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第二章 異人であること
試合
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緊急事態を知らせる鐘が、ネグロフに鳴り響いた日の翌日。
僕らは、朝食後に謁見の間へと呼び出された。
これに関しては、その場の誰もが理由を予想できていただろう。
そう、緊急事態の内容についてだ。
結局、僕らは自室待機を命じられたままに事態を乗り越えてしまったけれども、実際は何が起こっていたのか分からない。
当然、クロム王は何かしらの説明が必要と判断したのだろう、今に至るというわけだ。
「結論から言おう。先日の出来事だが、同じく北境沿いに位置するルカルディ王国から、魔族襲来の国用伝書が届いた」
つまり、隣国に魔族が攻め入った、ということらしい。
「だが、いずれも満足に統率がとれておらず、火力部隊による制圧砲火によって散開。進路方向によっては、我が国の領土内に来る可能性もあったが、その前に追撃隊が殲滅を完了。・・・・・・これが、事の顛末である」
その後の説明でも、どうやら魔族側の規模自体も大したものではなく、斥候のようなものである可能性が高いそうだ。
ただ、そうであるならば後続の本隊がいる可能性も低くないと判断し、ルカルディ王国が緊急用の伝書鳩――みたいなものを、クロム王宛に送ったのだという。
幸い、大事には至らずに胸をなで下ろす結果になったが、あの時の反応を見る限りは、魔族というのは人々にとって恐怖の対象であることに違いはないようだった。
兵士の人達だって、僕らに厳戒態勢が解除されたことを知らせに来たとき、ほとんどが安堵の表情を浮かべていたように思う。
「だが、実はもう一つ諸君らに話がある」
と、クロム王は改まった様子で話を続けた。
「此度の出来事を受けて、というわけではないのだが。・・・・・・ここで一つ、諸君ら同士で腕試しのようなものをしてもらいたい」
返る言葉はない。
それもそのはず。僕らは、完全に唖然としているからだ。
腕試し?
それって、あの漫画とかでよくある試合形式みたいな?
「だが、勘違いをしないで欲しい。ネグロフでの生活も慣れてきた頃であろう。この期間で、どれほどの実力がついたのか。それを確認する意味合いが強い。それぞれ得手不得手があることは重々承知しておる。しかし、今回の件で、諸君らもいかに危険が身近なものであるかを、少しは肌で感じてもらえたことだろう」
いずれにせよ、異人には魔族との戦いが求められている。
戦力の確認は、国としても王としても当然のことなのだろう。
クロム王の言い分は筋が通っており、そのせいか、僕らの誰もが反対の声を上げることはなかった。
正直、僕自身はこの上なく気が重たかったけど。
「急ぎ足ですまぬが、謁見の後、すぐに開始したい。事前に準備は命じておいた。なに、手間はとらせぬ。異人の諸君、構わぬな?」
問いに、クラスメイト達は何度か互いの顔を見合わせるが、最終的には沈黙が肯定の意を示していた。
「安心めされよ。腕試しといえど、組打ちと魔法の試し撃ちである。あくまで個々の能力を把握する目的に過ぎぬ」
それでも、僕らの不安を察したのだろう。
王の側近か護衛らしき兵士が、それを払拭するようにそうつけ加えた。
そうして、僕らは誘導されるがまま、あれよあれよと気づけばいつもの訓練場にいるのであった。
そもそもが人の集まる場所ということもあるが、今回はいつも以上に人口密度が多く感じる。おそらくはクロム王が同席しているからだとは思うのだけど。
当然、ターナや皆の世話役も遠巻きにではあるが集結しており、実際の空気は実に物々しい。
「では、組打ちと魔法に分かれてもらいたい。これは、自分が得意だと思うもので構わない。魔族と実戦を交える際、戦士として戦うか、魔術師として戦うか。・・・・・・無論、中には戦闘ではない分野で活躍する者もいるだろう。そういう者は、この場で申し出て頂きたい」
なるほど。確かに、中には武力ではなく別の形で、人類の勝利に貢献する人間もいるはずだ。
まぁ、僕はまかり間違ってもあり得ないから、既にその内容は脳内を素通りしてしまい、頭の中は組打ちの相手が誰になるか、でいっぱいだった。
近接組と魔法組で分かれた後は、それぞれ別の場所で腕試しを行うようだ。
僕を含めた近接組は、訓練場施設内での組打ち。
対して魔法組は、屋外での試し撃ち。
さすがに魔法は、高威力の場合、影響範囲が広域に及ぶ可能性があるので、閉鎖空間での使用は禁じられているそうな。
おまけに、ネグロフ王国の魔術師みたいな人達と、座学で教鞭をとっていた先生が直接監督を行うとのこと。
「では、こちらはこちらで始めるとしよう」
といったところで、一通りの説明が終わり、問題の腕試しが始まろうとしていた。
ルールは実に単純明快。
二人一組で組打ちを行い、反撃不能か武器を手放した時点で終了。
反撃不能の判断基準は、実戦経験のある審判役が独自判断する。
当然ながら、反撃不能者への追撃や一撃で絶命の危険がある攻撃は、原則として禁止。
・・・・・・要は普段の訓練でやっている通りにやれ、ということなのだが。
(はぁ・・・・・・気が重い。不安しかない)
僕自身の実力も問題があるが、何よりもクラスメイトと組打ちをする、ということに気乗りがしなかった。
正直、僕はクラスで仲の良い人はいない。
けど、小学校や中学校と違い、イジメを受けているわけではなかった。
皆に恨みがあるわけでもないし、遠慮なく組打ちができるほど親しくもない。
まさか、こういう形で孤立が自分の首を絞めてくるとは・・・・・・。
「組み合わせは、事前に無作為の上で実施させてもらっている。では、名前を呼ばれた者は中央に出てくるように――」
いよいよ始まった。始まってしまった。
神様、どうかお願いします。強すぎる人とは当たりませんように。
「――轟大貴」
僕は祈った。
今までは、お盆とお正月くらいしかしない神頼みを、まさか異世界でやることになろうとは。
けど――。
「――朝倉祐介」
――世界が違うので、当然ながら神様に届くわけもなく。
僕は、沸き上がるどよめきの中、呆然としながらも、自分の名前が呼ばれた事実だけははっきりと理解していた。
「うわ・・・・・・あいつ、大丈夫かよ」
「よりによって轟と当たるなんてなぁ・・・・・・」
「朝倉だろ? 俺よく知らないけどさ、勝てる風には見えないぜ」
「・・・・・・ヤバくない? 死んじゃうんじゃない?」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ」
クラスメイト達のひそひそ声を一身に受けながら、僕は遅れて舞台に上がる。
毎日のように通っているはずの訓練場も、こうなると踏み固められた地面さえ凶器に見えてくる。
訓練用ではあるが重しのついていない革鎧と、いつもの木刀が手渡され、僕は震える手で準備を整えた。
(なんで・・・・・・)
言いたくもなる。
なんせ、相手はあの轟君だ。
僕自身、話したことなんて記憶にないくらい、住む世界の違う人。
そう、クラス一というか・・・・・・校内でも有名な不良その人なのだから。
「では、両者準備は整ったな。繰り返すが、手を抜く必要はない。しかし、相手を死に至らしめる行為は禁止だ。それに近しい行いも禁ずる」
「・・・・・・」
明らかに、再度注意喚起を促す審判役の視線は、僕ではなく轟君へ向いている。
・・・・・・冗談抜きで、泣きそうだった。
絶対強い。だって今のって、「間違っても殺すなよ」っていう、轟君への念押しでしょ?
これが、不安を煽らないわけがない。
「それでは、両者構え――――」
手も、足も・・・・・・満足に動かないまま、僕はなんとか中段に構える。
「――――始め!」
勝敗は一瞬で決すると思っていた。
けど、僕は及び腰のまま。
轟君は、そもそも構えもしないまま、その鋭い視線だけが僕を射貫いている。
ごくり、と緊張から喉を鳴らす音さえ聞こえてきそうな、張り詰めた空気。
その中、低い声が僕へと投げられた。
「おい」
「・・・・・・え? な、なに・・・・・・」
「やる気あんのか?」
しゃんと構えろ、と轟君は吐き捨てるように言う。
「じゃねぇと、殺る気がなくても勝手に死んじまうだろうが」
轟君の足下で、砂煙があがった。
そう思った次の瞬間には、踏み込みと下段の姿勢が視界に映る。
危機を察知する余裕さえない。
一足。たった一足だ。
目測でなくとも、明らかに四足以上はあったその距離は、彼にとって既に必殺の域だったのだ。
「っ!」
飛び退く時間はない。
体重移動は、迫る剣閃と比べれば蠅が止まるほどに遅い。
受ける。完全に先手を打たれた僕には、選択肢さえなかった。
風が抜ける。
生まれて初めて剣圧というものを感じたかもしれない。
響く音は変わらず乾いたものだが、伝わる衝撃は腕を通じて全身に行き渡る。
・・・・・・その一合は、まさに刹那の攻防。
なんとか反応できた自分にも驚いたが、ただ運が良かっただけともいえる。
だって、今の動きはまるで・・・・・・もう、漫画やアニメの世界そのものだったから。
(こ、こんな・・・・・・こんなの・・・・・・っ)
勝てるわけない。
僕の努力なんて、それこそ底辺の足掻きでしかなかったのではないか。
圧倒的な力量差。
絶望的なまでの性能差。
所詮、凡人は凡人でしかないと、何よりも現実が痛烈に訴えかけてくる。
「・・・・・・おい、止めねぇのか」
衝撃を殺しきれず、数歩分あとずさる僕から視線を切ると、轟君は審判役へと抗議の視線を送った。
悔しいけど、これは止めてくれた方がありがたかった。
なのに、現実は今日に限って悉く僕を裏切っていく。
反応は、無言。その静寂が、続けろ、と意味していた。
「ちっ・・・・・・俺は確認したからな」
だから、どうなってもお前らの責任だ、と。
そう言葉が続くように、僕には思えた。
この時点で、僕はほぼパニック状態だった。
どうしたらいい。どうすることもできない。何か考えろ。
――けど、考えたところで奇跡が都合良く降ってくるわけではない。
僕は弱い。皆と比べて、それこそどうしようもないほど。
だからだろう。
この時、僕は一つの答えを得た。
――鈍い音が一つ。それは、地面を蹴り上げる音と踏み込む音。
どんなに訓練を積んだって、それは訓練の域を出ることはない。
きっと、魔族に襲われる人々は、今の僕みたいな心境なのかもしれない。
――二つの動作に、一つの音。理性ではなく本能が、瞬きほどの恐れを嘆く。
明確な死。想定ではなく必然として肉薄する運命に、努力などという付け焼き刃が通じるわけがない。
詰る所、敵わない。ただ、それだけのことだった。
「ひっ!?」
振り下ろされる閃きに、視界を失う。
何が起こったか、その一瞬では掴めなかった。
僕は怯えるままに尻餅をついていて・・・・・・。
目の前には、地面を割る木刀の切っ先があった。
「――そこまで!」
終わりの声が、ようやくあがる。
けど、それさえ僕には満足に届いていなかった。
「・・・・・・くだらねぇ」
轟君は木刀をその場に投げ捨てると、周囲の制止も意に介することなく、訓練場から離れていく。
その背中を見送りながら、僕はようやく自分の動悸に気がついた。
まるで耳の奥に心臓があるのではないか、というくらい強く脈打っているそれは、つい先ほどの死の予感を想起させる。
両手どころか、両脚さえ震えて力が入らない。
日本という国で、安全の中で生きてきた僕は、その時初めて「死ぬ」という感覚に襲われた。
本能で体が動くなんてこともなく、恐れのあまりに腰を抜かしたおかげで、助かったというわけでもないだろう。
当たり前かもしれないが、満足に声を上げることさえ叶わなかった。
・・・・・・それは、僕にとってあまりにも大きな壁との対峙であり、心を折るには過剰なほどの結末だった。
(あぁ・・・・・・僕って・・・・・・)
なんて、情けないんだろう。
仮にどれだけ技術を磨いたって、これじゃあ意味がないじゃないか。
――そう。僕が落胆したのは、その心の脆さ。
強くなった気がしただけで、その根っこはただの高校生でしかない。
未だ戦士としてのスタート地点にさえ遠く及ばない自分自身に、僕は打ちのめされていた。
僕らは、朝食後に謁見の間へと呼び出された。
これに関しては、その場の誰もが理由を予想できていただろう。
そう、緊急事態の内容についてだ。
結局、僕らは自室待機を命じられたままに事態を乗り越えてしまったけれども、実際は何が起こっていたのか分からない。
当然、クロム王は何かしらの説明が必要と判断したのだろう、今に至るというわけだ。
「結論から言おう。先日の出来事だが、同じく北境沿いに位置するルカルディ王国から、魔族襲来の国用伝書が届いた」
つまり、隣国に魔族が攻め入った、ということらしい。
「だが、いずれも満足に統率がとれておらず、火力部隊による制圧砲火によって散開。進路方向によっては、我が国の領土内に来る可能性もあったが、その前に追撃隊が殲滅を完了。・・・・・・これが、事の顛末である」
その後の説明でも、どうやら魔族側の規模自体も大したものではなく、斥候のようなものである可能性が高いそうだ。
ただ、そうであるならば後続の本隊がいる可能性も低くないと判断し、ルカルディ王国が緊急用の伝書鳩――みたいなものを、クロム王宛に送ったのだという。
幸い、大事には至らずに胸をなで下ろす結果になったが、あの時の反応を見る限りは、魔族というのは人々にとって恐怖の対象であることに違いはないようだった。
兵士の人達だって、僕らに厳戒態勢が解除されたことを知らせに来たとき、ほとんどが安堵の表情を浮かべていたように思う。
「だが、実はもう一つ諸君らに話がある」
と、クロム王は改まった様子で話を続けた。
「此度の出来事を受けて、というわけではないのだが。・・・・・・ここで一つ、諸君ら同士で腕試しのようなものをしてもらいたい」
返る言葉はない。
それもそのはず。僕らは、完全に唖然としているからだ。
腕試し?
それって、あの漫画とかでよくある試合形式みたいな?
「だが、勘違いをしないで欲しい。ネグロフでの生活も慣れてきた頃であろう。この期間で、どれほどの実力がついたのか。それを確認する意味合いが強い。それぞれ得手不得手があることは重々承知しておる。しかし、今回の件で、諸君らもいかに危険が身近なものであるかを、少しは肌で感じてもらえたことだろう」
いずれにせよ、異人には魔族との戦いが求められている。
戦力の確認は、国としても王としても当然のことなのだろう。
クロム王の言い分は筋が通っており、そのせいか、僕らの誰もが反対の声を上げることはなかった。
正直、僕自身はこの上なく気が重たかったけど。
「急ぎ足ですまぬが、謁見の後、すぐに開始したい。事前に準備は命じておいた。なに、手間はとらせぬ。異人の諸君、構わぬな?」
問いに、クラスメイト達は何度か互いの顔を見合わせるが、最終的には沈黙が肯定の意を示していた。
「安心めされよ。腕試しといえど、組打ちと魔法の試し撃ちである。あくまで個々の能力を把握する目的に過ぎぬ」
それでも、僕らの不安を察したのだろう。
王の側近か護衛らしき兵士が、それを払拭するようにそうつけ加えた。
そうして、僕らは誘導されるがまま、あれよあれよと気づけばいつもの訓練場にいるのであった。
そもそもが人の集まる場所ということもあるが、今回はいつも以上に人口密度が多く感じる。おそらくはクロム王が同席しているからだとは思うのだけど。
当然、ターナや皆の世話役も遠巻きにではあるが集結しており、実際の空気は実に物々しい。
「では、組打ちと魔法に分かれてもらいたい。これは、自分が得意だと思うもので構わない。魔族と実戦を交える際、戦士として戦うか、魔術師として戦うか。・・・・・・無論、中には戦闘ではない分野で活躍する者もいるだろう。そういう者は、この場で申し出て頂きたい」
なるほど。確かに、中には武力ではなく別の形で、人類の勝利に貢献する人間もいるはずだ。
まぁ、僕はまかり間違ってもあり得ないから、既にその内容は脳内を素通りしてしまい、頭の中は組打ちの相手が誰になるか、でいっぱいだった。
近接組と魔法組で分かれた後は、それぞれ別の場所で腕試しを行うようだ。
僕を含めた近接組は、訓練場施設内での組打ち。
対して魔法組は、屋外での試し撃ち。
さすがに魔法は、高威力の場合、影響範囲が広域に及ぶ可能性があるので、閉鎖空間での使用は禁じられているそうな。
おまけに、ネグロフ王国の魔術師みたいな人達と、座学で教鞭をとっていた先生が直接監督を行うとのこと。
「では、こちらはこちらで始めるとしよう」
といったところで、一通りの説明が終わり、問題の腕試しが始まろうとしていた。
ルールは実に単純明快。
二人一組で組打ちを行い、反撃不能か武器を手放した時点で終了。
反撃不能の判断基準は、実戦経験のある審判役が独自判断する。
当然ながら、反撃不能者への追撃や一撃で絶命の危険がある攻撃は、原則として禁止。
・・・・・・要は普段の訓練でやっている通りにやれ、ということなのだが。
(はぁ・・・・・・気が重い。不安しかない)
僕自身の実力も問題があるが、何よりもクラスメイトと組打ちをする、ということに気乗りがしなかった。
正直、僕はクラスで仲の良い人はいない。
けど、小学校や中学校と違い、イジメを受けているわけではなかった。
皆に恨みがあるわけでもないし、遠慮なく組打ちができるほど親しくもない。
まさか、こういう形で孤立が自分の首を絞めてくるとは・・・・・・。
「組み合わせは、事前に無作為の上で実施させてもらっている。では、名前を呼ばれた者は中央に出てくるように――」
いよいよ始まった。始まってしまった。
神様、どうかお願いします。強すぎる人とは当たりませんように。
「――轟大貴」
僕は祈った。
今までは、お盆とお正月くらいしかしない神頼みを、まさか異世界でやることになろうとは。
けど――。
「――朝倉祐介」
――世界が違うので、当然ながら神様に届くわけもなく。
僕は、沸き上がるどよめきの中、呆然としながらも、自分の名前が呼ばれた事実だけははっきりと理解していた。
「うわ・・・・・・あいつ、大丈夫かよ」
「よりによって轟と当たるなんてなぁ・・・・・・」
「朝倉だろ? 俺よく知らないけどさ、勝てる風には見えないぜ」
「・・・・・・ヤバくない? 死んじゃうんじゃない?」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ」
クラスメイト達のひそひそ声を一身に受けながら、僕は遅れて舞台に上がる。
毎日のように通っているはずの訓練場も、こうなると踏み固められた地面さえ凶器に見えてくる。
訓練用ではあるが重しのついていない革鎧と、いつもの木刀が手渡され、僕は震える手で準備を整えた。
(なんで・・・・・・)
言いたくもなる。
なんせ、相手はあの轟君だ。
僕自身、話したことなんて記憶にないくらい、住む世界の違う人。
そう、クラス一というか・・・・・・校内でも有名な不良その人なのだから。
「では、両者準備は整ったな。繰り返すが、手を抜く必要はない。しかし、相手を死に至らしめる行為は禁止だ。それに近しい行いも禁ずる」
「・・・・・・」
明らかに、再度注意喚起を促す審判役の視線は、僕ではなく轟君へ向いている。
・・・・・・冗談抜きで、泣きそうだった。
絶対強い。だって今のって、「間違っても殺すなよ」っていう、轟君への念押しでしょ?
これが、不安を煽らないわけがない。
「それでは、両者構え――――」
手も、足も・・・・・・満足に動かないまま、僕はなんとか中段に構える。
「――――始め!」
勝敗は一瞬で決すると思っていた。
けど、僕は及び腰のまま。
轟君は、そもそも構えもしないまま、その鋭い視線だけが僕を射貫いている。
ごくり、と緊張から喉を鳴らす音さえ聞こえてきそうな、張り詰めた空気。
その中、低い声が僕へと投げられた。
「おい」
「・・・・・・え? な、なに・・・・・・」
「やる気あんのか?」
しゃんと構えろ、と轟君は吐き捨てるように言う。
「じゃねぇと、殺る気がなくても勝手に死んじまうだろうが」
轟君の足下で、砂煙があがった。
そう思った次の瞬間には、踏み込みと下段の姿勢が視界に映る。
危機を察知する余裕さえない。
一足。たった一足だ。
目測でなくとも、明らかに四足以上はあったその距離は、彼にとって既に必殺の域だったのだ。
「っ!」
飛び退く時間はない。
体重移動は、迫る剣閃と比べれば蠅が止まるほどに遅い。
受ける。完全に先手を打たれた僕には、選択肢さえなかった。
風が抜ける。
生まれて初めて剣圧というものを感じたかもしれない。
響く音は変わらず乾いたものだが、伝わる衝撃は腕を通じて全身に行き渡る。
・・・・・・その一合は、まさに刹那の攻防。
なんとか反応できた自分にも驚いたが、ただ運が良かっただけともいえる。
だって、今の動きはまるで・・・・・・もう、漫画やアニメの世界そのものだったから。
(こ、こんな・・・・・・こんなの・・・・・・っ)
勝てるわけない。
僕の努力なんて、それこそ底辺の足掻きでしかなかったのではないか。
圧倒的な力量差。
絶望的なまでの性能差。
所詮、凡人は凡人でしかないと、何よりも現実が痛烈に訴えかけてくる。
「・・・・・・おい、止めねぇのか」
衝撃を殺しきれず、数歩分あとずさる僕から視線を切ると、轟君は審判役へと抗議の視線を送った。
悔しいけど、これは止めてくれた方がありがたかった。
なのに、現実は今日に限って悉く僕を裏切っていく。
反応は、無言。その静寂が、続けろ、と意味していた。
「ちっ・・・・・・俺は確認したからな」
だから、どうなってもお前らの責任だ、と。
そう言葉が続くように、僕には思えた。
この時点で、僕はほぼパニック状態だった。
どうしたらいい。どうすることもできない。何か考えろ。
――けど、考えたところで奇跡が都合良く降ってくるわけではない。
僕は弱い。皆と比べて、それこそどうしようもないほど。
だからだろう。
この時、僕は一つの答えを得た。
――鈍い音が一つ。それは、地面を蹴り上げる音と踏み込む音。
どんなに訓練を積んだって、それは訓練の域を出ることはない。
きっと、魔族に襲われる人々は、今の僕みたいな心境なのかもしれない。
――二つの動作に、一つの音。理性ではなく本能が、瞬きほどの恐れを嘆く。
明確な死。想定ではなく必然として肉薄する運命に、努力などという付け焼き刃が通じるわけがない。
詰る所、敵わない。ただ、それだけのことだった。
「ひっ!?」
振り下ろされる閃きに、視界を失う。
何が起こったか、その一瞬では掴めなかった。
僕は怯えるままに尻餅をついていて・・・・・・。
目の前には、地面を割る木刀の切っ先があった。
「――そこまで!」
終わりの声が、ようやくあがる。
けど、それさえ僕には満足に届いていなかった。
「・・・・・・くだらねぇ」
轟君は木刀をその場に投げ捨てると、周囲の制止も意に介することなく、訓練場から離れていく。
その背中を見送りながら、僕はようやく自分の動悸に気がついた。
まるで耳の奥に心臓があるのではないか、というくらい強く脈打っているそれは、つい先ほどの死の予感を想起させる。
両手どころか、両脚さえ震えて力が入らない。
日本という国で、安全の中で生きてきた僕は、その時初めて「死ぬ」という感覚に襲われた。
本能で体が動くなんてこともなく、恐れのあまりに腰を抜かしたおかげで、助かったというわけでもないだろう。
当たり前かもしれないが、満足に声を上げることさえ叶わなかった。
・・・・・・それは、僕にとってあまりにも大きな壁との対峙であり、心を折るには過剰なほどの結末だった。
(あぁ・・・・・・僕って・・・・・・)
なんて、情けないんだろう。
仮にどれだけ技術を磨いたって、これじゃあ意味がないじゃないか。
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タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
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