と共にひしゃげた指輪が置かれていた。その指輪は少女にとっても特別な意味を持つ指輪だった。
 そしてこれは少女自身にとってではなく、持ち主のエリーにとっても深い意味を持つものだという事も思い出した。
 だが、そのエリーの指輪を見て、何故、この眼前の男は自分を『本物の』セレスティーヌの使いと言ったのかについては、未だ腑に落ちていなかった。
 そして男は手紙を読み終えると顔を上げてミーナを見つめた。

「だいたいの内容は分かったよ、直ぐに主の元に戻りなさい。そして私は、このブリューノ・オリヴィエはセレスティーヌ殿下に助力することを伝えてくれ」
「は、はい、ありがとうございます! でも一つ聞きたいんですけど、その指輪とセレスティーヌ様にはどういう関係が?」

 オリヴィエ公の言葉に謝意を示しつつも、少女は自身の疑問を率直にぶつけた。領主は指輪を手に取ると、どこか懐かし気な表情を浮かべ、一言呟くように口を開く。

「これはフィオレンティーナ陛下が、セレスティーヌ殿下に贈ったものだ」

 その言葉の意味する所に少女は衝撃を受けた。あの小さな町で給仕として働いていたエリー。彼女は単なる町人である自分たちと冒険を共にしていたが、その彼女の正体が事の渦中に居るセレスティーヌ・シャルパンティエその人である事を遠回しに告げられたからだった。

「そうですか、わかりました」

 それ以上、ミーナは何も言えなかった。少女の胸は早鐘を打ち、眩暈すらも覚えた。
 けれども、それを悟られまいと少女はセレスティーヌの、今はエリー・シャリエと名乗る王女の叔父の顔を真っすぐに見続けた。

「誰かに見つかると厄介だ。私が裏口まで案内しよう」

 ガウンを羽織ったオリヴィエ公は少女を引き連れて、静まり返った屋敷を足早に抜けて行った。



 屋敷を囲む塀の外に出たミーナは領主に一度会釈をすると、真っ暗な夜道を駆け出した。
 着慣れないメイド服は動き辛かったが、それでも少女はお構いなしに足を動かし続ける。春の夜風に冷やされた頬や耳には痛みが走る。
 けれども、そんな事を気にするよりも、ミーナの頭の中はエリーの事でいっぱいだった。聞きたい事が山ほどで混乱したが、必死にそれを整理し、感情を落ち着けようとする。
 あまりにも考え事に意識を集中するあまり、少女は段差に足を取られ、その場で激しく転倒した。

「痛っ……」

 受け身も取れずに石畳の路上に打ち付けた膝に出来た擦り傷。そこから血が滲み、流れ、垂れ落ちる。体の痛みに――それだけでは無かったのかもしれないが――、ミーナはその場に座り込んだまま、しばらく誰も居ない通りを眺めていた。
 冷え切った石畳は少女の小さな体からどんどん熱を奪っていく。それは興奮状態にあった彼女に冷静さを取り戻させるのに大いに役立った。
 けれども、冷静になった所で疑問が解消されるわけではなかった。
 少女は痛みを堪えながら、エリーとジェフの、仲間の待つ宿へとゆっくり歩き出した。



「ただいま」

 転んだ際に汚れ、破けたメイド服に身を包んだミーナが宿の一室へと帰り戻った。

「おいミーナ! どうしたんだ!?」
「何か問題でもあったの? 大丈夫?」

 少女の帰りを待ちわびていた二人は心配そうに声を掛けたが、彼女の反応は薄かった。

「大丈夫、手紙は上手く渡せました。もう疲れたので休ませて頂きます」

 急に丁寧な言葉遣いをする彼女にジェフは首を傾げた。一方でエリーは、何かを悟ったのかのように一瞬視線を逸らすと、ミーナのもとに歩み寄った。

「ありがとう、感謝するわ」

 ベッドに腰掛ける少女の隣に座った娘は、彼女の怪我に気付く。そして、傷に手をかざすと目を閉じ、おもむろに念じた。手が薄っすらと輝き、陽光の様な暖かさを発すると、膝の擦り傷はみるみるうちに塞がり、何もなかったのかのような状態へと回復させた。
 だがミーナはいつもの様な明るさも無く、エリーに小さく会釈をするとそのままベッドへと潜り込んでしまった。

「おい、どうしたんだよ!」

 何も知らないジェフは声を掛けたが、エリーは睫毛を伏せたまま、ただ首を横に振るだけだった。

「私たちも休みましょう。明日は……長い一日になるわよ」
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