太陽と月の終わらない恋の歌

泉野ジュール

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月の盗人

01

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 花盗人と、恋盗人は、罪にならない──。
 君が望むなら、あの月を夜空から盗んでこようか。



【太陽と月の終わらない恋の歌 月の盗人 1.】



「こちらがサイデン様の引き取られた少女ですか! なんとまぁ、可愛らしい。ふわふわと甘い綿菓子のようですな」

 ある朝、春晴れの空の下──。
 玄関前の広場でダヴィッドとマノンを迎えた初老の男は、そうマノンを評した。
 控えめな白のドレスにつばの広い麦わら帽子姿のマノンは、ダヴィッドの傍で賛辞に深く頭を下げる。

「ありがとうございます、副院長さま」
「おや、礼儀も正しいのだね」

 と、今度は少しからかうような調子で、男はからからと笑った。
 副院長と呼ばれたその初老の男は、丈の長い白衣を着ており、短く揃えたロマンスグレイの髪にふちの細い眼鏡といういでたちだ。
 思慮深くも気さくな様子が、言動の端々に垣間見られる。
 ダヴィッドは胸中で、彼は信頼できる人間だろうと……密かに判断した。

「今日はお招きいただき感謝します。この子が是非にと言うもので」
「何を申します。一体何人の子供が、サイデン様の我が医院へのご支援で助かったか。これくらいはお安い御用ですよ」
「ありがたい」

 慇懃にダヴィッドが答えると、副院長は二人を玄関へと案内した。
 生い茂る緑に囲まれた瑞々しい環境──ここは街の喧騒から離れた、ルザーンの郊外だ。建物に入る前、吹き抜ける春風に麦わら帽子が揺れて、マノンは手でつばを押さえた。
 玄関の右横をちらりと見やると、そこには礎がはめ込まれており、上には病院の名前が悠々と刻まれていた。



「ドロレス小児病院?」

 時は二日前に戻り、いつも通りの朝食の席──。
 ダヴィッドの唐突な言葉を反復し、マノンはパンにバターをぬる手を止めた。

「そう、郊外にある子供専用の病院だ。明後日そこに出掛けることになったから、準備しておくように」
「私と、ダヴィッドで?」
「そうだよ」

 ぽかんと呆けたマノンに対し、ダヴィッドは落ち着いて朝のコーヒーを啜り続けている。
 なにかにつけて秘密主義のダヴィッドが、この先の予定や、行き先を教えてくれることは非常に稀で、マノンは胸が大きく弾むのを感じた。しかも一緒に連れて行ってくれるという。これはもしかすると、自分が大人に近付いた証拠では?

「私、一生懸命ダヴィッドの手伝いをするわ」
 期待を込めてマノンが言うと、ダヴィッドはカップを持つ手を止め、口元を緩めた。
「何も一生懸命になる必要はないよ。お前は、ただそこに居て、何にでも感心してくれていればいい」
 ──子供らしく。
 そうダヴィッドは短く、しかく確実に、語尾に付け加えた。

「む。」
「む、じゃない。言っただろう、子供専用の病院なんだ。お前を連れて行くのはそのためだ」
「子供がいないと入れないの?」
「そうじゃない。ただ、お前が居たほうがずっと自然に見える。あまり怪しまれたくない」
「あ……」

 ダヴィッドの瞳が真剣なものになった。
 その瞬間、マノンも理解する。これは何か大切で重要なことなのだと。それも恐らくは──。

「お仕事……?」
「ああ」
「お昼の? それとも──」

 実を言えば、答えは聞く前から分かっていた。しかし、彼の口からそれを聞きたかったのだ。一つの信頼の証として。

「夜の方だ。新しく院長に就いた男が、汚い横領をしているらしい……それを確かめるんだ」
 ダヴィッドは静かに答えた。

 二人がいるのは、朝食やお茶の時間のために造られた温室風のサロンで、周りはガラス張りになっている。
 外から小鳥のさえずりが聞こえる。
 ダヴィッドの所有する広い城館は、朝の光を浴びて、石造りの白い壁をますます優美に輝かせていた。
 これ以上は、どれだけ聞いても答えてくれないのが分かっていたから、マノンは一息つくと、小皿の上に置き去りになっていたパンに再び手を伸ばした。

「バターの塗りすぎだろう、マノン」
 片眉を上げたダヴィッドが指摘した。
「早く大きくなるためなの」
 負けじとマノンは答えた──しかし、後ろに控えていた執事が、ゴホンとわざとらしい咳払いを一つすると、落ち着き払った声でダヴィッドの心を代弁した。

「横に、大きくならなければいいですが」
「もぅ!」

 そんな訳で、ダヴィッドとマノンは二日後、その『ドロレス小児病院』を訪れていたのだ。



 病院の中へ入ると、消毒液のにおいがツンと鼻についた。
 内装は落ち着いていて、質素というよりは、清潔と呼ぶべきだろうか。玄関から入ると、小さなエントランスがあって、そこから白い廊下が長く続いている。建物自体は平屋らしかった。

「院内には、どのくらいの数の子供がいるんですか?」
 出来るだけ無邪気な風を装って、マノンは先頭を歩き案内してくれている副院長に聞いた。

 副院長はマノンの天衣無縫な笑顔と、年にしては賢い質問に、いくらか気を良くしたようで、優しく微笑みながら答えた。
「入院しているのは現在八人だよ。その他にも、通いの患者が五、六人いるし、緊急の患者も時々くるね」
「お医者様は、副院長さまだけなんですか?」
「いいや、もう一人、院長がいて、彼ももちろん医師だ。ただ……」
「?」
「いや、失礼、何でもないよ。さぁ、ここが食堂になっていて、歩ける子供たちはここで食事を取る。そして次の部屋が──」

 案内を続ける副院長と、その横にピタリとついて質問を繰り返すマノンの後を、ダヴィッドは口数少なに付いて歩いた。もちろんこれは台本通りで、ダヴィッドは少女の我侭に付き合ってやっているお人よしの義父を演じながら、実際は、全身で気を張りめぐらし、視察を続けていたのだ。

 そして
(疑った通りだな)
 ダヴィッドは確信を深めていた。

 内装は、変わらず清潔にはしてあるものの、患者のシーツは使い古しで長い間新調されておらず、医療機器もずいぶんと古い物を使い続けているように見えた。

 裕福な医院ではない。
 ──だからこそダヴィッドも時折援助しているのだが、かといってここは、貧困区ではない。

 やはり、どうやら何処から、不自然に金が流出している。
 そしてその金の行き先……犯人は、十中八九間違いない。
 半年前ここに赴任したという、新院長だ。今日も、学会に用事があるとかで留守にしているらしいが、そんなものが無いのは既に調べがついていた。

 全身の血がふつふつと怒りに沸いてくるのを、ダヴィッドは嫌というほど感じた。

 どうするべきだ──。
 まずはその横領された金を出来る限り奪い返して、医院へ戻し、悪徳院長には法の裁きを受けてもらわなくてはならない。それから先は、この人のいい副院長を次の院長に推して、もう一人腕のいい医師を呼んでこなければ……。
 云々……。
 思考を巡らせている時だった。

「黒の怪盗、参上ー! そこの金髪娘は、俺がいただいた!」
 突然の声にハッとして、ダヴィッドは顔を上げた。
「キャー!」
 バサバサバサっと鳥が羽を揺らしたような音がして、その瞬間には、マノンが白いシーツに覆い被されて、悲鳴とともに床に盛大に転んだ。

「マノン!」とダヴィッド。
「サイモン!」と副院長。

 一体何が起こったのか──ダヴィッドが急いでマノンに駆け寄ると、床に広がったシーツの中から、赤毛の少年が勢いよく飛び出してきた。

 気の強そうな太い眉に、切れ長の瞳。
 少年は、彼らを取り巻く他人には目もくれず、マノンを見据えると言った。

「お前……美人だな。俺がその唇を奪ってやる」
 ダヴィッドに上半身を抱えられたマノンへ向かって、少年は宣言した。宣言して──すぐに実行へ移した。
 いや、移そうと、した。
 膝を廊下についたままの少年の顔が、素早くマノンの目の前へ近づく……と。

「いやぁぁぁー!!」
 ダヴィッドの拳が出るよりも早く、マノンの平手が、少年の頬を思いっきり打っていた。
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