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第三章 あなたがいるから
淡き思い 2
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するとデラールフは、なにか聞き取れない単語をひと言ふた言つぶやき、ため息を吐いて頭を垂れた。
(ああ、また……)
こういう時、たまにデラールフがなにを考えているのかわからなくなる。
確信はないが、多分……デラールフ自身が、ローサシアに悟られないように感情を殺しているのだ。だからローサシアにはわからない。
ローサシアは慌てて、言い訳がましくも説明を加えた。
「い……いつもの、ほっぺや額にしてくれるみたいなキスでいいのよ。他意はないの。でも場所は……唇がいいの」
そうだ。デラールフとローサシアは毎年、家族との誕生日祝いが終わった後に、ふたりきりで真夜中の森に入った。
ローサシアは寝静まった家の窓からこっそりと抜け出す。
外で待っているデラールフが、それを助けてくれる。
フクロウさえも鳴かない極寒の冬の夜、デラールフの炎に温められながら、ふたりはひっそりと秘密の誕生日祝いをした。
両親がいい顔をしない甘すぎるケーキをこっそり食べて、ふたりして顔をベトベトにして笑い合ったり。夜の森に入ってデラールフの炎で遊んだり。
することといったら特別なことではない……。ただ大事なのは「ふたりきり」であるというだけの、子供の頃からの慣わしだった。
でもローサシアにとっては、どんな宗教儀式より聖神なひとときだった。
そして今夜……大人への門出を祝う今年は、それにふさわしいなにかが欲しかった。デラールフの気持ちが時々わからなくなる最近は、特に。彼との絆を確認できるなにかがどうしても必要だった。
デラールフは頭を振りながら顔を上げて、再びじっとローサシアを見すえる。
ローサシアも彼を見つめ返した。
一瞬だけ、デラールフの漆黒の瞳に、赤い炎が宿った気がした。でもそれはすぐに姿を消して、わずかな憂いを帯びた優しい眼差しが、真摯にローサシアをとらえている。
ローサシアの決心は揺らいだ。
結局のところ、ローサシアがなによりも欲しいのは、デラールフの幸せなのだから。
「どうしても嫌なら……いいの。忘れて。でも……いつもみたいに、夜はふたりで会ってくれるでしょう?」
「ああ」
デラールフが目に見えてホッとするのがわかって、正直、ローサシアの心はチクリと痛んだ。
ローサシアはデラールフを愛している。
彼が好きだ。
家族として。兄として。友人として。男性として。すべてにおいて。
デラールフだってローサシアを愛している。それは疑っていない。
でも彼にとってのローサシアへの愛情は、家族、妹、幼なじみの友人……そういうところで止まっているのだ。女性としては……愛されていないというよりも、そもそも女性として認識されていない。
そう理解している。
横なぶりの強い北風が雑木林を揺らし、ザワザワと枯れ枝が音を立てる。ローサシアは小さく震えた。
「寒いのか?」
短いデラールフの問いに、ローサシアはわずかにカチカチと歯を鳴らしながらうなずいた。
一瞬にして小さな火の玉を作ったデラールフは、それをローサシアに手渡した。
まがいもない炎の塊なのに、ローサシアの肌は焼かない。熱だけがローサシアを温め、その美しい橙色が彼女の目を楽しませてくれる。
「これ……いいの? ひと前で炎を扱うのは、好きじゃないのに」
まだ校門前に立っている少年にちらりと目線を向け、ローサシアはささやく。
少年にはデラールフに近づく勇気はないらしかった。が、かといって逃げ出すほどの臆病者ではないらしく、どこか羨ましそうに……しかしわずかな侮蔑のこもった視線を、デラールフとローサシアに向けている。それが《能力者》であるということだ。
デラールフもまた、少年に目を向けた。
ローサシアの見間違いでなければ、デラールフの目には敵意がふくまれていた。もしくは焦燥が。年若い少年がデラールフのそんな視線に耐えられるはずもなく、グッと悔しそうに息を呑むと、踵を返して校舎に駆け戻っていった。
ローサシアは嗜めるようにデラールフに目を向けたが、彼の顔に後悔の色は見えなかった。
「……いいんだよ。お前が風邪を引かなければ」
そして「ほら」と言って、ほつれていたローサシアのマフラーを巻き直し、ぎゅっと肩を抱く。手元で揺れる火の玉もあり、ローサシアの心身は急速に温まっていった。
ローサシアは今日、十六歳になった。
デラールフに大人として扱って欲しい。女として意識して欲しい。
ふたりきりの秘密の誕生日祝いにキスをねだったのは、それが理由だった。
* * * *
「あの小さかったわたしの赤ちゃんが、こんなに大きくなって……。見て! もうわたしと同じ背丈ね! 誕生日おめでとう、ローサシア」
母に抱きしめられながら、去年も聞いたような気がする祝福の言葉を受ける。
父は母のすぐ横に佇み、この世界でなによりも大切にしているふたりの女性の肩を両手で包んで、満足げに微笑んでいた。
デラールフはほんの少しだけ三人と距離を置いて、居間の椅子に座ったまま、サリアン一家が一人娘の誕生日を祝うのを眺めている。
しばらくすると父がデラールフを誘い、四人はひとつの輪になって抱き合い、頬への口づけや抱擁を順々に行った。
おめでとう、とか、よかったな、とか、そういった祝辞をデラールフは口にしなかった。
少なくとも家族の前では。
四人はシアーナが手を振るったご馳走をたいらげ、祝杯を交わしながらローサシアの誕生日を祝った。
外は冬の闇に閉ざされ、軽やかな粉雪がチラチラと舞っている。
しかしサリアン家の暖炉には豊かな炎が燃え盛り、寒さとは無縁の温もりにあふれていた。その炎が、薪の量に比例して大きすぎるのは、きっと偶然ではない。
デラールフはなにも言わずに、《能力》でこの家を温めてくれているのだ。いつものように。
そんな彼の静かな優しさを、ローサシアは心の底から愛していた。
「来てくれてありがとう、デラールフ」
夜も更けてきたころ、小屋に戻ろうとするデラールフに、ローサシアは声をかけた。
「誕生日おめでとう、ローサシア」
言葉自体はシンプルだが、深い感慨のこもった声でデラールフはつぶやいた。
家族と別れの挨拶をしたあと、ローサシアはデラールフを玄関まで送る。送るといっても、彼の家はすぐ目と鼻の先である。ただ、数秒でもいいから、ふたりきりの時間が欲しかったのだ。
デラールフが扉を開いてローサシアを振り返った瞬間、ふたりは見つめ合った。
「今夜」
とだけ、デラールフは言った。
父と母に聞こえないようにするためだろう、とても抑えた声だった。ともすればローサシアにさえよく聞こえないような、かすれた小さなささやき。
ローサシアがうなずくと、デラールフは外套の襟首を締め直して、サリアン家の玄関から出て行った。
──今夜。
今夜、ふたりは唇を重ねるのだろうか。
去っていくデラールフの後ろ姿を見つめながら、ローサシアは玄関先で白い息を吐く。デラールフは彼の家の玄関まで着くと、一度だけローサシアを振り返った。
そして、早く家の中に入れというふうに、片手をしっしっ、と振る。
それから声に出さずに口だけ動かして、なにかを表現した。
その唇の動きは、また、
『今夜』
に見えた。
今夜……。
(ああ、また……)
こういう時、たまにデラールフがなにを考えているのかわからなくなる。
確信はないが、多分……デラールフ自身が、ローサシアに悟られないように感情を殺しているのだ。だからローサシアにはわからない。
ローサシアは慌てて、言い訳がましくも説明を加えた。
「い……いつもの、ほっぺや額にしてくれるみたいなキスでいいのよ。他意はないの。でも場所は……唇がいいの」
そうだ。デラールフとローサシアは毎年、家族との誕生日祝いが終わった後に、ふたりきりで真夜中の森に入った。
ローサシアは寝静まった家の窓からこっそりと抜け出す。
外で待っているデラールフが、それを助けてくれる。
フクロウさえも鳴かない極寒の冬の夜、デラールフの炎に温められながら、ふたりはひっそりと秘密の誕生日祝いをした。
両親がいい顔をしない甘すぎるケーキをこっそり食べて、ふたりして顔をベトベトにして笑い合ったり。夜の森に入ってデラールフの炎で遊んだり。
することといったら特別なことではない……。ただ大事なのは「ふたりきり」であるというだけの、子供の頃からの慣わしだった。
でもローサシアにとっては、どんな宗教儀式より聖神なひとときだった。
そして今夜……大人への門出を祝う今年は、それにふさわしいなにかが欲しかった。デラールフの気持ちが時々わからなくなる最近は、特に。彼との絆を確認できるなにかがどうしても必要だった。
デラールフは頭を振りながら顔を上げて、再びじっとローサシアを見すえる。
ローサシアも彼を見つめ返した。
一瞬だけ、デラールフの漆黒の瞳に、赤い炎が宿った気がした。でもそれはすぐに姿を消して、わずかな憂いを帯びた優しい眼差しが、真摯にローサシアをとらえている。
ローサシアの決心は揺らいだ。
結局のところ、ローサシアがなによりも欲しいのは、デラールフの幸せなのだから。
「どうしても嫌なら……いいの。忘れて。でも……いつもみたいに、夜はふたりで会ってくれるでしょう?」
「ああ」
デラールフが目に見えてホッとするのがわかって、正直、ローサシアの心はチクリと痛んだ。
ローサシアはデラールフを愛している。
彼が好きだ。
家族として。兄として。友人として。男性として。すべてにおいて。
デラールフだってローサシアを愛している。それは疑っていない。
でも彼にとってのローサシアへの愛情は、家族、妹、幼なじみの友人……そういうところで止まっているのだ。女性としては……愛されていないというよりも、そもそも女性として認識されていない。
そう理解している。
横なぶりの強い北風が雑木林を揺らし、ザワザワと枯れ枝が音を立てる。ローサシアは小さく震えた。
「寒いのか?」
短いデラールフの問いに、ローサシアはわずかにカチカチと歯を鳴らしながらうなずいた。
一瞬にして小さな火の玉を作ったデラールフは、それをローサシアに手渡した。
まがいもない炎の塊なのに、ローサシアの肌は焼かない。熱だけがローサシアを温め、その美しい橙色が彼女の目を楽しませてくれる。
「これ……いいの? ひと前で炎を扱うのは、好きじゃないのに」
まだ校門前に立っている少年にちらりと目線を向け、ローサシアはささやく。
少年にはデラールフに近づく勇気はないらしかった。が、かといって逃げ出すほどの臆病者ではないらしく、どこか羨ましそうに……しかしわずかな侮蔑のこもった視線を、デラールフとローサシアに向けている。それが《能力者》であるということだ。
デラールフもまた、少年に目を向けた。
ローサシアの見間違いでなければ、デラールフの目には敵意がふくまれていた。もしくは焦燥が。年若い少年がデラールフのそんな視線に耐えられるはずもなく、グッと悔しそうに息を呑むと、踵を返して校舎に駆け戻っていった。
ローサシアは嗜めるようにデラールフに目を向けたが、彼の顔に後悔の色は見えなかった。
「……いいんだよ。お前が風邪を引かなければ」
そして「ほら」と言って、ほつれていたローサシアのマフラーを巻き直し、ぎゅっと肩を抱く。手元で揺れる火の玉もあり、ローサシアの心身は急速に温まっていった。
ローサシアは今日、十六歳になった。
デラールフに大人として扱って欲しい。女として意識して欲しい。
ふたりきりの秘密の誕生日祝いにキスをねだったのは、それが理由だった。
* * * *
「あの小さかったわたしの赤ちゃんが、こんなに大きくなって……。見て! もうわたしと同じ背丈ね! 誕生日おめでとう、ローサシア」
母に抱きしめられながら、去年も聞いたような気がする祝福の言葉を受ける。
父は母のすぐ横に佇み、この世界でなによりも大切にしているふたりの女性の肩を両手で包んで、満足げに微笑んでいた。
デラールフはほんの少しだけ三人と距離を置いて、居間の椅子に座ったまま、サリアン一家が一人娘の誕生日を祝うのを眺めている。
しばらくすると父がデラールフを誘い、四人はひとつの輪になって抱き合い、頬への口づけや抱擁を順々に行った。
おめでとう、とか、よかったな、とか、そういった祝辞をデラールフは口にしなかった。
少なくとも家族の前では。
四人はシアーナが手を振るったご馳走をたいらげ、祝杯を交わしながらローサシアの誕生日を祝った。
外は冬の闇に閉ざされ、軽やかな粉雪がチラチラと舞っている。
しかしサリアン家の暖炉には豊かな炎が燃え盛り、寒さとは無縁の温もりにあふれていた。その炎が、薪の量に比例して大きすぎるのは、きっと偶然ではない。
デラールフはなにも言わずに、《能力》でこの家を温めてくれているのだ。いつものように。
そんな彼の静かな優しさを、ローサシアは心の底から愛していた。
「来てくれてありがとう、デラールフ」
夜も更けてきたころ、小屋に戻ろうとするデラールフに、ローサシアは声をかけた。
「誕生日おめでとう、ローサシア」
言葉自体はシンプルだが、深い感慨のこもった声でデラールフはつぶやいた。
家族と別れの挨拶をしたあと、ローサシアはデラールフを玄関まで送る。送るといっても、彼の家はすぐ目と鼻の先である。ただ、数秒でもいいから、ふたりきりの時間が欲しかったのだ。
デラールフが扉を開いてローサシアを振り返った瞬間、ふたりは見つめ合った。
「今夜」
とだけ、デラールフは言った。
父と母に聞こえないようにするためだろう、とても抑えた声だった。ともすればローサシアにさえよく聞こえないような、かすれた小さなささやき。
ローサシアがうなずくと、デラールフは外套の襟首を締め直して、サリアン家の玄関から出て行った。
──今夜。
今夜、ふたりは唇を重ねるのだろうか。
去っていくデラールフの後ろ姿を見つめながら、ローサシアは玄関先で白い息を吐く。デラールフは彼の家の玄関まで着くと、一度だけローサシアを振り返った。
そして、早く家の中に入れというふうに、片手をしっしっ、と振る。
それから声に出さずに口だけ動かして、なにかを表現した。
その唇の動きは、また、
『今夜』
に見えた。
今夜……。
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