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本編
Forgiving 10 - Forgiving
しおりを挟むFor the sake of all forgiven's, the memories passed behind us, our lives will start again.
ケネスは、胸の中に抱え込んだ温かい存在をもう一度抱き直すと、そのまま立ち上がった。
あかねの身体がふわりと浮く。
小さく戸惑いの声を上げたあかねを、ケネスは構わずにくるくると回した。あかねの髪が宙に舞い、スカートの裾が揺れ踊る。あかねの身体はケネスの腕にはとても軽く感じて、まるで妖精を抱いているようだと、そんなことを思った。
掌から伝わってくる熱に、現実と、夢のあいだの曖昧だった境界がはっきりしてくる。
『アカネ』
──どこからどうやって聞きつけたのだろう。母はこの名前を知っていた。
時々思い出したようにこの名前を呟いては、手にしたアルコールのグラスを透かし見て呟く。ねぇ、ケン、もしかしたら貴方の妹の名前になっていたかも知れないのにね、と。
一条正敏がまだ母と共にいた頃から、もし娘が出来たらこの名前を付けたいと、語っていたのだという。
この名前を口にする時だけは、母も微笑んでいた。そして必ず、その後に泣く。
どんな思いだったのかは、想像に難しくない。擦り込まれるように、じわじわとその色を吸っていくように、『アカネ』、その名前は次第にケネスの脳裏へ刻まれてった。
後に母が亡くなり、遠い親戚の家を転々とするようになると、空しさからだろうか──行き場のない悲しみは、復讐の欲望へと形を変えていった。
ひたすらに勉強をし続け、奨学金を取って大学で学びながら、企業で見習いとして働き経験を積む。思えば無茶な努力をしていた。苦しくなかったと言えば嘘になるが、我武者羅に働いている時間は、何もしないでいる時より楽だったのも事実だ。
彼に、一条正敏に、追い付かなければ──そうでなければこの復讐は成立しない。
そして努力は実りつつあった。
大学を卒業し、企業でそれなりの地位に就くようになると、独立のチャンスも増えてくる。それは五年前──アカネを初めて見た、パーティーの直前だった。
彼が来る。そう知っていたから、あのパーティーには駆け出しだった頃の忙しさを押して、無理に出たのだ。正直なところ、彼の娘にそれほど大きな関心はなかった。
ただ彼の隣に佇んでいる少女の姿を見て、あぁ、あれが例の『アカネ』なのだろうと、漠然と思ったくらいだ。
落ち着いた赤のドレスを着ていた。いつか母が、アカネとは日本語でそんな色を指すのだと言っていたことを、わずかに思い出した程度だ。
一条正敏が容態を崩し始めた頃、復讐の準備はすでに調いかけていた。
折も折、一条グループは倒産の危機に瀕していて、融資を切望している状態だった。今ここで彼らを一時的に助け、彼が母にしたように、突然見放せば、間違いなく会社は倒れるだろう。運命は自分に見方しているように思えた。唯一の問題は彼、一条正敏自身が、すでに第一線を退きかけていることだ。
彼が母よりも優先したこと。それは会社だったはずだ。
それを傷つけてやりたかった。
しかし彼にはその時すでに、崩れかけている自らが築いた城より、大切なものがあるらしかった──『アカネ』だ。用心深く調べてみると、彼女はやはり彼の後継者に選ばれていた。
なんという運命だろう。
これ以上の復讐はない。まさに、彼が母に対してしたのと同じことが、また繰り返されるのだ。
許せてしまえれば楽だったのだろうか……。
今になってそう思う。
しかし、幼い日々に毎晩続いた母の悲鳴と涙、一人残されてからの孤独と寂しさ、青年へと成長してからただひたすらに抱き続けた野望……記憶はあまりにも大きすぎて、消すことは出来なかった。この復讐を否定するのは、自分の存在を否定することでさえ、あった気がして。
『アカネ』、自分にとって、名前だけだった少女。
戸惑っていた彼女の瞳が、やがて、愛情と思慕をもって自分を見つめてくるようになったころ。それは、復讐の終焉をも意味していた。
しかし喜びはなかった。
後に残ったのはただ、心をえぐるような痛みと、愛しさだけだ。
抱き上げていたあかねを下ろすと、木々のざわめきが止んだ気がした。
穏やかな静寂が二人を包む中──ケネスはそんな話をあかねにして、彼女の頬に手を寄せた。あかねもその手にそっと触れる。
「Can you forgive me?」
──先にそう言ったのは、ケネスではなくあかねの方だ。
ケネスは驚いたように眉を上げて、可笑しそうに低く笑う。
「それを言うのはわたしの方じゃないかな」
「いえ……つまり……わたしを、受け入れて貰えますか? 貴方にとって、わたしは苦しい過去の象徴でしょう?」
「貴女のせいじゃない」
「でも、事実です」
意外にも気丈な言葉と、まっすぐな視線を向けてくるあかねに、ケネスはもう一度微笑んだ。思っていたよりも強い女性なのかもしれない。そう思うとなぜか、嬉しくもなった。
ケネスは答えた。
「Yes. I forgive you, even if you never asked me to」
その答えに、あかねも安心したように微笑み返す。
彼女の表情は少し幼くて、しかし同時に女性らしくもある。ケネスが惹かれた、彼女の魅力の一つでもあった。
「でも、わたし達の目の前にはもっと大きな問題があるな」
ケネスが唐突に、思い出したようにそう指摘すると、あかねがその瞳をぱちくりと瞬いた。
最初は驚いたような顔で、答えを求める。しかしケネスが黙ってはぐらかしていると、今度はそれが少し怒ったような表情に変わった。
「な、何ですかっ、言って下さい!」
「さあ、どうしようかな」
「えぇ……!?」
「わたしはこんな男だよ。今まで演じてきた完璧な紳士なんかじゃない。それでもいいかい?」
「それは──」
と言いかけて、あかねは一瞬言葉に詰まった。しかし今更、選りによって今、なにを遠慮する必要があるのだろう?
「それは、薄々気が付いてました。というか、わたしが好きになったのは、紳士な貴方じゃなくて、時々貴方が見せてくれた別の部分です」
答えながらあかねは、いつも惹かれていた、あの、彼の切ない笑顔を思い出す。そう、もしかしたら最初から本能で分かっていたのかもしれない……あれこそが、本当の彼だと。
あかねの答えを聞いて、ケネスは静かにささやいた。
「Will you forgive me?」
そして続ける。
「わたしはこんな男だし、貴女を傷つけた。もしあの二ヵ月の、優しかっただけのわたしに夢を見ているなら、それは違うと言わなければならない。おまけに今、少しばかり懐も寂しいしね──間違いなく、白馬の王子ではないよ。それでも?」
「もう」
「貴女はゴミを掴もうとしているのかもしれない」
「止めて下さい、もうっ」
二人は笑って、また、きつく抱き合った。そしてしばらく、お互いを確かめ合うような抱擁が続く。
「I will」
あかねはケネスの耳元に囁くように答えた。
「I forgive you」
It's said and done.
過去こそが私達の未来を捕らえていた、あのころ。
貴方がわたしを許すこと わたしが貴方を許すこと──それが出来た時、この愛は本物になる。
【Forgiving 本編 了】
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