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O Holy Night
19
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そして時は巡り、約三年後に戻る──
【太陽と月の終わらない恋の歌 O Holy Night 19.】
旅客船の視察を終えたダヴィッドは、そのまま馬車に揺られて帰路についた。
あたりはすでに薄暗く、店を閉めるのに忙しい商店の軒先や、子供たちが家へ戻っていく姿が馬車の窓から散見される。ダヴィッドはそれらを遠目に眺めながら、屋敷で自分の帰りを待っているであろうマノンのことを思った。
あれから三年が経って、ダヴィッドはその分だけ年を取り、マノンはいくらか背が伸びて大人びてきた。
少女の成長は早く、油断していればすぐに何処かへ飛び立ってしまいそうで……そこばかりは気が気ではないが、それでも着実に望む未来への階段を上りつつある。
あの夜から、マノンはダヴィッドの娘であり、家族だ。
そして願わくは、未来の……。
屋敷に着いたダヴィッドが玄関の扉をくぐると、豊かな夕食の香りが彼を迎える。
同時に薄い黄色の室内着姿のマノンが、頬を紅潮させ、長い髪をなびかせながら駆け寄ってきた。
「おかえりなさい、ダヴィッド!」
「ただいま」
ダヴィッドはマノンを高く抱き上げると、頬のあたりに軽く触れるだけのキスをした。
どの親子でも挨拶代わりにするような軽い触れ合いだったが、ダヴィッドは毎日これをするわけではない。当然、マノンは驚いたように首を引き、まじまじとダヴィッドの顔を見つめた。ダヴィッドはにやりと笑って見せる。
「どうした? お気に召さなかったか?」
「お……お、お、お気に……? どうして? す、すごく素敵よ……」
「じゃあ、俺にも返してくれ」
ダヴィッドがそう言うと、マノンはますます頬を赤く染めて、恥ずかしそうに肩をすくめてみせた。
そして短い躊躇のあと、首を伸ばしてダヴィッドの頬に軽く唇を押し付けるマノンだ……。ちゅっと甘い音がして、顔を離そうとするとき、お互いの髪が耳の上辺りでからまっていた。
それを手で撫で付けて直そうとするマノンの仕草が、慣れない毛づくろいをしている子猫のようで、まったく心をそそる。
ダヴィッドは満足げに微笑んだまま、マノンを床に下ろした。
「今夜は美味そうな匂いがするな。着替えてくるから、お前は食堂で待っていなさい」
ダヴィッドは言った。マノンはうなづく。
「今日の野菜のシチューは、私もすこしだけ手伝ったの。ダヴィッドの好きなコージェットも入れてもらってね……」
「それはぜひ味見させてもらうとしよう」
「うん!」
無意識だろうが、いつの間にか小さな女主人ぶりの片鱗を見せるマノンに、ダヴィッドはさらなる満足を覚えていた。
そう、こうやって少しずつ前進していく二人の関係に……ダヴィッドは今のところ満足している。
マノンの唇を受けたあたりを軽く撫でながら、食堂の方へ消えていく彼女の後姿を眺めていると、突然バトラーの咳払いが背後から聞こえた。
「バトラー、何が言いたい?」
意味ありげな咳払いに対して、ダヴィッドは振り返りもせず、少し不機嫌に尋ねた。
バトラーは「いいえ、何も」と言いながらダヴィッドの前に進み、いつものように主人が脱いだ外套を受け取って腕の中にたたんだ。
「ただ少し、五年後のあなた方がどうなるのだろうと、想像してしまっただけです」
「…………」
五年後。
ダヴィッドだって考えないわけではない。それどころか、いつもその事ばかり考えているといってもいいくらいだ。普通、執事と主人がこんな会話はしないだろう。しかしダヴィッドとバトラーの関係は普通とは少し違う。
しばらく押し黙ったダヴィッドは、バトラーに短い一瞥を投げかると、聞いた。
「それで、その想像は一体どんなものだった?」
「言っていいのですか」
「俺が聞いてるんだよ」
「悪くない感じでした」
バトラーはごく無機的にそう言ったあと、少しだけ微笑のようなものを見せて、続けた。「主人が、別の主人の尻に敷かれている姿はね」
この夜も、次の夜も。
そのさらに次の夜も、五年後の夜も。
あの聖なる夜に始まった奇跡は、これまでも、これからも、永々と続くだろう……。
太陽と月が、わたしたちの空にある限り。
だから、だから。
いつか、いつか──。
【O Holy Night - 了】
【太陽と月の終わらない恋の歌 O Holy Night 19.】
旅客船の視察を終えたダヴィッドは、そのまま馬車に揺られて帰路についた。
あたりはすでに薄暗く、店を閉めるのに忙しい商店の軒先や、子供たちが家へ戻っていく姿が馬車の窓から散見される。ダヴィッドはそれらを遠目に眺めながら、屋敷で自分の帰りを待っているであろうマノンのことを思った。
あれから三年が経って、ダヴィッドはその分だけ年を取り、マノンはいくらか背が伸びて大人びてきた。
少女の成長は早く、油断していればすぐに何処かへ飛び立ってしまいそうで……そこばかりは気が気ではないが、それでも着実に望む未来への階段を上りつつある。
あの夜から、マノンはダヴィッドの娘であり、家族だ。
そして願わくは、未来の……。
屋敷に着いたダヴィッドが玄関の扉をくぐると、豊かな夕食の香りが彼を迎える。
同時に薄い黄色の室内着姿のマノンが、頬を紅潮させ、長い髪をなびかせながら駆け寄ってきた。
「おかえりなさい、ダヴィッド!」
「ただいま」
ダヴィッドはマノンを高く抱き上げると、頬のあたりに軽く触れるだけのキスをした。
どの親子でも挨拶代わりにするような軽い触れ合いだったが、ダヴィッドは毎日これをするわけではない。当然、マノンは驚いたように首を引き、まじまじとダヴィッドの顔を見つめた。ダヴィッドはにやりと笑って見せる。
「どうした? お気に召さなかったか?」
「お……お、お、お気に……? どうして? す、すごく素敵よ……」
「じゃあ、俺にも返してくれ」
ダヴィッドがそう言うと、マノンはますます頬を赤く染めて、恥ずかしそうに肩をすくめてみせた。
そして短い躊躇のあと、首を伸ばしてダヴィッドの頬に軽く唇を押し付けるマノンだ……。ちゅっと甘い音がして、顔を離そうとするとき、お互いの髪が耳の上辺りでからまっていた。
それを手で撫で付けて直そうとするマノンの仕草が、慣れない毛づくろいをしている子猫のようで、まったく心をそそる。
ダヴィッドは満足げに微笑んだまま、マノンを床に下ろした。
「今夜は美味そうな匂いがするな。着替えてくるから、お前は食堂で待っていなさい」
ダヴィッドは言った。マノンはうなづく。
「今日の野菜のシチューは、私もすこしだけ手伝ったの。ダヴィッドの好きなコージェットも入れてもらってね……」
「それはぜひ味見させてもらうとしよう」
「うん!」
無意識だろうが、いつの間にか小さな女主人ぶりの片鱗を見せるマノンに、ダヴィッドはさらなる満足を覚えていた。
そう、こうやって少しずつ前進していく二人の関係に……ダヴィッドは今のところ満足している。
マノンの唇を受けたあたりを軽く撫でながら、食堂の方へ消えていく彼女の後姿を眺めていると、突然バトラーの咳払いが背後から聞こえた。
「バトラー、何が言いたい?」
意味ありげな咳払いに対して、ダヴィッドは振り返りもせず、少し不機嫌に尋ねた。
バトラーは「いいえ、何も」と言いながらダヴィッドの前に進み、いつものように主人が脱いだ外套を受け取って腕の中にたたんだ。
「ただ少し、五年後のあなた方がどうなるのだろうと、想像してしまっただけです」
「…………」
五年後。
ダヴィッドだって考えないわけではない。それどころか、いつもその事ばかり考えているといってもいいくらいだ。普通、執事と主人がこんな会話はしないだろう。しかしダヴィッドとバトラーの関係は普通とは少し違う。
しばらく押し黙ったダヴィッドは、バトラーに短い一瞥を投げかると、聞いた。
「それで、その想像は一体どんなものだった?」
「言っていいのですか」
「俺が聞いてるんだよ」
「悪くない感じでした」
バトラーはごく無機的にそう言ったあと、少しだけ微笑のようなものを見せて、続けた。「主人が、別の主人の尻に敷かれている姿はね」
この夜も、次の夜も。
そのさらに次の夜も、五年後の夜も。
あの聖なる夜に始まった奇跡は、これまでも、これからも、永々と続くだろう……。
太陽と月が、わたしたちの空にある限り。
だから、だから。
いつか、いつか──。
【O Holy Night - 了】
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