10 / 11
新生活のようなもの
魔王、名乗る。
しおりを挟む「は……?」
「ミスター・デビル!」
ミスター・ビングリーがつぶやき、アンが声を上げたのはほぼ同時だった。
しまったと思ったものの、すでにときは遅し。ミスター・ビングリーは「デビル」という呼称を聞いてしまった。普通の人間なら疑いを持つ名前だろう。
いや、気にするべきなのは名前だけじゃなくて!
魔王の存在そのものだから……!
「お前はわたしをこの世にいるわけがないと断言したな」
ニヤリと微笑むと、ミスター・デビルは言った。
ミスター・ビングリーは目を白黒させている。無理もない。そもそもその存在を目にするだけで万人に息を飲ませるであろう容姿の男が、ついさっき男っ気がないことをディスったオールドミス小説家の田舎屋敷にいきなり現れ、おまけに、「いるわけがない」と評したキャラクターと瓜二つなのだから。
しかも!
魔王は勝手に、自分がエドワードであるかのような発言を!
「き……君は……君が、このエドワードなのか……?」
ミスター・ビングリーの声は震えている。
「わざわざ聞く必要もあるまい」
魔王の答え(らしきもの)は自信に満ちていた。まさにエドワードのキャラクターと一致する……と言ってしまえば、そうなのだろう。
「ちょっと待ってください、ミスター・デビル。勝手に話を進めないで! ミスター・ビングリーとわたしは仕事の話をしているのよ。ここには来ないでと言ったでしょう?」
「アン」
「だから……! そうやって顔を近づけてこないで!」
「この男に教えてやろう。お前がどのように『孤独に苛まれて』、日々『妄想を激しくしている』のか」
魔王の腕は慣れたふうにするりとアンを抱き寄せる。
アンは重心を見失って、魔王に身体を預ける体勢になった。重力の自然で顔が上を向くと、魔王の完璧な唇が重なってきてアンの唇を奪う──一瞬の出来事だった。
「ふ……、はぁ……っ」
「人前だからと恥じる必要はない、アン……。いつものように、わたしにすべてを預けるがいい」
「あ……」
アンは咄嗟に抵抗できず、クチュ、と唾が水音を立てるような濃厚な口づけになった。魔王の巧みな動きに誘われて口を開かされ、深く舌に侵入される。
すぐ目の前ではミスター・ビングリーが呆然と目を見開き、アンの大切な原稿をかろうじて持っている状況だ。
しばらくして魔王はやっとアンを接吻から解放したが、腰を抱く腕はそのままだった。
「ミ……ミスター……デビル……もう」
まるで可憐な乙女のようなか弱い震えた声しか出せないのが悔しい。
「どうした。お前が書いた男ならどうするのか、言うといい。わたしがすべて叶え、この男にこれが現実だと教えてやろう」
魔王はその目に痛いくらい完璧な顔に、さらに魔性の艶やかな笑みを浮かべ、アンではなく……ミスター・ビングリーを見据えている。
確信犯だ!
しかも『現実だと教える』とか、飛躍しすぎでは! エドワードは小説のキャラクターで、ただ共感できるかどうかの話だったのに! 勝手に現実化するとか!
「アン……まさか君に、その、こんな……恋人がいるとは」
ミスター・ビングリーはどこか傷ついたような顔をしていた。どこに傷ついたんだろう。編集者としてのプライドだろうか?
都会でも顔が広く、方々と交流関係のあるミスター・ビングリーに魔王の存在が知られたとあっては、世間でのアン・グレイスウッドの評判は著しく汚されることになる。
──あって無いような評判ではあるけれど、それでもなけなしの自分の人望を傷つけたくない。
「こ、恋人なんかではありませんわ」
「……と言うと?」
「こちらは……こちらは……」こちらは、なんだろう? 魔王を名乗るトーストが好物のジゴロ?「作品のモデルになっていただいた方ですの」
アンは嘘をついた。
「モデル? まさか本当に……侯爵なんじゃないだろうな……?」
「いいえ、彼は──」
魔王です、とは言えない。
アン自身、ミスター・デビルのこの主張を100%完全には信じていない。でも彼は、ただの普通の平民ですというより、はい、高貴な血筋の由緒正しき侯爵ですといった方がよっぽど現実味のある容姿をしているのも事実だ。むしろどこかの王族だと言ってしまった方がしっくりくるかもしれない。魔王だし。
もう、本当に魔王なの?
アンが答えられずにいると、ミスター・ビングリーは魔王に向き直った。
魔王に比べれば見劣りするとはいえ、ミスター・ビングリーもそれなりに美形で、それなりに傲慢で気の強い男である。負けていなかった。少なくとも、完全なる敗北ではなかった。
「貴殿はミスター・デビルと言うのだな」
魔王は答える代わりにフンと短く鼻を鳴らした。
もしこんなにきつく腰を抱かれていなかったら、アンはもう逃げ出すところだ。このさい原稿さえどうでもいい。
「自分はアーネスト・ジョン・ビングリーだ。君の名前を知りたい」
アンはヒュッと鋭く息を飲んだ。
一瞬、アンも知りたいと思ってしまった──魔王の名前。ファーストネーム。アンが考えたミスター・デビルではなくて、彼がどう己を名乗るのか。
「エドワード」
魔王は短く答えた。
「エドワード……デビル」
ミスター・エドワード・デビル誕生の瞬間だった。
2
あなたにおすすめの小説
彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中
桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。
やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。
「助けなんていらないわよ?」
は?
しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。
「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。
彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
【恋愛】目覚めたら何故か騎士団長の腕の中でした。まさかの異世界トリップのようです?
梅花
恋愛
日下美南(くさかみなみ)はある日、ひょんなことから異世界へとトリップしてしまう。
そして降り立ったのは異世界だったが、まさかの騎士団長ベルゴッドの腕の中。
何で!?
しかも、何を思ったのか盛大な勘違いをされてしまって、ベルゴッドに囲われ花嫁に?
堅物騎士団長と恋愛経験皆無の喪女のラブロマンス?
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる