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第四章 汝、燃え尽きるまで
嫉妬の焔 1
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トウマは空を仰ぎ見て、思わず盛大なため息をついた。
「……あーあ……それ言っちゃ駄目なやつだね。それもかなり痛いやつ」
特に信心深いわけではなかったが、胸の前で厳かに十字を切って、アーメンとつぶやきたい気分になった。
知れば知るほど同情を感じえないデラールフの想いは、ここに一旦の死を見たのだ。
トウマにはそれがわかった。
ちょっと痛すぎるくらいにそれを感じた。
『……そうだった……みたいですね』
「ちゃんとわかってはいるんだ? まあ、つまり、その後のデラールフはちゃんと君に抗議した?」
『デラはわたしには怒らないんです。少なくとも、滅多なことでは』
「あー……あぁ……」
なんだか言葉が見つからなくて、頭の足りない間抜けのような声を出してしまう。
トウマの呆れの深さを、もちろんローサシアは察したようだった。
もしくはその後のデラールフの対応が、この美しい死者になんらかの教訓を残すものだったのか……。
『わたしが大人げなかったんです。それは認めます。でも、当時のデラはいくらわたしが好きだって言っても、のらりくらりとかわすばかりだったし……』
「そりゃ、君はまだ十六歳だったんだから。同年代ならともかく、デラールフは結構年上だろう? そうするしかないでしょ。逆にガッついていたら変態だよ」
『……認めます。全面的に認めます。あれはわたしが悪かったんです……ごめんなさい』
ローサシアは素直に認めた。
それがこの娘の憎めないところだ。言いたいことを躊躇なく言える人懐こさはあるのだが、かといって気は強くないし、頑固でもない。
デラールフのような闇を抱える男には、この明るさと朗らかさの共存は、なにものにも代え難い癒しとなっていたことだろう。
それを。
嗚呼。
「いや、僕に謝らなくてもいいけど。それで、その後どうなったの?」
『先に言っておきますけど、あれは悔しくてつい言ってしまっただけで、本当に他の男の子を求めるつもりなんてなかったんです。まったく』
「んー……」
トウマは改めて、大きな水色の瞳が印象的な死者を上から下まで眺めた。そしてこんな結論に達しざるを得なかった。すなわち……
「別に君が求めなくても、向こうから寄ってくるでしょ」
『最終的にはそういうことになりました』
「最終的」
ちょっと待ってくれ、とトウマは手を挙げそうになった。それなりの覚悟をしていたつもりだったけれど、どうもデラールフに感情移入しすぎて、すでに胸が痛い。
これだけの困難を経て手に入れた恋人──くそ、婚約者だ──を失った心の慟哭はどれほどか。
想像するだけでも息苦しいのに、現実となると……。
「僕はズボンを焼かれただけですんでラッキーだったみたいだね……。デラールフは本当に手加減してくれていたんだ」
ローサシアは否定も肯定もしなかった。
ただ切なく微笑んで、目の前のトウマよりも記憶の中のデラールフに想いを馳せている。
おそらく楽しいだけではなかった日々を。
それでも手放せない大切な思い出を。
トウマには手が届かない……でもこれから聞かなくてはならない物語を。
「それで……?」
自分の声が驚くほど優しげになっていることに気づく。でも、それでいいと思った。
『しばらくは彼の言った通りの日々になりました。月に一回、一週間ほどだけ首都に行く。帰ってくると必ずわたしになんらかのお土産をくれて、ふたりで話をして、いつも通りの日常に少しだけ戻って……また次の月に同じことが繰り返されて、っていう。でも、』
次の言葉を考えるように、ローサシアはじっとトウマを見つめた。
こういうとき、多くの者は視線を泳がせるのだろうけれど、ローサシアは話す相手の目を見て瞳を揺らす。心を裸にされたような気分になった。
『……帰ってくるたびに大人びて、洗練されていくデラールフにわたしは焦りました。どんどん強く男らしくなっていく彼を益々好きになっていくのに、わたしは今までのままで、取り残されたみたいで、不安になって』
「そんなことないと思うよ」
トウマは小さな笑いを含んだ小さな声でささやいた。
「君はちょうど一番綺麗になっていく年頃だった。君を置いていくデラールフの方が、よっぽど不安だっただろうよ」
ローサシアも小さく笑う。
『上手くいかないものですね。本当はお互い、もう少し素直になるだけでよかったんでしょうけど』
「人生なんてそういうものだよ。学んだだけよかったじゃないか」
──と、言ってしまってトウマはすぐ後悔した。
目の前にいるのは死者だ。すでに人生を終えた人間なのだ。ローサシアが泣くか、なんらかの嫌味や苦情を言うのを覚悟したが、それはなく。
『その通りだと思います。学ばせてもらいました』
ローサシアは静かに言って、足を止めるとピートルの酒場がある方角に目線を向ける。すでに森の奥に入り込んでしまって、あの古い酒場の姿はすでに見えなかった。
それでも、たとえローサシアはすでに死者でも、デラールフは生きて、そこの古い床に転がりながら深酒で痛みを紛らわせて身を滅ぼそうとしている。
トウマはうなずくしかなかった。
うなずいて、ふたりの話の続きを待つしかなかった。
「……あーあ……それ言っちゃ駄目なやつだね。それもかなり痛いやつ」
特に信心深いわけではなかったが、胸の前で厳かに十字を切って、アーメンとつぶやきたい気分になった。
知れば知るほど同情を感じえないデラールフの想いは、ここに一旦の死を見たのだ。
トウマにはそれがわかった。
ちょっと痛すぎるくらいにそれを感じた。
『……そうだった……みたいですね』
「ちゃんとわかってはいるんだ? まあ、つまり、その後のデラールフはちゃんと君に抗議した?」
『デラはわたしには怒らないんです。少なくとも、滅多なことでは』
「あー……あぁ……」
なんだか言葉が見つからなくて、頭の足りない間抜けのような声を出してしまう。
トウマの呆れの深さを、もちろんローサシアは察したようだった。
もしくはその後のデラールフの対応が、この美しい死者になんらかの教訓を残すものだったのか……。
『わたしが大人げなかったんです。それは認めます。でも、当時のデラはいくらわたしが好きだって言っても、のらりくらりとかわすばかりだったし……』
「そりゃ、君はまだ十六歳だったんだから。同年代ならともかく、デラールフは結構年上だろう? そうするしかないでしょ。逆にガッついていたら変態だよ」
『……認めます。全面的に認めます。あれはわたしが悪かったんです……ごめんなさい』
ローサシアは素直に認めた。
それがこの娘の憎めないところだ。言いたいことを躊躇なく言える人懐こさはあるのだが、かといって気は強くないし、頑固でもない。
デラールフのような闇を抱える男には、この明るさと朗らかさの共存は、なにものにも代え難い癒しとなっていたことだろう。
それを。
嗚呼。
「いや、僕に謝らなくてもいいけど。それで、その後どうなったの?」
『先に言っておきますけど、あれは悔しくてつい言ってしまっただけで、本当に他の男の子を求めるつもりなんてなかったんです。まったく』
「んー……」
トウマは改めて、大きな水色の瞳が印象的な死者を上から下まで眺めた。そしてこんな結論に達しざるを得なかった。すなわち……
「別に君が求めなくても、向こうから寄ってくるでしょ」
『最終的にはそういうことになりました』
「最終的」
ちょっと待ってくれ、とトウマは手を挙げそうになった。それなりの覚悟をしていたつもりだったけれど、どうもデラールフに感情移入しすぎて、すでに胸が痛い。
これだけの困難を経て手に入れた恋人──くそ、婚約者だ──を失った心の慟哭はどれほどか。
想像するだけでも息苦しいのに、現実となると……。
「僕はズボンを焼かれただけですんでラッキーだったみたいだね……。デラールフは本当に手加減してくれていたんだ」
ローサシアは否定も肯定もしなかった。
ただ切なく微笑んで、目の前のトウマよりも記憶の中のデラールフに想いを馳せている。
おそらく楽しいだけではなかった日々を。
それでも手放せない大切な思い出を。
トウマには手が届かない……でもこれから聞かなくてはならない物語を。
「それで……?」
自分の声が驚くほど優しげになっていることに気づく。でも、それでいいと思った。
『しばらくは彼の言った通りの日々になりました。月に一回、一週間ほどだけ首都に行く。帰ってくると必ずわたしになんらかのお土産をくれて、ふたりで話をして、いつも通りの日常に少しだけ戻って……また次の月に同じことが繰り返されて、っていう。でも、』
次の言葉を考えるように、ローサシアはじっとトウマを見つめた。
こういうとき、多くの者は視線を泳がせるのだろうけれど、ローサシアは話す相手の目を見て瞳を揺らす。心を裸にされたような気分になった。
『……帰ってくるたびに大人びて、洗練されていくデラールフにわたしは焦りました。どんどん強く男らしくなっていく彼を益々好きになっていくのに、わたしは今までのままで、取り残されたみたいで、不安になって』
「そんなことないと思うよ」
トウマは小さな笑いを含んだ小さな声でささやいた。
「君はちょうど一番綺麗になっていく年頃だった。君を置いていくデラールフの方が、よっぽど不安だっただろうよ」
ローサシアも小さく笑う。
『上手くいかないものですね。本当はお互い、もう少し素直になるだけでよかったんでしょうけど』
「人生なんてそういうものだよ。学んだだけよかったじゃないか」
──と、言ってしまってトウマはすぐ後悔した。
目の前にいるのは死者だ。すでに人生を終えた人間なのだ。ローサシアが泣くか、なんらかの嫌味や苦情を言うのを覚悟したが、それはなく。
『その通りだと思います。学ばせてもらいました』
ローサシアは静かに言って、足を止めるとピートルの酒場がある方角に目線を向ける。すでに森の奥に入り込んでしまって、あの古い酒場の姿はすでに見えなかった。
それでも、たとえローサシアはすでに死者でも、デラールフは生きて、そこの古い床に転がりながら深酒で痛みを紛らわせて身を滅ぼそうとしている。
トウマはうなずくしかなかった。
うなずいて、ふたりの話の続きを待つしかなかった。
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