10 / 68
【乃亜の章】
「いくら親父が許しても、俺は許さない」①
「わぁ……すごい素敵……」
視界に入ってきた邸宅を前に、乃亜は思わず日本語で感嘆していた。
いわゆる牧草地だろう、こう言ってはなんだがとにかくなにもない広大な土地を横切り、実に十五分ほどひたすら真っ直ぐ進んだ先に、乃亜が目指していた場所はあった。
レンガと丸太を趣味よく組み合わせたゲートが視界に現れ、木板の看板にその名が刻まれているのが見える。
──スプリング・ヘイブン牧場。
英語の綴りを確認して、乃亜はひとり納得してうなずいた。
(ヘイブンは『安息の地』だったんだ。『天国』じゃなくて……)
ヘイブンとヘブンはかなり発音が近い上に、ダグラスの英語にはわずかな南部訛りがあるので、どちらだか確信が持てなかったのだ。しかし今わかった。
春の安息の地。
偶然だろうか……?
ずっと僻遠の地が続いていると思ったら、ゲートを抜けた先にあるのは邸宅と呼んでいいような大きさの家だった。
いわゆるジョージアン・スタイルと呼ばれる左右対称で古典的な造りで、白と薄い灰色を合わせた落ち着いた雰囲気の二階建てだ。
玄関前のポーチには鉢植えの観葉植物やベンチが置かれており、手入れも行き届いていた。
「ここがあなたとウィリアムさんの家……ですか?」
ずっとほぼ無言で運転していたダグラスが、乃亜に顔を向ける。その灰色の瞳が不快そうに細められた。
まずい。失言だっただろうか。
ウィリアムに息子がいるということは、母親もいるということだ。
そもそもダグラス自身が結婚していておかしくない歳だし、玄関からわらわらと子供が出てきても不思議ではない。
そうなると乃亜は、かなり招かれざる客なのだ……。
そもそも招かれていないけど。
しかし、
「そうだ」
と、ダグラスは静かに答えた。
そして沈黙。
それ以上の説明を加える気がダグラスにないのがわかって、乃亜は邸宅から彼に視線を移した。
「他のご家族は……?」
「いないよ」
「こんなに大きい家なのに?」
それには答えず、邸宅の前に車を停めたダグラスは颯爽と外に降り立った。乃亜が慌ててシートベルトを外すのにまごついていると、助手席の扉が開く。
ダグラスは乃亜の太ももの前に手を伸ばし、かちりと素早くシートベルトを外してくれた。
「ありがとうございます……」
高い車高から降りるのを、ダグラスの腕が助けてくれる。
彼の手が、背中の中央より少し下あたりに触れて、乃亜は痺れに似たなにかを身体の奥に感じた。
後部座席にあった乃亜の荷物が出されて、邸宅のポーチに運び込まれる。
(えっと……従業員用のキャビンに直行じゃなくて? お宅に入れてもらえるの? それとも一時的に荷物だけ?)
あまり質問ばかり続けるのも失礼な気がして、乃亜はダグラスの行動を見守っていた。
荷物を運び終わったダグラスは、そんな乃亜に灰色の視線を向ける。
ふたりの目が合うと、ダグラスはおもむろに両腕を胸の前で組んで仁王立ちした。
「君をここに入れる前に、確認したいことがいくつかある──」
まるで乃亜を断罪するような厳しい口調だった。
「は、はい」
「君と親父はどんな関係があるんだ?」
親父、という単語と、ウィリアムの名前が乃亜の中で繋がるのに数秒を要した。乃亜は曽祖母からウィリアムについての話を聞いてから、きっと彼は独身を貫いていると思い込んでいたからだ。
少なくとも……そう思いたかった。
曽祖母の意見は違うものだったけれど。
でも乃亜の目の前には彼の息子がいて、灰色の瞳で乃亜のことを見据えている。乃亜は夢を見すぎていたのだ。
「わたし自身は……彼と面識はありません。わたしじゃなくて、わたしの曽祖母が、ずっと昔、彼と知り合いだったんです。それで彼に手紙を渡して欲しいと頼まれました。曽祖母自身はもう高齢で、飛行機に乗るのは難しくて……」
「面識がないなら、どうして君がわざわざ親父に顔を見せる必要がある? 手紙だけなら俺が渡しておくと言っただろう。そもそも郵送だってできる。USPSはあまり当てにはならないが」
USPSがアメリカの郵便公社を意味することくらいはわかった。
それを揶揄するダグラスに、ユーモアの一片を感じて微笑みたくなったけれど、自分が尋問されている最中なのは変わらない。
「それはわたしも曽祖母に言いました……。でも、どうしても会って手渡して欲しいと食い下がられてしまって……」
この先を伝えるべきかどうか、乃亜はしばらく躊躇した。
でも、乃亜は悪いことをしているわけではない。隠し事をしても得るものはあまりない。
そう決心して、ダグラスが乃亜を見つめるのと同じくらいまっすぐに、彼を見つめ返した。
「多分、曽祖母の若い頃とわたしが、そっくりだからだと思います。ウィリアムさんにそれを見て欲しいんじゃないかと……」
灰色の瞳がさらに細められた。
その視線のあまりの鋭さに、逃げ出してしまいたくなる。
ダグラスの胸中になにが去来しているのか知ることはできないけれど、あまり明るいものでないのだけは確かだった。
「……親父が、若い頃に……兵役で日本に駐屯していた話は聞いている。そこで……日本の女に会ったという話も」
「それがわたしの曽祖母だと思います」
乃亜はうなずいた。
正直、曽祖母のことをそんな、まるで大したことのない過去の小話のように語られるのには傷ついたけれど……。
ダグラスの身の上を考えれば当然だろうか。
父親が母親以外の女性と関係を持った過去など、誰も語りたくないはずだ。
「それで、君の目的はなんなんだ?」
「え? だから手紙を……」
「違う。なんでそれが今更なんだ? 親父が死にかけている今になって……死に際を狙ったように」
「……な……」
「この牧場を乗っ取ろうと企んでいるのか?」
乃亜は絶句した。
ここにきたのは曽祖母の願いで、乃亜自身の選択ではない。
ニューヨークやロサンゼルスやハワイならまだしも、コロラド州の田舎なんて来たいとさえ思わなかった。
言われのない疑惑を投げつけられて、怒りが込み上げてくる。
「そんなこと……冗談でも言わないでください。わたしも曽祖母もウィリアムさんが心臓発作を起こしたなんて知りませんでした。そもそも、日本人であるわたし達がどうやってアメリカの牧場を乗っ取るんですか」
「方法なんていくらでもある」ダグラスは冷淡に言い放った。「代理人を立てて間接的に所有することならできるはずだ。売り払って現金にしてもいい」
「そんな!」
乃亜はダグラスをキッと睨んだ。
もちろん、そんなことでダグラスが怯んだりはしなかったけれど、大人しくメソメソ泣き出すと思っているなら見当違いもいいところだ。
乃亜はいわゆる気が強い女ではなかったけれど、弱虫ではない。
なんといっても乃亜は、春子おばあちゃんのひ孫なのだ。
ま、負けない。
と、思いたい。
「心配しなくても……手紙を渡したら、わたしはすぐに日本に帰ります。一日だって滞在を伸ばしたりしません。わたしの顔を見ることなんて金輪際なくなりますから、安心してください」
もしかしたら血が繋がっているかもしれない相手に、こんなことを言わなくてはならないのは胸の奥がチクリと痛んだが、金目当ての女扱いをされて黙っているわけにはいかない。
ゴールド・ディガー。
お金目当て。
女性に対してかなり失礼な暴言だ。
乃亜は、ダグラスがもっと畳み掛けてくる覚悟をしたが、それはなかった。それどころか彼は一瞬だけふいと横を向くと、乃亜に視線を戻してささやいた。
「悪かった。今のは忘れてくれ」
う……ん?
「いえ、大丈夫です……。わたし、本当に手紙を渡すこと以外に目的はないですから。それを信じてください」
「わかったよ。とりあえず中に入ってくれ」
「はい」
正直、長旅で疲れ切っていた乃亜は、ダグラスの申し出をありがたく受けた。
たとえ自分の発案でここにきたのではなくても、曽祖母の説明を聞いてその懇願を受け入れた時点で、乃亜にだって責任は発生する。
ダグラスにとって乃亜があまりありがたくない存在なのは、自然の理だし……。
(というか……知っているのかな)
ウィリアムと曽祖母の間に子供があったこと。
これからどうなるのだろう。キャビンだろうとコテージだろうと、馬の隣に野宿することになろうと、この牧場に滞在するならきっと何度も顔を合わせるはずだ。
乃亜はどんな顔で、どんなふうにダグラスに接するべきなのだろう……。
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
繰り返す夜と嘘 〜【実録】既婚の僕と後輩の彼女、あの夜のキスから始まった13年の秘密〜
まさき
恋愛
結婚して半年の僕と、同じ職場の彼女。
出会った頃は、ただの先輩と新入社員だった。
互いに意識しながらも、
数年間、距離を保ち続けた。
ただ見つめるだけの関係。
けれど――
ある夏の夜。
納涼会の帰り道。
僕が彼女の手を握った瞬間、
すべてが変わった。
これは恋でも、友情でもない。
けれど理性では止められない、
名前のない関係。
13年続いた秘密。
誓約書。
そして、5年の沈黙。
これは――
実際にあった「夜」の記録。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
藤白ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!