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【乃亜の章】
「いくら親父が許しても、俺は許さない」①
しおりを挟む「わぁ……すごい素敵……」
視界に入ってきた邸宅を前に、乃亜は思わず日本語で感嘆していた。
いわゆる牧草地だろう、こう言ってはなんだがとにかくなにもない広大な土地を横切り、実に十五分ほどひたすら真っ直ぐ進んだ先に、乃亜が目指していた場所はあった。
レンガと丸太を趣味よく組み合わせたゲートが視界に現れ、木板の看板にその名が刻まれているのが見える。
──スプリング・ヘイブン牧場。
英語の綴りを確認して、乃亜はひとり納得してうなずいた。
(ヘイブンは『安息の地』だったんだ。『天国』じゃなくて……)
ヘイブンとヘブンはかなり発音が近い上に、ダグラスの英語にはわずかな南部訛りがあるので、どちらだか確信が持てなかったのだ。しかし今わかった。
春の安息の地。
偶然だろうか……?
ずっと僻遠の地が続いていると思ったら、ゲートを抜けた先にあるのは邸宅と呼んでいいような大きさの家だった。
いわゆるジョージアン・スタイルと呼ばれる左右対称で古典的な造りで、白と薄い灰色を合わせた落ち着いた雰囲気の二階建てだ。
玄関前のポーチには鉢植えの観葉植物やベンチが置かれており、手入れも行き届いていた。
「ここがあなたとウィリアムさんの家……ですか?」
ずっとほぼ無言で運転していたダグラスが、乃亜に顔を向ける。その灰色の瞳が不快そうに細められた。
まずい。失言だっただろうか。
ウィリアムに息子がいるということは、母親もいるということだ。
そもそもダグラス自身が結婚していておかしくない歳だし、玄関からわらわらと子供が出てきても不思議ではない。
そうなると乃亜は、かなり招かれざる客なのだ……。
そもそも招かれていないけど。
しかし、
「そうだ」
と、ダグラスは静かに答えた。
そして沈黙。
それ以上の説明を加える気がダグラスにないのがわかって、乃亜は邸宅から彼に視線を移した。
「他のご家族は……?」
「いないよ」
「こんなに大きい家なのに?」
それには答えず、邸宅の前に車を停めたダグラスは颯爽と外に降り立った。乃亜が慌ててシートベルトを外すのにまごついていると、助手席の扉が開く。
ダグラスは乃亜の太ももの前に手を伸ばし、かちりと素早くシートベルトを外してくれた。
「ありがとうございます……」
高い車高から降りるのを、ダグラスの腕が助けてくれる。
彼の手が、背中の中央より少し下あたりに触れて、乃亜は痺れに似たなにかを身体の奥に感じた。
後部座席にあった乃亜の荷物が出されて、邸宅のポーチに運び込まれる。
(えっと……従業員用のキャビンに直行じゃなくて? お宅に入れてもらえるの? それとも一時的に荷物だけ?)
あまり質問ばかり続けるのも失礼な気がして、乃亜はダグラスの行動を見守っていた。
荷物を運び終わったダグラスは、そんな乃亜に灰色の視線を向ける。
ふたりの目が合うと、ダグラスはおもむろに両腕を胸の前で組んで仁王立ちした。
「君をここに入れる前に、確認したいことがいくつかある──」
まるで乃亜を断罪するような厳しい口調だった。
「は、はい」
「君と親父はどんな関係があるんだ?」
親父、という単語と、ウィリアムの名前が乃亜の中で繋がるのに数秒を要した。乃亜は曽祖母からウィリアムについての話を聞いてから、きっと彼は独身を貫いていると思い込んでいたからだ。
少なくとも……そう思いたかった。
曽祖母の意見は違うものだったけれど。
でも乃亜の目の前には彼の息子がいて、灰色の瞳で乃亜のことを見据えている。乃亜は夢を見すぎていたのだ。
「わたし自身は……彼と面識はありません。わたしじゃなくて、わたしの曽祖母が、ずっと昔、彼と知り合いだったんです。それで彼に手紙を渡して欲しいと頼まれました。曽祖母自身はもう高齢で、飛行機に乗るのは難しくて……」
「面識がないなら、どうして君がわざわざ親父に顔を見せる必要がある? 手紙だけなら俺が渡しておくと言っただろう。そもそも郵送だってできる。USPSはあまり当てにはならないが」
USPSがアメリカの郵便公社を意味することくらいはわかった。
それを揶揄するダグラスに、ユーモアの一片を感じて微笑みたくなったけれど、自分が尋問されている最中なのは変わらない。
「それはわたしも曽祖母に言いました……。でも、どうしても会って手渡して欲しいと食い下がられてしまって……」
この先を伝えるべきかどうか、乃亜はしばらく躊躇した。
でも、乃亜は悪いことをしているわけではない。隠し事をしても得るものはあまりない。
そう決心して、ダグラスが乃亜を見つめるのと同じくらいまっすぐに、彼を見つめ返した。
「多分、曽祖母の若い頃とわたしが、そっくりだからだと思います。ウィリアムさんにそれを見て欲しいんじゃないかと……」
灰色の瞳がさらに細められた。
その視線のあまりの鋭さに、逃げ出してしまいたくなる。
ダグラスの胸中になにが去来しているのか知ることはできないけれど、あまり明るいものでないのだけは確かだった。
「……親父が、若い頃に……兵役で日本に駐屯していた話は聞いている。そこで……日本の女に会ったという話も」
「それがわたしの曽祖母だと思います」
乃亜はうなずいた。
正直、曽祖母のことをそんな、まるで大したことのない過去の小話のように語られるのには傷ついたけれど……。
ダグラスの身の上を考えれば当然だろうか。
父親が母親以外の女性と関係を持った過去など、誰も語りたくないはずだ。
「それで、君の目的はなんなんだ?」
「え? だから手紙を……」
「違う。なんでそれが今更なんだ? 親父が死にかけている今になって……死に際を狙ったように」
「……な……」
「この牧場を乗っ取ろうと企んでいるのか?」
乃亜は絶句した。
ここにきたのは曽祖母の願いで、乃亜自身の選択ではない。
ニューヨークやロサンゼルスやハワイならまだしも、コロラド州の田舎なんて来たいとさえ思わなかった。
言われのない疑惑を投げつけられて、怒りが込み上げてくる。
「そんなこと……冗談でも言わないでください。わたしも曽祖母もウィリアムさんが心臓発作を起こしたなんて知りませんでした。そもそも、日本人であるわたし達がどうやってアメリカの牧場を乗っ取るんですか」
「方法なんていくらでもある」ダグラスは冷淡に言い放った。「代理人を立てて間接的に所有することならできるはずだ。売り払って現金にしてもいい」
「そんな!」
乃亜はダグラスをキッと睨んだ。
もちろん、そんなことでダグラスが怯んだりはしなかったけれど、大人しくメソメソ泣き出すと思っているなら見当違いもいいところだ。
乃亜はいわゆる気が強い女ではなかったけれど、弱虫ではない。
なんといっても乃亜は、春子おばあちゃんのひ孫なのだ。
ま、負けない。
と、思いたい。
「心配しなくても……手紙を渡したら、わたしはすぐに日本に帰ります。一日だって滞在を伸ばしたりしません。わたしの顔を見ることなんて金輪際なくなりますから、安心してください」
もしかしたら血が繋がっているかもしれない相手に、こんなことを言わなくてはならないのは胸の奥がチクリと痛んだが、金目当ての女扱いをされて黙っているわけにはいかない。
ゴールド・ディガー。
お金目当て。
女性に対してかなり失礼な暴言だ。
乃亜は、ダグラスがもっと畳み掛けてくる覚悟をしたが、それはなかった。それどころか彼は一瞬だけふいと横を向くと、乃亜に視線を戻してささやいた。
「悪かった。今のは忘れてくれ」
う……ん?
「いえ、大丈夫です……。わたし、本当に手紙を渡すこと以外に目的はないですから。それを信じてください」
「わかったよ。とりあえず中に入ってくれ」
「はい」
正直、長旅で疲れ切っていた乃亜は、ダグラスの申し出をありがたく受けた。
たとえ自分の発案でここにきたのではなくても、曽祖母の説明を聞いてその懇願を受け入れた時点で、乃亜にだって責任は発生する。
ダグラスにとって乃亜があまりありがたくない存在なのは、自然の理だし……。
(というか……知っているのかな)
ウィリアムと曽祖母の間に子供があったこと。
これからどうなるのだろう。キャビンだろうとコテージだろうと、馬の隣に野宿することになろうと、この牧場に滞在するならきっと何度も顔を合わせるはずだ。
乃亜はどんな顔で、どんなふうにダグラスに接するべきなのだろう……。
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