蜜甘フレンズ ~桜井家長女の恋愛事情~

有允ひろみ

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1巻

1-2


「さあ、上半身の次は腰から下だ」

 ひざまずいた彼が、まどかの両脚を片方ずつ洗い上げる。そのまま、つま先を指でこじ開けられ、優しくマッサージするように泡をすり込まれた。
 ふたたびくすぐったさに襲われ、足を引っ込めてクスクスと声を上げて笑う。

「壮士っ……ちょっと……ひゃっ……ひゃはは!」

 足先を洗い終えると、壮士がゆっくりと立ち上がって唇を合わせてきた。彼の舌が口の中を丁寧にめ回してくる。それだけでも十分気持ちがいい。まどかは淫靡いんびなキスに夢中になり、いっそう気持ちを高ぶらせた。
 キスの合間に片膝をすくい上げられ、泡にまみれた彼の屹立きつりつが秘裂の間を行ったり来たりする。その切っ先は、蜜窟の中に入ってきそうで入ってこない。
 もどかしさにれたまどかは、頬を染めながら壮士に哀願する。

「壮士……お願い……ちゃんとれて?」
「いいよ。俺もそろそろ我慢できなくなってきたところだ。晩御飯の前に、軽い運動といこうか。ちょっとだけ、な」

 壮士がそんな軽口を叩きながら、シャワーをかけて二人の身体から泡を洗い流す。
 バスタオルで手早く身体を拭き、まどかのあごを持ち上げて唇にチュッと音を立ててキスをした。そして、おもむろに腰を折り、まどかを自身の左肩にかつぎ上げる。

「わっ! そ、壮士っ!」
「じっとして。身体がまだ濡れてるから、暴れると滑って落っこちるぞ」

 釘を刺され、まどかは仕方なく大人しくなる。
 それをいい事に、彼はいている右手で自身の顔の横にあるまどかの双臀を撫で回してきた。

「すべすべして気持ちいいな。あとで丸かじりにしていい?」

 かつがれたままバスルームを出て、洗面台の前を通る。
 ふと横を見ると、鏡越しに微笑みかけてくる壮士と目が合った。すると、顔を横に向けた壮士が、まどかの左のお尻を軽くかじってくる。

「あとでって、今かじってるじゃない!」

 抗議の声を上げると、彼はまるでつづみでも叩くみたいに右の尻を叩いてきた。

「あまりにも美味おいしそうだから、つまみ食いしたくなったんだよ」

 そんな彼の言葉に胸がときめき、まどかは唇を噛んで頬を熱く火照ほてらせる。リビングを通り抜け、ベッドルームに入った。竹製のシェードランプが灯された部屋の中は、薄い飴色に染まって綺麗だ。
 ゆっくりとシーツの上に下ろされ、身体の上におおいかぶさられる。
 まどかはすぐに壮士の腰に手を回し、仕返しとばかりに彼のヒップラインを撫で回した。
 そして、唇を突き出して彼にキスの催促をする。
 壮士が、すぐに唇の先をかじるようにキスをしてきた。そうしながらも、ヘッドボードの上に置いた避妊具の袋を取って手早くそれを装着する。

「おまたせ。これでいつでもれられるよ」

 ニヤリと笑う顔が、どうしようもなく魅力的だ。まどかはキスで火照ほてった唇をめ、小さく吐息を漏らした。

「まどかが恋しくて、さすがに限界がきそうだったよ。まどかは? 少しは俺とこうしたくてウズウズしたりしたか?」

 いたずらっぽくたずねられ、まどかは素直に首を縦に振った。

「うん、してた。……ちょっとだけじゃ、足りないかも」

 正直な思いを口にして、挑発的な表情を浮かべる。
 ここでは、してほしい事を我慢したりしない。せっかく身体を重ねるのに、遠慮したり恥ずかしがったりするなんて、もったいないから。

「いいよ。俺のほうは願ったり叶ったりだ。その代わり、晩御飯はだいぶ後回しになるぞ? 今夜の俺は、飢えた狼並みにまどかをむさぼるつもりだからな」

 壮士が口を開けて、獣が牙をく真似をする。
 そのまま両方の太腿を大きく広げられて、硬い切っ先を蜜窟の縁に押し付けられると同時に、屹立きつりつがまどかの中に沈み込んだ。

「あんっ! あっ……あああああっ!」

 身体の中に壮士の熱塊を感じる。
 それはまどかの隘路あいろを押し開き、濡れたひだをかき分けながら最奥さいおうをめざす。身体中の血が一気に沸き立ち、まどかは無意識に彼の腰に爪を立てた。自分でも驚くほど性欲が高まり、みだらな事で頭がいっぱいになっている。
 屹立きつりつがまどかの中で抽送ちゅうそうをはじめた。部屋の中にぐちゅぐちゅという水音と、微かにベッドがきしむ音が広がる。リズミカルな抽送ちゅうそうが続き、まどかは気持ちよさのあまり目を固く閉じた。
 裸で抱き合って身体を交わらせている時には、世界には自分達しかいない。他の事に注意を向ける余裕なんか皆無だ。
 まどかは、壮士の腰の動きにうっとりと酔いしれる。
 腕を彼の肩に回し、両方の足首を彼の腰の上で緩く交差させた。見つめ合い、何度もキスをしては感じるままに口を開く。

「壮士……気持ちいい……。すごく……気持ちいいの……。もう、どうにかなっちゃいそう……」
「俺もだよ、まどか」

 狼のような壮士に甘く蹂躙じゅうりんされ、身体の芯が愉悦ゆえつの波に呑み込まれそうになる。
 まどかは両脚を下ろし、彼に抱きつく腕にぐっと力を込めた。そして、右足を踏ん張り、壮士と繋がったままぐるりと身体を反転させる。
 途中、まどかの意図を察した壮士の手を借りて、彼の腰の上に馬乗りになった。上から見下ろす壮士の胸筋は、大理石でできた極上の美術品のようだ。
 まどかは、伸びてきた彼の手に指を絡め、ゆっくりと腰を前後に動かしはじめる。こちらを見る壮士が、うっすらと目を細め眉間にしわを寄せた。
 その顔を見るだけで、彼が心底気持ちいいと感じてくれているのがわかる。
 絡めた手を離し、上体を伏せて彼と唇を合わせたまま腰を左右に揺らめかせた。
 壮士が低くうめき、まどかの尻肉を掴んだ。指が肌に食い込み、快楽がよりいっそう深くなる。

「あっ……。んっ……ん、壮士……。もっと、強く掴んで……」
「こうか?」
「あんっ! はぁ……あ、あ……」

 頷く暇もなくピリピリとした快感が背中を駆け抜ける。
 まどかは目蓋まぶたを震わせて、唇を噛む。込み上げてくる愉悦ゆえつを甘受し、内奥ないおうがヒクヒクと戦慄わななく。

「まどか……」

 壮士がささやくようにまどかの名を呼んだ。彼は、まどかをもう一度自分の下に組み敷くと、上体を起こしながら蜜窟から屹立きつりつを引き抜いた。

「あっ……」

 抗議する暇もなくうつぶせにさせられ、腰を高く引き上げられる。自然と四つんいの姿勢になり、壮士に向かってお尻を突き出した格好になった。
 壮士のてのひらが、まどかの尻肉をねるように撫で上げてくる。

「さて、本格的に丸かじりするかな」

 低い声でそう言うなり、彼の指が秘裂の中をクチュクチュと掻き回しはじめる。
 まどかは震えるほどの羞恥しゅうちを覚えながら、強く唇を噛んだ。
 薄明かりの中とはいえ、視界は十分にクリアだ。

(壮士に恥ずかしいところを見られている……)

 そう思った途端、身体の奥から蜜があふれてくるのを感じて、まどかはうしろを振り返った。
 うるんだ視界に、自分を見つめる壮士の顔が少しゆがんで見える。
 彼が大きく口を開けて、まどかの尻肉にかぶりついた。

「ひっ……」

 まどかは小さく声を上げ、つま先をきつく丸めた。
 加減してくれているから、痛みはさほど感じない。むしろ、もっと強く噛んでほしいくらい――そんなまどかの淫欲を感じ取ったのか、壮士が少し強めに噛みついてきた。たまらずにき声を上げて、腰をくねらせる。あちこちを歯列で引っ掻かれるたびに、唇がわなわなと震え甘いため息が零れた。
 壮士の指が、まどかの花芽を探り当て、そこをコリコリといじってくる。
 まどかは恍惚こうこつとなって、閉じた目蓋まぶた痙攣けいれんさせた。いつの間にか上体を腕の中に抱き込まれ、うしろから首筋にキスをされる。右肩を緩く噛まれると同時に、壮士がふたたびまどかの奥深くまで入ってきた。
 彼の太く硬いものが、蜜窟の壁を強引に押し開いていく。すっかりほぐされているそこは、すぐに熱塊を受け入れて、よろこびに震えた。
 膝が崩れそうになるたびに腰を引かれ、強く屹立きつりつを中にじ込まれる。そうされるたびに、まどかは嬌声きょうせいを上げて乱れた。
 突いては引かれ、いろいろな角度から中を暴かれて、意識が飛びそうになる。
 まどかは思いきり腰をうしろに突き出して、屹立きつりつを奥深くまで招き入れた。壮士が激しく腰を動かし、切っ先が特別に気持ちいい場所を繰り返し刺激してくる。

「壮士っ……あっ……ああ……、もう……」

 頭の中で白光が弾け、身体が空中に投げ出されたみたいな錯覚におちいる。
 ガクガクと痙攣けいれんする身体を、壮士がうしろからきつく抱きしめてきた。まどかの内奥ないおうで彼の熱塊がぜ、ドクドクと脈打って精の放出を知らせる。

(ああ……この瞬間……。ほんと、好き……)

 壮士に抱かれ、絶頂を迎えたあとは、毎回そう感じる。
 こんな時間を、永遠に彼と共有できたらいいのに――
 まどかは放心しながら、ぼんやりとそう思うのだった。


     ◇ ◇ ◇


 午前零時の空は、まだどんよりと曇っている。
 ついさっき、タクシーで帰宅するまどかをマンションの前で見送った。
 そして今、壮士は彼女の温もりが残るベッドで一人寝そべっている。

『じゃあ、私、そろそろ帰るね』

 まどかがそう言った時、壮士は自宅まで車で送ると申し出た。しかし、彼女は明日の事もあるからと、それを固辞した。
 そして、シンデレラのごとく日付が変わる前に、壮士の部屋から出ていってしまった。
 彼女はここに来るたびに、同じ調子で帰っていく。
 クールというか、さっぱりしすぎているというか――

「まったく、まどかのやつ……」

 壮士は呟き、天井の一点を見つめた。そして、困ったような微笑みを浮かべる。
 ここからまどかの自宅までは、車で三十分もかからない。彼女の実家なら、一時間ちょっとで到着する。明日彼女を実家に送る事を考えれば、ここに泊まってくれたほうが迎えに行く手間がはぶけて都合がいい。
 だが、二人にはそうできない理由があった。
 はじまりは、二年前のクリスマスイブ――
 壮士は、はじめてまどかと身体の関係を持った。
 むろん、軽はずみな気持ちでそうなった訳ではない。壮士としては、そのまま本気でまどかと付き合うつもりだった。
 しかしまどかは、まったくそのつもりがなかったようで、その後あからさまに距離を取られた。
 彼女は日頃から、仕事優先で恋人などいらないと明言していたし、壮士もそれを知っていた。
 それでもなお、壮士はまどかとの関係を一度だけのものにしたくなかったのだ。
 同時に、避けられるような対象になるのもごめんだった。
 そこで苦肉の策として、まどかに自分とのセックス込みの付き合いを提案した。彼女は悩んだ末にそれを受け入れ、以来二人は自分達の繋がりを「同志」と呼び、今のようなつかず離れずの関係を続けている。
 だが、そんな二人にも、守るべきルールがあった。
 そのうちのひとつが「朝を一緒に迎えない」というもの。
 どんなに夜遅くなったり、一度眠ってしまったとしても、例外は認めない。
 このルールを決めたまどかは、これまで一度たりともそれを破った事はなかった。
 まどかいわく、それはひとつの線引きであり、けじめなのだという。
 だから、まどかは決してここで朝を迎える事はないし、壮士もルールを忠実に守っている。

(今頃は、もうベッドの中かな? さっき、だいぶ眠そうにしていたしな……)

 何せ、ひと月ぶりに肌を合わせたのだ。
 飢えていたのは自分だけではなかったし、まどかはいつも以上に濡れて感じていた。
 本当なら、もっと抱き合っていたいところだったけれど、ルールを考えると二度が限度だった。

「……ふっ……。我ながら、よく我慢してるよな」

 壮士は独り言を言いながら自嘲じちょうする。
 これまで、どちらかといえば恋愛というものをうとんじていたし、女性と付き合ってもさほどのめり込む事はなく、いつも短期間で別れていた。
 だけど、まどかだけは違う。
 会えば会うほどもっと顔が見たくなり、彼女の人となりを知るにつれ愛おしさが増す。

「ほんと、可愛いんだよな……まどかは……」

 入社以来、今の部署で着実にキャリアを重ねてきた彼女は、つい先月主任に昇格した。仕事に対しては誰にも負けないほど真摯しんしだし、決して妥協を許さない姿勢は勇ましくも賞賛に値する。
 その一方、抱かれている時の彼女は、この上なくセクシーで可愛らしい子猫だ。
 会社で見るクールな印象のまどかと、みだらな格好で甘いき声を上げるまどか。
 まるで正反対でありながら、どちらもこの上なく魅力的な彼女の真の姿だ。
 その両方の姿を知るのは自分ただ一人だと、壮士は自負している。
 だが、そんな関係を続けるのにも、そろそろ限界を感じつつあった。
 まどかを、自分だけのものにしたい。
 他の誰にも渡したくないし、ぜったいに手放せない。まどかが愛おしくてたまらないし、ルールさえなければ彼女を一晩中抱いて思いきりかせてやりたいと思う。
 むろん、だからといって闇雲な行動を取る訳ではなく、慎重かつ確実に事を運ぶつもりだ。
 まどかを手に入れるためなら、どんな労力もいとわない。
 すでに二年近くも「同志」という関係に甘んじていたのだから、今さら焦ってすべてを台無しにする訳にはいかなかった。

「さて……どうするかな……」

 そう呟きながら、壮士はベッドの上でごろりと寝返りを打つ。
 それでなくても、この頃は結婚を勧めてくる周りの声がうるさくなってきていた。
 つい先日、社長である父のいさむから課長への昇進を打診された。それとともに、将来経営陣に名を連ねる者として、下準備をしておけとも言われた。
 それはつまり、そろそろ身を固めろという催促であり、実際にいくつかの見合い話も提案されている。
 もちろん、その都度断っているし、まだそんな気になれないと拒絶しているが、どこまでそれが通用するか……
 そんな事情もあり、壮士はできるだけ早くまどかとの関係を確実なものにしたいと考えていた。
 壮士は今一度ベッドの上で仰向けになり、天井に向かって右手を伸ばす。
 そして、目前に浮かぶまどかの幻影を見つめながら、いかにして彼女を手に入れるかを思案するのだった。


     ◇ ◇ ◇


 週明けの月曜日、まどかは実家から電車に乗り、いつもより早く会社に出勤してきた。
 時間は午前七時ちょうど。
 始業時間よりも一時間早いせいか、フロアにはまださほど人はいない。
 まどかはロッカー室に立ち寄り、実家から持ってきた荷物を置いて自分の席に向かう。
 今は一人暮らしをしているまどかだが、大学を卒業するまでは実家で暮らしていた。
 実家には両親の他に、大学三年生と高校一年生の妹が住んでいる。まどか達三姉妹は、容姿も性格もあまり似たところがない。それでいて、近所でも評判の仲良し姉妹で、離れて暮らす今も妹達とは頻繁ひんぱんに連絡を取り合っている。

(今朝のフレンチトースト、美味おいしかったなぁ。はなってば、すっかり料理上手になっちゃって)

 花というのは、桜井家三姉妹の末娘で、高校入学を機に母の営む「チェリーブロッサム」を正式に手伝うようになった。
 花は多少のアルバイト料をもらいつつ、キッチンで母からカフェメニューのレクチャーを受けている。
 まだまだ子供だし同学年の子に比べても世間知らずのところがある花だが、意外と芯が強くてしっかり者だ。

(えらいえらい……お姉ちゃんも、仕事頑張らなきゃ!)

 始業時間よりだいぶ早いが、まどかは自席に着き、途中で買った熱いコーヒーを一口飲んだ。
 パソコンを立ち上げ、今日一日のスケジュールをざっと確認した。
 相変わらず、やる事は毎日山積みだし、時間的にきつい仕事もある。だが、気力も体力も十分整っているまどかには、なんの問題もない。
 それはきっと、金曜日の夜から充実した週末を過ごせたおかげだろう。
 実家でのくつろいだ時間もさる事ながら、壮士と過ごした数時間が、まどかの心身を隅々までリフレッシュさせてくれた。
 壮士とのセックスは、いつだって濃密で我を忘れてしまうほど気持ちがいい。
 彼の愛撫あいぶ執拗しつようといえるほど丁寧かつ気が利いており、こちらが望む事を素早く察知して行動に移してくれる。
 日々のストレスをこれほどスッキリと解消してくれる彼とのセックスは、まどかにとって究極のいやしとなっていた。
 いや、セックスだけではなく、「同志」である壮士とともに過ごす時間そのものが、今やなくてはならないほど貴重なものになっている。

(だけど、壮士はどうなんだろう?)

 まどかは、小さく首を傾げた。
 最初に「同志」関係を言い出したのは壮士だが、彼がその気になれば女性などよりどりみどりだ。
 それなのに、どうしてわざわざ自分などを選んだのか……

(まぁ、一番手近だし、お互い性格も素性も知ってる気軽さもあるのかも)

 ぼんやりとした結論を導き出すと、まどかは背筋を伸ばし、脳内を仕事モードへと切り替える。
 入社して四年目、まどかは先月ついに主任に昇格した。
 いい上司と先輩社員に恵まれ、これまで精一杯仕事を頑張ってきた。その努力が認められたようで素直に嬉しい。
 完全成果主義をとっている「中條物産」では、きちんと実績を上げ能力を評価されれば、すぐに昇給、昇格する可能性がある。同期入社の壮士も主任だが、彼の昇格はまどかより一年も早かった。
 もちろん、それは彼がビジネスマンとして優秀だからに他ならない。もともと天才肌ではあるが、それだけではなく、日々の努力をおこたらない真面目さがあった。
 しかし、中には彼の出世をねたみ、御曹司だから優遇されていると陰口を叩く卑怯者ひきょうものもいる。
 だが、誰の目から見ても壮士の実力は明らかだし、入社当初の彼をコネ入社だと断じた同期は、早々に戦線を離脱してみずから退社していった。

(よしっ、私も負けていられない!)

 壮士は一緒にいるだけでまどかを刺激し、高めてくれる大切な存在なのだ。
 始業五分前になり、まどかはデスクで戦闘態勢に入る。
 今日の業務に必要な資料を出して、別途取り掛かる仕事のために画面上の数字を追う。
 まどかは今「白兎しらと製パン」という製パンメーカーとの新規取引契約を結ぶために奔走している。
 同社は創業三十二年とそれほど歴史は長くないが、創業以来、素材と焼き方にこだわった商品を作り続けているメーカーだ。
 派手な宣伝はしていないものの、口コミで商品のよさが伝わって今や人気はうなぎのぼり。通販のみならず常にあちこちのイベント会場に呼ばれ、知名度と売り上げを伸ばしている。
 その会社が、新規事業としてレストラン業界に参入した。そこで提供する新商品としてドライフルーツを使ったパンの製造を決めたらしい。
 その情報を得たまどかは、みずから同社との材料受注契約を結ぶ企画書を作り、上の承認を得るやいなや、何度も先方に足を運んで契約を結んでもらおうと奮闘中だ。
 しかし「白兎製パン」には、もうすでに「平田ひらたパシフィコ」というアジアに数カ所支社を持つ食品輸入会社が参入している。
 そして、社長の宮田一郎みやたいちろうは人一倍義理堅い人物だった。
 宮田にしてみれば、これまで付き合いのある「平田パシフィコ」の利益を他に回すような真似はしたくないらしく、契約を持ち込んだ当初はけんもほろろに門前払いされていた。
 しかし、足繁く通ううちに顔を覚えてもらい、その後もりずに通い詰めた結果、社長に一度見積りを出してみろと言ってもらえたのだ。
 かくなる上は、是が非でも受注契約を結びたい。
 しかし、当初の予想どおり受注契約は「平田パシフィコ」の見積りと比較検討された上で決定する事となり、今現在まどかはドライフルーツの生産者側との交渉にかかりきりだ。
 目当てのドライフルーツは、中東のS国が一番多く産出しており、他のどこよりも品質がいい。
 品質についてはぜったいの自信があるし、かかわったからにはより良い商品が出来上がるよう全力を尽くしたいと思っている。
 まどかは複数抱えている案件の資料を手早くまとめ終えると、「白兎製パン」に頼まれていた資料に取り掛かった。部内会議などを挟みつつそれを完成させて席を立つ。

「部長。『白兎製パン』に頼まれた資料を届けに行ってきます」

 デスクから立ち上がると、まどかは窓を背にして座っている猪田いのだに声をかける。

「おう、行ってこい。直帰するようなら、電話一本入れるように。って、桜井、お前、ちゃんと昼飯食べたか? もう午後一時だぞ」
「えっ? あ――いえ、まだです」

 仕事に集中するあまり、うっかりランチを取るのを忘れていた。どうりで、やけにお腹がいている訳だ。
 まどかは、今にも鳴りそうな自分のお腹をさすった。

「社員食堂に寄って、何か食べてから行けよ。『腹が減ってはいくさはできぬ』『いては事を仕損じる』って言うだろ?」

 食料事業本部長の猪田は、名前のとおり猪突猛進ちょとつもうしん型のやり手商社マンだ。
 今でこそデスクワーク中心の仕事をしているが、以前は営業マンとして日々あちこちを飛び回り、数々の成果を上げていたと聞く。

「わかりました。そうします」

 資料を入れたバッグを持ち、まどかは食料事業本部を出た。猪田のアドバイスに従い、社員食堂に立ち寄り、すぐに食べられそうなものを物色する。
「中條物産」の社員食堂には、和洋中のメニューの他にお弁当やおにぎり専門のコーナーがあった。入り口付近にはコンビニエンスストアも入っており、わざわざ外に出なくてもランチには困らない。

(さてと、何を食べようかな)

 まどかは、自宅ではほとんどキッチンに立たない。基本的に朝はシリアルで、夜は外食かスーパーのお惣菜、もしくはお弁当屋さんのお世話になっている。
 そんな食生活を送る中で、平日のランチタイムで利用する社員食堂の存在は、まどかにとって心底ありがたかった。
 そこに行けば、温かくて美味おいしい食事にありつけるのだ。
 しかも、メニューの種類は豊富だし栄養バランスもいい。
 社員食堂がなければ、まどかの食生活はもっと悲惨なものになっていた事だろう。

「桜井。今からランチか?」

 まどかが思案顔で立っていると、社員食堂から出てきた壮士がすれ違いざまに声をかけてきた。

「ああ、中條。うん、これから『白兎製パン』に行くから、速攻で食べられるものをと思って」
「だったら、オムライスランチだな。シンプルなオムライスに、スープとプリンがついてる」
「え? 何それ!」

 それを聞いたら、もう頭の中はオムライス一択だ。

「じゃあな。仕事の健闘を祈っとくよ」
「ありがとう」

 壮士と別れると、まどかはまっすぐ洋食コーナーに向かった。オムライスランチをオーダーし、トレイを持ってフロアを見回す。
 そして、南側のカウンター席に移動して、いている席に座った。

美味おいしそう! やっぱ、オムライスは定番に限るなぁ)

 まどかが好きなオムライスは、昔ながらの卵がきっちり焼いてあるシンプルなものだ。今どきの卵が半熟でふわトロのものは、今ひとつ好みに合わないというかなんというか。
 いただきますを言い、ケチャップがたっぷりかかっている部分を大きく切り分けて口に入れる。
 からっぽに近かった胃が、甘酸っぱいオムライスで満たされていく。
 まどかは至福の表情を浮かべながら、ランチを平らげていった。
 食べている途中で、テーブルの上に置いていたスマートフォンがメッセージの到着を知らせる。
 送信者は壮士だ。
 見ると、「白兎製パン」に行くために乗車する路線が、一時間ほど前から大幅に遅延しているという内容だった。

(えっ……遅延? じゃあ、ひとつ先の駅まで歩いて、別のルートで行ったほうがマシかな?)

 忙しく頭を働かせながらも、ふとさっき見送ったばかりの壮士のうしろ姿が目の前に浮かんでくる。
 会社では、あくまでも同僚としての接し方を心掛けている二人だ。だけど、壮士はいつも、まどかの事を気にかけて、さりげなくフォローしたりしてくれる。

(壮士って、ほんと、気配り上手だよね。うっかりしてると、本気で惚れちゃいそう……なーんてね)

 自身のたわ言に突っ込みを入れつつ、まどかはオムライスの最後の一口を呑み込む。
 ランチを食べ終えたまどかは、化粧室に行って個室に入った。
 用を済ませ外に出ようとした時、パンプスの足音が三、四人分聞こえてくる。

「ねえねえ、さっきの中條主任、かっこよかったよねぇ~! あれって、何語?」
「……たぶん、スペイン語? 超絶かっこよかった! あんな人の彼女になれたら幸せだろうなぁ。実際どうなの? 彼女がいるのかいないのか、確かな情報をゲットした人、いないの?」


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