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Chapter Twenty Seven
しおりを挟むすっかり怯えきった神父の仲介のもと、ローナンとネルがウッドヴィルの小さな教会で結婚式をあげてから、すでに一年が過ぎようとしていた。
ノースウッド伯爵エドモンド・バレット卿の屋敷は今日も快活で、賑やかな笑い声にあふれている。冬の重い雪に埋もれて森の奥にたたずむ北部の中世屋敷は、外の寒さをものともせず、たくさんの暖炉の炎とロウソクの明かりに照らされて輝いていた。
あちこちで人が声をあげて笑い、幼子が駆け回り、使用人が忙しく行き来する。
そして、今日。
年の瀬を前に、いちだんと忙しく活気づいた屋敷の中で、ローナン・バレットは激しく動揺しながらあちこちを歩き回っていた。
長い手足を持て余すように早足で階段を上り下りしたり、暖炉の前で、檻に入れられた猛獣のように苛立たしげに絨毯の上を往復したりしていた。できるならもっと激しい動きをしたかったが、これ以上、屋敷を混乱させるわけにはいかない。
ローナンは狼狽していた。
兄・ノースウッド伯爵が妻の出産のさいに乱心して、ありとあらゆる罵詈雑言を吐きながら屋敷を半壊したのを、ローナンは覚えている。
あの時は兄を哀れに思い、あまりに大げさではないかと笑って、酒を勧めたものだ。
しかしローナンは間違っていた。
間違っていたことを、当時の兄とまったく同じ立場になってはじめて、心の底から理解したのだった。
ネル・マクファーレン改め、ネル・バレットは昨夜……予定日を少し前に産気づき、夫婦の寝室で乳母と伯爵夫人とマギーの立会いのもと、すでに何時間も陣痛に耐え続けていた。目の見えない彼女がどんな思いで産みの苦しみと戦っているのかと考えるだけで、ローナンは気が狂いそうになった。
今すぐ彼女の隣に行って手を握り、汗をふき取り、慰めの言葉をかけて深くいたわりたかった。
そう、今すぐ……。
「そうすぐには産まれないだろう。少し座って、これでも飲んだらどうだ」
背後から落ち着き払った声がして、ローナンは苛立ちにぎらついた目で声の主を振り返った。
黒いガウンを羽織ったエドモンドが、手に琥珀色の飲み物の入ったグラスの杯を持って立っている。彼の目には、この状況を心から楽しんでいるような、わけ知り顔の微笑みが踊っていた。
「僕は酒を飲んで我を失うような真似はしたくないよ、兄さん。あなたの醜態を見てるからね」
「そうか? 落ち着くと思うがね」
「三杯も飲んだ後に、オリヴィアのいる部屋の扉を蹴破ろうとして、止めた僕をひじで殴ったのは誰だったな」
エドモンドは片眉を上げた。「覚えていないな」
「目の前に星が飛んだよ。三日はあざが引かなかったね。あの時の兄さんに比べれば、僕はだいぶ冷静だと思うよ」
ふたりの男達はしばらく無言で見つめ合った。
エドモンドはそのまま持っていた杯に口を運び、ひと口だけブランデーを飲んだ後、近場にあった暖炉のマントルピースの上に杯を置いた。
急に疲れが襲ってきた気がして、ローナンは大きくため息を吐きながら首を振った。
「なぜ女性が子供を産まなくちゃいけないのかな。神はだいぶ不公平な奴だと思わないかい?」
「さあな……文句を言ってもわたし達が産めるようになるわけではないし」
「そこが問題だよ。僕達は種を蒔いて散々楽しませてもらったのに、後の苦しみを味わうのは妻達なんだ。ひどいじゃないか」
こんな無力感を感じたのは生まれてはじめてだった。
愛する妻は、今この瞬間にも、想像を絶する痛みに耐えながら新しい命を生み出そうとしている。対するローナンは、暖炉の前でじりじりと待つことしかできない。
せめて、出産に立ち会い、ネルの隣で彼女を励ましたかったが、ネル本人をはじめ寝室に篭った女性陣はそれを激しく拒否したのだ。
『旦那には無理だよ。そういうふうにできてるんだ。気を失って倒れられたりしても、面倒を見てやる暇はないんでね』
と、ベテランのマギーは片手でローナンを追い払らおうとした。
いや、ローナンは数え切れないくらいの馬とヤギの出産に立ち会ってきた。妻のそれに耐えられないはずがないと食い下がると、今度はネル本人が、陣痛が引く合間に顔を汗に濡らしたまま、弱々しく微笑んで言った。
『お願いだから、マギーの言うことを聞いてちょうだい。生まれたら、あなたはわたしに赤ちゃんの様子を教えてくれなくちゃいけないのよ。正気でいて欲しいの』
だから、ローナンはあちこちから勧められる酒にも手をつけず、ひたすら悶々としながら運命の時が来るのを待っている。
執事ピートと従者ジョージの老人二人組みが、広間でチェスをしながら赤ん坊が男か女かで果てのない口論をしているのが、妙に遠くに聞こえる気がした。
「きっと、ネリーお嬢さんそっくりの美人なお嬢ちゃんに違いねぇ。俺にはね、分かるんだよ。感じるんだ。あんたと違って感受性が豊かだからね」
そう言いながらジョージがポーンを前に進めると、その動きが気に入らなかったのか、ピートは眉をしかめた。
「馬鹿めが。男に決まっておる! そもそもバレット家は男ばかりが生まれるようにできているんだ!」
「イザベラお嬢ちゃんがいるじゃねえか」
「あれは特別だ。こんな例外はそうそう起こらない……」
という横を、そのまさにイザベラが、白い子供用ドレスをひらめかせながら駆け寄ってきて、「おじーちゃん!」と叫びながらチェス台の上に手を乗せて駒をめちゃくちゃにした。
「イザベラ!」
「お嬢ちゃん!」
ふたりの「おじーちゃん」が声を荒げて興奮するのを、イザベラは天使の笑みを浮かべながらカラカラと笑って楽しんでいる。その成り行きを見たエドモンドが、ため息を吐きながらも甘い表情を浮かべて、娘を捕まえるために大股で離れていく。
ノースウッド伯爵エドモンド・バレット卿の屋敷は今日も明く輝いていた。そしてもうすぐ、新たなる光が生まれてくる。
そしてローナンがはじめて息子をその腕に抱いたのは、重かった雪が粉雪に変わり、朝日が登りきった明るい午前中だった。
妊娠中にネルが縫ったおくるみに包まれた息子は、小さくて真っ赤で温かくて、髪のほとんどない頭に妙な帽子をかぶされて、まだよく見えない目をぱちぱちとさせていた。
「ありがとう、ネル」
ローナンにはそれしか言えなかった。
ネルは出産の疲れに青白い肌をしていたが、満足そうな微笑みを絶やすことはなかった。ローナンの彼女への愛情は、それを見てよりいっそう深まっていく。
「君は勇気ある女性だ。今日はそれを再確認したよ。本当にありがとう……綺麗な子だ」
「どんなふうなの? 目の色は? 髪は? 早く聞かせて」
「マギー達は教えてくれなかったのかい?」
「あなたの口から聞きたいの。ねえ、教えて」
ローナンは赤ん坊を抱いたまま、ネルが上半身を少しだけ起こして横たわっているベッドの端に、腰を下ろした。ベッドがぎっと音を立ててきしむ。
おのれの抱いている命の重さに、ローナンはあらためて畏怖を覚えた。
「小さいよ……。小さくて肌が真っ赤で、指がしわしわだ。でもちゃんと五本づつある。目を開けたり閉めたりしてて……なに色かな、ちょっと待ってくれ……ああ、青っぽい気がするな。灰色かも……」
ネルが宙に手を伸ばしたので、ローナンは彼女が赤ん坊に触れるように体をずらした。母の指がほおに触れると、赤ん坊は小さく身をよじる。
「目の色は変わるから」
「そうだね、最終的には青になるんじゃないかな……雪が降り終わった後の、水色の空みたいに」
ネルの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。「ええ、見たかったわ」
片手で赤ん坊を抱きしめ、もう片方の手でネルのほおを包んだローナンは、額を彼女に寄せてささやいた。
「僕が教えてあげる。僕が君の目だ。そしてこの子は僕らの光だ」
水滴に曇った窓を通じて、まばゆい太陽の光が三人の上に降りそそいでいた。彼らの未来を照らすように。
ふたりは口づけを交わし、光に包まれながら互いに微笑んだ。
【Bright Dawn 了】
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