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第五章 ヒノボリの神隠し
神隠し
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それは、僕らがワクナさんのお母さんに会ってから、更に数日後。
ヒノボリに滞在して二週間程の朝だった。
稽古の量を増やしたせいか、その日も僕はターナに起こされて、ようやく目を覚ました。
枕元でターナの声がすると、まどろみの中にあっても数秒の内に覚醒する。
しかも、決まってターナは座ったまま僕を見下ろしているし、僕が飛び起きると、少しだけ残念そうな顔をするのだ。
いや本当に、女の子に免疫のない僕にとっては効果覿面なのである。
その内慣れると思っていたけど、今のところその兆しがないのはどういうことなのだろう。
もっと頑張れ、僕。
「お、おはよう、ターナ」
「はい。おはようございます、ユウスケ様」
よく眠っていらっしゃいました、とターナが微笑む。
「ごめん、いつも起こしてもらってばかりで・・・・・・」
「いいえ、そんなことはございません。私にとって、これも嬉しい日課ですので」
鈴を転がすような声で、なんてことを言うのだろうか。
寝起きだというのに、朝っぱらから動悸がするのはよろしくない。
手早く寝具を部屋の隅に片付けると、そのタイミングでクロッキアさんが部屋に入って来た。
「あ、おはようございます、クロッキアさん」
「あぁ、おはよう、ユウスケ。相変わらず早いな、君達は」
確かに、いつも起こしてもらう時間は早朝。だいたい六時前くらいだ。
とはいえ、それを言ったらクロッキアさんなんて、いつ寝ているのか分からないくらいだった。
ネグロフからずっと一緒にいるけど、思えば寝ているところを見たことがない・・・・・・。
身体を休めるとは言うけど、大抵は壁に背を預けているだけだし、目を閉じていても起きていることばかりだし。
「クロッキアさんって、いつ寝ているんですか?」
そうなれば当然、疑問は言葉となって出てくる。
「いや、私は眠らない」
「・・・・・・えっ」
「正確には、眠れない、だな」
なんてこともないように、クロッキアさんはさっぱりとした口調で言い切った。
とはいえ、僕とターナは初めて聞いた新事実に硬直している。
そんな僕らの視線と沈黙が、珍しく耐えかねたのか、クロッキアさんはやれやれ、といった風に続けてくれた。
「人狼は眠れない。その血脈に魔を宿す影響で、眠りにつこうとするとうなされる。それが一ヶ月、一年と続けば、自然と身体は睡眠を忘れていく」
「ふ、負担にはならないんですか?」
僕が心配そうに聞くと、間髪入れずに「問題ない」と返ってきた。
「話すと長くなる。簡潔に言えば、百獣の先祖は魔狼だ。彼らは眠りを必要としない上、本来は夜に属する存在。月の満ち欠けに影響を受けるのも、その名残だな」
「・・・・・・まろう」
ぼんやりとした口調で、僕は繰り返した。
この手の話は、本格的なファンタジーなので、中々頭が追いつかない部分がある。
けど、クロッキアさんが無理をしていないなら、僕はそれでよかった。
それを伝えると、クロッキアさんはきょとんとした表情を一瞬浮かべ、気づいたらその大きな手が僕の頭を不器用に撫でていた。
「ありがとう」
「い、いえ」
なんだろう。
すごく、懐かしい感じがした。
こう・・・・・・お父さんに撫でられているみたいな、そんな気分になった。
「僕、顔洗ってきますね」
そう言い、僕は宿泊している部屋を後にする。
板張りの廊下を歩く僕の後ろには、編み籠を手にしたターナがそっとついてきていた。
ここ満腹堂は、常に女将さんの目もある上、ヒノボリの異人である池谷さん、立木さんが毎日入り浸っていることもあり、ある程度自由に移動していられる。
一階にある水場へ行くと、もうお互いに手慣れたやり取りで洗顔と歯磨きを終えた。
僕一人でも出来るのだけど、ターナは自分の仕事がなくなってしまうのは困ると言うので、有難くお世話になっているのだった。
「荷物を置いて来ますね」
「うん」
そう言い、僕は食堂へ、ターナは一度部屋へと戻っていく。
無人の受付を通り過ぎ、今日は完全に無人となっている食堂の一角に腰を落ち着ける。
外は明るいが、それでもまだ朝の六時頃。
この時間帯は満腹堂も、ヒノボリの都もほとんど人気がない。
ネグロフでも、城内がガヤガヤと騒がしくなるのは決まって八時頃だったかな。
この異世界は当然ながら、コンビニなんかがあるような世界ではない。
その為、二十四時間営業しているお店は酒場くらいだし、それでもほとんどは閉店時間があるところばかりらしい。
僕が元いた世界みたいに、時間間隔がタイトではないのか、基本的には緩やかな流れが主流。
明るくなると起きて、暗くなると帰って寝る。
日時計があるとはいえ、大部分の人々は太陽や月の位置でなんとなーく時刻を把握しているのだから、当然と言えば当然かもしれない。
そうこうしていると、ターナがクロッキアさんと一緒に降りてくるのが、視界の端に映った。
「あ、今日は誰もいませんね」
「珍しく、宿泊客が少ない日だったのかもしれないな」
確かに、そうなのかもしれない。
いつもだと、一人二人は寝起きっぽい人や、酔いつぶれたのか座敷で横たわっている人がいるのに。
ターナが僕の隣に、クロッキアさんが向かいに座る。
僕は、この静かな朝の時間が好きだった。
他愛もない話をしたり、僕とクロッキアさんとで剣術の話をしたり、次に向かう南部の話をしたり。
なんてことはないのだけれど、感覚として、それは掛け替えのない時間に感じるのだ。
今日も、いつも通り三人で会話をしていると、女将さんが店の奥から姿を現した。
「三人とも、おはよう」
この時間に僕らが起きているのも慣れた光景なのだろう。
変わらない挨拶を交わし、女将さんは店前の掃除から始めていく。
思うけど、この女将さんもすごい働き者だ。
朝から晩まで動きが変わらないというか、疲れたところを見たことがない。
あのクロッキアさんをして、「生命力に溢れている」と言わしめた人物として、僕の中ではある意味最強なのでは、という説さえ浮上するほどだ。
女将さんが掃除を終える頃には、他の従業員らしき人達や宿泊客らしき人がちらほらと見え始め、その内に池谷さんと立木さんが元気な様子で満腹堂にやってくる。
もう何日と過ごした、穏やかな日々。
それに異変が起こったのは、さぁ店が賑やかになるぞ、というまさしく八時頃だった。
「あれ、女将さん?」
僕は、珍しくきょろきょろと店の奥と軒先を行き来する女将さんに、違和感を覚えた。
人の往来の増えた大通りを、落ち着かない様子で・・・・・・まるで、人捜しでもするみたいに見回す女将さん。
それを、戻って来る途中で僕は呼び止めた。
「女将さん、どうかしたんですか?」
「いや、それがねぇ・・・・・・ワクナちゃんが来ないのよ」
え、ワクナさんが?
僕ら三人にヒノボリの異人二人を加えた、計五人は各々顔を見合わせ、自分達も見ていないと答える。
そうだ。
普段なら、もう忙しなく店を歩き回っていてもおかしくないのに。
「何かあったのでしょうか?」
ターナが不安げにそう言った。
とはいえ、唯一外から来た池谷さんと立木さんも、騒ぎらしいものは起こってない、と首を傾げる。
「困ったねぇ。店自体はいいけど、あたしゃ心配でしょうがないよ」
女将さんの心境も、もっともだった。
ワクナさんもそうだし、何より闘病中のお母さんのこともある。
何かあっては一大事だ。
そこで、僕が様子を見に行きましょうか、と言おうとしているその時だった。
「はぁ・・・・・・はぁ、はぁ・・・・・・」
肩で息をしながら、ワクナさんが満腹堂に飛び込んで来たのは。
「ワ、ワクナちゃん、どうしたんだい!」
すぐに気がついた女将さんが、大きな声をあげながら駆け寄る。
すると、その女将さんに掴みかかるような勢いで身を乗り出したワクナさんは、その震える口元を精一杯動かして、なんとか言葉を絞り出した。
「お、お母さん・・・・・・お母さん、ここに来ていませんかっ」
「え、えぇ? ワクナちゃんのお母さんだろう? いくら近いからって、一人で出歩ける体じゃないだろう」
「そうです、そうなんです、女将さん。なのに・・・・・・なのに、お母さん、朝起きたら、いないんですっ」
ワクナさんの顔は、一切の血の気がないってくらい蒼白だった。
僕らが座っている座敷からでも、そのやり取りは聞こえていた。
誰よりも素早く反応したのは、他でもないヒノボリの異人二人。
「ワクナちゃん、どこまで捜したか教えてくれるかい?」
池谷さんの質問は、単刀直入かつ的確だった。
遅れてきた理由は、きっと姿を消したお母さんを捜していたから。
「い、家の周辺は、だいたい。近所の人にも聞いたけど、誰も見てないって・・・・・・」
どうしよう、とそこでワクナさんは膝から崩れ落ちてしまう。
それを女将さんが慌てて支えた。
「分かった。じゃあ、仮にお母さんが歩けたとしよう。行きそうな場所は分かるかい?」
あくまで冷静な口調で、パニック寸前か、もうパニック同然なワクナさんを落ち着かせるように話しかける。
「もう、何年も一人で外に出たことなんて・・・・・・」
「大丈夫、俺と隆也も手伝う。だから、なんでもいい。手がかりが欲しいんだ」
池谷さんは同じく膝を折り、目線を同じくしてワクナさんに問いかける。
青ざめたまま数秒の沈黙の後、ワクナさんは震える瞳を池谷さんへ向けた。
「都の北東に、公園がありますよね」
「あぁ、あるね」
「お父さんとの思い出の場所だって、聞いたことはあります」
「よし。他には、そういった場所は? 思いつく限りでいいから」
「他は・・・・・・都の外で、一緒に馬に乗ったとか・・・・・・それくらいしか・・・・・・」
「分かった。隆也、とりあえず北東の公園付近を捜そう。あと、皇宮にも応援を。この時間帯だ、どうせ暇してる連中はいるだろうし」
立木さんは頷くと、一足先に外へと駆けだして行く。
「ワクナちゃん、心配はいらない。これから俺と隆也も捜しに出る。いいね?」
「・・・・・・は、はい」
そこで、女将さんに「ワクナちゃんをよろしく頼むよ」とだけ言い残すと、池谷さんも満腹堂を後にした。
当然、見知った仲の僕らも既に駆け寄っていて、ターナは茫然自失状態のワクナさんの傍についている。
「な、なんだってこんなことに・・・・・・」
さすがの女将さんも、これにはかなり困惑している様子だ。
「クロッキアさん、僕らも捜しましょう」
「・・・・・・ふむ」
が、予想外にもクロッキアさんから返ってきた返事は、あまり乗り気でない。
「ク、クロッキアさん・・・・・・?」
「・・・・・・クロッキア様」
僕とターナが戸惑うように名前を呼ぶ。
数秒押し黙った後、クロッキアさんは頷いた。
「捜そう」
は、はぁ・・・・・・よかった。
「とはいえ、都は広い。どこから手をつけるか」
「ワクナさん、他にお母さんが行きそうな場所、思い出せませんか?」
ターナが聞くと、ワクナさんは頭を激しく左右に振った。
「分からない! だってお母さん、外を出歩ける体じゃないもの! そんなの・・・・・・そんなのっ」
私の方が聞きたい、と切羽詰まったように口にする。
無理もない。
あれだけ大切にしていたお母さんだ。
外出なんて到底出来ないような体なのに、姿を消したとなれば、パニックにもなる。
遠く、店のどこかから、声が聞こえてきた。
「・・・・・・また、神隠しか」
「しばらく聞かないと思っていたら・・・・・・かわいそうに、たしか獣憑きの仕業なんだろう?」
「知らんよ。だが、消えた者は誰一人戻っては来ていない」
「・・・・・・きっと、あの子の母親も・・・・・・」
瞬間、ワクナさんは弾けるような勢いで店を飛び出していく。
「ワクナちゃん!」
それを、女将さんが止めようとするも、鬼気迫るような背中はあっという間に人混みの中へと消えてしまった。
「少し、調べたいところがある。ユウスケ、ターナ、君達は街中を調べてくれるか」
「は、はい。でもクロッキアさんはどこへ行くんですか?」
「寺院だ。だが、決してあそこには近づくな。それと、人気の無い建物や場所にも。・・・・・・いいな?」
念を押すような勢いに気圧され、僕とターナはぎこちない動きで頷く。
それを確認すると、クロッキアさんもまた、もの凄い速度で人の合間を縫うように姿を消してしまった。
「ユウスケ様」
「うん、僕たちも行こう。とりあえず、ここでじっとしているよりは、力になれるはずだから」
女将さんから「気をつけるんだよ」と言葉を受け取り、ターナと一緒に街中へと走り出した。
もちろん、僕らもあてがあるわけじゃないけど、きっとワクナさんも同じはずだ。
あの様子だと、いても立ってもいられず飛び出した感じだから、どちらかというと目的はワクナさんを捜す方にシフトするべきなのかもしれない。
「ワクナさん、心配ですね」
僕と同じ考えなのか、大通りを抜けた先でターナがそう呟いた。
「うん。ワクナさんのお母さんもそうだけど、ワクナさんを捜した方がいいかも。闇雲に捜しても、クロッキアさんの言うとおり広すぎるし」
最悪、他のトラブルに巻き込まれるとも限らない。
なんにせよ僕らが傍にいた方がいいのは、考えるまでもなかった。
僕とターナは、二人で都を走り回る。
途中、警備の任にあたっている兵士の人に聞き込みをしてみるも、収穫というほどの情報はなく。
大通りから外れてしまえば、ごった返すほどの人混みはないものの、やはり広すぎるためかワクナさんとは一向に合流できずにいた。
「ターナ、この先って一度行ったっけ?」
「えっと・・・・・・はい、その先は西門付近ですので、一度行きました」
「じゃあ、こっちはー・・・・・・あれ、こっちって寺院の方だよね?」
「はい、そうですね。確か、クロッキア様から近づかないようにと、強く言われています」
うーん、理由は分からないけど、わざわざクロッキアさんが念押しするようなことを、無視したくはない。
「でもワクナさん、ほんとどこ行っちゃったんだろ・・・・・・」
僕らと同じで、がむしゃらに捜しているとは思うのだけど、それ故にそう都合良く出くわすこともなかった。
何の成果もなく時間だけが過ぎていく。
もしかしたら、落ち着いて満腹堂に戻っているかも、とターナと相談した上で一旦お店に戻ろうとしていた時だった――。
「・・・・・・あれ?」
――隣を歩いていたターナが、小さく声をあげた。
「どうしたの、ターナ」
「あの後ろ姿・・・・・・ワクナさんじゃありませんか?」
「えっ・・・・・・どこどこ?」
自信なさげではあるが、ターナは一つの方角を指差す。
その先には、人の合間へと消えかかる女性の姿があった。
一瞬ではあったけど、長髪だったようにも思う。
「追いかけてみよう」
「はい」
とにかく、このままでは見失ってしまう。
ワクナさんの手がかりがあるわけでもない僕らは、まるでその後ろ姿に誘われるようにして、その後を追った。
大通りから外れてはいるが、人通りは十分にある。
中々距離を縮めることができないその後ろ姿は、さすがに捉え続けているとワクナさんのものだということは分かった。
「ワクナさん!」
二人で名前を呼ぶものの、反応はない。
周囲の人も振り返るものの、気づく頃にはワクナさんは次の人影へと消えてしまう。
そうして、僕らが辿り着いたのは、見覚えのある場所だった。
「・・・・・・ここって」
今さっき、ワクナさんが入っていた建物は、住宅街に佇む一軒。
そう、ワクナさん本人の自宅だ。
「もしかしたら、何か手がかりがあるかもと戻ったのかもしれません」
「そうだね。とりあえず僕らも入って、ワクナさんに落ち着いてもらおう」
また、あんな風にどこかへ飛び出して行っても危ないし、それこそ見失ったまま夜になっても戻ってこない、とかになったら大変だ。
半開きになった扉に手をかけ、薄暗い室内へ声を掛ける。
「ワクナさーん! 僕です、祐介です! 入りますよー!」
「お邪魔しますね、ワクナさん!」
緊急事態とはいえ、家主であろうワクナさんに聞こえるよう入る意志を伝えた上で、ワクナさん宅へと足を踏み入れる。
屋内は以前来たときと変わらず、綺麗なままだ。
ただ、耳を澄ませてみると、どこからかがさごそと物音がしている。
やっぱり、何か手がかりを探して家に戻ったみたい。
ターナと顔を見合わせ頷き合い、家の奥へと歩いて行く。
音がする方向は、ワクナさんのお母さんがいた部屋の手前。
廊下から見ると、以前お邪魔した部屋は右側で、今物音のする部屋は左側。
木製の扉は開け放たれ、どうやらその部屋にワクナさんはいるらしい。
「ワクナさん」
そうして部屋を覗き込むと、そこには床にへたり込んだまま、何かを探すワクナさんの姿があった。
さっと見渡すと、そこはお母さんの部屋に比べ家具が整っており、生活感があるのが分かる。
もしかすると、ここがワクナさんの部屋なのかな。
「・・・・・・ひぐっ、・・・・・・さん、どこ・・・・・・?」
床には雑貨の類いが散乱し、引き出しの中身をぶちまけたみたいになっている。
「おかあ、さん・・・・・・どこに、いったの・・・・・・」
絞り出すような、か細い声が耳を通じて胸を刺す。
その背中は小さく震え、見ているだけでいたたまれなくなるほど弱々しい。
たまらず、僕とターナは傍へと駆け寄っていった。
「ワクナさん」
横から様子を伺うと、ワクナさんは涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、床に散らかるものを拾い上げては捨ててを繰り返していた。
きっと、あまりに短時間で精神的なショックを受けたせいか、情緒不安定に陥っているのかもしれない。
ターナはハンカチのような携帯用の布を取り出すと、優しくワクナさんの涙を拭いてあげる。
「なんで・・・・・・どうして・・・・・・」
本当に、その言葉の通りだった。
この親子が何をしたというのだろう。
この親子がどうして、ここまで不幸な目に遭わなければならないのだろう。
僕でさえ、そう思わずにはいられないほど悲劇的な現実だった。
「ワクナさん・・・・・・」
僕には、傍にいて名前を呼んであげるくらいしかできない。
どうすればいいかも分からないし、解決へ繋がるような妙案も思い浮かばない。
詰る所、無力だった。
けど、だからといって僕まで落ち込むわけにはいかない。
前にネグロフで、ターナが魔族の侵略を思い出して震えていた時もそうだったけど、こういう時こそ僕がしっかりしなきゃいけないんだ。
「ワクナさん、何か見つかりましたか?」
「・・・・・・」
言葉はないが、ぶんぶんと髪を振り乱しながら頭を左右に振る。
反応が返ってくるだけ、十分だ。
「僕もターナも、手伝いますよ」
「はい。お手伝い致します」
「・・・・・・」
嗚咽を繰り返しながら、ゆっくりとワクナさんは泣いて赤くなった瞳で僕らを見つめる。
「ほんとう?」
「はい、本当です。だから、もう一人でいなくなったりしないでくださいね。ワクナさんがいなくなったって、今度は僕やターナが泣いちゃいますから」
「・・・・・・ゆうすけくん」
「ワクナさんだって、僕らにとって大切な人です。ね、ターナ」
「はい。だから、一緒に捜しましょう」
聞くや否や、再びワクナさんの目尻から涙が溢れ出す。
「ひ、っく・・・・・・あり、ありが、とう・・・・・・」
ターナに涙を拭いてもらいながらも、ワクナさんは何度も頷いていた。
精神的にはかなり参っているだろうに、ちゃんと僕らの言葉を受け止めてくれてよかった。
「それでワクナさん・・・・・・何を探していたんですか?」
「なにか、思い出に繋がるようなもの、ないかなって・・・・・・」
あ、なるほど。
それで、こんなにモノが散乱しているのか。
「でも、ぜんぜんダメ。なにも思い浮かばないし、みつからない・・・・・・」
もっとも、それは決して思い出の品とか、そういうものがないわけじゃないと思う。
そもそもがこんな精神状態では難しい問題なんだ。
とすれば、ワクナさんよりは冷静でいられる僕とターナが代わりになってあげればいい。
「大丈夫です、ワクナさん。探したって言っても、まだこの部屋だけですよね?」
「・・・・・・うん」
「みんなで住んでたお家なら、思い出たくさんつまってるはずです。ちゃんと落ち着いて探しましょう」
僕がそう言うと、ターナがワクナさんの腰に手を添えて、「いきましょう」と立ち上がらせてくれる。
「お母様のお部屋には、何もないのですか?」
ターナが聞くと、ワクナさんはしっかりと頷いた。
「お母さん、あまりモノを置きたがらないから。お父さんとお兄ちゃんが死んでから、特にそう」
「そうですか・・・・・・」
「じゃあ、お父さんとお兄さんのお部屋とかは?」
何となく思いついたことだったけど、僕の問いかけを聞いたワクナさんは、はっとしたように顔を上げた。
「そっか。二人の部屋なら、ほとんど変わってないかも。・・・・・・私もお母さんも、当時のままにしておきたいって思ってたから」
それだ。
それなら、特にお父さんの部屋とかは、お母さんへ繋がる思い出の品があったって不思議じゃない。
それでワクナさんのお母さんが見つかるわけじゃないけれど、今はワクナさんの気持ちだって優先してあげなきゃいけない。
本人がじっとしていられないなら、僕らにできることはとことんつきあってあげることだ。
「お父さんのお部屋は?」
「うん、こっち」
ワクナさんの案内で向かった部屋は、玄関から程近いところだった。
屋内で言えば、丁度真ん中くらい。
がちゃりとワクナさんが扉を開けると、そこは今までで一番広い部屋だった。
さすが、一家の大黒柱の自室といった感じだ。
「わぁ、綺麗にされているんですね。掃除も行き届いていますし」
王城で働いていたターナらしい感想に、ワクナさんも少しだけ笑ってくれた。
「うん。たまに辛くなるけど、なんだかお父さんが傍にいてくれるような気がして」
そう言い、ワクナさんは先ほどとは違って落ち着いた動きで、何かないか探し始めた。
「えっと、僕とターナもお手伝いして大丈夫ですか?」
「うん、ごめんね。二人のおかげで、少し落ち着いたから。・・・・・・私、こっちを調べるから、二人は洋服棚を探してくれる?」
「はい、分かりました」
指示に従い、僕とターナは壁際にある大きめのタンスを調べていく。
木製の開き戸に手をかけ、中身をあらためてみると、そこにはまだ綺麗なまま保存されていた衣服が、何段かに仕切られた収納スペースに畳んで置いてあった。
中には軍服っぽいものもあり、さすが国軍正規兵のお父さんだなぁ、と改めて感じてしまう。
とはいえ、中々服で思い出に繋がるというのも難しく、自然とある小物が目に止まった。
「ターナ、これって?」
「素晴らしいです。ものすごく緻密な木彫りでございます、ユウスケ様」
それは、ターナ曰く木製の腕輪らしい。
ただ、彫り込みの密度が素人目で見ても並ではなく、どうやら華をイメージしたものに見える。
ともかく、ただの装飾品にも思えないので、僕らはそれをワクナさんに見てもらうことにした。
机の引き出しを調べていたワクナさんは、僕から受け取った腕輪を目にすると少し考え込むように目を閉じ、やがて。
「そうだ。これ、お父さんがお母さんから貰った腕輪よ」
そう、切り出したのだった。
「え、お母さんから?」
「うん。お母さんね、結婚前は木彫り職人だったの。それで、確かお父さんと結婚する時に、渡したんだって言ってた」
「では、その腕輪はワクナさんのお母様がご自分で?」
ターナが聞くと、ワクナさんは何かを噛み締めるように頷いた。
「子供の頃、一度だけ聞いた。お母さんもお父さんも、あまりそういうの話してくれなかったから。・・・・・・でも、この腕輪・・・・・・そうよ、確か寺院で式を挙げる前夜に贈ったって・・・・・・言ってたの、思い出した」
「わぁ、ロマンチックだね」
「ふふ・・・・・・お母さん、お父さんが照れてつけてくれないからって、その場で泣いちゃって・・・・・・それで、お父さん慌てふためいちゃって・・・・・・」
それは、まるで自分の思い出を語るような、眩しい記憶をなぞるような、そんな口調だった。
ワクナさんはしばらくその腕輪を見つめていると、一度だけ大きく息を吸い、肩を落としながら吐く。
「・・・・・・お母さん、お父さんのところに行っちゃったのかな」
ぽつり、とそんな言葉がもれる。
これには、僕もターナも下手に口を出すことはできなかった。
けど、再び錯乱するようなことはなく、きゅっと胸元で腕輪を大事そうに握りしめると、僕らを真っ直ぐに見据えた。
「一度、満腹堂に戻りましょう」
「え・・・・・・い、いいんですか、ワクナさん」
「うん。突然のことで、私どうしたらいいか分からなくて・・・・・・。でも、こうしてお父さんとお母さんのこと考えていたら、少し冷静になれたの。シュウジ様やリュウヤ様も捜してくれているし、これ以上変に迷惑かけられないもの」
そこには、朝のような思い詰める様子はない。
ワクナさん自身がそう言うなら、これ以上僕らがどうこう言う必要もないだろう。
ターナの方を見やると、彼女もまた同じ考えなのかアイコンタクトで頷いてくれた。
「ふふ、二人とも、ありがとうね」
「いえ、そんな。僕は何もしてませんから」
「ううん。なんだか、二人を見ていると、若いときのお父さんとお母さん、こんな感じだったのかなって」
「――――へっ?」
僕とターナは二人同時に、素っ頓狂な声をあげてしまう。
えーっと、それってつまり・・・・・・。
「あはは、二人とも顔真っ赤よ」
「か、かかか、からかわないでくださいよ、ワクナさん!」
「ごめんごめん。でも、本当に感謝しているの。それは、本当。・・・・・・だから、最後に一つだけ我が儘聞いてくれる?」
うー、恥ずかしい。
意識しちゃって、ターナの顔をろくに見られない。
その代わりではないけれど、「なんですか」と僕は抗議を含む視線で続きを促す。
「お茶、一杯だけ飲んでいって。みんなで飲んでた大好きな茶葉があるの。お母さんと二人になってからも、ずっと飲んでたから」
むぅ、ずるいなぁ。
そんな真面目に言われたら、こっちは頷くしかなくなる。
断る理由もなし。僕らは快く了承し、大きめの机と幾つかの椅子が並ぶ居間へとやってくる。
「二人は座って待っててね」
そう言うと、ワクナさんはお勝手に引っ込んでいき、しばらくしてお盆に三つの湯飲みを乗っけて戻ってきた。
ここでいうお茶というのは、日本茶ではなく、どちらかというとハーブティーに近いものだ。
満腹堂でも食後によく出るので、ヒノボリでは一般的に飲まれているお茶なのだろう。
もちろん、あくまで種類の話であって、ワクナさんが淹れてくれたものは初めての香りだった。
「わぁ、とてもよい香りですね。紅茶とも違いますし、これは?」
これまた紅茶に明るいターナが、興味を示す。
「これはね、月輪茶っていう茶葉よ。実は結構高級な茶葉でね、お父さんが生きてる時にしか買ったことないのよ」
「え、じゃあこれは・・・・・・」
「ううん。これは、新しいもの。お父さんが生前に付き合いのあった茶葉屋さんがね、特別に一般的な茶葉の価格で売ってくれるの」
きっと、茶葉屋さんなりの心遣いなんだろうね。
一度にお父さんとお兄さんを失ったんだ、きっと少しでも支えになればという思いで売ってくれていたに違いない。
ワクナさんが椅子に座り、それぞれの目の前には優しく湯気をたてる湯飲みがある。
「それじゃあ、いただきます」
そう言い、淹れてくれた月輪茶を飲む。
ターナの言うとおり、香りがすごくよく、ちょっぴりジャスミンティーに近い。
色は煎茶っぽいけど、この薫り高い感じと薄い色合いがマッチしていて、好きになる理由も分かる。
「美味しいです、ワクナさん」
「ふふ、ありがとう」
温かいし、ほっとする。
これはターナも好きだろうな、と思い彼女の方を見やる。
「・・・・・・ターナ?」
あれ、なんだかターナ、湯飲みを持ったまま固まっているけど。
「もしかして、あまりお口に合わなかった?」
ワクナさんが、心配そうに聞く。
すると、ターナは慌てた様子で「い、いえっ」と言いながら、もう一度湯飲みを傾けた。
「・・・・・・・・・・・・っ」
瞬間、ごとん、とターナの手から湯飲みが離れ、お茶が机の上に広がる。
「わわっ! たいへん、ターナ大丈夫!? ワクナさん、ごめんなさい!」
ターナへの心配と、ワクナさんへの申し訳なさとで、ちょっと軽いパニックになる僕。
あれかな、熱さにびっくりして手を離しちゃったのかなきっと。
「けほっ・・・・・・ぐ、ごほっ」
「ターナ、大丈夫? ごめんなさい、ワクナさん何かふくものをって――」
ぐいぐい、とターナが僕の手を思い切り引っ張り、何故か家の外を目指そうと走り出す。
が、その足取りはぐらついており、玄関の扉へ辿り着く前にがくりと膝を着いてしまう。
「ちょ、ターナ!? ど、どうしたのさ・・・・・・」
「ゆ、すけ・・・・・・さ、ま・・・・・・にげ・・・・・・て、」
「え?」
「す、い・・・・・・みん・・・・・・や、」
途切れ途切れの言葉は揺れており、ターナの視線は僕を必死に捉えようとするのに、泳いだまま定まらない。
・・・・・・何かがおかしい。
気づき、ワクナさんの方に振り向くや否や、ぐらりと視界が回り出した。
「やっぱり、警戒して多めに入れておいてよかった」
声が、聞こえる。
頭上から?
誰かが、ぼくを見下ろしていて。
あ、きっと・・・・・・ワクナさん、だ。
「ちょっと手間取ったけど、二人とも優しくて素敵だったわよ」
辛うじて音は入ってくる。
けど、もう目の前はぐるぐると回る状態から暗転し、体全体が地面に沈んでいくような感覚に、意識の混濁を想起した。
「あの邪魔な剣士も異人もいないし、ね。さぁ、お休みなさい」
落ちていく中、囁くような声がこう響いた。
――――つぎ目覚める時は、誰にも邪魔されない場所でね。
ヒノボリに滞在して二週間程の朝だった。
稽古の量を増やしたせいか、その日も僕はターナに起こされて、ようやく目を覚ました。
枕元でターナの声がすると、まどろみの中にあっても数秒の内に覚醒する。
しかも、決まってターナは座ったまま僕を見下ろしているし、僕が飛び起きると、少しだけ残念そうな顔をするのだ。
いや本当に、女の子に免疫のない僕にとっては効果覿面なのである。
その内慣れると思っていたけど、今のところその兆しがないのはどういうことなのだろう。
もっと頑張れ、僕。
「お、おはよう、ターナ」
「はい。おはようございます、ユウスケ様」
よく眠っていらっしゃいました、とターナが微笑む。
「ごめん、いつも起こしてもらってばかりで・・・・・・」
「いいえ、そんなことはございません。私にとって、これも嬉しい日課ですので」
鈴を転がすような声で、なんてことを言うのだろうか。
寝起きだというのに、朝っぱらから動悸がするのはよろしくない。
手早く寝具を部屋の隅に片付けると、そのタイミングでクロッキアさんが部屋に入って来た。
「あ、おはようございます、クロッキアさん」
「あぁ、おはよう、ユウスケ。相変わらず早いな、君達は」
確かに、いつも起こしてもらう時間は早朝。だいたい六時前くらいだ。
とはいえ、それを言ったらクロッキアさんなんて、いつ寝ているのか分からないくらいだった。
ネグロフからずっと一緒にいるけど、思えば寝ているところを見たことがない・・・・・・。
身体を休めるとは言うけど、大抵は壁に背を預けているだけだし、目を閉じていても起きていることばかりだし。
「クロッキアさんって、いつ寝ているんですか?」
そうなれば当然、疑問は言葉となって出てくる。
「いや、私は眠らない」
「・・・・・・えっ」
「正確には、眠れない、だな」
なんてこともないように、クロッキアさんはさっぱりとした口調で言い切った。
とはいえ、僕とターナは初めて聞いた新事実に硬直している。
そんな僕らの視線と沈黙が、珍しく耐えかねたのか、クロッキアさんはやれやれ、といった風に続けてくれた。
「人狼は眠れない。その血脈に魔を宿す影響で、眠りにつこうとするとうなされる。それが一ヶ月、一年と続けば、自然と身体は睡眠を忘れていく」
「ふ、負担にはならないんですか?」
僕が心配そうに聞くと、間髪入れずに「問題ない」と返ってきた。
「話すと長くなる。簡潔に言えば、百獣の先祖は魔狼だ。彼らは眠りを必要としない上、本来は夜に属する存在。月の満ち欠けに影響を受けるのも、その名残だな」
「・・・・・・まろう」
ぼんやりとした口調で、僕は繰り返した。
この手の話は、本格的なファンタジーなので、中々頭が追いつかない部分がある。
けど、クロッキアさんが無理をしていないなら、僕はそれでよかった。
それを伝えると、クロッキアさんはきょとんとした表情を一瞬浮かべ、気づいたらその大きな手が僕の頭を不器用に撫でていた。
「ありがとう」
「い、いえ」
なんだろう。
すごく、懐かしい感じがした。
こう・・・・・・お父さんに撫でられているみたいな、そんな気分になった。
「僕、顔洗ってきますね」
そう言い、僕は宿泊している部屋を後にする。
板張りの廊下を歩く僕の後ろには、編み籠を手にしたターナがそっとついてきていた。
ここ満腹堂は、常に女将さんの目もある上、ヒノボリの異人である池谷さん、立木さんが毎日入り浸っていることもあり、ある程度自由に移動していられる。
一階にある水場へ行くと、もうお互いに手慣れたやり取りで洗顔と歯磨きを終えた。
僕一人でも出来るのだけど、ターナは自分の仕事がなくなってしまうのは困ると言うので、有難くお世話になっているのだった。
「荷物を置いて来ますね」
「うん」
そう言い、僕は食堂へ、ターナは一度部屋へと戻っていく。
無人の受付を通り過ぎ、今日は完全に無人となっている食堂の一角に腰を落ち着ける。
外は明るいが、それでもまだ朝の六時頃。
この時間帯は満腹堂も、ヒノボリの都もほとんど人気がない。
ネグロフでも、城内がガヤガヤと騒がしくなるのは決まって八時頃だったかな。
この異世界は当然ながら、コンビニなんかがあるような世界ではない。
その為、二十四時間営業しているお店は酒場くらいだし、それでもほとんどは閉店時間があるところばかりらしい。
僕が元いた世界みたいに、時間間隔がタイトではないのか、基本的には緩やかな流れが主流。
明るくなると起きて、暗くなると帰って寝る。
日時計があるとはいえ、大部分の人々は太陽や月の位置でなんとなーく時刻を把握しているのだから、当然と言えば当然かもしれない。
そうこうしていると、ターナがクロッキアさんと一緒に降りてくるのが、視界の端に映った。
「あ、今日は誰もいませんね」
「珍しく、宿泊客が少ない日だったのかもしれないな」
確かに、そうなのかもしれない。
いつもだと、一人二人は寝起きっぽい人や、酔いつぶれたのか座敷で横たわっている人がいるのに。
ターナが僕の隣に、クロッキアさんが向かいに座る。
僕は、この静かな朝の時間が好きだった。
他愛もない話をしたり、僕とクロッキアさんとで剣術の話をしたり、次に向かう南部の話をしたり。
なんてことはないのだけれど、感覚として、それは掛け替えのない時間に感じるのだ。
今日も、いつも通り三人で会話をしていると、女将さんが店の奥から姿を現した。
「三人とも、おはよう」
この時間に僕らが起きているのも慣れた光景なのだろう。
変わらない挨拶を交わし、女将さんは店前の掃除から始めていく。
思うけど、この女将さんもすごい働き者だ。
朝から晩まで動きが変わらないというか、疲れたところを見たことがない。
あのクロッキアさんをして、「生命力に溢れている」と言わしめた人物として、僕の中ではある意味最強なのでは、という説さえ浮上するほどだ。
女将さんが掃除を終える頃には、他の従業員らしき人達や宿泊客らしき人がちらほらと見え始め、その内に池谷さんと立木さんが元気な様子で満腹堂にやってくる。
もう何日と過ごした、穏やかな日々。
それに異変が起こったのは、さぁ店が賑やかになるぞ、というまさしく八時頃だった。
「あれ、女将さん?」
僕は、珍しくきょろきょろと店の奥と軒先を行き来する女将さんに、違和感を覚えた。
人の往来の増えた大通りを、落ち着かない様子で・・・・・・まるで、人捜しでもするみたいに見回す女将さん。
それを、戻って来る途中で僕は呼び止めた。
「女将さん、どうかしたんですか?」
「いや、それがねぇ・・・・・・ワクナちゃんが来ないのよ」
え、ワクナさんが?
僕ら三人にヒノボリの異人二人を加えた、計五人は各々顔を見合わせ、自分達も見ていないと答える。
そうだ。
普段なら、もう忙しなく店を歩き回っていてもおかしくないのに。
「何かあったのでしょうか?」
ターナが不安げにそう言った。
とはいえ、唯一外から来た池谷さんと立木さんも、騒ぎらしいものは起こってない、と首を傾げる。
「困ったねぇ。店自体はいいけど、あたしゃ心配でしょうがないよ」
女将さんの心境も、もっともだった。
ワクナさんもそうだし、何より闘病中のお母さんのこともある。
何かあっては一大事だ。
そこで、僕が様子を見に行きましょうか、と言おうとしているその時だった。
「はぁ・・・・・・はぁ、はぁ・・・・・・」
肩で息をしながら、ワクナさんが満腹堂に飛び込んで来たのは。
「ワ、ワクナちゃん、どうしたんだい!」
すぐに気がついた女将さんが、大きな声をあげながら駆け寄る。
すると、その女将さんに掴みかかるような勢いで身を乗り出したワクナさんは、その震える口元を精一杯動かして、なんとか言葉を絞り出した。
「お、お母さん・・・・・・お母さん、ここに来ていませんかっ」
「え、えぇ? ワクナちゃんのお母さんだろう? いくら近いからって、一人で出歩ける体じゃないだろう」
「そうです、そうなんです、女将さん。なのに・・・・・・なのに、お母さん、朝起きたら、いないんですっ」
ワクナさんの顔は、一切の血の気がないってくらい蒼白だった。
僕らが座っている座敷からでも、そのやり取りは聞こえていた。
誰よりも素早く反応したのは、他でもないヒノボリの異人二人。
「ワクナちゃん、どこまで捜したか教えてくれるかい?」
池谷さんの質問は、単刀直入かつ的確だった。
遅れてきた理由は、きっと姿を消したお母さんを捜していたから。
「い、家の周辺は、だいたい。近所の人にも聞いたけど、誰も見てないって・・・・・・」
どうしよう、とそこでワクナさんは膝から崩れ落ちてしまう。
それを女将さんが慌てて支えた。
「分かった。じゃあ、仮にお母さんが歩けたとしよう。行きそうな場所は分かるかい?」
あくまで冷静な口調で、パニック寸前か、もうパニック同然なワクナさんを落ち着かせるように話しかける。
「もう、何年も一人で外に出たことなんて・・・・・・」
「大丈夫、俺と隆也も手伝う。だから、なんでもいい。手がかりが欲しいんだ」
池谷さんは同じく膝を折り、目線を同じくしてワクナさんに問いかける。
青ざめたまま数秒の沈黙の後、ワクナさんは震える瞳を池谷さんへ向けた。
「都の北東に、公園がありますよね」
「あぁ、あるね」
「お父さんとの思い出の場所だって、聞いたことはあります」
「よし。他には、そういった場所は? 思いつく限りでいいから」
「他は・・・・・・都の外で、一緒に馬に乗ったとか・・・・・・それくらいしか・・・・・・」
「分かった。隆也、とりあえず北東の公園付近を捜そう。あと、皇宮にも応援を。この時間帯だ、どうせ暇してる連中はいるだろうし」
立木さんは頷くと、一足先に外へと駆けだして行く。
「ワクナちゃん、心配はいらない。これから俺と隆也も捜しに出る。いいね?」
「・・・・・・は、はい」
そこで、女将さんに「ワクナちゃんをよろしく頼むよ」とだけ言い残すと、池谷さんも満腹堂を後にした。
当然、見知った仲の僕らも既に駆け寄っていて、ターナは茫然自失状態のワクナさんの傍についている。
「な、なんだってこんなことに・・・・・・」
さすがの女将さんも、これにはかなり困惑している様子だ。
「クロッキアさん、僕らも捜しましょう」
「・・・・・・ふむ」
が、予想外にもクロッキアさんから返ってきた返事は、あまり乗り気でない。
「ク、クロッキアさん・・・・・・?」
「・・・・・・クロッキア様」
僕とターナが戸惑うように名前を呼ぶ。
数秒押し黙った後、クロッキアさんは頷いた。
「捜そう」
は、はぁ・・・・・・よかった。
「とはいえ、都は広い。どこから手をつけるか」
「ワクナさん、他にお母さんが行きそうな場所、思い出せませんか?」
ターナが聞くと、ワクナさんは頭を激しく左右に振った。
「分からない! だってお母さん、外を出歩ける体じゃないもの! そんなの・・・・・・そんなのっ」
私の方が聞きたい、と切羽詰まったように口にする。
無理もない。
あれだけ大切にしていたお母さんだ。
外出なんて到底出来ないような体なのに、姿を消したとなれば、パニックにもなる。
遠く、店のどこかから、声が聞こえてきた。
「・・・・・・また、神隠しか」
「しばらく聞かないと思っていたら・・・・・・かわいそうに、たしか獣憑きの仕業なんだろう?」
「知らんよ。だが、消えた者は誰一人戻っては来ていない」
「・・・・・・きっと、あの子の母親も・・・・・・」
瞬間、ワクナさんは弾けるような勢いで店を飛び出していく。
「ワクナちゃん!」
それを、女将さんが止めようとするも、鬼気迫るような背中はあっという間に人混みの中へと消えてしまった。
「少し、調べたいところがある。ユウスケ、ターナ、君達は街中を調べてくれるか」
「は、はい。でもクロッキアさんはどこへ行くんですか?」
「寺院だ。だが、決してあそこには近づくな。それと、人気の無い建物や場所にも。・・・・・・いいな?」
念を押すような勢いに気圧され、僕とターナはぎこちない動きで頷く。
それを確認すると、クロッキアさんもまた、もの凄い速度で人の合間を縫うように姿を消してしまった。
「ユウスケ様」
「うん、僕たちも行こう。とりあえず、ここでじっとしているよりは、力になれるはずだから」
女将さんから「気をつけるんだよ」と言葉を受け取り、ターナと一緒に街中へと走り出した。
もちろん、僕らもあてがあるわけじゃないけど、きっとワクナさんも同じはずだ。
あの様子だと、いても立ってもいられず飛び出した感じだから、どちらかというと目的はワクナさんを捜す方にシフトするべきなのかもしれない。
「ワクナさん、心配ですね」
僕と同じ考えなのか、大通りを抜けた先でターナがそう呟いた。
「うん。ワクナさんのお母さんもそうだけど、ワクナさんを捜した方がいいかも。闇雲に捜しても、クロッキアさんの言うとおり広すぎるし」
最悪、他のトラブルに巻き込まれるとも限らない。
なんにせよ僕らが傍にいた方がいいのは、考えるまでもなかった。
僕とターナは、二人で都を走り回る。
途中、警備の任にあたっている兵士の人に聞き込みをしてみるも、収穫というほどの情報はなく。
大通りから外れてしまえば、ごった返すほどの人混みはないものの、やはり広すぎるためかワクナさんとは一向に合流できずにいた。
「ターナ、この先って一度行ったっけ?」
「えっと・・・・・・はい、その先は西門付近ですので、一度行きました」
「じゃあ、こっちはー・・・・・・あれ、こっちって寺院の方だよね?」
「はい、そうですね。確か、クロッキア様から近づかないようにと、強く言われています」
うーん、理由は分からないけど、わざわざクロッキアさんが念押しするようなことを、無視したくはない。
「でもワクナさん、ほんとどこ行っちゃったんだろ・・・・・・」
僕らと同じで、がむしゃらに捜しているとは思うのだけど、それ故にそう都合良く出くわすこともなかった。
何の成果もなく時間だけが過ぎていく。
もしかしたら、落ち着いて満腹堂に戻っているかも、とターナと相談した上で一旦お店に戻ろうとしていた時だった――。
「・・・・・・あれ?」
――隣を歩いていたターナが、小さく声をあげた。
「どうしたの、ターナ」
「あの後ろ姿・・・・・・ワクナさんじゃありませんか?」
「えっ・・・・・・どこどこ?」
自信なさげではあるが、ターナは一つの方角を指差す。
その先には、人の合間へと消えかかる女性の姿があった。
一瞬ではあったけど、長髪だったようにも思う。
「追いかけてみよう」
「はい」
とにかく、このままでは見失ってしまう。
ワクナさんの手がかりがあるわけでもない僕らは、まるでその後ろ姿に誘われるようにして、その後を追った。
大通りから外れてはいるが、人通りは十分にある。
中々距離を縮めることができないその後ろ姿は、さすがに捉え続けているとワクナさんのものだということは分かった。
「ワクナさん!」
二人で名前を呼ぶものの、反応はない。
周囲の人も振り返るものの、気づく頃にはワクナさんは次の人影へと消えてしまう。
そうして、僕らが辿り着いたのは、見覚えのある場所だった。
「・・・・・・ここって」
今さっき、ワクナさんが入っていた建物は、住宅街に佇む一軒。
そう、ワクナさん本人の自宅だ。
「もしかしたら、何か手がかりがあるかもと戻ったのかもしれません」
「そうだね。とりあえず僕らも入って、ワクナさんに落ち着いてもらおう」
また、あんな風にどこかへ飛び出して行っても危ないし、それこそ見失ったまま夜になっても戻ってこない、とかになったら大変だ。
半開きになった扉に手をかけ、薄暗い室内へ声を掛ける。
「ワクナさーん! 僕です、祐介です! 入りますよー!」
「お邪魔しますね、ワクナさん!」
緊急事態とはいえ、家主であろうワクナさんに聞こえるよう入る意志を伝えた上で、ワクナさん宅へと足を踏み入れる。
屋内は以前来たときと変わらず、綺麗なままだ。
ただ、耳を澄ませてみると、どこからかがさごそと物音がしている。
やっぱり、何か手がかりを探して家に戻ったみたい。
ターナと顔を見合わせ頷き合い、家の奥へと歩いて行く。
音がする方向は、ワクナさんのお母さんがいた部屋の手前。
廊下から見ると、以前お邪魔した部屋は右側で、今物音のする部屋は左側。
木製の扉は開け放たれ、どうやらその部屋にワクナさんはいるらしい。
「ワクナさん」
そうして部屋を覗き込むと、そこには床にへたり込んだまま、何かを探すワクナさんの姿があった。
さっと見渡すと、そこはお母さんの部屋に比べ家具が整っており、生活感があるのが分かる。
もしかすると、ここがワクナさんの部屋なのかな。
「・・・・・・ひぐっ、・・・・・・さん、どこ・・・・・・?」
床には雑貨の類いが散乱し、引き出しの中身をぶちまけたみたいになっている。
「おかあ、さん・・・・・・どこに、いったの・・・・・・」
絞り出すような、か細い声が耳を通じて胸を刺す。
その背中は小さく震え、見ているだけでいたたまれなくなるほど弱々しい。
たまらず、僕とターナは傍へと駆け寄っていった。
「ワクナさん」
横から様子を伺うと、ワクナさんは涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、床に散らかるものを拾い上げては捨ててを繰り返していた。
きっと、あまりに短時間で精神的なショックを受けたせいか、情緒不安定に陥っているのかもしれない。
ターナはハンカチのような携帯用の布を取り出すと、優しくワクナさんの涙を拭いてあげる。
「なんで・・・・・・どうして・・・・・・」
本当に、その言葉の通りだった。
この親子が何をしたというのだろう。
この親子がどうして、ここまで不幸な目に遭わなければならないのだろう。
僕でさえ、そう思わずにはいられないほど悲劇的な現実だった。
「ワクナさん・・・・・・」
僕には、傍にいて名前を呼んであげるくらいしかできない。
どうすればいいかも分からないし、解決へ繋がるような妙案も思い浮かばない。
詰る所、無力だった。
けど、だからといって僕まで落ち込むわけにはいかない。
前にネグロフで、ターナが魔族の侵略を思い出して震えていた時もそうだったけど、こういう時こそ僕がしっかりしなきゃいけないんだ。
「ワクナさん、何か見つかりましたか?」
「・・・・・・」
言葉はないが、ぶんぶんと髪を振り乱しながら頭を左右に振る。
反応が返ってくるだけ、十分だ。
「僕もターナも、手伝いますよ」
「はい。お手伝い致します」
「・・・・・・」
嗚咽を繰り返しながら、ゆっくりとワクナさんは泣いて赤くなった瞳で僕らを見つめる。
「ほんとう?」
「はい、本当です。だから、もう一人でいなくなったりしないでくださいね。ワクナさんがいなくなったって、今度は僕やターナが泣いちゃいますから」
「・・・・・・ゆうすけくん」
「ワクナさんだって、僕らにとって大切な人です。ね、ターナ」
「はい。だから、一緒に捜しましょう」
聞くや否や、再びワクナさんの目尻から涙が溢れ出す。
「ひ、っく・・・・・・あり、ありが、とう・・・・・・」
ターナに涙を拭いてもらいながらも、ワクナさんは何度も頷いていた。
精神的にはかなり参っているだろうに、ちゃんと僕らの言葉を受け止めてくれてよかった。
「それでワクナさん・・・・・・何を探していたんですか?」
「なにか、思い出に繋がるようなもの、ないかなって・・・・・・」
あ、なるほど。
それで、こんなにモノが散乱しているのか。
「でも、ぜんぜんダメ。なにも思い浮かばないし、みつからない・・・・・・」
もっとも、それは決して思い出の品とか、そういうものがないわけじゃないと思う。
そもそもがこんな精神状態では難しい問題なんだ。
とすれば、ワクナさんよりは冷静でいられる僕とターナが代わりになってあげればいい。
「大丈夫です、ワクナさん。探したって言っても、まだこの部屋だけですよね?」
「・・・・・・うん」
「みんなで住んでたお家なら、思い出たくさんつまってるはずです。ちゃんと落ち着いて探しましょう」
僕がそう言うと、ターナがワクナさんの腰に手を添えて、「いきましょう」と立ち上がらせてくれる。
「お母様のお部屋には、何もないのですか?」
ターナが聞くと、ワクナさんはしっかりと頷いた。
「お母さん、あまりモノを置きたがらないから。お父さんとお兄ちゃんが死んでから、特にそう」
「そうですか・・・・・・」
「じゃあ、お父さんとお兄さんのお部屋とかは?」
何となく思いついたことだったけど、僕の問いかけを聞いたワクナさんは、はっとしたように顔を上げた。
「そっか。二人の部屋なら、ほとんど変わってないかも。・・・・・・私もお母さんも、当時のままにしておきたいって思ってたから」
それだ。
それなら、特にお父さんの部屋とかは、お母さんへ繋がる思い出の品があったって不思議じゃない。
それでワクナさんのお母さんが見つかるわけじゃないけれど、今はワクナさんの気持ちだって優先してあげなきゃいけない。
本人がじっとしていられないなら、僕らにできることはとことんつきあってあげることだ。
「お父さんのお部屋は?」
「うん、こっち」
ワクナさんの案内で向かった部屋は、玄関から程近いところだった。
屋内で言えば、丁度真ん中くらい。
がちゃりとワクナさんが扉を開けると、そこは今までで一番広い部屋だった。
さすが、一家の大黒柱の自室といった感じだ。
「わぁ、綺麗にされているんですね。掃除も行き届いていますし」
王城で働いていたターナらしい感想に、ワクナさんも少しだけ笑ってくれた。
「うん。たまに辛くなるけど、なんだかお父さんが傍にいてくれるような気がして」
そう言い、ワクナさんは先ほどとは違って落ち着いた動きで、何かないか探し始めた。
「えっと、僕とターナもお手伝いして大丈夫ですか?」
「うん、ごめんね。二人のおかげで、少し落ち着いたから。・・・・・・私、こっちを調べるから、二人は洋服棚を探してくれる?」
「はい、分かりました」
指示に従い、僕とターナは壁際にある大きめのタンスを調べていく。
木製の開き戸に手をかけ、中身をあらためてみると、そこにはまだ綺麗なまま保存されていた衣服が、何段かに仕切られた収納スペースに畳んで置いてあった。
中には軍服っぽいものもあり、さすが国軍正規兵のお父さんだなぁ、と改めて感じてしまう。
とはいえ、中々服で思い出に繋がるというのも難しく、自然とある小物が目に止まった。
「ターナ、これって?」
「素晴らしいです。ものすごく緻密な木彫りでございます、ユウスケ様」
それは、ターナ曰く木製の腕輪らしい。
ただ、彫り込みの密度が素人目で見ても並ではなく、どうやら華をイメージしたものに見える。
ともかく、ただの装飾品にも思えないので、僕らはそれをワクナさんに見てもらうことにした。
机の引き出しを調べていたワクナさんは、僕から受け取った腕輪を目にすると少し考え込むように目を閉じ、やがて。
「そうだ。これ、お父さんがお母さんから貰った腕輪よ」
そう、切り出したのだった。
「え、お母さんから?」
「うん。お母さんね、結婚前は木彫り職人だったの。それで、確かお父さんと結婚する時に、渡したんだって言ってた」
「では、その腕輪はワクナさんのお母様がご自分で?」
ターナが聞くと、ワクナさんは何かを噛み締めるように頷いた。
「子供の頃、一度だけ聞いた。お母さんもお父さんも、あまりそういうの話してくれなかったから。・・・・・・でも、この腕輪・・・・・・そうよ、確か寺院で式を挙げる前夜に贈ったって・・・・・・言ってたの、思い出した」
「わぁ、ロマンチックだね」
「ふふ・・・・・・お母さん、お父さんが照れてつけてくれないからって、その場で泣いちゃって・・・・・・それで、お父さん慌てふためいちゃって・・・・・・」
それは、まるで自分の思い出を語るような、眩しい記憶をなぞるような、そんな口調だった。
ワクナさんはしばらくその腕輪を見つめていると、一度だけ大きく息を吸い、肩を落としながら吐く。
「・・・・・・お母さん、お父さんのところに行っちゃったのかな」
ぽつり、とそんな言葉がもれる。
これには、僕もターナも下手に口を出すことはできなかった。
けど、再び錯乱するようなことはなく、きゅっと胸元で腕輪を大事そうに握りしめると、僕らを真っ直ぐに見据えた。
「一度、満腹堂に戻りましょう」
「え・・・・・・い、いいんですか、ワクナさん」
「うん。突然のことで、私どうしたらいいか分からなくて・・・・・・。でも、こうしてお父さんとお母さんのこと考えていたら、少し冷静になれたの。シュウジ様やリュウヤ様も捜してくれているし、これ以上変に迷惑かけられないもの」
そこには、朝のような思い詰める様子はない。
ワクナさん自身がそう言うなら、これ以上僕らがどうこう言う必要もないだろう。
ターナの方を見やると、彼女もまた同じ考えなのかアイコンタクトで頷いてくれた。
「ふふ、二人とも、ありがとうね」
「いえ、そんな。僕は何もしてませんから」
「ううん。なんだか、二人を見ていると、若いときのお父さんとお母さん、こんな感じだったのかなって」
「――――へっ?」
僕とターナは二人同時に、素っ頓狂な声をあげてしまう。
えーっと、それってつまり・・・・・・。
「あはは、二人とも顔真っ赤よ」
「か、かかか、からかわないでくださいよ、ワクナさん!」
「ごめんごめん。でも、本当に感謝しているの。それは、本当。・・・・・・だから、最後に一つだけ我が儘聞いてくれる?」
うー、恥ずかしい。
意識しちゃって、ターナの顔をろくに見られない。
その代わりではないけれど、「なんですか」と僕は抗議を含む視線で続きを促す。
「お茶、一杯だけ飲んでいって。みんなで飲んでた大好きな茶葉があるの。お母さんと二人になってからも、ずっと飲んでたから」
むぅ、ずるいなぁ。
そんな真面目に言われたら、こっちは頷くしかなくなる。
断る理由もなし。僕らは快く了承し、大きめの机と幾つかの椅子が並ぶ居間へとやってくる。
「二人は座って待っててね」
そう言うと、ワクナさんはお勝手に引っ込んでいき、しばらくしてお盆に三つの湯飲みを乗っけて戻ってきた。
ここでいうお茶というのは、日本茶ではなく、どちらかというとハーブティーに近いものだ。
満腹堂でも食後によく出るので、ヒノボリでは一般的に飲まれているお茶なのだろう。
もちろん、あくまで種類の話であって、ワクナさんが淹れてくれたものは初めての香りだった。
「わぁ、とてもよい香りですね。紅茶とも違いますし、これは?」
これまた紅茶に明るいターナが、興味を示す。
「これはね、月輪茶っていう茶葉よ。実は結構高級な茶葉でね、お父さんが生きてる時にしか買ったことないのよ」
「え、じゃあこれは・・・・・・」
「ううん。これは、新しいもの。お父さんが生前に付き合いのあった茶葉屋さんがね、特別に一般的な茶葉の価格で売ってくれるの」
きっと、茶葉屋さんなりの心遣いなんだろうね。
一度にお父さんとお兄さんを失ったんだ、きっと少しでも支えになればという思いで売ってくれていたに違いない。
ワクナさんが椅子に座り、それぞれの目の前には優しく湯気をたてる湯飲みがある。
「それじゃあ、いただきます」
そう言い、淹れてくれた月輪茶を飲む。
ターナの言うとおり、香りがすごくよく、ちょっぴりジャスミンティーに近い。
色は煎茶っぽいけど、この薫り高い感じと薄い色合いがマッチしていて、好きになる理由も分かる。
「美味しいです、ワクナさん」
「ふふ、ありがとう」
温かいし、ほっとする。
これはターナも好きだろうな、と思い彼女の方を見やる。
「・・・・・・ターナ?」
あれ、なんだかターナ、湯飲みを持ったまま固まっているけど。
「もしかして、あまりお口に合わなかった?」
ワクナさんが、心配そうに聞く。
すると、ターナは慌てた様子で「い、いえっ」と言いながら、もう一度湯飲みを傾けた。
「・・・・・・・・・・・・っ」
瞬間、ごとん、とターナの手から湯飲みが離れ、お茶が机の上に広がる。
「わわっ! たいへん、ターナ大丈夫!? ワクナさん、ごめんなさい!」
ターナへの心配と、ワクナさんへの申し訳なさとで、ちょっと軽いパニックになる僕。
あれかな、熱さにびっくりして手を離しちゃったのかなきっと。
「けほっ・・・・・・ぐ、ごほっ」
「ターナ、大丈夫? ごめんなさい、ワクナさん何かふくものをって――」
ぐいぐい、とターナが僕の手を思い切り引っ張り、何故か家の外を目指そうと走り出す。
が、その足取りはぐらついており、玄関の扉へ辿り着く前にがくりと膝を着いてしまう。
「ちょ、ターナ!? ど、どうしたのさ・・・・・・」
「ゆ、すけ・・・・・・さ、ま・・・・・・にげ・・・・・・て、」
「え?」
「す、い・・・・・・みん・・・・・・や、」
途切れ途切れの言葉は揺れており、ターナの視線は僕を必死に捉えようとするのに、泳いだまま定まらない。
・・・・・・何かがおかしい。
気づき、ワクナさんの方に振り向くや否や、ぐらりと視界が回り出した。
「やっぱり、警戒して多めに入れておいてよかった」
声が、聞こえる。
頭上から?
誰かが、ぼくを見下ろしていて。
あ、きっと・・・・・・ワクナさん、だ。
「ちょっと手間取ったけど、二人とも優しくて素敵だったわよ」
辛うじて音は入ってくる。
けど、もう目の前はぐるぐると回る状態から暗転し、体全体が地面に沈んでいくような感覚に、意識の混濁を想起した。
「あの邪魔な剣士も異人もいないし、ね。さぁ、お休みなさい」
落ちていく中、囁くような声がこう響いた。
――――つぎ目覚める時は、誰にも邪魔されない場所でね。
0
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間違いで召喚された為にステータスは最初見えない状態だったけどネットのネタバレ防止のように背景をぼかせば見えるようになりました。
多分不具合だとおもう。
召喚した女と王様っぽいのは何も持っていないと言って僕をポイ捨て、なんて世界だ。それも元の世界には戻せないらしい、というか戻さないみたいだ。
そんな僕はこの世界で苦労すると思ったら大間違い、王シリーズのスキルでウハウハ、製作で人助け生活していきます
◇
四巻が販売されました!
今日から四巻の範囲がレンタルとなります
書籍化に伴い一部ウェブ版と違う箇所がございます
追加場面もあります
よろしくお願いします!
一応191話で終わりとなります
最後まで見ていただきありがとうございました
コミカライズもスタートしています
毎月最初の金曜日に更新です
お楽しみください!
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2巻決定しました!
【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】
皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました!
本当に、本当にありがとうございます!
皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。
市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です!
【作品紹介】
欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。
だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。
彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。
【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc.
その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。
欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。
気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる!
【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
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